学位論文要旨



No 126733
著者(漢字) 塚原,由布子
著者(英字)
著者(カナ) ツカハラ,ユウコ
標題(和) 細胞膜タンパク質TROP2の発現および機能解析
標題(洋) Studies on the expression and function of a membrane protein TROP2
報告番号 126733
報告番号 甲26733
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5678号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,真也
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 准教授 末次,志郎
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
内容要旨 要旨を表示する

1. TROP2による肝臓の幹/前駆細胞の同定と肝幹/前駆細胞の性状解析

肝臓は、糖や脂質の代謝、血清タンパクの産生や胆汁の排出を行うなど生命維持に必須の臓器であるが、それらの機能は主に容積の大部分を占める肝実質細胞が担っている。肝実質細胞と胆汁の排出経路となる胆管を構成する胆管上皮細胞は、肝臓の発生において共通の起源であるヘパトブラスト(胎児肝臓幹/前駆細胞)より分化することから、肝臓における幹/前駆細胞とは、肝実質細胞と胆管上皮細胞への分化能を持つことが定義となっている。成体肝臓では、有害物質や病原体による傷害に対して、残存した肝実質細胞が増殖することで肝機能が保持される。しかしながら、慢性肝炎、劇症肝炎などの重篤な傷害によって肝実質細胞の増殖が抑制された環境下においては、オーバル細胞と呼ばれる小型の細胞が門脈域より出現し増殖する。このとき、オーバル細胞は肝実質細胞と胆管上皮細胞へと分化しうることから、オーバル細胞は成体肝臓における肝幹/前駆細胞であると考えられている。

筆者の所属研究室では、実体の不明であったオーバル細胞の同定および性状解析を目的とし、シグナルシークエンストラップ法を用いてオーバル細胞表面に発現する膜タンパク質のスクリーニングを行った。その結果、Epithelial Cell Adhesion Molecule (EpCAM)が胆管上皮細胞およびオーバル細胞のマーカー遺伝子として見出された。そこで本研究では、オーバル細胞のみに発現するマーカー遺伝子を同定するために、マウスのオーバル細胞誘導モデルである3,5-diethoxycarbonyl-1,4-dihydrocollidine (DDC)を含む食餌を与えた傷害肝臓(以下DDC傷害肝臓)を用いて、EpCAM陽性のオーバル細胞で発現が上昇する膜タンパク質を複数同定した。中でもEpCAMファミリーを構成するTROP2は、正常肝臓では発現せずDDC傷害肝臓のEpCAM陽性細胞にのみ発現する新規オーバル細胞マーカーであることが示された(図1)。

これまで、正常肝臓およびDDC傷害肝臓EpCAM陽性細胞の初代培養から樹立した細胞株は肝実質細胞と胆管上皮細胞へと分化することを示しており、これらの細胞株が肝幹/前駆細胞としての能力を有することを明らかにしていた。そこで、この2系統の細胞株に発現する表面抗原を比較検討したところ、上皮系幹/前駆細胞マーカーの発現強度および発現細胞の割合が一致しており、正常肝臓およびDDC傷害肝臓EpCAM陽性細胞に存在する肝幹/前駆細胞の性質が非常に類似していることがわかった。次に、DDC傷害肝臓EpCAM陽性細胞に含まれる肝幹/前駆細胞の割合をin vitroコロニーアッセイにより検討したところ、正常肝臓EpCAM陽性細胞に含まれる肝幹/前駆細胞の割合と有意な差は見られなかった。したがって、門脈域で増殖するオーバル細胞はごくわずかな肝幹/前駆細胞と、多数の一過性に増殖する分化の進んだ細胞からなる不均一な細胞集団であることが明らかとなった(図2)。

2. 腎臓の発生におけるTROP2の機能解析

これまでの報告から、EpCAMおよびTROP2は相同性が高くEpCAMファミリーを構成しており、ともに癌細胞で発現が高いことや癌細胞の増殖を促進することが知られていた。しかしながら、オーバル細胞より樹立した細胞株を用いてEpCAMおよびTROP2のオーバル細胞における増殖活性を検討したが有意な結果は得られなかった。そこで、EpCAMおよびTROP2の新たな機能を明らかにするため、マウス発生過程におけるEpCAMとTROP2の発現パターンを詳細に調べることで機能の推測を試みた。

胎生マウスを用いた蛍光免疫染色の結果、EpCAMは広く上皮細胞に発現するのに対し、TROP2は腎臓、皮膚などの限られた組織の上皮細胞にのみ強く発現した。とりわけ胎児腎臓の尿管芽において、EpCAMは尿管芽の樹状構造全体に一様に発現するのに対し、TROP2は先端部では弱く基底部では強い発現を示した。また、皮膚でもEpCAMが基底層から上層にかけて発現するのに対し、TROP2は上層の細胞にのみ強い発現を示した。このようなTROP2の発現パターンと増殖性を示すKi67の発現に相関性は認められなかったことから、発生過程の組織におけるTROP2は、癌組織で報告されるような増殖活性以外の機能を持つ可能性が示唆された。そこで、尿管芽におけるTROP2の局在を詳細に検討したところ、尿管芽の基底部でTROP2は管構造の側底面に発現し、特に基底面で強く発現することを見出した。尿管芽はコラーゲンやラミニンといった細胞外マトリックスによって裏打ちされることで構造が強固に維持されるが、コラーゲンが尿管芽の先端から基底部にかけて発現が強くなる様子がTROP2と発現パターンや局在が一致しており、基底面に多く存在するTROP2がコラーゲンなどの細胞外マトリックスと細胞の接着性に影響を与えている可能性が示唆された。

そこで、尿管芽の初代培養系を用いて細胞と細胞外マトリックスとの接着性を検討すべく、はじめにEpCAMとTROP2の発現を指標として尿管芽を分画しうるか調査した。マウス胎児腎臓の構成細胞をEpCAMとTROP2で展開し、セルソーターにてEpCAM陽性TROP2陰性細胞、EpCAM陽性TROP2弱陽性細胞、EpCAM陽性TROP2強陽性細胞の3分画を得た。それらを用いて遺伝子発現解析を行ったところ、EpCAM陽性TROP2弱陽性細胞が尿管芽の先端部を含み、EpCAM陽性TROP2強陽性細胞が尿管芽の基底部に相当することが示され、TROP2の発現強度に基づき尿管芽を部位別に分けて性状解析を行うことが可能となった。そこで、TROP2弱陽性細胞と強陽性細胞を用いて、コラーゲンコートした培養皿にて初代培養を行ったところ、尿管芽の先端部にあたるTROP2弱陽性細胞では細胞が接着、伸展しラメリポディア様の運動性の高い細胞が観察されたのに対し、尿管芽の基底部にあたるTROP2強陽性細胞では培養皿に対する接着性が低下し、TROP2の発現レベルと細胞の接着性に負の相関が認められた。さらに、腎臓集合管由来細胞株であるMDCK細胞を用いて検討を行ったところ、TROP2強制発現株はコラーゲンコート培養皿に対する接着性が有意に減少した。

細胞とコラーゲンなどの細胞外マトリックスの接着は、細胞膜上のインテグリンを介して行われており、インテグリンシグナルの下流にあるfocal adhesion kinase (Fak)やthymoma viral proto-oncogene1 (Akt1)の活性化によりアクチン重合が促進され、細胞の伸展や運動性が亢進する。そこで、コラーゲンコートした培養皿においてTROP2強制発現MDCK株を培養したところ、FakおよびAkt1のリン酸化レベルが低下することを見出した。これらの結果から、TROP2が細胞の伸展や運動性に関わる細胞内シグナルを抑制することで細胞の動態を負に制御するというTROP2の新たな分子機構が明らかとなった。さらに、尿管芽の環境を模倣したコラーゲンゲル中での3次元培養においてHepatocyte growth factor (HGF) 刺激により細胞は樹状構造を形成するが、TROP2強制発現MDCK株では樹状構造の形成能が低下していた。これらの結果から、TROP2がコラーゲンに対する細胞の接着性や運動性を抑制することで、胎児腎臓の尿管芽に見られる管構造の安定性に寄与するものと考えられ、TROP2による樹状構造構築に関わる分子メカニズムの一端が明らかにされた。また、TROP2を発現する成体肝臓のオーバル細胞は細胆管構造を形成し、傷害によりうっ滞した胆汁の排泄に働くと考えられている。本研究で見出されたTROP2の機能は、腎発生における尿管芽のみならず、オーバル細胞における細胆管構造の構築にはたらく可能性が示唆された。

図1正常肝臓およびDDC俺害肝臓におけるTROP2の発現解析

抗EPCAM抗体および抗TROP2抗体用いたマウス成伸肝臓の蛍光免痘染色.通常食のみ与えられた成体肝臓では、EpCAMは門脈周囲の胆管上皮網胞に発現するが,TROP2の発現は認められない。DDC傷害肝臓ではEpAM陽性のオーバル細胞にTOP2が発現する.

図2マウス成体の正常肝臓および傷害肝臓における肝幹/前駆細胞とオーバル細胞の関係性

肝臓幹/前駆細胞は、正常肝臓においてEpCAM隅性の胆管上庄細胞に含まれている。重篤な傷害肝臓では,TROPZ陽性/EpCAM陽性のオーバル細胞が門脈周囲に出現し、細胆管様構造を形成してうっ滞した胆汁の排泄を促し肝傷害を低減させるとともに、肝実質細胞へと分化し肝機能の回復にはたらく正常肝臓と傷害肝臓に含まれ魯肝幹/前駆細胞は、性質伊非常に類似しており同一の細胞である可能性が示唆される。また、オーバル細胞は均一な肝幹/前駆細胞の集団ではなく、大多数が分化した細胞集団であることがわかったが、オーバル細胞産生への肝幹/前駆細胞の寄与は不明である.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は五つの章からなる。第一章は序論であり、肝臓における幹細胞の概説および傷害肝臓に出現するオーバル細胞の同定と分離法、オーバル細胞に発現するEpCAMおよびTROP2についてのこれまでの知見、またTROP2の機能解析で用いた胎仔腎臓の発生メカニズムについての概要が述べられている。第二章の材料と方法に続き、第三章にてオーバル細胞に特異的に発現するマーカー分子(TROP2)の同定と成体肝臓における幹細胞についての解析がなされ、第四章では腎臓の発生におけるTROP2の新たな機能を明らかとしている。第五章の結語では、これらの結果を総括し、さらにTROP2が傷害肝臓オーバル細胞に発現する意義について考察している。

申請者は本論文で大きく2つのテーマに取り組んでいる。すなわち、マウス成体肝臓における肝幹/前駆細胞の実体を明らかとすることおよびオーバル細胞のマーカー分子として見出されたTROP2の分子機能を解明することである。成体肝臓が重篤な傷害を受けた際に出現するオーバル細胞は遺伝子発現パターンから肝幹/前駆細胞であると推測されていたが、詳しい性状は不明であった。また、正常の成体肝臓においても幹/前駆細胞の存在が示唆されていたが、マーカー分子が未同定であったことなどからその実体は不明であった。このような成体肝臓の幹/前駆細胞の実体を解明することは、肝幹/前駆細胞が関わる疾患への理解や再生医療への応用などにおいても重要と考えられる。申請者の所属する研究室ではセルソ-タ-を用いてオーバル細胞を厳密に分離し性状解析を行うべく、オーバル細胞に発現する細胞表面抗原の探索が行われており、申請者らはそれら候補分子の中からオーバル細胞特異的に発現するTROP2を見出した。また、細胞表面抗原の発現を指標としてオーバル細胞の性状解析を行い、オーバル細胞の大部分は限られた増殖能をもつ前駆細胞集団であるが、わずかながら肝幹細胞としての性質を示す細胞が含まれることを明らかにしている。また、本論文では正常肝臓にも幹細胞としての性質をもつ細胞が少数存在することを示しており、肝疾患や肝再生における肝幹細胞の役割の解明や治療への応用など組織幹細胞研究や医療分野への寄与が期待される。

次に、オーバル細胞に特異的に発現するTROP2の機能解析を行っている。細胞増殖の促進など既報のTROP2の機能はオーバル細胞に当てはまらなかった。一方、TROP2の発現解析によりマウス胎仔腎臓で特徴的な発現パターンを示すことを見いだしたので、胎仔腎臓において機能解析を進めた。TROP2を強く発現する尿管芽細胞は細胞外マトリックスに対する接着性が低下することを見出した。また腎臓由来のMDCK細胞を用いた解析により、TROP2の発現によって細胞の接着、運動、樹状構造の形成が有意に抑制されることを明らかにした。さらに、このときTROP2が細胞と細胞外マトリックスの接着や運動に関わるインテグリンシグナルを抑制する可能性を示している。

本研究により見出されたTROP2の新たな機能は、尿管芽の樹状構造の形成に関わる分子メカニズムの一端を明らかにするものである。また、傷害肝臓においてオーバル細胞はうっ滞した胆汁を排出するために管状構造を形成するが、TORP2がオーバル細胞の管構造の形成にも寄与する可能性も考えられた。このように、TROP2が細胞の挙動を制御する機構は、組織発生学にとどまらず病態の解明など医療分野への貢献が期待される成果である。

なお、本論文の第三章は、岡部繭子、田中稔、鈴木香、齋藤滋、神谷淑子、辻村亨、中村康介、宮島篤との共同研究であり、また第四章は、田中稔、宮島篤との共同研究であるが、本論文の内容は申請者が主体となって実験および考察を行ったものであり、申請者の寄与が十分であると判断する。

よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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