学位論文要旨



No 126692
著者(漢字) 三木,謙二郎
著者(英字)
著者(カナ) ミキ,ケンジロウ
標題(和) 300MeV/uにおける(t,3He)反応を用いた荷電ベクトル型スピン単極共鳴状態の研究
標題(洋) Study of the isovector spin monopole resonance via the (t, 3He) reactions at 300 MeV/u
報告番号 126692
報告番号 甲26692
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5637号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 教授 後藤,彰
 東京大学 准教授 浜垣,秀樹
 東京大学 講師 井手口,栄治
内容要旨 要旨を表示する

原子核の集団運動は、原子核の巨視的な性質を理解する上で非常に重要である。中でも原子核の巨大共鳴は、原子核物質の性質と結びつけられ、原子核物理研究における中心的トピックである。巨大共鳴は原子核が外界から与えられた角運動量ΔL、スピンΔS、荷電スピンΔTによって分類される。その中でも、ΔL=ΔS=ΔT=0で表される荷電スカラー型単極共鳴状態は、陽子と中性子が同位相で等方的に密度振動する状態であり、原子核物質の圧縮率を決定する有効な手段として実験理論双方からの研究が進められてきた。その一方で、陽子と中性子が逆位相で運動する荷電ベクトル型の密度振動状態については殆んど研究が進んでおらず、今後の研究を通して原子核物質の研究に新たな局面が切り拓かれることが期待される。

そこで本研究では、原子核が荷電反転スピン反転を伴いながら等方的に密度振動する、荷電ベクトル型スピン単極共鳴状態(IsoVector Spin Monopole Resonance; 以下IVSMRと略す)を対象に選んだ。IVSM遷移演算子はO±1μ=Σi t±(i)σμ(i)r(i)2で表され、量子数ΔL=0,ΔS=ΔT=1に対応する。これらの量子数はこれまで精力的に研究がなされてきたガモフテラー(GT) 遷移と同じであるが、GTが主量子数(動径量子数)の変わらない0~! 励起であるのに対して、IVSMは主量子数が1単位変化する2~! 励起であり密度振動を伴うという点が異なる。IVSMRを研究することは、原子核構造理論計算に用いられる核内有効相互作用に新たな知見を与えるという観点から非常に重要である。また、過去のスピンアイソスピン応答研究においては、GT 遷移強度のクエンチングがデルタ励起と関連づけられて盛んに議論されてきたが、新たに荷電密度振動を伴うIVSMに対してエンチングが存在するか否かは興味深い問題と考えられる。

IVSMR 研究における最大の問題は、これまで実験的に検証された例が乏しいという点にあった。IVSMRは核内の中性子が陽子に転換するβ- 型、及びその逆のβ+ 型の二種類に分けられ、理論的にはそれら双方に対して予測がなされている。しかしながら、β- 型について数例の兆候が報告されているものの、β+ 型に関しては明確な実験的証拠が全く得られていないという状況であった。特に、共に単極型のスピンアイソスピン応答であるGTとIVSMを区別することは非常に難しく、両者を実験的に区別した例はβ- 型、β+ 型いずれの場合についても存在しなかった。

上記の状況を踏まえて、本研究では「IVSMR(β+)の同定」を研究目的に設定し、その方法として入射エネルギー300 MeV/uにおける(208)Pb, (90)Zr(t , 3He) 反応測定を行った。この反応を選んだ最大の理由は、(t , 3He) 反応では核子を使った反応((n, p) 反応)と比較して、原子核表面に感度が高くIVSMRのような表面振動を強く励起するという点である。そのため、(208)Pb, (90)Zr(t , 3He)スペクトルと(208)Pb, (90)Zr(n, p) スペクトルに含まれる単極成分を比較すれば、それらの差としてIVSMRが同定できると考えられる。(208)Pb, (90)Zr(n, p) スペクトルについては過去に測定結果が公表されているため、今回新たに(208)Pb, (90)Zr(t , 3He) 測定を行い、両者を組み合わせることで初めてIVSMRの実験的確立が可能となった。

実験は理化学研究所RI ビームファクトリー施設(RIBF)に於いて遂行した。超伝導リングサイクロトロンにより320 MeV/u まで加速された4He2+ ビームを9Be 生成標的に照射し、破砕反応により生成された原子核の中から、300 MeV/uのt 粒子(三重水素原子核; 3H+) ビームを破砕片分離装置BigRIPSを用いて純度 100%で選択した。得られたビームを反応標的に照射し、散乱される3He2+を磁気スペクトロメータSHARAQを用いて運動量分析し、最終焦点面検出器を用いて測定した。本研究はSHARAQを用いて行われた最初の物理実験である。この実験により、入射エネルギー300MeV/uにおける(208)Pb(t , 3He) 反応、(90)Zr(t , 3He) 反応、それぞれの微分断面積スペクトルを励起エネルギー0-40 MeV、散乱角0-4 度の範囲で決定することに成功した。この入射エネルギー領域での(t , 3He) 測定は世界初である。また統計量を確保するために、大強度(107 pps)の二次ビームを用いた点も本実験の重要な特徴である。このような大強度条件下では検出器を用いてイベント毎にビーム粒子を追跡することが難しく、ビームの広がりが測定全体の分解能を悪化させてしまうという懸念があった。そのため、ビームラインに新たなスリット、コリメータを配置することでビームエミッタンスを制限すると同時に、イオン光学を改良し二次標的でのビームの角度広がりを絞った。これらによりIVSMRの同定に十分な精度である、統計精度~3%、エネルギー分解能~2.5 MeV、角度分解能~0.4を達成することに成功した。

得られた微分断面積スペクトルに対して、二通りの方法を適用しIVSMR 成分の抽出を行った。一つは「差分スペクトルの方法」である。単極成分の断面積角度分布はゼロ度でピークを持つというユニークな特徴があるため、ゼロ度スペクトルと後方角スペクトルとの間で差分をとることで単極成分の抽出が可能である。この方法を用いる利点は、実験データのみを用いて単極成分の存在を確認できることにある。この解析により、(208)Pb および90Zrについてそれぞれ励起エネルギー12 MeV および23 MeVに単極成分を見出すことに成功した。得られたゼロ度断面積は、σdiff Pb=8.2±0.8 (stat.) ±0.6 (syst.) mb/sr、σdiffZr=13.6±0.8 (stat.)±1.0 (syst.) mb/sr.であった。しかし、これらをノーマルモードを仮定した歪曲波インパルス近似(DWIA) 計算から得られる断面積予想値と比較したところ、わずか43±5%および32±3%のみに対応することが判った。なお、これら誤差にはDWIA 計算の持つ誤差は含まれていない。DWIA 計算には不定性があるものの、差分スペクトルの手法で得られた断面積が予想より小さい理由としては、差分スペクトルの手法ではΔL>1 成分の寄与が全く考慮されていないことが挙げられる。

次に、ΔL> 1 成分の寄与も考慮にいれた「多重極展開の手法」を適用した。多重極展開では、断面積角度分布が角運動量移行ΔLで特徴的づけられることを利用し、実験で得られた断面積角度分布にDWIA 計算を最小自乗フィットすることで断面積を各々のΔL 成分に分解する。多重極展開の結果を図1に示す。図中左が208Pb(t , 3He) スペクトル、右が90Zr(t , 3He) スペクトルである。この解析により、(208)Pb、(90)Zr 双方について差分スペクトルの手法では抽出することのできなかった大量の単極成分を見出すことができた。得られた単極成分の分布を確認すると、(90)Zrの方が(208)Pbに較べてより高励起側に広がっていることが見て取れるが、これは簡単にはエネルギー単位hwが質量数Aの-1/3 乗に比例することから理解される。

さらに、(t , 3He) スペクトルと(n, p) スペクトルの比較を行うことでGTとIVSMの分離を行った。まず、過去の(n, p) スペクトルに対しても同様に多重極展開解析を行い単極成分を抽出した。そして(t , 3He)、(n, p) それぞれに含まれる単極成分同士を比較した。図2[左]にその結果を示す。ここで、(n, p) スペクトルにはGT 断面積比(R+GT) が掛けられており、両スペクトルに含まれるGT 成分が共通化されている。この図から、(n, p)に較べて(t , 3He)には統計上有意な増分が確認され、この増分がIVSMRと同定される。両者のスペクトルに簡単な演算を行い、IVSM断面積のみを抽出したのが図2[右]のヒストグラムである。図中の破線および一点鎖線は、核内有効相互作用SGII およびSIIIを用いたタムダンコフ近似計算によるIVSM強度分布を表している(Phys.Rev. C 62, 024319 (2000) より引用、全体を適宜規格化)。SGII およびSIIIの何れを用いた場合でも、高励起部において実験データに較べ理論計算が過小評価する傾向が確認された。一つの提案として、有効相互作用をより斥力的に修正する必要があるのではないかと考えられる。208Pbについても同様の解析を行い、IVSMRを統計上有意に同定することに成功した。また、208PbのIVSM 断面積分布については、有効相互作用SIIIを用いた理論計算によって良く再現されることが判った。得られたIVSM 断面積はσIVSM Pb=31±4 (syst.)±3 (MD)±3 (stat.) mb/sr、σIVSMZr=65±8 (syst.)±6 (MD)±5 (stat.) mb/srであった。これらはDWIA 計算から予想された断面積の150±28%および140±24%に対応する。得られた比率はおよそ100%以上であり、今回の結果からはIVSMのクエンチングは観測されなかったといえる。近年のGT クエンチングの研究でも、クエンチング効果は高々15%と実験的に明らかにされており、今回の結果はそれと付合するものと言える。

図1: [左] 得られた208Pb(t , 3He) 二階微分断面積スペクトルおよびその多重極展開結果。[右] 左図と同様。但し90Zr(t , 3He) 反応についての結果。

図2: [左] 90Zr(t , 3He) および90Zr(n, p) スペクトルから抽出された単極成分の比較。(t , 3He) スペクトルに対して統計上有意な増分が確認され、これがIVSMRと同定される。[右] 左図の両スペクトルに簡単な演算を施すことで得られたIVSM断面積分布。破線および一点鎖線はタムダンコフ近似を用いて計算されたIVSM強度分布を示したものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、エネルギー300 MeV/uの三重水素原子核(t)による(208)Pb(t,3He) および(90)Zr(t,3He) 反応を用いて、荷電ベクトル型スピン単極共鳴(原子核が荷電反転・スピン反転を伴いながら等方的に密度振動する共鳴状態)を同定した研究に関するものである。

本論文の第1章では、本研究の背景と目的が示されている。研究の背景としては、(1)原子核物質を理解する上で重要な研究テーマである原子核の巨大共鳴のうち、荷電ベクトル型スピン単極共鳴状態- IsoVector Spin Monopole Resonance (IVSMR) -の研究はほとんど進んでいないこと、(2) IVSMRの量子数(角運動量ΔL=0, スピンΔS=1, 荷電スピンΔT=1)はこれまで精力的に研究がなされてきたガモフテラー巨大共鳴(GTGR)と同じであるが、GTGR が主量子数(動径量子数)の変わらない0hw 励起であるのに対して、IVSMRは密度振動を伴う2hw 励起である点が異なること、(3) IVSMRには核内の中性子が陽子に転換するβ- 型と、その逆のβ+ 型があるが、そのどちらについても存在が実験的に示された例が乏しく、特にβ+ 型では皆無であること、(4) IVSMRとGTGRは共に単極型のスピンアイソスピン応答であるため分離は難しく、両者を実験的に区別した例は過去に存在しなかったこと、がある。そこで本研究は、先行研究で用いられた(208)Pb, (90)Zr(n, p) 反応よりもIVSMRを強く励起できると考えられる(t,3He) 反応を用い、「IVSMR(β+)の同定」を目的として行われた。反応標的としては先行研究と同じく(208)Pbと(90)Zrを用い、(n, p)と(t,3He)のデータを組み合わせることで、IVSMRの同定をめざした。

第2章では、理化学研究所RI ビームファクトリー施設(RIBF)にて行われた(t,3He)実験の詳細が述べられている。超伝導リングサイクロトロンで4He2+を320 MeV/uに加速して9Be 生成標的に照射し、破砕反応で生じた300 MeV/uのtを破砕片分離装置BigRIPSを用いて純度~100%で選択した。得られたtを反応標的に照射し、散乱された3He(2+)を磁気スペクトロメータSHARAQを用いて運動量分析し、最終焦点面検出器で測定した。IVSMRの同定に十分な精度を保証するため、イオン光学の最適化などを行い、統計精度3%、エネルギー分解能2.5 MeV、角度分解能0:4°を達成した。

第3章ではSHARAQ スペクトロメータを用いた3Heの識別と運動量分析、バックグラウンドの評価、微分断面積の算出など、データ解析の詳細が述べられている。

第4章では実験で得られたデータ、すなわち、入射エネルギー300MeV/uにおける(208)Pb(t,3He) 反応、(90)Zr(t,3He) 反応、それぞれの微分断面積スペクトルが励起エネルギー0-40 MeV、散乱角0°-4°の範囲で示されている。

第5章では、(1) 微分断面積スペクトルから単極成分を抽出する議論と、(2) 本研究で得た(t,3He) スペクトルと先行研究の(n, p) スペクトルの比較により単極成分を更にIVSMRとGTGRに分離する議論が行われている。

まず、単極成分の抽出は、多重極展開の手法により行われた。この方法は、実験で得られた断面積角度分布に、歪曲波インパルス近似(DWIA)によって角運動量ごとに計算された分布を最小二乗法で当てはめて、断面積を各々の角運動量成分に分解し、単極成分を抽出するものである。その結果、(208)Pb、(90)Zr 双方の前方0°の励起エネルギースペクトルに、大強度の単極成分が存在することが見出された。その分布は、(90)Zrの方が(208)Pbに比して高励起側に広がっているが、これは~! が質量数Aの-1/3 乗に比例することから理解される。

次に、先行研究で得られている(n; p) スペクトルに対しても同様に多重極展開解析を行い単極成分を抽出した。そして(t,3He)、(n, p) それぞれに含まれる単極成分同士を比較したところ、(t,3He) スペクトルには(n, p)に比して統計的に有意な増分が確認された。本研究では、この増分をIVSMRと同定した。その断面積は、Pbで31±6 mb/sr、Zrでは65±11 mb/srであり、各々、DWIA 計算から予想された断面積の150±28%と140±24%であった。過去には、GTGR 断面積が理論予想に比して小さいこと(クエンチング)が原子核のΔ粒子励起と関連づけられて盛んに議論され、IVSMRでのクエンチングの有無にも興味が持たれていたが、本研究ではクエンチングは観測されなかった。100%を超えている理由は、IVSMRとGTGRの干渉効果を無視したためである可能性があり、今後の課題である。

第6章では、本研究で得られた新しい研究成果が要約されている。

本論文は、IVSMRとGTGRを実験的に分離し、IVSMR(β+)を明確に同定した初めてのものとして評価できる。実験は論文申請者を含む24 名の共同で行われたが、論文提出者は実験の設計、準備、遂行において中心的役割を果たし、また、データ解析、理論との比較の全てを行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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