学位論文要旨



No 126748
著者(漢字) 大森,紹仁
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,アキヒト
標題(和) 祖先型棘皮動物ウミユリ類の前後軸および神経系の進化に関する研究
標題(洋) Anterior-posterior axis formation and nervous system development in crinoids; implications for evolution of the echinoderm bodyplan
報告番号 126748
報告番号 甲26748
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5693号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤坂,甲治
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 准教授 平良,眞規
 東京大学 准教授 吉田,学
内容要旨 要旨を表示する

棘皮動物は幼生では左右相称、成体では五放射相称の形態を示す新口動物の一群である。幼生、成体ともに明確な頭部構造をもたず体の前後軸も不明瞭であるため、その体制が左右相称動物からどのように進化して獲得されたのかについては大いに議論の余地が残されている。

進化発生学の研究においては、棘皮動物の代表として主にウニが用いられてきており、後生動物で広く機能が保存されている中枢神経系や感覚器官の形成にかかわる遺伝子はウニのゲノムにも存在することが明らかになっている。しかし、ウニの起源は比較的新しく、派生的である。

棘皮動物の一種であるウミユリ類は、神経節を含む反口側神経系をもつなど、現生棘皮動物の中で最も祖先的な形態的特徴を示す(図1)。これらの形態的特徴はウミユリ類以外の棘皮動物(ウニやヒトデ)では進化の過程で失われているため、ウミユリ類の研究は棘皮動物を含めた新口動物の形態の進化を研究する上で不可欠といえる。しかし、飼育や産卵誘起が困難であるなどの理由により、ウミユリ類を用いた進化発生学的な研究は限定的であった。私は中枢神経系や感覚器官の形成にかかわる遺伝子のウミユリ類における発現パターンを解析し、他の新口動物と比較することにより、棘皮動物の体制が新口動物の共通祖先からどのように進化したかについての重要な知見が得られると考え、有柄ウミユリ類トリノアシ(Metacrinus rotundus)、およびウミシダ類ニッポンウミシダ(Oxycomanthus japonicus)の2種のウミユリ類を用いて、以下の研究を行った。

1.私は浮遊幼生における色素の沈着が少なく、遺伝子発現パターンを解析しやすいトリノアシを最初の研究対象とした。トリノアシは水深150mほどに生息するため、採集および飼育が困難であり、産卵・発生させた例も少なかったため、まず初めに産卵誘起刺激の探索と発生条件、飼育環境の検討を行った。その結果、成熟個体に適当な物理的刺激を加えることによってトリノアシの産卵を誘起することに世界で初めて成功した。また、発生に用いる容器や海水を最適化することにより、これまでにわずか数例しか知られていなかった有柄ウミユリ類の開口幼生を多数得ることにも成功した(図2)。

2.トリノアシにおける遺伝子発現解析の手法に改良を加え、脊椎動物では頭部神経系の前後領域化に関わるホメオボックス遺伝子であるSix3, Pax6, Otxの発現解析を行った。その結果、これらの遺伝子がトリノアシ浮遊幼生において内中胚葉前方で前後軸に沿って並んだ発現パターンを示すことを見出した。また、先行研究によるトリノアシHox遺伝子群の発現パターンとこれらの遺伝子の発現パターンの比較により、Six3, Pax6, Otx, およびHox遺伝子群がトリノアシ浮遊幼生において内中胚葉全体の前後領域化に関わることを示した(図3)。この結果は、これらの遺伝子の神経系の領域化に関する機能が棘皮動物幼生では大きく改変されていることを示唆する。なお、このようにSix3, Pax6, Otx, およびHox遺伝子群が胚葉全体の領域化に関わる例は、ウニやヒトデでは報告されていない。

3.トリノアシでは開口幼生以降の発生に成功していないため、成体神経系についての解析ができない。一方、ニッポンウミシダは発生を通して色素の沈着が多く、遺伝子発現パターンの解析が難しいが、当研究室の先行研究により成体までの飼育に成功している。そこで、私はニッポンウミシダを用いて成体神経系について解析するために発現解析の手法を開発した。Six3, Pax6, Otxの発現解析を行った結果、ニッポンウミシダ座着幼生と幼体においてこれらの遺伝子がウニやヒトデなどにも存在する管足や口側神経系で発現することを確認した。一方、ウミユリ類のみがもつ祖先的形質の反口側神経系ではPax6とOtxが発現しないことを明らかにした(図4)。なお、ウミユリ類では反口側神経系が運動の統合にかかわることが先行研究で明らかになっている。

これらの研究成果、および棘皮動物の組織構造や行動に関する先行研究の知見より、私は棘皮動物の神経系の進化について以下の仮説を提唱する。

・棘皮動物では、ホメオボックス遺伝子群の前後領域化の機能が浮遊幼生の内中胚葉に限定されることにより、頭部構造を作ることができず体制が大きく変化した。

・棘皮動物の共通祖先では口側神経系が感覚神経系、反口側神経系が運動神経系として存在しており、ウミユリ類は進化の過程で獲得した多数の腕の運動を統合するために反口側神経系および神経節を利用した。一方、ウニやヒトデでは体制がより単純化したことで感覚、運動両神経系を口側神経系に統合し、反口側神経系が退化した。

図1: ウミユリ類(A)とウニ(B)の神経系の比較。ウニでは神経節(ganglion)を含む反口側神経系(aboral nervous system)が失われている。

図2: 本研究によって得られたトリノアシ開口幼生

図3: トリノアシ浮遊幼生におけるSix3, Pax6, Otxの発現。Whole-mount in situ hybridizationにより遺伝子発現部位を可視化した後、切片を作成し、Nuclear Fast Redによる対染色を施して観察した。右列の図は本研究で解析した遺伝子、および先行研究によるトリノアシHox遺伝子の、各発生段階における発現パターンを模式化したものである。原腸の前方から中間付近でSix3、前方でPax6、中間付近でOtxが発現し、Pax6とOtxの発現部位がそれぞれ軸水腔と腸嚢に分化するため、これらの遺伝子は内胚葉の前後領域化に関わると考えられる。ar: 原腸, a.hc: 軸水腔, es: 腸嚢, sc: 体腔. scale: 100 μm.

図4: ニッポンウミシダ幼体におけるSix3, Pax6, Otxの発現。Whole-mount in situ hybridizationにより遺伝子発現部位を可視化した後、切片を作成し、Nuclear Fast Redによる対染色を施して観察した。右図は本研究で解析した遺伝子の発現パターンを模式化したものである。A-C: 腕の矢状断面(模式図、赤点線で囲った範囲を切断)、口(mouth)および肛門(anus)のある側を上として配置。D-F: 冠部の水平断面(模式図、青点線の面で切断)。これらの遺伝子は管足(podia, p)で発現し(A-C)、Six3は反口側神経中枢(aboral nerve center, a.nc)でも発現が見られるが(D, 矢じり)、Pax6, Otxは反口側神経中枢では発現しない(E, F)。*はプローブの非特異的な結合による着色である。scale: 100 μm.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、ウミユリ類トリノアシの産卵誘起法について、第2章は、後生動物の前方領域化・中枢神経系の形成に保存的機能をもつ5ix3,Pax6,0txの発現パターンと棘皮動物の幼生における前後軸の進化にっいて、第3章は、論文提出者が開発したウミユリ類ニッポンウミシダにおける遺伝子発現パターンの解析手法と、その手法を用いた5ix3,Pax6,0txの発現、棘皮動物の成体神経系の進化について述べられている。第2章は、黒川大輔、雨宮昭南、赤坂甲治(敬称略)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。なお、共著者の黒川大輔は実験手法のアドバイス、雨宮昭南は実験動物の採集協力、赤坂甲治は研究全体の指導を担当した。

棘皮動物は左右相称動物の中で唯一、頭部構造をもたないため、体軸について議論が多かった。従来は、棘皮動物のモデルとして実験に用いやすいウニが用いられてきたが、ウニは派生的な棘皮動物であり、モデル動物とはいいがたい。ウミユリ類はウミユリ類以外の棘皮動物が失った神経節と発達した反口側神経系を保持しており、神経節が頭部中枢神経系に相当すると考えられてきた。祖先的形質を有するウミユリ類の研究が待たれていたが、飼育が困難で、人工的な産卵誘起の方法がないなどの問題があり、研究は限定的であった。遺伝子の発現解析に主眼をおいた研究は、僅かにトリノアシの初期幼生期における数種類のHox遺伝子の発現解析(Hara et al.,2006)のみである。

本研究は、以下のような新規性と意義をもつ。

1.生殖期にあるトリノアシに、一定の機械的刺激を与えることで産卵を誘起させることに成功した。これにより、採卵機会を大幅に増やすことができるようになり、今後のトリノアシを用いた発生学研究の発展に大きく貢献すると期待される。

2.ウミユリ類の遺伝子の空間的発現パターンの従来の解析法は、シグナル強度、解像度に問題があった。論文提出者は固定試料の処理方法を改良するとともに、連続切片を作成することにより、発現パターンを細胞レベルまで詳細に解析する方法を開発した。初期発生期の幼生から変態を経て成体と同じ形態の幼体に至るまでの遺伝子発現パターンの解析例はウニにおいてもほとんどなく、本研究で開発した実験手法は今後の棘皮動物全般における進化発生学研究において有用な研究手法と期待される。

3.本研究により、前方の領域化の保存的役割をもつとされるHomeobox遺伝子Six3,Pax60txがトリノアシ、ニッポンウミシダにおいて、浮遊幼生の内中胚葉の前後軸に沿った領域化に関わることが明らかになった。先行研究におけるトリノアシHox遺伝子の発現解析では、内中胚葉後方から分化する一器官での発現を確認しているのみであり、他の棘皮動物においても浮遊幼生期の胚葉全体の領域化に関わる例は報告されていない。Homeobox遺伝子群が棘皮動物浮遊幼生の内中胚葉全体の前後領域化に関わることを示したのは本研究が初めてであり、学術的な意義は大きい。

4.ウミユリ類の中で唯一、幼体期までの発生過程を実験的に解析することが可能なニッポンウミシダを用いて、前方領域化・中枢神経系の形成に保存的機能をもつSix3,Pax6,0txの発現パターンを解析した研究では、幼体ではSix3,Pax6,0txは神経系で発現するものの、前方領域化との明瞭な関連がないことを明らかにした。これにより、棘皮動物が進化の過程で分岐した段階で頭部構造を失ったことが示唆された。棘皮動物の中でウミユリ類のみが、神経節を含む反口側神経系を有し、神経節が頭部神経中枢に相当するという議論があったが、Six3,Pax6,0txは神経節及び反口側神経系では発現していないことを明らかにし、神経節は脳に相当しないことを明確に示した。また、口側神経系は感覚神経系、反口側神経系は運動神経系に相当することを示唆した。ウミユリ類以外の棘皮動物は反口側神経系を退化させており、口側神経系が感覚と運動をつかさどるが、ウミユリ類では感覚と運動の神経系に分かれている。本研究により、ウミユリ類以外の棘皮動物は進化の過程で、感覚と運動の神経系を口側神経系に統合したことが示唆された。

本研究により、従来は研究することができなかった祖先型棘皮動物ウミユリ類を実験動物とする手法が開発され、ウミユリ類を用いた実験を可能にした。また、本研究は、その手法を用いて後生動物の頭部形成、中枢神経系に広く保存された機能をもつSix3,Pax6,0txが、ウミユリ類の幼体の体軸に沿ったパターン形成にかかわり、成体と同じ形態の幼体では神経系の形成にかかわることを世界で初めて示し、特異な形態のため不明な点が多かった棘皮動物の体軸、神経系の理解に大きく貢献した。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク