No | 126734 | |
著者(漢字) | 河盛,治彦 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カワモリ,ハルヒコ | |
標題(和) | 非典型カドヘリンタンパク質Fatはショウジョウバエ視覚中枢においてHippoシグナル制御を通して神経幹細胞領域の完全性を維持する | |
標題(洋) | Atypical Cadherin Fat Maintains Integrity of Neuronal Stem Cell Field by Regulating Hippo Signal in Drosophila Optic Lobe | |
報告番号 | 126734 | |
報告番号 | 甲26734 | |
学位授与日 | 2011.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5679号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序 動物の神経組織はその発生過程において、さまざまな種類の神経細胞およびグリア細胞が神経幹細胞より生み出され、それらが複雑ながらも秩序だった構造を形成するが、その制御機構については未だ明らかになっていないことが多い。ショウジョウバエ視覚中枢を構成するラミナおよびメダラ神経細胞は同一の神経上皮(Neuroepithelium、NE)細胞に由来し、それぞれ異なった分化メカニズムによって生み出される。本系は神経細胞の多様性および秩序立ったパターン形成をもたらす分子機構を研究する上で有用なモデルとなっている。非典型カドへリンタンパク質Fat(Ft)は成虫原基における腫瘍抑制因子として発見され、組織の増殖および平面細胞極性の形成に寄与していることが明らかにされている。近年、Fatの下流経路としてHippoシグナルの存在が報告され、本シグナル系も発生過程における組織の増殖、生存、分化などに関わっていることが知られている。本研究では、ショウジョウバエ視覚中枢の発生、特にNE細胞からメダラ神経細胞方向への分化におけるFat/Hippoシグナルの役割を明らかにすることによって、神経発生の制御機構に関する新しい見方を提供することを目的とした。 結果 Fatは視覚中枢の神経上皮領域において発現し、その機能欠失変異は視覚中枢の形成異常を引き起こす 視覚中枢を構成する神経細胞の多くは3齢幼虫期においてその多くが分化する。視覚中枢のNE細胞がHedgehogを受容するとラミナ神経細胞へと分化する。他方でNE領域の内側より神経芽細胞(Neuroblast、NB)へと逐次的に分化が進行する。NBは非対称分裂によって神経節母細胞を生み出し、それらが最終的に成熟メダラ神経細胞へと分化する。NE細胞はNBへの分化の際、一過性にプローニューラル遺伝子であるlethal of scute(l(1)sc)を発現し、一列の円弧状の発現パターンを示す。これを「分化の波」と呼ぶこととする。私は3齢幼虫期の視覚中枢におけるft遺伝子の発現パターンをin situハイブリダイゼーションにより観察した。その結果、ft遺伝子が神経上皮領域で強く発現していることが確認された。 続いて、ft遺伝子の機能喪失変異体における視覚中枢の表現型の観察を行った。その結果、野生型と比較してft変異体では顕著なNE領域の肥大化しており、NB領域はより内側へと追いやられているのが観察された。また、ft変異体ではNE細胞が異常な凝集を引き起こして、メダラ神経領域への浸潤し、メダラ領域のバレル状構造が乱されていた。 Fat/Hippoシグナルは神経芽細胞への分化を正に制御する 上記の結果から、ftは視覚中枢領域の正常な発生に必要であると考えられる。Ftの具体的な役割を明らかにすることを目的として、モザイク解析によりFtおよびHippoシグナルの構成因子の変異体クローンを誘導し、クローン内でのNB分化が受ける影響についての観察を実施した。神経上皮領域でft機能喪失変異体クローンを誘導したところ、その中でNB分化が遅延することが観察された。このことから、FtがNBへの正常な分化の進行に必要であると考えられる。 過去の報告から、Ftはミオシンタンパク質であるDachs(D)を抑制することによってリン酸化酵素Warts(Wts)を安定化する。Wtsは転写共役因子であるYorkie(Yki)をリン酸化してその転写活性化機能を阻害する。wts機能喪失変異体または恒常活性型yki発現クローンにおいてもft変異体クローン同様NB分化の遅れが観察された。他方で、d ft2重機能喪失変異体クローンではftの表現型が抑圧され逆に野生型よりもNB分化の早い進行が観察された。これらから、Ftは外部からの入力を受け、Hippoシグナルの活性化を通してNB分化の進行を制御していると考えられる。 Fat/Hippoシグナルは神経上皮細胞の正常な形態維持に寄与する ft機能喪失変異体ではNE細胞の異常な凝集が観察された。そこで、Fat/Hippoシグナル構成因子の変異体クローンのNEの形態を観察した。ftあるいはwtsの機能喪失変異体クローン、または恒常活性型yki発現クローンにおいてはNEの異常な凝集が観察された。それらでは神経上皮の頂端側どうしを向かい合わせており、野生型における単層構造と異なって内部のメダラ領域への浸潤がみられた。他方、d ft2重機能喪失変異体クローンでは野生型との違いは観察されなかった。これらの結果からFat/HippoシグナルはNE領域の単層シート構造の維持に必要であると考えられる。 続いてFat/Hippoと相互作用する因子の探索を実施した。RhoファミリーGFPaseタンパク質は様々な細胞現象に関与することが知られており本項のNE細胞の形態制御にも関わっている可能性がある。そこで、上記ファミリーの代表的な3つの因子Rac1、Rho1およびCdc42の優性阻害変異体をft機能喪失変異体クローン内で発現させたところ、Rho1およびCdc42では表現型に変化が見られなかった一方で、Rac1のケースではft遺伝子変異によるNEの形態異常の表現型がある程度抑圧された。この結果より、NEの形態制御に関してRacシグナルがFat/Hippoシグナルと並行にあるいはその下流で機能していると考えられる。 Dachsousは視覚中枢の前後領域間の秩序だった神経芽細胞分化を制御する これまでの報告から、異なるカドヘリンタンパク質であるDachsous(Ds)はFtのリガンドの1つの候補であると考えられている。そこで、視覚中枢におけるdsの発現パターンを観察したところ、視覚中枢の後方のNEおよび一部のNBで強く発現しており、前後軸方向に発現勾配を形成しているのが観察された。これはNE領域では一様な発現パターンを示すftとは対照的である。dsの機能喪失変異体の視覚中枢を観察したところ、ds発現領域およびdsの発現境界領域においてNB分化の遅れが観察された。他方で、視覚中枢前方領域はほとんど影響を受けなかった。次に、ds変異体下でdsの全長、細胞外ドメインおよび細胞内ドメインのそれぞれを発現させて復帰実験を行ったところ、dsの全長および細胞外ドメインの場合のみ野生型並みのレベルに復帰が見られた。これらの結果から、視覚中枢においてDsは主にリガンドとして機能しており、Ds発現領域と非発現領域におけるNB分化が協調的に進行するような働きを担っていると考えられる。 dachsousの発現はWg/Dppシグナル依存性である 上記のdsの偏った発現パターンを制御する分子機構の解析を実施した。視覚中枢では後方より分泌性タンパク質であるWingless(Wg)およびDecapentaplegic(Dpp)が発現しており、視覚中枢のオーガナイザーとして機能していると考えられる。そこで、Wg/Dppシグナルとdsの発現との関係を調べた。Wg下流のarmadilloの恒常活性型体の発現、あるいはWgシグナル抑制因子のAxinの機能喪失変異体クローンではdsの細胞非自律的な発現上昇が観察された。また、Dpp受容体をコードするthickveinsの恒常活性型の発現クローン内ではdsの細胞自律的な発現上昇が観察された。一方、Dppシグナルの伝達に必要な因子をコードするmedeaの変異体ではdsの細胞自律的な発現現象が観察された。このことから、dsの発現はWg/Dppシグナルによって正の制御を受けていると考えられる。 結論 本研究から、Fat/Hippoシグナルがショウジョウバエ視覚中枢NE領域において機能しており、NEからNBへの分化を正に制御していることが分かった。また、上記シグナルはNE領域の形態的安定性の維持にも寄与していた。これらより静的なFat/Hippoシグナルは神経発生の場としてのNE領域の完全性を維持することにより、動的な神経細胞分化という現象の秩序だった進行を制御していると考えられる(下図参照)。また、Fat/Hippoシグナルの入力の制御についてはWg/Dppシグナル依存性であり、このことは分泌性タンパク質による拡散シグナルが細胞間接着によるシグナル伝達といった1細胞レベルでのシグナルに変換される1つの分子機構を示している。 | |
審査要旨 | 本論文は4章からなる。 1章 序 1章1節-2節は本論文の研究対象であるショウジョウバエ視覚中枢の構造についての紹介がなされている。1章3節-5節ではfat(ft)遺伝子ならびに下流のHippo経路の説明とその視覚中枢における機能解析へと至る経緯が述べられている。1章6節ではEGFR/RasシグナルによるNB(神経芽細胞)分化誘導機構が説明され、1章7節では申請者の研究目的が示されている。 2章 材料及び方法 2章1節では論文に記載された実験に用いられたショウジョウバエ系統の説明が、2章2節-5節では抗体染色、in situハイブリダイゼーション、モザイク解析および統計解析に関して、それぞれの手法の説明がなされている。 3章 結果 3章1節-4節 申請者はまず、カドヘリンタンパク質をコードするftのmRNAが幼虫期視覚中枢のNE(神経上皮)細胞で特異的に発現し、ft変異体では視覚中枢の正常な増殖・分化・パターン形成が阻害されることを述べ、さらにFtおよび下流のHippo経路構成因子の機能変異がNE細胞からNBへの分化の進行に影響を与えることを報告した。すなわち、申請者はFat/Hippo経路がNB分化シグナルの正常な進行に必要であることを示した。 3章5節-6節 ft変異体クローンを誘導すると変異体領域中でNB分化誘導に必須であるEGFR/Rasシグナルの進行が阻害された。そしてft変異体領域でEGFR/Rasシグナルを活性化することにより異所的なNB分化を誘導することができた。この時、恒常活性型Rasによる非常に強い分化誘導能が見られたが、Rhomboid(Rho)による誘導能は恒常活性型Rasに比べると弱いものであった。RhoはEGFRシグナルのリガンドを成熟させ活性型にする機能を持つ蛋白質である。活性型リガンドは細胞膜上を伝播すると考えられる。以上の結果から、申請者はFat/Hippo経路がEGFRシグナルのリガンドの伝播制御に関与する可能性を論じている。 3章7節 これに加えて、NB分化を制御するJAK/STAT経路との相互作用を調べ、ft遺伝子経路はJAK/STAT経路と並行して機能することを明らかにした。 3章8節-9節 さらに、Fat/Hippo経路の変異体モザイクのNE領域の形態観察から、本経路がNB分化制御とは独立にNEの構造の安定性に寄与することを示した。 3章10節-11節 Ftのリガンド候補であるDachsous(Ds)は幼虫期視覚中枢で発現しているものの、そのパターンは視覚中枢後方に偏っている。ds機能欠失変異体では領域特異的なNB分化遅延が観察された。そしてトランスジーンを用いた表現型復帰実験から、幼虫期視覚中枢ではDsの細胞外ドメインが重要であることが示された。また、ds遺伝子変異による視覚中枢の表現型の異常はftの活性型の強制発現によって抑圧された。これらの結果から、Dsは視覚中枢の後方領域特異的にNB分化を制御していることが示された。 3章12節-13節 さらに、視覚中枢におけるdsの発現はWg/Dppシグナル(オーガナイザー活性)によって正の制御を受けている。またWg/Dppシグナルはおそらくdsとは独立の経路によってNB分化を抑制していることが示された。 4章 考察 4章は3章の結果に対する考察であり、4章1節-4節ではFat/Hippo経路によるEGFR/Rasシグナルの伝播制御モデルについて論じられている。4章5節ではFat/Hippo経路によるNEの構造的安定性維持とNBの分化制御機構との関係性を論じている。4章6節-8節では視覚中枢後方で働くDsおよびWg/DppシグナルとFtとの関係性を論じている。そして、4章9節では他の生物種におけるFtホモログの研究展開の可能性が示されている。 以上の結果は、Fat/Hippo経路が幼虫期視覚中枢の神経細胞分化シグナル、特にEGFR/Rasシグナルの適切な伝播を保証していること、そしてDsの発現制御を介したWg/DppシグナルとFat/Hippo経路による協調的な視覚中枢領域の発生および分化制御機構が存在することを新たに示している。 理論、実験の組み立ては十分高い水準にあり、実験結果は明快なデータによって示されている。本論文の成果は、発生期における神経前駆細胞からの神経分化制御機構の解明、Fat/Hippo経路によるEGFR/Rasシグナルの伝播制御についての研究に資するところが大きい。 なお本論文は田井美也子氏、佐藤純博士、八杉徹雄博士、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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