学位論文要旨



No 126691
著者(漢字) 堀,知新
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,チシン
標題(和) 相関のあるヤーン・テラー結合系における超伝導
標題(洋) Superconductivity in Correlated Jahn-Teller Coupled Systems
報告番号 126691
報告番号 甲26691
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5636号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 小形,正男
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 准教授 松田,巌
 東京大学 准教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

新奇な超伝導体の探求とその超伝導機構の解明は,物性物理学における重要なテーマの一つである.1986年の銅酸化物高温超伝導体の発見以降,新たな高温超伝導体の探索は現在に至るまで益々活発に続けられており,2008年には鉄砒素化物において高温超伝導が観測された.この発見が引き金となって,近年は多軌道系を舞台とする超伝導が大きな注目を集めており,理論的にも実験的にも研究が爆発的に進行している.一般に,多軌道系には,それ固有の複雑さのゆえに様々な超伝導状態の発現する可能性が秘められている.そのような多様性が,鉄砒素化物のような高い転移温度(Tc=20~50 K)を可能にするのみならず,興味深い新現象をもたらしてくれるものと期待されている.

新規超伝導体が発見されたとき,その機構の理論的解明のためにまず問題にすべきことは,ギャップ関数がどのような対称性を有するのかということである.一般に,従来型s波ならば電子格子相互作用が,それ以外の対称性の非従来型ならば電子間相互作用が,それぞれ,超伝導を発現させるのに主要な役割を果たしていると考えられている.しかし,双方の働く現実の系において,それらの複合効果の結果としてどのような超伝導が発現するのかという問題は決して自明ではない.最も素朴には,二つの相互作用は打ち消し合い,その結果生き残ったより大きな相互作用に対応する超伝導が発現すると思われる.これに対し,物理的により興味深いシナリオは,両者の協力効果によって超伝導が誘起されるというものである.本論文のテーマは,このシナリオの可能性を多軌道系において理論的に吟味し,追求することである.

多軌道系では,電子間相互作用は物理的なプロセスの観点から四つに分類される.まず考えられるのは,同種軌道電子間の直接積分に由来する斥力Uと異種軌道電子間の直接積分に由来する斥力U&の二つで,あとの二つは異種軌道電子間の交換積分に由来する相互作用JとJ&である.ここで,Jは電子のスピンを揃える働きがあり,フント則結合と呼ばれる.また,J&は同種軌道にいる二つの電子を両方とも他の同種軌道に散乱する働きがあるので,ペアホッピングと呼ばれる.一方,多軌道系のフォノンは電子の電荷自由度のみならず軌道自由度にも結合するようになる.注目している電子軌道の組が縮退していれば,それらの電子の軌道間散乱は格子の変位の一次に比例して必ず生じる.この散乱項はヤーン・テラー相互作用と呼ばれる.

電子間相互作用とヤーン・テラー相互作用の複合効果が超伝導に与える影響についての理論的研究は,アルカリ金属をドープしたフラーレンにおける超伝導の発見が端緒となって進展した.また,近年は鉄砒素化物においてもその影響が研究されている.それらの研究では主に従来型のs波超伝導に焦点が当てられていたため,両相互作用の複合効果は非従来型超伝導と従来型超伝導の競合という図式で捉えられる.しかし,多軌道系では電子の軌道自由度のために様々な対称性をもった超伝導状態が可能であり,それらの状態を系統的に分類し,相互作用が協力し合う可能性を探索することは非常に興味深く重要な問題である.

本論文では,電子間相互作用とヤーン・テラー相互作用の複合効果がどのような超伝導状態を誘起しうるのかについて,二次元正方格子上で定義された二軌道系に基づいて理論的に考察した.二軌道系は最も簡単な多軌道系であるが,その理解がより複雑な多軌道系の研究に対して確かな土台を与えるもので,多軌道系の本質を含んだ非常に基本的な系である.

まず,軌道対称性が高く,フェルミ面が軌道(擬スピン)に関して二重縮退しているEeヤーン・テラー結合系を考察した.超伝導状態の秩序変数であるギャップ関数には,波数依存性,スピン依存性,擬スピン依存性がある.最初の波数依存性は,二次元正方格子上では点群C4vの既約表現Γ (= A1, A2, B1, B2, E)で指定される.また,スピン状態は合成スピンSの大きさで,擬スピン状態は合成擬スピンLとそのy成分の大きさLyで指定される.パウリの排他律による制約を満たすΓ, S, L, Lyの組合せを考えると,超伝導状態は15種類に分類される(スピン三重項の縮退等は一つとして数える).それらすべての状態に対して,乱雑位相近似(Random Phase Approximation, RPA)を用いて線形化されたエリアシュベルグ方程式を解いた.その結果,フォノンによって軌道ゆらぎが増大されると,以下に示す多軌道系特有の超伝導状態が発現しうることを見出した.

電子間相互作用Uと電子格子相互作用gをパラメータとして上述の結果をまとめた相図を図1に示す.この相図において,RPAで求まる軌道秩序相と無秩序相の境界,および磁気秩序相と無秩序相の境界が,それぞれ,LIとLIIであらわされている.従って,LI近傍では主にフォノンによって軌道ゆらぎが,LII 近傍ではUとJによってスピンゆらぎが増大されている.ここで注目したいのは,LI 近傍の(B1; 1; 0; 0)でラベルされた状態と,(E; 0; 0; 0)でラベルされた状態である.前者はスピン三重項かつ擬スピン一重項のために波数について偶パリティの状態,後者はスピン一重項かつ擬スピン一重項のために波数について奇パリティの状態で,これらが上で述べた多軌道系に特有の超伝導状態に対応している.特に(E; 0; 0; 0)相は軌道ゆらぎとスピンゆらぎの双方を斥力として利用することで発現している.

この(E; 0; 0; 0)相は,ギャップ関数の波数依存性からみればp 波超伝導の一種であり,一般には,px (py),px±py,px±ipyの三種類が可能である.線形化したエリアシュベルグ方程式を解くだけでは,これらのどれが発現するか判別出来ない.それらの候補を絞り込むために,相転移のランダウ理論を(E; 0; 0; 0) 相に適用した.その結果,スピン一重項かつ擬スピン一重項の超伝導は,弱結合極限ではpx±ipy,すなわちカイラルp 波超伝導として発現することを見出した.

次に,擬スピン対称性のない,より一般的な二軌道系を考察した.ヤーン・テラー結合はE (b1 + b2) 型とした.擬スピン対称性は,同種軌道間ホッピングの異方性や異種軌道間ホッピングによって破られる.これらのホッピング項によって,フェルミ面の軌道縮退が解けると同時に,異なる擬スピンで分類されていた超伝導状態が混ざり合う.さらに,軌道ゆらぎが異方的になり,軌道秩序近傍ではイジング的になる.まず,ゴルコフ方程式を解析することで,最初の二つの効果によって擬スピン一重項成分が抑制されることを示した.さらに,軌道ゆらぎがイジング的になると,利用できる有効相互作用の大きさの観点からも,他の状態に対する擬スピン一重項の優位性が失われることを指摘した.これらを総合すると,スピン一重項擬スピン一重項p波の発現領域は狭まることが結論される.実際に擬スピン対称性を破るホッピングの大きさがTcのオーダーで導入されると,その発現は急激に抑制されることを数値計算によって示した.最後に,電子格子相互作用と電子間相互作用によって,それぞれ,電荷軌道チャネルのゆらぎとスピン軌道チャネルのゆらぎが同程度に増強されている領域で,(E; 0; 0; 0)相に換わってどのような超伝導状態が発現しうるかを考察した.相互作用パラメータgやUを変化させたときにどの感受率が最も発散的であるかは,一般にはフェルミ面の形状に大きく依存している.特に電荷軌道感受率の中で一方向の軌道ゆらぎが発散的になる場合には,それがスピンゆらぎと協力的に働いてスピン一重項超伝導状態を安定化しうることを指摘した.

擬スピン対称性のない系の相図の一例を図2に示す.電荷軌道感受率とスピン軌道感受率はそれぞれ10種類あるが,この系では,gの増加に対しては軌道空間のz方向のゆらぎが最も発散的になり,Uの増加に対しては軌道と交差しない通常のスピンゆらぎが最も発散的になっている.軌道秩序相と無秩序相の境界LIに沿って存在する(A1; 0)相と(B1; 0)相は,軌道ゆらぎを引力として利用して発現するスピン一重項超伝導状態で,Uの増加によって抑制される.(E; 1)相はスピン三重項p波で,軌道ゆらぎとスピンゆらぎをともに引力として利用している.磁気秩序相と無秩序相との境界LIIに沿って存在している(B2; 0)相は,軌道ゆらぎとスピンゆらぎをともに斥力として利用したスピン一重項超伝導状態で,LIIに沿ってLIに接するまで続いている.この相が,擬スピン対称性のないより現実的な多軌道系において,スピン一重項超伝導状態に対して電子格子相互作用と電子間相互作用が協力的に作用しうる例となっている.

本論文では,現実に確認されているバルクの超伝導状態がそうであることを鑑みて,振動数について偶の超伝導状態が研究対象となっている.しかしながら,予備的計算において軌道秩序境界近傍で奇振動数超伝導相の存在を示唆する結果を得たので,その結果を簡潔に付録にまとめた.この奇振動数超伝導相が自己エネルギー補正等のRPAを超えた効果を考慮した際にも安定に存在しうるかどうかは,残された課題である.

図1 擬スピン対称性のある場合の,相関のあるEeヤーン・テラー結合系の相図.横軸に電子間相互作用Uを,縦軸に電子格子相互作用gをとっている.系はハーフフィリングである.図中のAF Orbital Orderは反強的軌道秩序,AFM Orderは反強磁性秩序をあらわす.規格化定数~Uと~gは,それぞれ,帯磁率が発散するときのU,U=0で軌道感受率が発散するときのgで定義されている.また,U=U&+J +J&,J=J&の関係を用い,J=U=1=8と固定されている.

図2 擬スピン対称性のない場合の,相関のあるヤーン・テラー結合系の相図の一例.ホッピングパラメータは鉄砒素化物の二軌道模型に合わせてある.簡単のため,ヤーン・テラー結合のパラメータはg1=g, g2=0としてあるが,g1 > g2である限り,相図は定性的に変化しない.フィリングはn=2:02で,若干ドープされている(n=2がハーフフィリングである).図中のFerro Orbital Orderは強的軌道秩序,AFM Orderは反強磁性秩序をあらわす.Xczz (q; 0)Xs00 (q; 0)のピークは,それぞれ,q=(0; 0)およびq=(0, 0) [(0; π)]にある.規格化定数Uおよびgの定義とJ=Uの値は,図1と同様である.

審査要旨 要旨を表示する

超伝導研究のフロンティアは、実験的にも理論的にも広がり続けている。近年のおもな進展に限っても、重い電子系の超伝導、銅酸化物高温超伝導、鉄ヒ素系超伝導の発見などが列挙される。それらの超伝導はそれぞれ超伝導の新しい側面に光を当てることになったが、比較的最近発見された鉄ヒ素系超伝導では電子状態の多軌道性があらためて注目を集めている。

複数のフェルミ面を構成する電子状態が局所的に縮退した軌道に起源をもつ場合、その多軌道性は本質的に重要であると考えられる。鉄ヒ素系のような遷移金属化合物の超伝導体では、電子相関の効果を無視できないのは当然であるが、局所的に縮退した軌道に対しては、格子との結合(ヤーン・テラー結合)もまた重要になると考えられる。当学位論文では、この場合の超伝導の特徴を理論的に明らかにしようとするものである。

第1章では、電子間相互作用と電子・格子相互作用が複合的に作用する場合の研究の歴史が概観され、多軌道系では電子・格子相互作用としてヤーン・テラー型の結合が重要になる可能性が指摘される。最近発見された鉄ヒ素系の超伝導はこの場合にあたっており、それを動機として多軌道系の超伝導の特性を電子間相互作用と電子・格子相互作用の両者を同じ土俵で扱うことによって明らかにしようとする当研究の研究目的が述べられている。

第2章では、当論文で研究の対象とする多体系のハミルトニアンが提示されている。電子系の軌道とその運動エネルギー、また局所的格子振動を量子化したフォノンが導入され、電子間相互作用については各サイトにおけるクーロン相互作用、交換相互作用、ペアホッピングの項を考える。電子・格子相互作用については局所的対称性を考慮して相互作用が導入されている。

第3章では、通常及び異常二種類のグリーン関数を定義し、南部表示を用いたダイソン・ゴルコフ方程式が超伝導を記述する枠組みとして導入される。その自己エネルギーはスピン、電荷あるいは軌道のゆらぎを交換することによって生じるが、これらのゆらぎについては乱雑位相近似(RPA)で扱うこととし、電子間相互作用と電子・格子相互作用の両者を考慮した感受率を求めている。この感受率の発散点は秩序状態への不安定性を決定するが、どの成分が発散を示すかが秩序状態を決定することになる。臨界点周りのゆらぎが超伝導クーパー対形成の引力の起源となるが、どのような超伝導状態が実現するかはエリアシュベルグ方程式を解いて決定される。

第4章は本論文の中核部分である。まず、軌道自由度に対する見通しを良くするためには擬スピンの概念を導入することが有効であることが指摘されている。スピン空間のSU(2)対称性のような完全な回転対称性は持たないが、擬スピンの大きさおよびそのy成分は良い量子数になっている。

局所的な対称性によって縮退した多軌道系を考えるとその対称性に応じたヤーン・テラー結合が重要になる。典型例としては立方対称群Ohの二次元表現Egに属する二重縮退した軌道を考え、各サイトでEeヤーン・テラー型の電子・格子相互作用を主として考えている。

運動エネルギーの項で異なる種類の軌道間のホッピングを無視すると、軌道を表わす擬スピンの大きさとそのy成分は良い量子数のままであるから、超伝導のクーパー対の状態の分類にもその量子数を用いることが出来る。軌道の自由度を使って電子の入れ替えに対して反対称にすればスピントリプレットでありながらB1の既約表現に属するクーパー対のような通常の分類では出てこない状態の可能性が生じる。本論文では、その分類をすべて求め、実際に線形化されたエリアシュベルグ方程式を解くことによって、電子間相互作用および電子・格子相互作用のパラメータースペースで相図を求めている。

異種軌道間のホッピングを取り入れると、擬スピンは保存しなくなるので擬スピンの大きさおよびそのy成分の値が異なる状態も混ざることになる。このとき、奇周波数の成分も混ざることが指摘されている。その混ざりを含めたクーパー対の分類を行い、異種軌道間ホッピングを入れたときに、固有値がどのように変化するかを調べている。異種軌道間のホッピングが大きくなるとバンド指標による表示が良くなり、異なるバンド間のクーパー対の振幅は抑えられて、通常の群論的分類に次第に漸近していく様子を明らかにした。またその場合にも、反強磁性と軌道秩序の境界付近で、電子・格子相互作用による軌道ゆらぎと電子間相互作用によるスピンゆらぎの協力現象の結果生じる新しいタイプのスピントリプレット相が出る可能性があることを見出した。

以上見てきたように、本論文では多軌道系が電子間相互作用および電子・格子相互作用の両者で結合した時の超伝導について系統的な理論研究を展開し、軌道縮退が超伝導に対してもつ役割の理解を深めると同時に、軌道ゆらぎとスピンゆらぎの相関による新しいタイプの超伝導相の可能性を見出した。なお当論文の議論は偶周波数のクーパー対が主成分である範囲にとどめられているが、その制限を外すと奇周波数が主成分であるクーパー対の可能性があることが付録としてまとめられている。

本論文は指導教員である高田康民教授および同研究室前橋英明助教との共同研究に基づいているが、本人の寄与は主体的で十分であると認められる。

よって論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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