学位論文要旨



No 126743
著者(漢字) 本間,泰平
著者(英字)
著者(カナ) ホンマ,タイヘイ
標題(和) 巻貝Lymnaea stagnalis初期胚の左右形成における極性因子Par6-aPKCの機能解析
標題(洋) Analysis of the polarity complex Par6-aPKC and its involvement in the left-right specification in the early embryo of the gastropod Lymnaea stagnalis.
報告番号 126743
報告番号 甲26743
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5688号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 黒田,玲子
内容要旨 要旨を表示する

巻貝Lymnaea stagnalisには、巻型が対になる左右両系統が天然に存在する。左右の巻型を規定している因子は、母性に働く単一遺伝子(座)であると考えられているが、その正体は未だ解明されていない。L. stagnalisの巻型は胚発生のごく初期に決定される。左右巻型の違いは、第3卵割の時点でらせん卵割の旋性方向に現れてくる。このときの旋性は左右非対称な割球配置に反映され、これが胚左右軸並びに個体の左右性形成に決定的に重要であることを当研究室が実験的に証明している。また、第3卵割の詳細な観察により、右巻胚特有の細胞事象である細胞形態変化(Spiral deformation)および紡錘体の傾き(Spindle inclination)が見出された。これらより、巻貝の左右決定にとって第3卵割の細胞骨格動態がきわめて重要であることが指摘されている。本研究では、L. stagnalisの巻型決定機構および左右性形成機構を解明することを目的とし、細胞骨格制御因子の候補として細胞極性タンパク質に焦点を合わせた解析を行った。

先行して行われた研究により、L. stagnalisから極性因子Par6およびatypical PKC(aPKC)のホモログ遺伝子がクローニングされた。Par6-aPKCの複合体は、真核生物に高度に保存された細胞極性モジュールであり、非対称分裂時のスピンドル配向制御や細胞移動・細胞形態変化時の細胞骨格制御など、方向性を持った細胞骨格動態における機能が多く報告されている。Par極性因子は、前後軸をはじめとした体軸形成との関わりも有名であり、とくに線虫の初期胚における研究では、胚左右性の変異体原因遺伝子spn-1とpar遺伝子(par3,par4, par6)との遺伝的相互作用が示された。ここから、L. stagnalisにおいても、左右形成プロセスに関連したPar極性因子の機能の存在が期待された。

本研究ではまず、抗L. stagnalis Par6抗体を用いたPar6の局在解析を行った。初期胚の免疫染色において、L. stagnalisのPar6局在はM期の分裂装置およびG2、S期の中心体・スピンドルミッドボディに観察された。これらはいずれも微小管からなる構造体であり、Par6の微小管細胞骨格への局在が予想された。そこでPar6とチューブリンの共染色を行い、実際に両者が細胞周期を通して共局在することを示した。Par6の微小管局在は、1細胞期からトロコフォア期まで、観察した全ての発生ステージで確認された。なお、Par6のアミノ酸配列は左右の巻型系統で共通しており、局在調査においても左右両系統の胚で同一の染色パターンが得られた。

Par6と微小管の相互作用を検証するため、胚ライセートを用いた微小管共沈降アッセイを行った。L. stagnalis内在性Par6はライセート中の微小管と共沈降を示し、Par6-微小管の間の物理的相互作用が証明された。内在性Par6はライセートに添加したウシ微小管とも共沈降を示したことから、チューブリンの生物種を問わずL. stagnalis Par6-微小管の間に物理的相互作用が働くことが示唆された。さらに、GST融合タンパク質を利用したプルダウンアッセイおよび微小管共沈降アッセイを行い、L. staganalis Par6がin vitroでチューブリンあるいは微小管と直接結合することを明らかにした。この直接的相互作用は、他生物種を含め、本研究が初めての報告例である。チューブリン結合部位はPar6 N末側に存在し、独立した2か所の領域がチューブリン結合能を持つことが分かった。

Par6-微小管の相互作用が明らかになったことから、次にGST融合タンパク質を用いてPar6の微小管調節機能の検証を行った。まずは、Par6存在下での微小管重合を調査するin vitro微小管重合アッセイを行った。この重合アッセイでは、Par6が微小管重合を促進することが明らかになった。その際、重合した微小管には顕著な束化(bundling)が観察された。そこで、予備重合させた微小管を用いたin vitro微小管束化アッセイを行った。束化アッセイにより、Par6がin vitroで微小管束化活性を持つことが証明された。これらの微小管アッセイにより、L. stagnalisのPar6が単に微小管に結合するだけでなく、微小管動態を調節する機能を持っていることが示唆された。

次にPar極性因子のキナーゼであるaPKCの解析を行った。aPKCの場合も、左右系統から同一のアミノ酸配列をコードする遺伝子が単離されており、遺伝子情報の上での左右差はない。L. stagnalis初期胚の免疫染色では、M期分裂装置やスピンドルミッドボディへのaPKCの局在が観察された。これはPar6の免疫染色で観察されたものとほぼ同じ染色パターンであり、微小管上でPar6とaPKCが協調して機能していることが推測された。第3卵割において、分裂装置の配向やミッドボディの配置はらせん卵割の旋性と強くリンクしている。それらの構造に極性タンパク質であるPar6およびaPKCが局在していることは非常に興味深い。一方、G2、S期にはaPKCはPar6と異なり核膜を中心に局在が観察され、これらの時期にはPar6とaPKCが別々に働いていることが示唆された。

局在調査の次に、極性モジュールPar6-aPKCの機能解析のため、キナーゼaPKCの阻害剤を用いた機能阻害アッセイを行った。aPKCには偽基質領域(PS)とよばれる生物種間で保存された配列があり、この配列を持つペプチドがaPKCの特異的阻害剤として機能する。L. stagnalisのaPKCにおいてもPSの配列は保存されており、阻害剤が作用することが期待された。細胞膜透過のためのミリストイル化修飾を受けた阻害ペプチド(Myr-PS)をL. stagnalis初期胚に処理し、aPKCの機能阻害を試みた。結果、Myr-PS処理により、右巻胚の第3卵割旋性のランダマイズ化が観察された。このランダマイズ化は、コントロールとして用いたミリストイル化ランダム配列ペプチドでは観察されなかった。細胞骨格の染色により、左旋化した右巻胚は割球配置やスピンドルミッドボディの配置が完全に左巻型のものに変わっていることが分かった。巻型のランダマイズ化は左巻胚へのMyr-PS処理でも観察された。また、より広範囲なPKC阻害剤であるGo6983の処理でも低頻度ながら右巻胚の第3卵割左旋化が起こることが分かった。これらの結果は、L. stagnalis胚の第3卵割のキラリティ形成にaPKCの機能が関与している可能性を示唆している。

左右巻貝の遺伝子情報比較および免疫学的・生化学的解析から、Par6、aPKCが左右決定因子そのものである可能性は否定された。しかし、本研究で観察された細胞極性因子と微小管細胞骨格の高い親和性、およびその機能阻害による胚旋性のランダマイズ化は、左右性決定以降の左右極性確立、体軸形成に極性タンパク質が重要な役割を果たしていることを示唆している。本研究成果は、左右決定因子の下流に位置する、胚の左右形成(左右性確立)機構の解明に発展していくものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は四章からなる。第一章は序論であり、前半部では動物の左右性に関する知見が脊椎動物の研究事例を中心に概説されている。後半部では研究対象とした巻貝左右性の背景が述べられ、本論文の着眼点および左右性研究における位置付けが明確にされている。本論文では巻貝左右性研究の観点から細胞極性因子Par6-aPKCの解析が行われた。第二章で実験材料と方法が説明され、第三章では実験結果およびそれに基づく考察が述べられている。第四章には結論が示され、本論文を総括した上での考察と展望が述べられている。

巻貝Lymnaea stagnalisは、天然に右巻型と左巻型の系統が共存する極めて稀な生物種である。L. stagnalisの左右は一対の対立遺伝子座によって決められ、この遺伝子座の作り出す巻型決定因子が初期胚の左右軸形成を制御していることが明らかにされている。巻型決定因子の正体は未だ明らかにされていないが、らせん卵割における第三卵割の旋性を決定していること、およびその第三卵割の細胞骨格動態を制御していることが分かっている。第三卵割では、遺伝的優性の右巻胚においてspiral deformation(SD)とよばれるアクチン依存性の細胞形態変化が右旋化を誘導している。L. stagnalisは、脊椎動物と共通の左右軸形成機構であるNodal-Pitx経路を持ちつつも、第三卵割という発生のごく初期に左右性が顕在化する点で、動物左右性の研究にとってユニークかつ大変興味深い系である。本論文は巻型決定因子による発生初期左右形成機構の解明を目指し、第三卵割の細胞骨格動態に焦点を合わせた研究を行っている。巻型決定因子と協調して細胞骨格動態を制御する因子の候補として、極性タンパク質のPar6、aPKCの解析が行われた。

第三章ではL. stagnalis Par6、aPKCそれぞれの解析結果が報告されている。

Par6は初期胚免疫染色により微小管構造上に局在することが明らかにされた。微小管構造への局在は細胞周期、発生ステージを通じて維持されており、これは他生物種のPar6には見られない特徴であった。微小管構造である分裂装置は第三卵割時に巻型決定因子とリンクしたキラルな配向を示す。この構造上に極性タンパク質の局在が見られたことは、左右性と極性形成の関連を予想させる重要な知見である。さらに、タンパク質結合解析実験により、L. stagnalis Par6が微小管およびチューブリンと直接結合することが証明された。Par6はまたin vitroで微小管の束化を促進し、MAPs(microtubule-associated proteins)様の振る舞いをすることが示唆された。微小管結合能はPar6内に二か所存在し、これが微小管束化機能に寄与している可能性が考察されている。本論文で明らかにされたPar6分子と微小管との高い親和性は、他生物種も合わせ初めての報告例であり、左右性のみならず細胞極性研究の観点からも非常に意義深いものである。

L. stagnalis aPKCは免疫染色により、M期微小管構造に局在することが示された。すなわち、分裂装置上に極性因子Par6、aPKCがともに局在することが明らかにされ、極性因子と微小管細胞骨格との相互作用がより強く示唆された。活性化型aPKCの局在も分裂装置中心体に観察され、分裂装置上での極性因子の働きが予想された。阻害剤を用いたaPKCの機能解析では、aPKCの阻害がL. stagnalis胚第三卵割の旋性をランダマイズさせることが明らかにされた。aPKCの阻害は第三卵割期の細胞骨格動態であるSDも抑制した。これは巻貝左右性に対する極性タンパク質の機能的な関与を指摘した初めての例である。aPKCの阻害がアクチン細胞骨格の表現型として現れることも見出され、収縮環形成におけるaPKCの役割が考察されている。

以上本論文では巻貝L. stagnalisのPar6、aPKCを解析し、これら極性タンパク質と巻貝左右形成との関連性を強く示唆する結果が得られた。これは巻型決定因子の機構と細胞極性を結びつける新しい知見であり、今後の展開が期待される。

なお、本論文は清水美穂、黒田玲子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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