学位論文要旨



No 126735
著者(漢字) 佐々木,浩
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ヒロシ
標題(和) Class IIアミノアシルtRNA合成酵素による遺伝暗号翻訳の信頼性保障機構
標題(洋) Mechanisms for ensuring the fidelity of genetic code translation by class II aminoacyl-tRNA synthetases
報告番号 126735
報告番号 甲26735
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5680号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 准教授 程,久美子
 東京大学 准教授 伊藤,耕一
 お茶の水女子大学 教授 今野,美智子
内容要旨 要旨を表示する

DNA 上に塩基配列として記録された遺伝情報は3つ組のコドンとして,最終的な翻訳産物であるタンパク質の1つのアミノ酸残基を表現している.この2種類の情報の対応関係は遺伝暗号と呼ばれ,全生物の最終共通祖先が獲得し,今なお地球上に存在する全ての生物に維持されている.この遺伝暗号翻訳において,tRNAは遺伝情報をタンパク質のアミノ酸配列へと変換するアダプター分子として機能する.そして,アミノ酸と対応するtRNAとを結びつけ,遺伝暗号の対応関係を形成する役割を担うのが,アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)である.

aaRSはアミノ酸・ATP・tRNAを基質とし,tRNAの3´ 末端にアミノ酸が共有結合したアミノアシルtRNA(aa-tRNA)を合成する酵素である.生物は基本的に,20種類の標準型アミノ酸に対応する20種類のaaRSを保持している.aaRSは,アミノアシル化活性ドメインの構造に基づいて,classIとclass IIの2型に分類される.これは,2つのclassがそれぞれ別個の祖先型酵素から収斂進化し,同様の機能を獲得したことを意味している.それぞれのclassでは,tRNAとの結合様式,アミノアシル化様式に差異が存在する.

遺伝情報が世代を経て,常に正しく機能し続けるためには,遺伝情報発現機構が全ての段階において,高い信頼性を維持していなければならない.複製・転写・翻訳の各段階は,それぞれDNA:dNTP間,DNA:NTP間,mRNA:tRNA間での塩基対形成という比較的単純なメカニズムにより,正確性が保障されている.これに対し,アミノ酸とtRNAを結びつける段階では,結合反応を触媒するaaRSには,全く別個の分子種をそれぞれ高度に特異的に認識し,対応する正しい組み合わせのみを結合させることが要求される.遺伝情報発現機構全体の信頼性を保障する上で,aaRSによるアミノ酸-tRNA ペアの識別はボトルネックであり,それゆえに困難な識別を達成するための精緻なシステムを,aaRSは進化の過程で獲得してきた.

本研究では,class II aaRSによるアミノ酸とtRNA それぞれの特異的認識機構の解明を目指し,class II aaRSであるフェニルアラニルtRNA 合成酵素(PheRS)の校正ドメインおよびヒスチジルtRNA合成酵素(HisRS)とtRNAの複合体について,X線結晶構造解析と生化学解析を行った.

古細菌/真核生物型フェニルアラニルtRNA合成酵素(PheRS)校正ドメインの結晶構造解析および生化学的解析(第2章)

化学的・立体的に類似した性質を持つアミノ酸同士の正確な識別は困難であり,いくつかのaaRSは,活性部位に本来の基質以外のアミノ酸を取り込み,誤った反応中間体やアミノアシルtRNAを合成してしまう.この問題を解決するため,誤反応を起こしうるaaRSは,活性ドメインとは別に「校正ドメイン」を進化的に獲得し,誤産物を加水分解して排除する「校正機構」を保持している.近年になり,PheRS非触媒サブユニットであるβサブユニットのB3/4ドメインが,Tyr-tRNAPheに対する校正活性を担うことが報告された.PheRSの校正機構に関するほとんどの研究は,細菌型を対象に行われてきた一方で,古細菌/真核生物型PheRSは立体構造が明らかになっておらず,校正機構の構造基盤については研究が進展していなかった.

本研究では, 古細菌Pyrococcus horikoshii 由来PheRS-βのN 末端フラグメント(PheRS-βN)の結晶構造を分解能1.94 Aで決定した(図1A).PheRS-βNは校正ドメインであるB3/4ドメインを含んでいる.P.horikoshii B3/4ドメインは,基本的なコア構造を細菌型PheRSと共有するものの,それぞれの型に特異的な挿入/欠失領域の存在,ドメインの配向の2点で,細菌型B3/4ドメインと異なっている(図1B).

驚くべきことに,校正活性ポケットを形成する多くの残基が,古細菌/真核生物型と細菌型PheRSでは異なっている.そこでB3/4ドメイン内で,古細菌/真核生物型のみで保存されている12残基と両方の型で保存されている4残基についてアラニン置換変異体を作製し,アミノアシル化活性と校正活性を測定した(図2).さらに,Thermus thermophilus PheRS B3/4ドメインとチロシンの複合体構造を基に,P. horikoshii B3/4ドメインと校正基質の類似体であるTyr-A76の結合モデルを作製し,生化学実験の結果を解釈した(図3).

第1に,Leu202,Ser211,Asp234,Thr236の変異体は正しい産物であるPhe-tRNAPheを加水分解することから,これらの残基は校正基質のTyr-OH基の認識に関与し,チロシンとフェニルアラニンの識別を担っていると考えられる.第2に,Leu168とArg223の変異体はtRNA 3´ 末端と相互作用すると推定される.第3に,古細菌/真核生物型に特異的なGln126,Glu127,Arg137,Asn217は,校正基質の加水分解されるエステル結合付近に位置しており,これらの変異体ではTyr-tRNAPheの加水分解活性が低下した.特に,Asn217のアラニン置換変異体は活性を完全に消失することから,活性残基としての役割を果たしていると考えられる.

ヒスチジルtRNA合成酵素(HisRS)によるtRNA 認識機構の構造基盤

tRNAは対応するaaRSによって特異的かつ排他的に認識されるための因子を構造中に保持している.多くのtRNAでは,こうした「アイデンティティ因子」はアンチコドンループとアクセプターステム上に位置する.アイデンティティ因子はaaRS・tRNAの初期複合体形成に対する熱力学的寄与と,アミノアシル基の転移に対する反応速度論的寄与により,tRNAの識別を達成する.tRNAHisは,他のtRNAには存在しない-1番と呼ばれるグアニン塩基(G-1)を5´ 末端に持つ.これまでの生化学的解析から,G-1の塩基と5´リン酸基はtRNAHisの強いアイデンティティ決定因子となることが示されていた.しかし,HisRSとtRNAとの複合体構造は決定されておらず,HisRSによるtRNA認識機構は未解明であった.

本研究では,細菌Thermus thermophilus 由来HisRSとtRNAHis,HisAMP 類似体であるHis-SAの三者複合体結晶構造を分解能2.3 Aで決定した(図4).決定した構造中で,tRNAHis アクセプターステムは活性ドメイン,挿入ドメインの両方と,アンチコドンループはアンチコドン結合ドメインと特異的な相互作用を形成している.

Class II aaRSは保存された3つのモチーフ(モチーフ1,2,3)を持つ.tRNAHisに特異的なG-1はモチーフ2によって認識されている.HisRS 内で保存されたモチーフ2上のArg115とArg122を含むアルギニンクラスターが5´ リン酸基と塩橋を形成しており,Arg115の主鎖NH 基はG-1と塩基特異的な水素結合を形成している(図5).またGln117は水を介してC73と水素結合を形成している.モチーフ2ループは,G-1の5´リン酸基およびグアニン塩基を含むアクセプターステムの認識において中心的な役割を果たしている.

tRNAHisのCCA 末端は活性ポケットに入り,反応点となるA76リボースの3´-OH 基がHis-SAのアミド結合近傍に位置している(図6).これまでに報告されたHisRS・His-SA 複合体構造と比較すると,tRNAとの複合体構造では,大きく3つの構造変化が観察される.第1に,フリッピングループと呼ばれる可動領域(51ー68番)がディスオーダーしている.第2に,HisRSにおいて高度に保存されており,活性ポケットの側壁を形成するVRGLDYY ループ(258ー264番)がGly260をヒンジとしてシフトしている.第3に,挿入ドメインが活性部位に対して開く方向に動いている(図7).この変化に伴い,挿入ドメイン上のArg197とArg204がCCA末端のリン酸骨格と静電相互作用している.これらの構造変化は,tRNAHisのCCA末端を活性部位に受容するために必須であると考えられる.

tRNAHisのアンチコドン(34ー36番)は塩基が外側に飛び出した状態でアンチコドン結合ドメインと相互作用している(図8).アンチコドンを主要なtRNA アイデンティティ決定因子とする他のaaRSでは,aaRSとの相互作用によってアンチコドンループの構造が固定されているのに対し,tRNAHisの32,33,38番はディスオーダーしており,電子密度が観察されない.HisRSでは,tRNAHisのHisRSに対する相対的配向がアンチコドン結合によって安定化されず,G-1を中心とするアクセプターステムの認識によって規定されるために,G-1が強いアイデンティティ因子となっていると考えられる.

図1. P. horikoshii PheRS-βNの結晶構造

(A)PheRS-βNの全体構造のリボンモデル.(B)B3/4ドメインの特徴.黄・緑:古細菌/真核生物型のみに存在する挿入領域,赤・オレンジ・マゼンタ:古細菌/真核生物型のみで保存されたモチーフ.

図2. P. horikoshii PheRS 変異体のTyrtRNAPhe加水分解活性

作製した16種類の変異体の中で,特に活性が減少した変異体8種類の結果を示す.独立に行った3回の実験の平均値と標準誤差をエラーバーで表す.

図3. 古細菌/真核生物型PheRSによる校正基質認識モデル(立体視図)

Tyr-A76の認識に関わると推測される残基を図に示す.薄青:Tyr-OH基に近接する残基,ピンク:A76部位に近接した残基,橙:Tyr-A76エステル結合部位に近接した残基,白:変異を導入していない残基.

図4. T. thermophilus HisRS・tRNAHis・His-SA複合体の結晶構造.

青:活性ドメイン,シアン:挿入ドメイン,橙:アンチコドン結合ドメイン,緑:tRNAHis.結晶学的対称性で関係付けられた対称分子を灰色で示す.

図5. G-1の認識

(A)5'リン酸基の認識.4つのアルギニン残基が塩橋を形成している.(B)グアニン塩基の認識

図6. CCA 末端と活性部位

tRNA 3'末端A76付近の構造を示す.緑・マゼンタ:tRNAとの複合体で構造変化しているループ.

図7. 挿入ドメインの構造変化

青:HisRS・HisAMP 複合体(PDB ID1ADY), 赤:Hi sRS・tRNAHis・His-SA複合体.

図8. アンチコドン部位

青:側鎖が水素結合を形成している残基,黄:側鎖が疎水性相互作用を形成している残基.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章から構成される.

第1章は序論であり,本論文で行った研究の背景と目的を記載している.まず,遺伝暗号翻訳を概説し,アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)によるアミノ酸とtRNAとの対応付けが,遺伝暗号翻訳の信頼性保障の鍵となると述べている.その上で,class II アミノアシルtRNA 合成酵素に注目し,本論文の主対象となっているフェニルアラニルtRNA 合成酵素(PheRS)のチロシンに対する校正機構とヒスチジルtRNA 合成酵素(HisRS)のtRNA 認識機構について,その研究の歴史と背景を解説し,これらの分子基盤の理解のために,X 線結晶構造解析が重要であると提起している.

第2章は,古細菌/真核生物型PheRS 校正ドメインの結晶構造解析および生化学的解析について述べている.論文提出者は,古細菌Pyrococcus horikoshii 由来PheRS-βの校正ドメインを含むN 末端フラグメントの立体構造を分解能1.94 Aで決定した.本構造は,古細菌/真核生物PheRSに関して,部分構造としても初の報告である.そして,既に構造決定されていた細菌Thermus thermophilus 由来PheRSの立体構造との比較より,古細菌/真核生物型と細菌型の校正ドメインにおける違い,特に,それぞれの型に特有の挿入領域/欠失領域の存在と保存モチーフのパターンの差異を見出した.次に,構造解析の結果をもとに詳細な変異体解析を行い,古細菌/真核生物型PheRSの校正機構に関わるアミノ酸残基を複数同定した.最後に,古細菌/真核生物型PheRS 校正ドメインと校正基質との結合モデルを作製し,変異体解析により校正機構への関与が明らかとなったアミノ酸残基の機能について議論している.以上の結果から,古細菌/真核生物型PheRS 校正ドメインが細菌型とは異なる校正機構を持つことを明らかにしている.

第3章は,HisRSによるtRNA 認識機構の構造基盤について述べている.論文提出者は,細菌T. thermophilus 由来HisRS,ヒスチジンtRNA(tRNAHis),His-SAの三者複合体の立体構造を分解能2.3 Aで決定した.本構造は,HisRS・tRNA 複合体構造として初の報告である.その結果,変異体解析によって認識への重要性が示されていたモチーフ2 上のアルギニン残基とグルタミン残基がそれぞれ,tRNAHis 特異的に存在するG-1の塩基および5´リン酸基,G-1と塩基対を形成するC73の塩基を認識していることを見出した.さらに,活性部位とCCA 末端との結合様式を詳細に分析し,HisRSにおいて高度に保存されたVRGLDYY ループおよび挿入ドメインの構造変化を明らかにした.その一方で,今回決定した複合体構造中では,アンチコドンループの32,33,38 番の電子密度が観察されず,アンチコドン結合ドメインとの結合により,アンチコドアームが固定されていないことを見出した.その上で,HisRS システムにおいて,tRNA 基質特異性におけるアンチコドンの寄与が低いのは,アンチコドンとの結合がtRNAのHisRSに対する配向を決定しないためであると議論している.

第4章は,第2章および第3章の結果を踏まえた総合討論を行っている.まず,第2章の内容について,PheRS 校正ドメインの進化,校正反応の触媒機構,タンパク質工学的応用について議論している.次に,第3章の内容について,tRNA アイデンティティに対するアンチコドンの寄与,モチーフ2 ループによるtRNA識別,アイデンティティ因子の反応速度論的な寄与について議論している.

本論文に記載された一連の研究は,アミノ酸認識・tRNA 認識という2つの側面から,アミノアシルtRNA 合成酵素の基質特異性について分析し,遺伝暗号翻訳の信頼性保障機構を明らかにしたものであり,当該分野において重要な生物学的意義を持つと評価する.また,論文提出者は,当該分野における包括的知識と議論の能力を十分に有していると判断する.論文は全体にわたり,平易で明快な文章により記述されている.

なお,本論文の第2章は,東京大学の横山茂之教授,関根俊一特任准教授,福永流也博士(現・University of Massachusetts 研究員),仙石徹博士(現・理化学研究所研究員),服部素之博士(現・Oregon Health & Science University 研究員),理化学研究所の倉光成紀グループディレクター,白水美香子チームリーダー,黒石千寿博士,宇都宮幸子氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験および考察を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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