学位論文要旨



No 126749
著者(漢字) 蒲原,祐花
著者(英字)
著者(カナ) カンバラ,ユカ
標題(和) ウニ精子におけるカルシウム依存性機械受容反応の制御機構
標題(洋) Mechanism regulating Ca2+-dependent mechanosensory behaviour in sea urchin spermatozoa
報告番号 126749
報告番号 甲26749
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5694号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 准教授 吉田,学
 筑波大学 教授 稲葉,一男
 名古屋大学 教授 北島,健
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

真核生物において, 筋収縮や鞭毛・繊毛運動,神経情報伝達をはじめとするさまざまな細胞機能の制御に,カルシウムが重要な役割を果たしている.しかし,その制御機構については不明な点が多く残されている.繊毛・鞭毛は,細胞の遊泳や物質輸送に必要な推進力を生み出すだけでなく,外部からの刺激を受容し反応する特性を持つ.クラミドモナスの走光性や精子に見られる走化性は細胞体が光や卵からの誘因物質を刺激として受容し,鞭毛運動変化を起こすことによって誘導される.これらはカルシウム依存性反応である.カタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)では,精子の運動は誘引物質であるSAAFの濃度勾配に依存して変化し,SAAF濃度が低い領域に精子が侵入すると細胞内カルシウム濃度が一時的に上昇し,遊泳方向が変化することが知られている(Shiba et al., 2008).遊泳方向の変化は,精子鞭毛の波形の非対称性が変化することによって起こされるが,細胞内カルシウム濃度変化による遊泳方向制御の全容はまだ明らかにされていない.

カルシウム依存性の鞭毛・繊毛反応は,機械刺激によっても引き起こされる.これまでに,ムラサキイガイ(Mytilus edulis)のエラの繊毛,ゾウリムシ(Paramecium caudatum),クラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii),ウニ精子において機械受容反応の報告がある.ゾウリムシは,遊泳中にその細胞前端部が障害物に当たると一時的に繊毛打が逆転し,細胞体の遊泳方向が変わり,いわゆる逃避反応(avoiding reaction)を示す(Naitoh & Kaneko, 1972).クラミドモナスでは,細胞体全体に振動を与えると,鞭毛打頻度が上昇し遊泳速度が上がる(Wakabayashi et al., 2009).ウニ精子では,頭部先端への機械刺激により一時的に鞭毛運動が停止する(Shingyoji & Takahashi, unpublished).これらの機械刺激により誘導されるカルシウム依存性の鞭毛・繊毛運動の変化についても,細胞内カルシウム動態の制御およびカルシウム依存性の鞭毛・繊毛運動の制御の全容は明らかにされていない.

本研究では,ウニ精子におけるカルシウム依存性機械受容反応に着目し,この反応の特性を明らかにするとともに,カルシウム流出入に関わる膜タンパク質等を明らかにすることにより,カルシウム動態制御のメカニズムを解明することを目指した.

ウニ精子でカルシウム流出入に関わる膜タンパク質としては,カルシウムの流入に関わる T型とL型の2種類の電位依存性カルシウムチャネル(Darszon et al., 2006)が知られている.カルシウム排出については,主に頭部の細胞膜に存在すると報告されているPlasma membrane Ca(2+)-ATPase(PMCA)と鞭毛の細胞膜に存在するとされているK+-依存性Na+/Ca(2+) exchanger(NCKX)が関わり,これらの連携により細胞内のカルシウム濃度は常に低く保たれていると考えられているが,そのメカニズムは不明である(Su & Vaquier, 2002).さらに最近発見されたウニ精子細胞膜に特異的なシアル酸含有糖タンパク質flagellasialinもカルシウム流出入の制御に関わるとされているが,その機能は明らかではない(Miyata et al., 2004, 2006).本研究では,これら関連タンパク質等の阻害剤および抗体を用いることにより,ウニ精子の機械受容反応におけるカルシウム動態制御のメカニズムの一端を明らかにした.

[材料と方法]

アカウニ(Pseudocentrotus depressus)とバフンウニ(Hemicentrotus pulcherrimus)の精子を用いた.

機械受容反応の誘導と記録・解析

スライドガラスとカバーガラス,およびスペーサーとして厚さ1mmのシリコンシートを用いてチャンバーを作り,チャンバー内はフォルムバール処理を行った.このチャンバー内に海水に希釈した精子を入れ,水圧式マイクロマニピュレーターに取付けたガラス微小針を操作して,精子頭部に微小針を当てた.精子の運動は,ストロボ照明を組み込んだ位相差顕微鏡で観察し,高速度カメラでデジタル画像としてコンピューターに記録し(200 fps),繊毛・鞭毛運動波形解析用ソフトウェアBohbohを用いて解析した.

カルシウムイメージング

上記の位相差顕微鏡で用いたLEDストロボ照明装置を蛍光顕微鏡に応用し,カルシウムインジケーターであるFluo-4 AM体を精子に取り込ませ,機械刺激に反応した精子のカルシウム濃度変化を波形変化と対応させて解析した.

阻害剤・抗体実験

暗視野顕微鏡下で実験を行った.機械受容チャネルの阻害剤であるガドリニウム(Gd(3+)),電位依存性カルシウムチャネルの阻害剤としてverapamilとコバルト(Co(2+)),カルシウム排出に関わるとされるPMCAの阻害剤の5(6)-carboxyeosin(CE),およびNCKXの阻害剤のKB-R7943を用いた.さらに,flagellasialinのモノクローナル抗体である3G9と4F7を用いた.

[結果と考察]

(1) 機械刺激に対する反応

10mMカルシウムを含む人工海水に希釈したウニ精子は,ガラス面近くでは直径約50 μmの円を描くように遊泳する(CB).ガラス微小針を遊泳軌跡中に差し入れ,精子頭部先端に垂直に針を当てると,精子は約1秒間鞭毛停止反応を示した(Q).その後,直線的な軌跡で遊泳(S)を再開し,その後再び円を描くような遊泳(CA)に戻った.このようにして精子は,障害物を避けるという逃避反応を示した(Fig. 1A).この一連の反応はカルシウム依存性で,カルシウム濃度が10mMでは100%,1mMでは5.4%の精子が逃避反応を示した.0mMでは,機械刺激による遊泳方向の変化は起こらなかった(Fig. 1B).以下では,10mMカルシウム存在下で機械刺激により誘導される一連の反応(CB-Q-S-CAと表す)に着目して実験を行った.

(2) 波形変化

機械刺激を与える前のウニ精子の屈曲波形は,屈曲がより大きいPrincipal bend(P-bend)と,より小さいReverse bend(R-bend)からなる.機械刺激による鞭毛停止反応後の直進遊泳時には,R-bendの屈曲がP-bendの大きさに近づく結果,鞭毛波形はより対称性を増し,遊泳軌跡が直線的になることが明らかとなった.

(3) 細胞内カルシウムの可視化

機械受容反応中の細胞内カルシウム濃度の変化を解析した結果(Fig. 2:カルシウム濃度の変化を青から赤までの疑似カラーで表す),円を描いて遊泳している1の状態ではカルシウム濃度は低く,2で頭部が針にぶつかるとカルシウム濃度は急激に上昇し,鞭毛停止反応を示す3の状態では最大になった.その後徐々に低くなるが,直進遊泳をしている5の状態ではまだ定常状態より高い.

(4) カルシウム流入制御

機械受容チャネルの阻害剤であるガドリニウム(Gd3+)20-30μM存在下では,通常機械刺激により誘導される鞭毛停止反応が一部の精子では起こらず,40μMではすべての精子で停止反応は阻害され,精子は遊泳を続けた(Fig. 3A).また,L型の電位依存性カルシウムチャネルの阻害剤であるverapamil(0.1mM)やコバルト(3mM Co2+)存在下でも,機械刺激による停止反応は誘導されなかった(Fig. 3B).これらの結果から,機械刺激による鞭毛停止反応には,機械受容チャネルとL型電位依存性カルシウムチャネルが連動して関与すると推測される.

(5) Ca2+-ATPaseとK+-依存性Na+/Ca2+ exchangerの役割

カルシウム排出に関わると予想されるPMCAの阻害剤5(6)-carboxyeosin (CE)とNCKXの阻害剤であるKB-R7943の効果を調べた.1μM CE存在下では,機械刺激により鞭毛停止反応が誘導された後,円軌跡を描く遊泳となり(CB-Q-CA),通常停止反応後に見られる直進遊泳は起こらなかった.CE濃度を上げると機械刺激による鞭毛停止反応を示したままで運動を再開しないもの(CB-Q)の割合が増加した(Fig. 3C).一方,1-1.5μM KB-R7943存在下では,機械刺激による鞭毛停止反応後の直進遊泳が長くなり,再び円軌跡に戻ることなく鞭毛がまっすぐになって運動を停止した(CB-Q-S) (Fig. 3D).以上の結果から,機械刺激による鞭毛停止からの運動再開にはPMCAが,直進遊泳から円軌跡を描く遊泳に戻る過程にはNCKXがそれぞれ関わる結果,細胞内カルシウム濃度が減少することが示唆された.

さらに,CEとKB-R7943共存下では各阻害剤単独で見られる反応のタイプがすべて現れた(Fig. 3E)ことから,PMCAとNCKXの活性は細胞内カルシウムの絶対濃度により切り替わるように制御されているのではないと推測される.

(6) Flagellasialinの役割

ウニ精子の細胞膜に特異的に存在するα-2,9結合ポリシアル酸糖タンパク質flagellasialinは,細胞内カルシウム濃度調節に関与すると考えられている.Flagellasialin糖鎖部分のモノクローナル抗体である4F7(0.5μg/ml)を海水中に加えて約3分後から精子の鞭毛打は不規則となり,遊泳軌跡が乱れた.運動を完全に停止するまでの10分間に機械刺激を与えると,鞭毛停止反応を示したまま運動を停止する(CB-Q)というCE存在下と似た反応が見られた(Fig. 3F).この結果は,鞭毛停止反応後の運動開始には,flagellasiaslinの関与するCa排出機構が関与することを示唆する.

遊泳中の精子は,4F7やCE存在下ではquiescenceを示して運動を停止(CB-Q)し,KB-R7943では直線状で停止(CB-Q-Sの後に起こると予想される停止)したが,興味深いことに,verapamilの共存下では停止せずに通常の鞭毛運動が持続した.このことは,定常状態の遊泳中においても細胞内カルシウム濃度調節が行われており,その調節機構には,電位依存性カルシウムチャネルを介したカルシウムの流入と,PMCA, NCKX, flagellasialinの関与するシステムによるカルシウム排出が関わると推測される.

[まとめ]

本研究では,ウニ精子におけるカルシウム依存性機械受容反応に着目し,この反応の特性,およびカルシウム流出入に関わる膜タンパク質等を明らかにすることにより,カルシウム動態制御のメカニズムを解明することを目指した.その結果,精子頭部の機械刺激により,鞭毛運動の一時停止とそれに続く対称性の増大による直進遊泳,それに続く円軌跡を描く遊泳の回復という一連の特徴ある反応が誘導されることを見出した.この反応中の細胞内のカルシウム動態と阻害剤等の効果の解析から,鞭毛停止反応時には細胞内カルシウムの一時的な上昇が起こり,直進遊泳時には徐々に下がるが定常状態より高いままであること,鞭毛停止反応には機械刺激受容チャネルとL型の電位依存性のカルシウムチャネルが連動して関与すること,鞭毛停止反応後のカルシウム排出は,PMCA,NCKX,およびflagellasialinの関わる新たな系が相互に関与しあいながらカルシウム濃度を制御していることが明らかとなった(Fig. 5).

カルシウム排出にPMCA,NCKX,flagellasialinの関わる新たな系がどのように関わるのかは今後の課題である.また,直進遊泳時に対称波を作り出すメカニズムの解明が待たれる.

Fig.1 機械刺激前後の精子頭部の描く軌跡の変化

Fig.2 機械受容反応中の細胞内カルシウム変化

Fig.3 機械受容反応における阻害剤・抗体の影響

Fig.4 カルシウム依存性機械受容反応モデル

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、目次(Contents)、謝辞(Acknowledgments)、要旨(Abstract)、略語(Abbreviations)、序章(Introduction)、方法(Materials and Methods)、結果(Results)、考察(Discussion)、参考文献(References)、図と図の説明(Figures and Legends)から構成されている。

真核生物の鞭毛・繊毛は、細胞体の遊泳や物質の移動に関わり、流れの推進力を生み出す運動装置として働く。さらに、鞭毛・繊毛は外界からの刺激に応じて運動方向を制御する機能を持ち、この制御にカルシウムが重要な役割を果たす。このカルシウム依存性鞭毛反応の制御機構については古くから研究がなされ、なかでもゾウリムシが障害物にあたった時に遊泳方向を変える回避反応は、詳しく解析されている。それによれば、機械刺激によって生じた細胞膜の脱分極が引き金となり、細胞内カルシウム濃度が増大し、その後減少する。この変化に応じて繊毛打の方向が変化する結果、細胞体の遊泳方向が変化する。ウニ精子でも頭部先端への機械刺激により一時的に鞭毛運動が停止するとの報告がある。しかし、これらの機械刺激により誘導されるカルシウム依存性の鞭毛・繊毛運動の変化について、細胞内カルシウム動態の制御およびカルシウム依存性の鞭毛・繊毛運動の制御の全容は明らかにされていない。

本論文は、ウニ精子におけるカルシウム依存性機械受容反応に着目し、この反応の特性を明らかにするとともに、カルシウム流出入に関わる膜タンパク質等を明らかにすることにより、カルシウム動態制御のメカニズムを解明することを目指した。このためには、カルシウム依存性の鞭毛反応を誘導できる実験系の確立がまず必要であった。本論文では、遊泳中のウニ精子で機械受容反応を誘導する実験系の確立に成功し、さらに、この反応が規則性のある反応であるという特性を利用し、膜を介したカルシウム動態の解析を実現し、大きな成果を得た。結果は7つの節から構成されている。第1節では、遊泳中のウニ精子を用いて、規則的な一連の機械受容反応の誘導に成功している。この論文の独創的な点の一つは、精子のいわゆる回避反応を発見し、その特性を記載した点にある。第2節では、誘導される鞭毛波形の曲率の変化から、未だ解明されていないカルシウムによる鞭毛の対称性の高い波形の特徴について論じている。第3節では、一連の機械受容反応における細胞内カルシウム濃度変化をカルシウム可視化実験から明らかにし、対称波を生み出すカルシウム濃度の条件が、これまでの説とは異なり、正常遊泳時より高いことを示している。第4節~第6節では、一連のカルシウム依存性機械受容反応の規則的波形変化と遊泳方向変化を指標として、カルシウムの流入と排出とに関わる膜タンパク質の特定とその特性解析を種々の阻害剤等を用いて実現し、カルシウム動態の全容をほぼ明らかにしている。鞭毛運動中の精子においてカルシウム動態に関わる膜タンパク質がどのタイミングで働くかを明らかにしたのは、本論文の快挙である。明らかになった主な点は、頭部先端の機械受容チャネルの機械刺激による活性化、これに続く電位依存性カルシウムチャネルを介したカルシウムの流入、この結果として鞭毛は停止反応を示す。この後、カルシウム濃度は、Plasma membrane Ca2+-ATPase(PMCA)とK+-依存性Na+/Ca2+ exchanger(NCKX)の活性化により、徐々に減少し、運動を再開した鞭毛は一時的に対称波での直進遊泳を示し、その後、非対称波による通常の遊泳へ移行する。シアル酸鎖を持つ糖タンパク質のFlagellasialinもこの排出過程に関わることが明らかにされた。第7節では、カルシウムの流入と排出とに関わる膜タンパク質が、機械受容という特定の条件下のみならず、通常の精子遊泳中にもカルシウムの流入と排出を制御している可能性を提示している。これらの結果は、ウニ精子を用いて、カルシウム依存性機械受容反応の制御機構の一端を明らかにしたものであり、鞭毛運動のみならず細胞膜を介した機械受容反応性の制御およびカルシウム動態の機能解析という視点からも重要な情報を提供している。

以上のように、本論文の成果は、カルシウム依存性機械受容反応の制御機構解明に向けて多くの示唆に富む知見を示したものである。

なお、本論文の一部については、柴小菊博士、吉田学博士、佐藤ちひろ博士、北島健博士、真行寺千佳子博士と共同で行ったものであるが、論文提出者が主体となって実験・解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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