学位論文要旨



No 126736
著者(漢字) 檜山,卓也
著者(英字)
著者(カナ) ヒヤマ,タクヤ
標題(和) ヒト翻訳開始因子eIF2BαのX線結晶構造解析
標題(洋) Crystal structure of the α subunit of human eukaryotic translation initiation factor 2B
報告番号 126736
報告番号 甲26736
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5681号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 准教授 深井,周也
内容要旨 要旨を表示する

真核生物におけるタンパク質翻訳の開始段階は,12以上の真核生物翻訳開始因子(eukaryotic initiation factor: eIF)を中心とした多数の因子により,協調的に執り行われている.ヘテロ五量体タンパク質であるeIF2B(αーεサブユニット)は,開始tRNAであるMet-tRNAi(Met)をリボソームへ運ぶ働きをする三量体タンパク質eIF2(αーγサブユニット)特異的グアニンヌクレオチド交換因子(guanine nucleotide exchange factor: GEF)である.eIF2γはGTPまたはGDPと結合し,GTP結合時にMet-tRNAi(Met)と安定した三量体複合体(ternary complex: TC)を形成する.eIF2はeIF2BによってGDP結合型からGTP結合活性型へと変換される.

細胞がウイルス感染,変性タンパク質の蓄積,アミノ酸欠乏,ヒートショック等のストレスを受けると,シグナルを通じてPKR,PERK,GCN2,HRIら種々のキナーゼが活性化されeIF2αSer51がリン酸化される.eIF2がリン酸化されると,eIF2Bと強く結合し,eIF2Bのグアニンヌクレオチド交換反応を低下させる.結果,GTP結合型eIF2が不足し,TCが減少して,細胞全般における翻訳抑制が行われる.

eIF2Bαーεのうち,γ,ε,サブユニットは配列相同性を有する.εサブユニットのC末端のHEATドメインだけでグアニンヌクレオチド交換活性(GEF活性)を持つが,これはeIF2Bγε二量体のGEF活性よりも低い.一方,α,β,σサブユニットはこれら三つのサブユニット間で配列相同性を有し,リン酸化されたeIF2[eIF2(αP)]の認識を担って,基本的にGEF活性には関与しない.α,β,σサブユニットのそれぞれ単独ではeIF2(αP)と結合できず,さらにマウスやショウジョウバエeIF2Bにおいて,五量体からαサブユニットが欠損したeIF2BβーεではeIF2とeIF2(αP)を区別できずにGEF反応を行うことが報告されている.これまでに,出芽酵母に強制発現させることで,リン酸化されていないeIF2と強く結合してしまうeIF2B変異(GCN4翻訳促進変異)がα,β,σサブユニットのみから,また逆にeIF2(αP)との結合が低下するような変異(GCN4翻訳抑制変異)がα,β,σサブユニットそれぞれから複数発見されている.しかし,遺伝子全体に渡って散在するこれら変異がどのようなメカニズムでeIF2αのリン酸化の認識に関与しているのか明らかにされていない.

2001年,Leukoencephalopathy with vanishing white matter(VWM)もしくはchildhood ataxia with central nervous system hypomyelination(CACH)と呼ばれるミエリン形成不全を認める白質脳症がeIF2Bの常染色体劣性変異によって引き起こされている疾患であることが明らかにされた.eIF2Bの変異はαーεの各サブユニットそれぞれで発見され,現在までに疾患の原因とされる70以上の変異が確認されている.これらはεサブユニットに多く存在するものの,各サブユニットに散らばっており,これら変異の影響がどのようなメカニズムで疾患へとつながっているのか不明である.

構造解析の面では,eIF2Bはリコンビナントによる調製が困難であることから,これまでにεサブユニット HEATドメインの三次構造のみ報告されていた.古細菌においては,eIF2Bα,β,σサブユニットと配列相同性を持つ遺伝子が3つ見つかっているが,GEF活性を担うeIF2Bα,β,σサブユニットに対応する相同遺伝子は存在しないため,その機能は不明である.これまでに,eIF2Bα,β,σサブユニットと配列相同性を有する5-methylthioribose 1-phosphate isomerase(M1Pi)や,古細菌のeIF2B-like proteinについて構造解析が為されており,これらは一見機能的に無関係のタンパク質が相同的な構造ファミリーを形成していると考えられ,それら構造ホモログからeIF2Bの機能を推測することは困難であった.

本研究では,ヒトのeIF2Bαの結晶構造を分解能2.65Åで明らかにした.eIF2Bαは5本のヘリックスで構成されたN端ドメインとRossmann-fold様C端ドメインによって構成されていた.N端ドメインとC端ドメインの間には塩基性に偏った大きなポケットが口を開けた状態で固定されており,その底部に硫酸イオンが結合していた.

全体構造をこれまでに解かれたM1Pi/eIF2B-like proteinと比較してみると,Z-scoreは25.7-30と高い数値を示したが,eIF2Bα特有の特徴があることが明らかになった.一点目として,eIF2Bはその構造ホモログと比べて,ヘリックスα5ーα6間が折れ曲がっており,それによってポケットの入り口の直径は約15 Å×17 Åと大きく口を開いた状態で固定されている.二点目として,硫酸イオンが結合している他の構造ホモログと比較すると,硫酸イオンがより深い,入り口から約16 Åの位置に結合していた.また,硫酸イオンの認識をしている残基はヒト以外の構造ホモログでは保存されておらず,これら構造的特徴がeIF2Bα特有のものであることが強く示唆された.

ヒトeIF2Bαと出芽酵母eIF2Bαの一次配列類似性は高く,三次構造に相同性がある可能性が高い.さらに,eIF2Bα,β,σサブユニット間の配列類似性も非常に高いことから本研究で得られた三次構造はβ,σサブユニットについても示唆を与えるものと考えられる.出芽酵母における研究で同定されていた,GCN4翻訳促進変異をeIF2Bαの構造にマッピングしたところ,ポケットの周囲に集まっていた.ここから,ポケット周辺部に変異が入り,ポケットの構造が変化することで,eIF2αとの結合が強くなることが予想される.続いて,同様に出芽酵母で同定されていたGCN4翻訳抑制変異を対応するeIF2Bαのアミノ酸残基にマッピングしたところ,ポケットの反対面に集まっていた.さらに,VWM/CACHの変異箇所をそれぞれのサブユニットに対してマッピングしたところ,それらはポケットの側に集まっていた.これらの変異がeIF2B複合体の安定性,およびeIF2との相互作用にどのように影響しているか考察した.

本研究で得られた三次構造並びに配列解析,生化学実験との照らし合わせにより,ポケット部位がeIF2(αP)のリン酸基を認識している可能性が示唆された.そこで,最後にeIF2BαとeIF2(αP)の結合モデル作成を試み,その可能性について議論した.さらに,総合討論として,eIF2Bα・β・σの四次相互作用について,またeIF2BとeIF2の相互作用についてこれまでに蓄積された生化学的データと照らし合わせながら検証した.

審査要旨 要旨を表示する

真核生物翻訳開始因子elF2BはeIF2特異的グアニンヌクレオチド交換因子(GEF)であり、真核生物の翻訳に必須の因子である。また、ストレス時にリン酸化されたeIF2[eIF2(αP)1と強く結合することにより、翻訳全般を抑制する翻訳調節の役割も担っている。これまでにeIF2Bのリン酸基認識機構にっいて一つの仮説が挙げられていたが矛盾点が多く、詳細は明らかではなかった。また、eIF2Bの構造情報は乏しく、elF2との相互作用様式についても不明であった。

本論文は4章からなる。第1章はイントロダクションであり、研究背景と目的について述べられている。第2章はヒトelF2BαのX線結晶構造解析について述べられている。論文提出者は、ヒトeIF2Bαを大腸菌内で大量発現させ、高純度で精製する調製方法を確立した。そしてセレノメチオニン置換体を作成して良質な結晶化に成功し、単波長異常分散法により分解能2.65Aで初めて構造決定した。ヒトelF2Bαはその中央部に、入り口の大きさが15A×17A、深さ16Aの特徴的なポケット構造を有していることが明らかにされた。そしてポケット底部に硫酸イオンが結合していたことからリン酸基、特にホスホセリンなどのリン酸化されたアミノ酸残基と結合する可能性が示唆された。

第3章は、ヒトeIF2Bαの結晶構造を他の様々なデータと統合して機能的部位を抽出している。構造ホモログとの一次配列比較及び三次構造の比較により、N端ドメインとC端ドメインの相互作用によって形作られるポケットがeIF2Bα特有の構造であること、硫酸イオン結合部位が特有の部位であること、及びその結合が保存されたアミノ酸残基によるものであることが示された。続いて、酵母とヒトの種間配列相同性、及びeIF2Bα、β、δ因子問の配列相同性を利用して、過去に酵母を用いた遺伝学により発見されているelF2(αP)のリン酸基認識を強くすると考えられる変異を構造上にマッピングし、それがポケットの周囲に集まることから、ポケットの機能と変異の影響について議論されている。また、同様にeIF2(αP)のリン酸基認識を弱めると考えられる変異を構造上マッピングすると、ポケットとは反対の面のC端ドメイン側表面に集まることから他の因子との相互作用面であることが示唆された。さらにVWM/CACH変異もマッピングすると、ポケット内部とポケットと同じ面に位置することが明らかになり、これらの部位の機能に関して議論されている。

第4章では、eIF2Bの四次構造及びeIF2との相互作用についてモデルを作成した上で総合的な議論が為されている。ポケットの性質や形状、過去の生化学的データを考慮して作成されたリン酸化eIF2αとeIF2Bαの結合モデルが提示されている。続いて、第3章で示唆された機能的部位と過去の生化学的データからelF2Bの四次構造のモデルを提示している。また、elF2Bα・β・δによるリン酸基認識機構について蓄積された様々なデータを用いてモデルと生化学的データの整合1生について議論した上で、最終的にelF2(αP)のリン酸基認識に関する新しいモデルを提示している。

なお、本論文第2章、第3章及び第4章の一部は、東京大学理学系研究科横山茂之教授、伊藤拓宏特任助教、また理化学研究所今高寛晃博士(現・兵庫県立大教授)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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