学位論文要旨



No 126709
著者(漢字) 浦川,昇吾
著者(英字)
著者(カナ) ウラカワ,ショウゴ
標題(和) 全球熱塩循環駆動における南大洋の役割に関するエネルギー収支解析
標題(洋) Energy budget analysis on the role of the Southern Ocean in driving the global thermohaline circulation
報告番号 126709
報告番号 甲26709
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5654号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 准教授 渡部,雅浩
 東京大学 准教授 羽角,博康
内容要旨 要旨を表示する

熱塩循環は高緯度域における局所的な深層水形成とその他の広大な海域における深層水湧昇によって構成される全球規模の循環である。この循環は多量の南北熱輸送を伴う。故にこの熱塩循環の駆動メカニズムを調べることは気候の形成・維持を考える上で重要である。熱塩循環は海面浮力フラックスの空間的差異によって生じる循環と考えられてきており、特に乱流混合による海洋内部への浮力の供給がその駆動に重要な役割を果たすと考えられている。故に先行研究のほとんどが熱塩循環を浮力収支の観点から議論している。しかしエネルギー論の観点から見た駆動メカニズムに関しては研究例が少ない。循環を維持するためにはそれに伴う運動エネルギー(KE)の粘性消散を補償する必要がある。このKEの供給源は風による直接のKE 供給と重力位置エネルギー(GPE) からのエネルギー変換の2つが考えられる。前者は風成循環を意味する。熱塩循環は海面浮力フラックスおよび乱流混合による海洋内部への浮力供給によって駆動される循環である。これらによる密度の増減は重力位置エネルギー(GPE)の増減を意味する。そのためエネルギー論から見た熱塩循環はGPE からKE へのエネルギー変換によって駆動される循環と定義できる。このエネルギー変換は海洋の密度場と循環を直接繋ぐものであり、熱塩循環の駆動そのものであると言える。浮力収支ではこのような直接の関連性を見出すことはできない。故に熱塩循環の駆動メカニズムはエネルギー論の観点から議論されることが望ましい。

熱塩循環駆動に用いられるGPEのソースの1つとして鉛直混合があり、熱塩循環のエネルギー論に関する先行研究の多くがこのGPE 注入量に対するものである。その主なものとしてMunk andWunsch (1998)は420GWのGPE が鉛直混合によって注入されるという見積りを示した。Huang and Jin (2006)は風なし矩形モデルを用いた理想化実験に基づき、鉛直混合によって獲得されたGPEがKE へと変換され粘性消散を補償する描像を得た。その一方で、風を含めた現実的設定下でのGnanadesikan et al. (2005)の実験ではKE からGPE へのエネルギー変換が起こる。これは風に伴うEkman 湧昇/沈降の効果が原因であると考えられる。Ekman 湧昇(沈降)は比較的に重い(軽い)水を押し上げる(下げる)ため、KE からGPE へのエネルギー変換につながる。この効果は風応力の強い南大洋で大きいと予想される。一方、獲得されたGPEの全てがKEに変換されるわけではなく、その一部は鉛直対流やキャベリングによって消失する。このエネルギーシンクを考えることはKE へ変換されるGPE 量を見積る上でも重要なことである。Gnanadesikan et al. (2005)はキャベリングがシンク項において支配的な役割を果たしていることを示唆している。キャベリングは状態方程式の非線形性から生じる現象であり、大西洋などから異なる温位・塩分特性を持った水塊が集まり、それらが中規模渦によって強く混合される南大洋において特に重要であると考えられている。全球熱塩循環は北大西洋深層水形成に伴うupper cellと南極底層水・周極深層水形成に伴うlower cellに大別される。本研究ではupper cellとlower cellの駆動メカニズムを南大洋に着目して議論する。まずは低解像度の全球モデルを用いてGPE 収支を調べる。Upper cellは南大洋の風応力によって大きく強化されることが知られており(Toggweiler and Samuels, 1995; Hasumi and Suginohara, 1999)、この現象を通してupper cellの駆動メカニズムを明らかにする。次に南大洋におけるキャベリングの効果を定量的に調べるために、中規模渦を陽に解像する南大洋モデルを用いて数値実験を行う。その結果を元にlower cellの駆動メカニズムを考察する。

図1に低解像モデルに基づく全球GPE 収支を示す。本研究でもエネルギー変換の全球積分値がGPE からKE へ向いている。併せて鉛直混合により多量のGPE が供給される。このGPEの大部分は中規模渦の移流効果による渦運動エネルギー(EKE) へのエネルギー変換によって消費される。中規模渦を表現しない低解像モデルではこのエネルギー変換はGPEのシンクを意味する。キャベリングによるエネルギー消失は数値拡散によるものも含めて全球で約100GWであり、そのうち7 割が南大洋で起きる。

Upper cellの駆動メカニズムは南大洋で風応力を1.5倍にしたケースとコントロールケースとの残差によって抽出できる。図2にその模式図を示す。まず南大洋の風応力によってKE が注入される。その一部がEkman 湧昇/沈降の効果でGPE へ変換される。獲得されたGPEの大部分は南大洋の中規模渦によってEKE へ変換されるが、一部は海盆を跨り大西洋へ輸送される。輸送されたGPE が大西洋内部でKE へ変換され、upper cell 駆動に用いられる。

南大洋でのキャベリングによるGPE 消失率は先行研究で指摘されているものよりも小さいという結果を得たが、必ずしも無視できるものではない。これまでの結果は中規模渦を陽に解像しないモデルに基づくものであり、その妥当性は渦解像モデリングによって検証する必要がある。高解像モデルにおける南大洋でのキャベリングによるGPE 消失率は約50GWである。特に2000m 以深の深層において約14GWのGPE がこの効果によって消失される。この値の相対的な大きさを調べるために、低解像モデルにおける大西洋・インド-太平洋深層での鉛直混合によるGPE 獲得ならびにKE へのエネルギー変換率を調べた。その大きさはそれぞれ約75, 9GWであり、キャベリングによるGPE消失はこれらと比較しても小さいものではない。これらの結果から推察されるlower cell 駆動メカニズムの模式図を図3に示す。まず大西洋・インド-太平洋深層にて鉛直混合によりGPE が獲得される。その一部は海盆内でKE へと変換されlower cell 駆動に用いられる。GPE 密度は深さに比例するため、lower cellは大西洋・インド-太平洋から南大洋へのGPE 輸送を伴う。南大洋に輸送されたGPEはそこでキャベリングによって消費される。もし南大洋でのキャベリングによるGPE 消失が無ければ、その分のGPE がKE へのエネルギー変換に用いられる可能性がある。つまり南大洋でのキャベリングがlower cellを弱化すると示唆される。

熱塩循環はGPE からKE へのエネルギー変換によって駆動される循環であり、このエネルギー変換が熱塩循環の駆動そのものである。本研究では熱塩循環を構成するupper cell, lower cellの駆動メカニズムをエネルギー収支解析から議論した。両者ともにGPEの獲得・消失、海盆間輸送とエネルギー変換によって統一的に議論できることが示された。

図1: 低解像モデルに基づく全球GPE 収支。VMIX:鉛直混合、SSFC:海面浮力フラックス、BCAB:鉛直混合に伴うキャベリング、ICAB:等密度面拡散に伴うキャベリング、CONV:エネルギー変換項、GMCV:中規模渦移流効果によるEKE へのエネルギー変換項、VACP:状態方程式圧力依存性の寄与、CADJ:対流調節、RES:残差項(数値拡散に伴うキャベリングの効果)、TEND:時間変化項。単位はGW。

図2: Upper cellの駆動メカニズム。白と黒のボックスはそれぞれGPE, KEを示す。

図3: Lower cellの駆動メカニズム。

審査要旨 要旨を表示する

全球熱塩循環は、北大西洋深層水や南極底層水など、海洋の大部分を占める深層水塊の分布を決めるとともに、大量の熱や溶存物質を輸送することによって気候の熱収支や物質循環において重要な役割を果たしている。しかしながら、全球熱塩循環の実態には未解明の部分が多く残されており、その駆動メカニズムも十分には解明されていない。全球熱塩循環は大きく分けて、北大西洋深層水の南下を伴うものと、南極底層水の北上を伴うものの2つからなるが、前者は南大洋での風応力に強く依存し、後者は南極底層水の形成過程でもある南大洋での混合過程に強く依存することが指摘されている。このような循環の駆動メカニズムの解明にはエネルギー収支を論じることが直接的であるが、観測データの制約や手法的な困難さのため、海洋エネルギー収支の全体像を統一的に扱った研究はほとんど存在していない。本論文は、数値シミュレーションを通じて、全球熱塩循環の駆動における南大洋の役割をエネルギー収支の観点から解明したものである。

本論文は全4章と補遺2章からなる。

第1章は序章であり、全球熱塩循環の実態に関するこれまでの知見、循環の駆動や深層水塊の変質という観点からの南大洋の重要性、エネルギー収支を用いて全球熱塩循環を論じることの意義が述べられるとともに、本研究の位置づけと目的が記述されている。

第2章では、低解像度の数値シミュレーションに基づいた全球熱塩循環のエネルギー収支が議論されている。具体的には、全球海洋のエネルギー収支が提示され、様々な観測的知見からその妥当性が検討された上で、特に、南大洋の中規模渦の効果についての考察が展開されている。その結果、従来その重要性が指摘されていた海水混合のキャベリング効果(混合によって密度が混合前の平均値より高くなる現象)による重力位置エネルギー消失よりも、非断熱的移流に伴う再成層効果の方が大きな重力位置エネルギー消失をもたらすことが明らかにされた。続いて、全球熱塩循環のうち北大西洋深層水の南下を伴う部分について、南大洋上の風による駆動メカニズムがエネルギー収支の観点から論じられている。熱塩循環は、重力位置エネルギーが運動エネルギーへ変換されることで駆動される循環と定義される。風応力の注入は海洋の運動エネルギー獲得を意味し、それがそのまま循環のエネルギーになる場合には、その循環は熱塩循環とは呼べない。本研究では、南大洋での風応力の変化に対するエネルギー収支の変化を海盆別に調べることで、風応力から注入された運動エネルギーが南大洋でのエクマン湧昇/沈降を通して重力位置エネルギーに変換され、それが選択的に大西洋に輸送された後に運動エネルギーに変換されている図式が初めて明らかにされた。

第3章では、南大洋の中規模渦がもたらすキャベリング効果が、全球熱塩循環のうち南極底層水の北上を伴う部分に対して果たす役割について記述されている。第2章で用いた低解像度シミュレーションでは、中規模渦はパラメータ化されている上、南極底層水の形成過程に非現実的な側面が存在する。本章では南大洋のみを対象とする高解像度シミュレーションを実施し、中規模渦の効果をより現実的かつ定量的に把握することを試みている。水塊変質の観点から見た場合、低解像度シミュレーションの結果とは異なり、周極深層水から南極底層水への水塊変質においてキャベリング効果に伴う重力位置エネルギー消失の大きさは南極底層水の北上を伴う循環のエネルギー収支の各要素と比肩するものとなり、この循環を顕著に弱める働きを持つことが示された。なお、補遺A, Bでは、本章で用いられる解析手法や本章の結果を解釈する際に重要となる数値シミュレーションの移流誤差の問題が論じられている。

第4章は結論であり、本論文全体をまとめ、全球熱塩循環の駆動における南大洋の役割をエネルギー収支の観点から統一的に述べた上で、全球熱塩循環の研究に関する今後の展望が述べられている。

以上、本研究は、全球熱塩循環をエネルギー収支の観点から統一的に論じた点、およびそのために必要とされる解析手法を確立した点で、極めて独創的であり、今後の全球熱塩循環の研究に新たな方向性をもたらしたものとして高く評価することができる。

なお、本論文は指導教員である羽角博康准教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値実験とその結果の解析を行ったものであり、その寄与が十分であると判断できる。したがって、審査委員一同は、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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