学位論文要旨



No 126745
著者(漢字) 向井,崇人
著者(英字)
著者(カナ) ムカイ,タカヒト
標題(和) UAGコドン解読分子の操作による遺伝暗号可塑性の研究
標題(洋) A study on the genetic-code flexibility by manipulation of the UAG codon-decoding molecules
報告番号 126745
報告番号 甲26745
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5690号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 横山,茂之
 理化学研究所 チームリーダー 坂本,健作
内容要旨 要旨を表示する

終止コドンであるUAGを解読する因子に着目し,UAGコドン解読分子を操作する事により,遺伝暗号の可塑性とその条件や制約について調べた.UAGコドン解読分子とは,アミノアシル化されたtRNA(CUA)分子や,翻訳終結因子である.遺伝暗号は全ての生物種で保存されているが,細部においては可塑性がある.人為的な遺伝暗号の拡張には,外来性のtRNAとアミノアシルtRNA合成酵素の変異体を発現させる.これまでに大腸菌,酵母,哺乳類細胞において数十種類の非天然型アミノ酸がUAGコドンに割り当てられてきた.ただし,UAGはあくまでも終止コドンであり,非天然型アミノ酸専用に再割当された例はない.

高等な真核細胞における遺伝暗号拡張を妨げる最大の要因は,tRNAの発現である.真核細胞のtRNAは配列内部にプロモーター配列を持つため,多くの場合,外来性のtRNAは真核細胞内では発現しない.本研究ではまず,メタン生成古細菌Methanosarcina mazeiのtRNAPylを,U6プロモーターを用いて,哺乳類細胞において発現させる事に成功した.特殊構造を持つtRNAPylは,メタン生成古細菌や真正細菌のみならず,真核生物の遺伝暗号をも拡張できる.次に,U6プロモーターによる真正細菌型tRNA発現法をDrosophila melanogaster Schneider 2細胞,Bombyx mori BmN4細胞,Trichoplusia ni BTI-Tn-5B1-4(High Five)細胞においても試し,昆虫細胞の遺伝暗号を拡張することに成功した.

UAGコドンの翻訳は翻訳終結因子と競合し,非天然型アミノ酸を効率よく導入することができない.そこで,大腸菌においてUAGコドンを認識するRF-1(prfA遺伝子)を除去する条件を調べた.RF-1を除けばRF-2が残り,UGAとUAAのみが終止コドンになる.UAGコドンを持つ7つの必須遺伝子に関して,UAA終止コドンに置換することで発現を補償させたが,RF-1欠損を相補できなかった.しかし更にサプレッサーtRNAを発現させることで,prfAのノックアウトに成功した.おそらくC末端が伸びた異常タンパク質群が,ある程度の活性を維持しているものと思われる.従って,tRNAとprfAの変異を合わせ,わずか9つの点変異によってUAGコドンが再割当されうる.つまり標準遺伝暗号は非常に変化しやすいが,大腸菌にとって生存上のメリットがなく,実際には集団に根付かない.しかし非天然型アミノ酸が有用であれば,非標準遺伝暗号を持つに至る可能性がある.

審査要旨 要旨を表示する

大腸菌からヒトに至るまで,知られている全ての生物種は,基本的に同じ遺伝暗号を受け継いでいる.これは,全ての生物種が同じ祖先から分岐したことを意味する.しかし細部においては,標準遺伝暗号からのずれが見られることがある.進化の方向性として,タンパク質を構成するアミノ酸レパートリーの拡張と,ゲノムレベルでのコドンの再定義がある.遺伝暗号が変化するためには,2つの要因が存在する.1つは,ゲノム全体におけるコドン使用状況の変化であり,もう1つは,コドンを解読する因子の変化である.前者はゲノム情報の比較・解析がなされ,後者は実験的にも解析されてきたが,いずれも,過去に標準遺伝暗号からずれるに至ったメカニズムが研究の対象であった.

生物種が通常のタンパク質合成に使用している20種類のアミノ酸に加え,非天然型アミノ酸を組み込むことで,翻訳後修飾された天然タンパク質の機能の再現や,自然界には存在しえない化学的性質を付与することを目指した研究が行われてきた.この手法は,まず大腸菌を用いて達成され,その後,哺乳類培養細胞,酵母でも可能になっている.特に,終止コドンの1つであるUAGコドンを上書きして翻訳させる方法が一般的である.

論文提出者は,現在の,標準遺伝暗号を持つ生物種における遺伝暗号の可塑性について興味を抱き,標準遺伝暗号からの逸脱が特殊な生物種に限定されるかどうか,遺伝暗号の変化を可能にするメカニズムや,妨げる要因,更には,人為的な,工学的な目的への応用の可能性について答えるべく,研究を行った.

本論文は序章と総合討論を含めた6章からなる.序章は,研究の背景と目的について述べられている.第2章は,メタン生成古細菌Methanosarcina mazei由来のtRNAPylとピロリジルtRNA合成酵素(PylRS)の,哺乳類培養細胞への移植について述べられている.論文提出者は,PylRS・tRNAPylペアが,真核生物種においても遺伝暗号を拡張することを初めて実証し,その仕組みを考察した.アミノ酸・アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)・tRNA間の相互作用の様式が,未だ飽和していないことを見出した意義が大きい.

第3章は,昆虫培養細胞の遺伝暗号拡張について述べられている.論文提出者は,Drosophila melanogaster,Bombyx mori,Trichoplusia ni由来の培養細胞において,第2章で開発したU6プロモーターによる外来tRNAの発現系を採用し,UAGを3-ヨードチロシンとして翻訳することに成功した.哺乳類細胞とは異なり,昆虫のU6プロモーターは種特異性が非常に高く,更にtRNAの転写様式にも好みがあることを報告している.真核生物の遺伝暗号を拡張する上での方法論を確立し,更に問題点や課題を明らかにした点が,高く評価できる.

第4章と第5章は,UAGを終止コドンからセンスコドンへ再定義する方法と意義について述べられている.論文提出者は,大腸菌においてUAGコドンを認識する翻訳解離因子RF-1を除去する条件を発見し,UAGコドンをグルタミンや,3-ヨードチロシンなどの非天然型アミノ酸へ再定義することに成功した.UAGコドンを終止コドンに持つ7つの必須遺伝子とsucB遺伝子について,別の終止コドンに置換し,UAGを翻訳する高効率なサプレッサーtRNAを発現させておくことで,RF-1をコードするprfA遺伝子をノックアウトしている.これは,標準遺伝暗号が,現代の生物種においても,容易に進化しうることを示し,実験室における遺伝暗号の進化実験を可能にした,最初の研究報告である.

総合討論は,UAGコドンの柔軟性,遺伝暗号の可塑性,更に応用研究の展望について述べられている.UAGコドンの柔軟性については,UAGの異常な翻訳に対するプロテオームの攪乱効果が,致死的でない理由を議論した.遺伝暗号の変化については,従来は非常に長い時間がかかるものと考えられていたが,必要最小限の同義置換が蓄積することで,翻訳因子の変化による偶発的なコドン再定義が可能になり,その後,同義置換が非常に速く蓄積していくという,新しい進化経路を提唱した.応用研究については,複数残基が非天然型アミノ酸に置換されたタンパク質の進化工学を提案した.

なお,本論文は,東京大学の横山茂之教授,理化学研究所の坂本健作博士,小林隆嗣博士,樋野展正博士,柳沢達男博士,脇山素明博士,佐藤文博士,並びに,伊良波史枝氏,松元(林)明子氏,大竹和正氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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