No | 126679 | |
著者(漢字) | 芝,祥一 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | シバ,ショウイチ | |
標題(和) | テラヘルツ帯量子カスケードレーザーの開発と天文観測用ヘテロダイン受信機への応用 | |
標題(洋) | Development of Terahertz Quantum Cascade Lasers and Application to Heterodyne Receivers for Astronomical Observations | |
報告番号 | 126679 | |
報告番号 | 甲26679 | |
学位授与日 | 2011.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5624号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1.はじめに 周波数 0.1~10 THzの領域の電磁波はテラヘルツ波と呼ばれる。その発生・検出は技術的に困難であるため、天文学・宇宙物理学・大気科学等の分野において未開拓の領域として残されている。しかし、この帯域には基本的な分子・原子のスペクトルが数多く含まれており、それらの高感度・高周波数分解能観測が強く求められている。天文学・宇宙物理学では、星間分子雲の物理状態を調べる上で重要なC+、C、N+などの微細構造スペクトル線、星形成領域近傍での化学組成を調べる上で鍵となるCH、H2D+、HD2+、HDO、H2O などの回転スペクトル線の観測が注目され、大気科学においてはオゾン層の破壊や回復のメカニズムを探る手がかりとなるOH、ClOなどのスペクトル線の観測が待望されている。これらのスペクトル線を、ラインプロファイルまで詳細に分析するためには、ヘテロダイン法による高周波数分解能観測が必要となる。 しかし、ヘテロダイン法による天体スペクトル線観測は、これまで 1.9 THz 以下の周波数に限られている。ヘテロダイン検出では、高感度なミクサと、それを駆動するための局部発振器が必要となる。現在、テラヘルツ帯において最も高感度なミクサは超伝導ホットエレクトロンボロメータ(HEB)である。ところが、1.9THz 以上の帯域では実用的な局部発振器が存在しないため、ヘテロダイン観測はほとんど行われていない。この状況を打破するため、この帯域における発振器として注目されているのが、量子カスケードレーザー(QCL)である。 テラヘルツ帯量子カスケードレーザー(THz-QCL)は、コンパクトで高出力、狭線幅の光源であり、ヘテロダイン受信機における局部発振器として要求される性能を満たすことができると期待される。これまでに、0.84~5.0 THzの帯域での発振が確認されており、連続発振における最高動作温度117 K、最大出力130 mW、発振線幅6 kHz 以下の性能がそれぞれ報告されている。また、HEB ミクサと組み合わせて、ヘテロダイン受信機としての動作を実際に行った研究も報告されており、2.8 THzで受信機雑音温度1400 K が得られている。しかし、QCLの局部発振器としての実績は限られており、依然として様々なアプローチが必要な段階である。そこで本研究では、QCLを局部発振器として用いて1.9THz 以上でのヘテロダイン受信機を実現することを目指し、その開発に取り組んだ。 2.量子カスケードレーザー製作プロセスの改良 THz-QCLの開発は、情報通信研究機構(NICT)において行った。NICTでは既にパルス駆動でのQCLの発振に成功していた。局部発振器として利用するためには、連続発振動作が必須となるが、それはまだ実現していなかった。そこで、本研究では、製作プロセスを改良することで連続発振させることを目指した。また、テラヘルツ帯QCLに用いられる導波路には、SISP(semi-insulating surface plasmon)型とmetal-metal 型の主に2種類があるが、本研究においては長期的な運用の観点から、しきい値が低く連続発振に有利なmetal-metal 型に着眼し、それを用いたQCLの開発を行った。 製作プロセスの改良にあたって特に重点をおいたのが、レーザー導波路のサイズである。導波路のサイズが大きいとジュール熱による発熱が大きくなるため、動作時の実効的なデバイスの温度が高くなり、連続発振しない。従来の製作プロセスでは導波路構造の形成にウェットエッチングを用いていたが、微細化に有利なドライエッチングの導入を行った。ドライエッチングによるプロセスでは、上部電極のAuをマスクとしてGaAs/AlGaAsの活性層をエッチングする。ドライエッチングの導入にあたって、GaAs/AlGaAsのエッチング後に表面の形状が荒れる問題が発生した。これは、マスクにAuを用いた際に特有の現象であった。プロセス条件の最適化においては、特にエッチングガスとプロセス中の基板温度が表面形状に大きく影響を与えることが明らかになった。エッチングガスにはもともとAr/Cl2を使用していたが、Ar がAu スパッタの原因となっていると考えられ、Cl2/SiCl4ガスを使用することによって、表面の荒れを抑えることに成功した。また、プロセス中の基板温度については100℃から200℃へと上げることで、GaAs/AlGaAsにおいても良好な形状を作製することが能となった。このような実験は困難を極めたが、最適化後のプロセス条件を適用することで、図1(右)に示すように、垂直なエッチング壁面形状が得られるようになり、安定的にQCLの製作を行うことが可能になった。 3.量子カスケードレーザーの特性評価 製作した QCLは、液体ヘリウムによる冷却で15K 程度に冷却し、電流-電圧-光出力特性と、発振周波数の測定を行った。ウェットエッチングによって幅70μmの導波路を作製したチップでは、パルス駆動での発振を確認したが、連続発振に耐えることができなかった。それに対して、ドライエッチングを用いて幅40 μmの導波路を作製したチップでは、想定したとおり連続発振が可能となった。図2は本研究で製作したTHz-QCLについて、動作時の温度を変化させながら電流-電圧-光出力特性を測定した結果である。発振周波数3.1 THzにおいて、最大で34μW 以上の出力を確認し、連続発振における動作温度は最高で74 K だった。これは、国内で初めてのTHz-QCLの連続発振であり、独自に製作したデバイスで連続発振に成功した例はまだ世界的にも少ない。 測定中に電流-光出力特性にヒステリシスが見られることを見出した。これはパルス発振では見られておらず、これまでの連続発振の報告でも触れられていない。この現象について考察した結果、強結合2モード発振が起こり、光路中の大気による吸収の影響で一方のモードが検出できていない状態であることがわかった。このことは、連続発振ではバイアス電流の設定の仕方によって発振周波数が異なり得ることを意味する。従って、THz-QCLを実際に運用する上ではこの点に十分注意を払う必要があると考える。 発振周波数は、活性層の設計を参照した報告とほぼ同じ周波数となり、設計通りの動作をしていることが確認できた。また、バイアスや温度といった動作条件を変更することで、発振モードが変化すること(図3)、および同一のモードでの発振であっても周波数がわずかにシフトすることを確認した。この周波数可変性は、位相ロックにより周波数安定化制御を行う際に重要となる。周波数安定化については、温度を固定して動作させた場合にバイアス電流を制御することで、十分に対応可能であることがわかった。周波数安定化は、ヘテロダイン受信機における局部発振器として重要な要素であり、その実現に向けた見通しをつけることができた。 熱輸送モデルを用いて活性層と基板の間に使用している金属界面の熱コンダクタンスを見積もったところ0.05 W/cm Kとなった。これは他の報告(0.1 W/cm K)よりも低い値であることから、使用する金属材料、もしくはウェハボンディングプロセスの改良によってより高温での動作が可能となることがわかった。このようにいくつかの改良の余地が残されていることから、本研究で開発したQCLは良質なTHz 光源として相当な可能性を持つことが示された。 4.超伝導HEB ミクサを用いた3THz 帯ヘテロダイン受信機の構築 上述のように開発した QCLを局部発振器として適用し、東京大学で独自に開発した準光学型超伝導HEB ミクサを用いた3THz 帯ヘテロダイン受信機を構築した。HEB ミクサは、Si 基板上に成膜したNbTiN 薄膜を用いて製作しており、テラヘルツ波との結合にはツインスロットアンテナを用いている。QCLとHEB ミクサはそれぞれ別々の液体ヘリウムデュワーに搭載し、局部発振信号の結合にはワイヤグリッドを用いた。位相敏感検波を利用したY-factor 法で雑音温度の測定を行ったところ、最高で0.15 dBのY-factorを得た。これは受信機雑音温度5600K (DSB)に相当し、さらにビームスプリッター等の光学系による損失を考慮すると受信機雑音温度は2100Kであった。これはTHz 帯のHEB ミクサ受信機としてほぼ世界的な水準を達成している(図4)。HEBミクサが2.5 THz 帯に最適化されたものであることを考えると、容易に一層の低雑音化が可能と見られる。また、これまでTHz 帯HEB ミクサにはNbN 薄膜が用いられてきたが、取扱いの容易なNbTiN 薄膜を用いてもほぼ同等な性能を得られることが示された。 QCLのTHz 帯受信機の局部発振器としての応用を考えた場合、周波数安定化に課題が残っているが、その実現にあたってもHEB ミクサとの組み合わせが重要である。これを独自の試行で達成したことは意義が大きい。本研究により、THz 帯高感度ヘテロダイン受信機の実現に向けての主要なハードルをすべて克服でき、テラヘルツ帯天体・地球大気観測の新たな可能性を開拓することができた。 図1.製作した QCL 端面の画像。(左)ウェットプロセスで製作したメサ幅70 μmのチップ。サイドエッチにより壁面に荒れがある。(右)ドライプロセスで製作したメサ幅40 μmのチップ。 図2.量子カスケードレーザーの連続発振での特性。上が電流-光出力特性、下が電流-電圧特性。動作温度の変化により特性が変化する。 図3.電流-光出力特性のヒステリシスと発振周波数の関係 図4.これまでに報告されているヘテロダイン受信機の受信機雑音温度と周波数の関係。本研究の値を星印で示す。 | |
審査要旨 | 本論文は7章からなる。第1章はイントロダクションであり、テラヘルツ(THz)帯の電磁波技術およびその天文学・宇宙物理学・大気科学への応用が解説されている。特に、THz帯で有望なミキサである超伝導ホットエレクトロンボロメータ(HEB)とそれを駆動するための局部発振器となる量子カスケードレーザー(QCL)について詳しく記述されている。QCLは量子井戸構造サブバンド間遷移を用いたレーザーで、広い範囲で発振波長を選択できるというサブバンド間光学遷移の特徴を持つほかに、発光層が多段につながったカスケード構造によって高出力化が可能である。また、コンパクトであるうえに発振線幅が狭いという特長も兼ね備えており、THz帯の局部発振器として期待されている。QCLとHEBを組み合わせた受信機の天文学・宇宙物理学への応用としては、星間分子雲の物理状態を調べる上で重要なC+、C、N+などの微細構造スペクトル線、星形成領域近傍での化学組成を調べる上で鍵となるCH、H2D+、HD2+、HDO、H2Oなどの回転スペクトル線の観測がある。また、大気科学においてはオゾン層の破壊や回復のメカニズムを探る手がかりとなるOH、ClOなどのスペクトル線の観測が期待されていることが解説されている。 第2章では、情報通信研究機構(NICT)におけるTHz-QCLの製作プロセスについて解説されており、続く第3章で製作されたQCLの特性が解説されている。NICTでは既にパルス駆動でのQCLの発振に成功していたが、局部発振器に必須の連続発振動作は実現していなかった。そこで本研究では、製作プロセスを改良することによって連続発振を可能とすることを目標とし、それが達成された。その開発過程が第4章に記述されている。製作プロセスの改良において重点をおいたのがレーザー導波路のサイズの最適化である。最終的に、それまで70ミクロンあった導波路の幅を、微細化に有利なドライエッチングによるプロセスで40ミクロンに製作したところ、冷却性能が向上して、連続発振が実現した。ドライエッチングの導入にあたっては、Auマスクを使用した際の表面荒れをエッチングガスの変更によって抑えたり、プロセス中の基板温度を上げる等の工夫をしたことが成功につながった。以上のQCL製作プロセスの改良は、論文提出者が精力的に行った研究であり、高く評価できる。 第5章では、開発されたQCLの特性評価が行われている。基本性能として、設計通りの発振周波数3.1THzにおいて最大で34μW以上の出力が確認され、連続発振できる最高動作温度は74Kであった。これは国内で初めてのTHz-QCLの連続発振であり、世界的にも数少ない研究成果である。この特性評価において、電流-光出力ヒステリシスが見出されたが、これは考察の結果、強結合2モード発振によるものと考えられるので、運用時の注意点であることがわかった。 第6章では、天文学などへの応用として重要な受信機システムが記述されている。具体的には、本研究で開発されたQCLと局部発振器を、論文提出者が所属する研究室において開発・製作された超伝導HEBミキサと組み合わせた3THz帯の受信機を構築し、その雑音温度を計測した。HEBミキサは通常のNbN薄膜ではなく、加工特性の良いNbTiN薄膜で製作されており、ツインスロットアンテナによってTHz波と結合するものである。この受信機の雑音温度を、位相敏感検波を利用したY-factor法で測定したところ、最高で0.15dBのY-factorを得た。これは受信機雑音温度5600K(DSB)に相当し、ビームスプリッター等の光学損失を考慮すれば、2100Kと換算される。これはTHz帯の受信機として世界最高レベルにあり、使用したHEBミキサが2.5THzに最適化されていることを考えれば、一層の低雑音化は可能であると予想される。 最終の第7章では、本研究のまとめと将来の展望が示されている。いよいよ始まるミリ波サブミリ波干渉計ALMA等の観測に必要とされる高性能THz帯受信機の可能性が本研究により飛躍的に高まったと評価でき、宇宙物理学に貢献したと認められる。なお、本論文は入交芳久、関根徳彦、寶迫巌、山倉鉄矢、小山知記、前澤裕之、山本智との共同研究であるが、論文提出者が主体となって開発及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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