学位論文要旨



No 126694
著者(漢字) 山田,真也
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,シンヤ
標題(和) X線衛星「すざく」によるブラックホール連星 Cygnus X-1の研究
標題(洋) X-ray Studies of the Black Hole Binary Cygnus X-1 with Suzaku
報告番号 126694
報告番号 甲26694
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5639号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 教授 半場,藤弘
 東京大学 准教授 横山,央明
内容要旨 要旨を表示する

1 研究の背景:ハード状態の理解の進展と残された謎

ブラックホールの理論的予言から、その存在を証明することは宇宙物理学の重要な課題のひとつであった。1970年代にブラックホール候補の第一号としてCygx-1が認識されて以降、銀河系内やマゼラン雲にある約20個のX線天体がブラックホール連星として認定され、詳細な観測が行われ、近年ではブラックホール時空の精緻な測定へと進みつつある。ブラックホール連星の研究における残された大きな謎の一つは、光度がエディントン限界の数%以下で実現する「ハード状態」における、激しく変動する強い硬X線放射の解釈である。これは、1970年代から気球実験などで研究され、~100keV付近で折れ曲がるpower-law的なスペクトルは、光学的に薄い降着円盤の高温電子により、何らかの低エネルギー光子が逆コンプトンされたものであるという、熱的コンプトンモデルが提唱された。このモデルは観測とおおむね矛盾しないが、標準降着円盤の内縁半径はどのあたりか、コロナはどんなサイズや形状をもつか、低エネルギー光子の起源は何か、数秒からミリ秒に至るタイムスケールで速いランダムな強度変動を生み出す機構は何か、という根本的な謎が未解決のままであった。

この謎を解明すべく、我々は「すざく」でCygX-1を観測し、その結果の第一報を牧島他(2008)としてまとめてきた。図1(左上)は、CygX-1の検出器応答を取り除いたデータおよび最終的に得られたベストフィットモデルのvFvと、各モデル成分(ソフト/ハードコンプトン、標準降着円盤、鉄輝線、反射成分)である。この研究では、著者が中心となり、早い変動を調べるために、XISデータを用いてΔf=1秒の時間分解能で強度を判別し、各時間でXISとHXDのデータを積分して明暗のスペクトルを抽出する新しい解析手法("強度判別分光法")を考案し、Δt=1秒で変動するパラメータを決定することにも成功した。

本論文では、初期成果をさらに深化すべく、「すざく」衛星が2005-2009年に行ったcygX-1の全25観測のデータを系統的に解析した。そのさい、観測ごとに平均した0.5-300keVのスペクトル同士を比較するとともに、強度判別分光法によりΔt=1-2秒、ショット解析によりΔt=1秒以下のスペクトル変動を抽出することで、様々なΔtで変動する成分を同定し、牧島他(2008)で用いたモデル成分の検証、さらには激しい時間変動の起源に迫った。

2 ソフトコンプトンと円盤放射

X線強度が弱かった第3観測(2007年4月)の平均スペクトルを基準に、他の時期の広帯域スペクトルの比をとったもののうち、6つを図1(b)に示した。このように、約10keV近くまでソフトな超過が見られ、その強度変動は~2-10程度とひじょうに大きい。しかし、円盤からの放射は、図1(左)からわかるように高々約2keVまでである。よって、この軟X線超過は、牧島他(2008)が導入したソフトコンプトン成分であると考えられる。異なる時期のスペクトルを比較することで、スペクトルのモデリングに頼らず、この成分の存在の示唆を得た。

図2(左)は、強度判別分光法を用いて、Δt=1-2秒でXISのデータを平均より明るい時と暗い時に分けて集積したもの、図2(右)は暗い時のスペクトルを、明るいときのスペクトルで割ったものである。ここでは、25観測のうち、軟X線超過の強い4観測を選んで示した。この比をみると、~2keV以下で再び顕著な軟X線超過が現れた。ただし、強度はたかだか2倍程度と、図1(右)にくらべるとはるかに弱く、スペクトルの形もずっと軟らかい。さらに図1(右)は、明/暗の比であるのに対し、図2(右)は逆の暗/明比にとってある。以上のことから、上で同定したソフトコンプトン成分とは別に、より軟らかい別の放射性分があり、1-2秒の時間スケールでソフトコンプトン強度が変動するのに対し、こちらは強度一定であることがわかった。

では、このE<2keVの成分は何であろうか?これを調べるため、図2(右)の比において、ピンク色の直線からはみでた成分が変動しない成分と仮定して抽出した成分を図2(左)にピンクで重ねてみた。これらは、図1(左)でモデルフィットから得られた円盤放射性分によく似た形をもつので、それらを円盤モデルで定量化を試みたところ、よく再現でき、得られたパラメータも物理的、経験的に円盤と考えて矛盾がないものであった。よって、直に見える円盤放射がスペクトル中に存在し、1-2秒の時間スケールで変動しないことも、モデルを用いて確認することができた。さらに軟X線フラックスが増加すると、ソフトコンプトンがより卓越するとともに、円盤の内縁半径がBHにより近づく兆候も得られた。

このようなソフトコンプトンは一体どのようにして明るくなっているのだろうか?コンプトン放射はyパラメータと種光子で表現される。図2(右)を見ると明るくなるとスペクトルがソフトになっている事がわかる。これは、yパラメータが下がっている事を意味するため、コンプトン放射が明るくなるには、種光子が増えなくてはならない。種光子が増える場合には、明るくなるとじかに見える円盤放射が下がるため、明るいスペクトルを暗いスペクトルで割った場合には、円盤がまったく変動しないと仮定した場合よりも比がおおきくなる。このように考えると、図2(右)の16観測目に見える異常に高い比も、自然と解釈できる。よって、明るくなるとコンプトン雲が円盤を覆う立体角度が増え、種光子が増え、直に見える円盤放射がさがると考えられる。

3 ショット解析

「ぎんが」衛星の時代から根來ら(1995)によって詳細に研究されてきた「ショット解析」という手法がある。ある時間間隔の中で、最もカウントレートの高くなっている部分(ショット)のみを抽出して足し合わせるものである。彼らはCygX-1が明るくなるさい、スペクトルは数十ミリ秒の時間スケールで徐々にソフトになり、ピークを過ぎると急激にスペクトルがハードに戻ることを見いだした。ただし、エネルギー帯域が<30keVと限られていたため、放射領域のどの物理量(コンプトン電子温度、光学的厚みなど)がどう変化しているか、特定するに至らなかったし、ショットを作り出す機構も不明のままであった。

そこで本研究で注目したのが、XISのタイミングモード(Psumモード)である。このモードでXISデータを取得すれば、十分な統計と十分な時間分解能でショットプロファイルを構築でき、それに合わせてHXDのデータを重ね合わせることで、~300keVまでショット解析が可能になった。図3(左)には、XISで決定したショットのタイミングを元に抽出した、HXDの4バンドのショットプロファイル(縦軸はショットの外側の値で規格化している)。さらに、エネルギー帯域による違いを明確にするために、それらと10-20keVとの比を図2(右)に示す。このように、ショットプロファイルはほぼ左右対称であるにも関わらず、エネルギー帯域に依存した非対称性があり、とくに100-200keV帯域でそれが顕著になることがわかった。これは、根来らの結果を、より高エネルギーまで延長する結果である。

スペクトルの変化を見るために、ピークの前後0.05秒のスペクトルを抽出し、図4(左)に示す。比較のため時間平均スペクトルを赤で示す。両者の比をとると、図4(左)下のように、ショットのピークにかけて、硬X線スペクトルが明らかに軟かくなりカットオフが下がっていることが判明した。さらに物理量の変化を追うため、ショットのフェーズごとにスペクトルを集結し、コンプトンモデルによる定量化を行った。その結果、図4(右)に示すように、電子温度とyパラメータが徐々に下がり、光学的厚みが徐々に増加する事がわかった。牧島他(2008)は電子温度、光学的厚みのどちらが変化しているかが分からなかったが、これにより、明るくなると、電子温度が下がり、光学的厚みが上がることがわかった。

図1 (左)「すざく」によるCygX-1のvFvスペクトル、ペストフィットモデル、およびそれを構成する各成分(上)。ベストフィットモデルとデータの残差(下)。(b)25回の観測で得られたスペクトルのうち、代表的な6つを第3観測の噺F均スペクトルに対する比として示したもの。

図2 (左)Δt=1-2秒の強度判別分光で得られたHigh(黒)とLow(青)のvFvスペクトル。赤は抽出された剛盤成分。(右)左のHighのスペクトルで、Lowのスペクトルを割ったもの。

図3 「すざく」HXD-PINとGSOのショットプロファイル(左)、および、それらと10-2OkeVとの比(右)。個々のショットの抽出は、XISデータを用いて行った。

図4 (左)ショットのピーク時(-0.05から0.05秒)のスペクトル(黒)と全観測時間の平均スペクトル(赤)、およびそれらの比(下)。(右)スペクトルフィットから得られたショットの進行に伴うコンプトンパラメータの変化。

審査要旨 要旨を表示する

1939年のオッペンハイマーらの研究以来,理論上の存在であったブラックホールは,1970年代に発見された奇妙な時間変動をもつX線連星, 白鳥座X-1 (Cyg~X-1)によって現実の存在として認識されるようになった.その後,銀河系内やマゼラン雲にある約20個のX 線天体がブラックホール候補とされ,詳細な観測が行われてきた.近年ではブラックホール時空の精緻測定まで言及されている.ブラックホール連星の研究における残された重要課題にX線光度がエディントン限界の数%以下でみられる「ハード状態」における、激しく変動する強い硬 X 線放射の起源がある.これは1970年代から気球実験以来研究され,約100keVまではべき関数的なスペクトルを持ち,それよりも高エネルギー側では指数関数的に曲がるスペクトルであることから,低エネルギー光子が光学的に薄い降着円盤などの高エネルギー電子により逆コンプトンされたものであるという熱的コンプトンモデルが提唱された.このモデルは観測とおおむね矛盾しないが種光子や高エネルギー電子の起源,後者が降着円盤のコロナのようなものだとして,そのサイズや形状,さらに数秒からミリ秒に至るタイムスケールで速いランダムな強度変動のエネルギー依存性,さらに変動を生み出す機構は何か,という根本的な問題が未解決である.

本研究で論文提出者は、ブラックホール連星のハード状態における硬X線放射のエネルギースペクトルと時間変動の関係を明らかにし,それによって硬X線放射の起源に迫ることを目的として,日本の5 番目の宇宙 X 線観測衛星「すざく」のX 線 CCD カメラ(XIS; 0.2-12keV)と硬X線検出器 (HXD; 10-60keV)を駆使して 0.2-600keVにわたる広帯域での白鳥座 X-1の25回のモニター観測を行い,その中で高時間分解観測も行った.その主な結果として以下を得た.(1) 約2keV以下では1秒程度の時間尺度の時間変動が2keV以上のエネルギー帯に比べて急激に減少し,それは光学的に厚い降着円盤からの放射スペクトルを持つ変動の小さな放射成分の存在で説明できる,(2) 1秒以下の時間尺度の時間変動は,短い時間強度が上昇するショットと呼ばれる変動の重ねあわせで表現できると考えられているが,100-200keVのエネルギー範囲でもそれ以下のエネルギーと同様にショットで時間変動を記述できる. (1)は,光学的に厚い降着円盤,それが弱く逆コンプトン化された成分,強く逆コンプトン化された成分からなるというエネルギースペクトルの3成分モデルに強い支持を与えるのである.また,逆コンプトン化される種光子が 光学的に厚い降着円盤からくることを示唆する.(2)については,さらに.0.5から2keVのエネルギーバンドでは,ショットの振幅が他のエネルギー帯域に比べて小さいことを初めて明らかにし,またショットの立ち上がりでは時間と共にスペクトルが徐々にソフトになり,ショットのピークから突然ハードになる,というこれまで知られていた性質が200keVまで成立していることを確認した.

以上から「ハード状態」においても,光学的に厚い降着円盤からの放射が存在し,ショットを含めて1秒以下の時間変動が小さいことがすることが明らかになった.ショットのスペクトル変動を逆コンプトン放射のパラメータの変化で表現すると,立ち上がりでは電子温度が徐々に下がり,逆にその光学的厚さは徐々に大きくなるが,ピークで突然,それらがもとに戻り電子温度が高く,光学的厚さは小さくなる,と解釈できる.このことは,ショットのピーク付近で,ショックあるいは磁気リコネクションのような電子のエントロピーが急に大きくなるような現象がおきていることを示唆する.

本論文は7章からなる。第1章ではイントロダクションとして論文全体の流れを記述し,2章でこれまでのブラックホール連星の観測と関連する理論をレビューしている.3章では,本論文で用いた観測装置であるすざく衛星について,特にHXDの性能較正に重点をおいて記述している,第4章では,すざく衛星によるはくちょう座X-1の観測について記述し,第5章にデータ解析とその結果が記述されている.第6章では,観測結果から示唆される硬X線放射機構や,時間変動の起源について議論した.最後の第7章では,論文の結果をまとめている。

以上,本論文はすざく衛星によるはくちょう座X-1の観測を系統的に研究し,時間変動を利用することでモデルの仮定に依存せずに硬X線放射機構と時間変動の起源に重要な示唆を与える新たなX線放射の性質を明らかにした.したがって、本論文はブラックホール候補としてのはくちょう座X-1の研究に大きく貢献する,新規かつ意義の大きな研究であり、博士(理学)の学位に相応しいものである.

また本論文の研究は,牧島教授らとの共同研究であるが、観測計画の立案、すざく衛星のデータ処理,得られた結果の解釈にいたるまで、論文提出者が主体となって行ったことを確認している,このため論文提出者の主体性と寄与は博士論文として認めるのに十分であると判断する.

したがって,本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める.

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