学位論文要旨



No 126739
著者(漢字) 清水,一道
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,カズミチ
標題(和) Wnt5/PCP経路によるショウジョウバエキノコ体の軸索形成制御に関する研究
標題(洋) Studies on Wnt5/Planar cell polarity pathway in axonal development of Drosophila mushroom body neuron
報告番号 126739
報告番号 甲26739
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5684号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 多羽田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

序論

意識、認知、記憶・学習などの脳の高次機能は無数の神経細胞が複雑かつ正確な回路を形成することで実現される。この神経回路形成には、神経細胞の増殖・分化、神経軸索の投射、シナプス形成をほじめとする様々な過程が関与しており、特に軸索形成に関する知見は多く得られている。しかし、その全貌は未だ明らかではなく、近年ではモルフォゲンなど他の発生過程に関与する因子群が軸索形成にも寄与する事が明らかとなってきている。本研究では、ショウジョウバエのキノコ体をモデルとして、平面内細胞極性(PlanarCellPolarity:PCP)制御因子の神経発生における機能解明を目指した。

PCP制御因子群はキノコ体の軸索形成に必須である

平面内細胞極性(PCP)とは上皮などの一層の細胞層内における極性を指し、その形成の分子機構はショウジョウバエの上皮における極性形成をモデルにして研究されてきた。ショウジョウバエのPCP形成には、主にfrizzled(fz)、strabismus(stbm)、flamingo(fmi)、dishevelled(dsh)などの因子が関与する。また、PCP遺伝子の脊椎動物ホモログも上皮細胞の極性形成や収斂伸長における細胞の極性化に重要である事が示されている、神経発生におけるPCP制御因子の機能については、哺乳類において個々のPCP遺伝子が軸索形成に関与していることが報告されているが、PCP遺伝子間の相互作用などは明らかにされておらず、軸索形成においてもPCP形成時と同様のシグナルが働いているかは未知である。そこで、ショウジョウバエの軸索形成におけるPCP制御因子の機能を探るため、Fz、Stbm、FmiおよびPkの発現解析を行ったところキノコ体における発現が認められた。これらの因子は比較的若い神経細胞において伸長中の軸索で発現していたため、PCP制御因子群がキノコ体の軸索形成に関与する可能性が示唆された。そこで、fz変異体(fzh51ifzd21)stbm変異体(stbmstbm-6/stbma3)および変異体(dsh1)のキノコ体の形態解析を行った。野生型では軸索束が背側と正中線側へ伸びているのに対し(図A、矢印)、これらの変異体ではキノコ体軸索束の消失または細径化が観察された(図B-D、矢頭)。さらに単一細胞レベルでの解析により、これらの異常が軸索の分岐および投射異常に起因している事が明らかになった。また、PCP遺伝子問には遺伝学的相互作用が見られ、これらの因子群が同経路で機能している事が示唆された。

Wnt5はPCP制御因子群と同経路でキノコ体の軸索形成に関与する

FzはWntの受容体として機能する事が知られているが、ショウジョウバエのPCP経路においてWntリガンドは同定されていない。しかし、本研究ではWnt5変異体(Wnt5D7)がpcp遺伝子の変異体と同様にキノコ体軸索の分岐および投射に異常を示すことを見いだし(図E、矢頭)、さらにPCP遺伝子群とWnt5が遺伝学的に相互作用する事を明らかにした。これらの結果は、キノコ体の軸索形成においてWnt5がPCP経路のリガンドとして機能する可能性を示唆している。Wnt5に対する免疫組織染色の結果、Wnt5は発生期の脳において広範囲に発現していることが明らかとなった。しかし、キノコ体内部では軸索領域や細胞体では発現しておらず、樹状突起領域でのみ発現が認められた。そこで、樹状突起領域で特異的にWnt5の発現を回復するレスキュー実験を行い、この領域におけるWnt5の発現がキノコ体の軸索形成において重要である事を示した.さらに、キノコ体のニューロンでWnt5変異体クローンを作製すると、変異体クローンが占める樹状突起領域でWnt5の発現が周辺領域に比較して減少する様子が観察されたことから、この領域に局在するWnt5タンパク質の少なくとも一部はキノコ体のニューロンに由来することが示された。

結論

本研究では、PCP遺伝子群が神経軸索の発生において協調して機能する例を初めて発見するとともに、Wnt5がPCP経路のリガンドとして機能する可能性を示唆した。さらに、キノコ体神経細胞の樹状突起から分泌されたWnt5が、新たに軸索を伸長する若いキノコ体神経細胞の軸索形成を制御1することを示した。

図;PCP変異体およびWnt5変異体のキノコ体

キノコ体の形態は特異的なGal4系統であるOK107」-Ga14によるGFPの発現と、FasIIタンパク質に対する免疫組織染色により可視化している。野生型では背側と正中線側に軸索束を仲長しているのに対して(A、A'、矢印)、PCP変異体やWnt5変異体では軸索束の消失が観察される(B-E'、矢頭)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文ではショウジョウバエのキノコ体をモデルとして平面内細胞極性(Planar Cell Polarity: PCP)を制御する因子群の神経軸索発生における機能を解析している。PCPシグナルやキノコ体の構造・発生等については第2章の序論で述べられている。神経回路の形成には、神経細胞の増殖・分化、神経軸索の投射、シナプス形成をはじめとする様々な過程が関与しており、特に軸索形成過程は神経回路構造の全体像を規定する重要な過程だと考えられる。しかし、その全貌は未だ明らかではなく、近年ではモルフォゲンなど他の発生過程に関与する因子群が軸索形成にも寄与する事が明らかとなってきている。PCPを制御する因子群も軸索形成に関与することが示唆されているが、その実体はほとんど明らかにされていない。そこで、本研究では遺伝学的・免疫組織化学的手法によりPCP制御因子群の神経発生における機能解析を行っている。なお、第3章には実験に用いた材料および実験手法が記載されている。

第4章では本研究の結果について述べられている。佐藤純博士による先行研究により、frizzled(fz)のmRNAがショウジョウバエのキノコ体で発現していることがわかっていたことから、論文提出者は、Fzおよび、他のPCP制御因子であるStrabismus(Stbm)、Flamingo(Fmi)に対する免疫組織染色を行い、これらがキノコ体の伸長中の軸索に局在することを明らかにした。この結果から、これらの因子がキノコ体の軸索形成に関与すると考え、これらの因子およびdishevelled(dsh)の変異体解析を行い、PCP制御因子群がキノコ体の軸索形成に必要であることを示した。さらに、これらの変異体背景において単一細胞をラベルすることで、これらの因子が軸索の分岐および投射に必要であることを明らかにした。PCP制御因子群は平面内細胞極性の形成において互いに協調して機能することが知られており、論文提出者はキノコ体の軸索形成においてもこれらの因子が協調して機能することを遺伝学的相互作用の解析により示した。この結果はキノコ体の軸索形成においてもPCP形成時と同様のシグナルが用いられている可能性を支持するものである。

PCP制御因子の一つであるFzはWnt経路の受容体としても機能している。キノコ体の軸索形成へのWntの関与を検討するために、Wnt遺伝子の変異体を解析し、Wnt5変異体においてキノコ体の形成異常を見いだした。Wnt5変異体では、PCP制御因子の変異体と同様にキノコ体の軸索投射および分岐に異常が生じ、さらに、Wnt5とPCP制御因子の間に遺伝学的相互作用が見られたことから、論文提出者はWnt5をPCP経路のリガンドであると提唱した。免疫組織染色による解析により、Wnt5は発生期の脳において広範囲に発現していることが明らかになった。特に、キノコ体の内部では、キノコ体の樹状突起で形成されるカリックスにおいて顕著な局在が検出された。カリックスにおいてWnt5の発現を回復することでWnt5変異体の表現型がレスキューされたことから、カリックスに局在するWnt5がキノコ体の軸索形成に重要であることが示された。また、Wnt5変異体のクローン解析やキノコ体特異的なRNAiの誘導によるWnt5のノックダウン実験により、カリックスに局在するWnt5の少なくとも一部はキノコ体から分泌されるものであることを示した。加えて、最後に、PCP因子群の局在制御、古典Wnt経路の関与の有無について述べている。

以上の結果をもとに、第5章ではキノコ体の軸索形成におけるWnt5/PCPシグナルの機能について考察が加えられている。キノコ体から分泌されてカリックスに蓄積したWnt5が、PCP経路を介して後に産生されたキノコ体ニューロンの軸索投射および分岐を制御していると考え、PCP経路が軸索投射において果たす役割についてモデルを提唱している。

本研究は、神経軸索の形成においてPCP経路が協調して機能することを初めて示すものである。また、ショウジョウバエにおいてPCP経路のリガンドとして機能するWntとしてWnt5を初めて同定した。

理論、実験の組み立ては十分高い水準にあり、実験結果は明快なデータによって示されている。PCP経路が神経軸索の発生に関与する例は哺乳類でも知られており、本研究で得られた知見は、PCP経路の神経発生における普遍的機能を解明する糸口となると期待される。なお、本論文は佐藤純博士、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本研究は博士(理学)の学位に値するものと考える。

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