No | 126750 | |
著者(漢字) | 熊谷,真彦 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クマガイ,マサヒコ | |
標題(和) | アジア栽培イネの進化史に関する分子遺伝学研究 | |
標題(洋) | Molecular Genetic Study on Evolutionary History of Asian Rice | |
報告番号 | 126750 | |
報告番号 | 甲26750 | |
学位授与日 | 2011.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5695号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 農耕・牧畜の獲得はヒトの歴史において非常に重要である。穀物の栽培化により安定した栄養源の確保が可能となり、それにより人口増がおこり文明の発達に繋がってきた。アジア地域においてはイネが主要な穀物の一つとして栽培されてきた。イネは現在、世界人口の半数以上の人々の栄養源となっている。アジアの栽培イネOryza sativaの栽培化は約1万年前に始まったと考えられている。この栽培イネの歴史はヒトの農耕文化および食物利用の歴史の観点から人類学的に非常に興味深い。特に東アジアにおける稲作農耕の起源、伝播の歴史は大きな注目を集めている。また同時に、栽培種の進化史を研究することは生物進化を考える上でも重要である。 O. sativaはjaponicaとindicaの2亜種に大別される。近年、様々な中立的な分子マーカーを用いた研究から、japonicaとindicaは野生祖先種O. rufipogonの異なる地域の遺伝子プールを起源とすることが示唆され、両者の分岐は少なくとも20万年以上前に遡ると推定されている。しかし両者は栽培化に関係する遺伝子で同じalleleを共有しており、またゲノムワイドなマイクロサテライトの解析から祖先系統の部分的な共有、もしくは近年の遺伝子交流が示唆されている。このように両者の栽培化は完全に独立ではなかった可能性も指摘され、現在も議論が続いている。 他方、アジアの様々な地域の遺跡から古代のイネ遺存体"炭化米"が出土している。この炭化米DNAを分析することが出来れば、栽培化過程をより直接的に明らかにすることができる。すなわち、過去のいつ、どこに、どのようなイネがあったのかという情報を得ることが出来ればヒトのイネ利用の歴史、およびイネの進化史について時間的、空間的に理解することができる。損傷を負っている古DNA分析には多コピーである葉緑体DNAが有用であるが、リファレンスとなるイネの葉緑体DNAに関するデータは非常に貧弱であるという問題点がある。また、先行研究で用いられたDNAマーカーでは炭化米の亜種(japonica、indicaもしくは野生イネ)を信頼性高く同定することはできない。そこで本研究ではアジアにおけるヒトのイネ利用の歴史および栽培イネの進化史の一端を明らかにすることを目的とし、現生の野生イネ、栽培イネを用いて炭化米DNA分析のためのリファレンスデータを作成し、その結果を基に開発した新規DNAマーカーを用いて炭化米のDNA分析を行った。また最近、栽培化に関連した形質の原因遺伝子の同定が進んでいる。これらの栽培化関連遺伝子を用いた系統地理的解析を行うことでも栽培化過程に関する知見を得られることが期待されている。そこで、核DNAコードの栽培化関連遺伝子Rc、qSW5を用いた系統地理的解析を行った。 1. 葉緑体多変異領域の分子系統解析(1章・2章) 葉緑体DNAは進化速度が核の約1/10と遅い。したがって、非常に近縁な種間や種内の系統解析を効率的に高解像度で行うためには進化速度の速い領域を用いる必要がある。そこで、公共データベースに登録されたjaponica、indicaおよびO. rufipogonの葉緑体ゲノム配列の比較解析を行った。その結果、葉緑体ゲノム中で変異の多数蓄積している領域を発見した。まずこれらの領域のうち、最も変異の蓄積の見られた3領域約1800bpの配列を用いて、Oryza属全体の21種について分子系統解析を行った。次にこの領域にさらに3領域を加えた約5kbを用いて現生イネjaponica、indica、O. rufipogon 214系統について分子系統解析を行ったところ、十分な解像度で系統関係が得られた(図1)。これにより、炭化米DNA分析を信頼性高く行うためのリファレンスが作成された。作成した系統ネットワークでjaponicaは単系統性を示し99%がクラスターJに属した。他方、indicaは多系統性(クラスターG, I, JとR)を示し多様な母系祖先を持つことが明らかとなった。japonica、indicaとO. rufipogonの地域集団、すなわち東アジア、南アジア、東南アジア大陸部、東南アジア島嶼部の集団について、遺伝的な分化を示すFst 値を求め、その値からneighbor-joining法により系統樹を作成した。その結果、japonicaは非常に大きく分化していたが東アジア集団と近縁関係を示し、indicaはその他の集団と近縁であった。これは核の中立遺伝子を用いた先行研究の結果を支持するものである。 2. 炭化米DNA分析(3章) 1.で得られた葉緑体DNAリファレンスデータから、99%のjaponicaが属するクラスターJおよび、72%のindicaが属するクラスターIaを決定する2サイトを用いて炭化米DNA分析を試みた。試料は日本の中世の陣ヶ峯遺跡、弥生時代の唐古・鍵遺跡、朝鮮半島の楽浪郡(BP2200-2000)、泗川里遺跡(BP2800-2700)から出土した炭化米を用いた(図2、表1)。炭化米1粒ずつからDNAを抽出し、PCRダイレクトシークエンス法により配列を得た。その結果、陣ヶ峯遺跡、唐古・鍵遺跡ではクラスターJおよび、J以外が、楽浪郡ではIaとJ以外、泗川里ではJが見られた。このことから、日本では中世、弥生時代共にjaponicaとjaponica以外(indica?)の系統を栽培、もしくは交易により得ていたことが示唆された。日本では赤米と呼ばれる品種を栽培していた記録が飛鳥時代(BP1500)まで遡れる。赤米にはjaponicaとindica系統両タイプがあるが、弥生時代にindica系統の赤米を栽培していた可能性も十分考えられる。また、朝鮮半島では中部の楽浪郡ではクラスターJは検出されず、Iaが見られた。他方約600年遡った南部の泗川里からは1粒のみではあるが、クラスターJがみられた。現在は日本、朝鮮共にjaponicaを主に栽培しているが、過去にはjaponicaと同時に異なる品種、おそらく indicaも利用していたことが強く示唆された。 3. 栽培化関連遺伝子RcおよびqSW5を用いた系統地理(4章) 近年、栽培化関連遺伝子が多数同定されてきている。本研究では先行研究においてjaponicaの栽培化の初期に栽培型変異(機能欠失型)が獲得されたと考えられている遺伝子RcとqSW5に着目し、前述のサンプルセットを用いて系統地理的解析を行った。Rc遺伝子は米の白色化に関わっている。bHLHドメインを持つタンパク質をコードするこの遺伝子のexon 6に生じた14bpの欠失がbHLHドメインを壊し、機能を失わせることにより米が白色になる。また、同じexon 6に未成熟終止コドンを生じさせるC→AのSNPを持つalleleも米を白色化することが知られている。qSW5遺伝子は米粒の幅に関連している。ORFを含む領域に生じた1.2kbの欠失は包頴の細胞数を増加させることにより、米粒の幅が広がり、収量が増加する。 これらの遺伝子について、機能を変える多型(FNP)サイトを含む約2kbの領域の塩基配列を決定し、系統ネットワークを作成した(図3a、4a)。O. rufipogonの各地域集団におけるハプロタイプおよびハプロタイプクラスターの頻度(図3b-e、4b-e)を見ると、Rcの栽培型alleleの祖先ハプロタイプを含むクラスターAは東アジア地域でのみ見られ、かつ高頻度であった。したがってRcの栽培型alleleはjaponicaの栽培化過程で東アジアの野生イネ集団由来のalleleに変異が生じたことにより獲得されたと考えられる。他方、qSW5では栽培型allele(J)の祖先ハプロタイプKは東アジア集団では見られず、南アジアと東南アジア大陸部で見られた。ハプロタイプKとその派生形ハプロタイプIはindicaにおいて高頻度(28%、39%)で見られたことから、indicaもしくはその祖先集団の持っていたallele(K)が遺伝子交流によりjaponicaにもたらされた後に栽培型変異が生じjaponica集団中に広まったと考えられる。 本研究では現生イネ葉緑体DNAの詳細な分子系統解析を行い、炭化米DNA分析に必須であるリファレンスデータを作成した。このデータを基に作成したDNAマーカーを用いて炭化米のDNA分析に成功し、亜種を判別することができ、古代に利用されていたイネについての知見を得ることができた。特に日本と朝鮮半島の両方でjaponica以外の系統の利用が示唆されたことは興味深い。また、栽培化関連遺伝子RcとqSW5の系統地理的な解析から両遺伝子の進化過程を明らかにし、栽培化過程の初期におけるjaponicaとindica間での遺伝子交流が示唆された。今後さらに多くの時代、地域の炭化米を分析することにより、ヒトのイネ利用の歴史およびイネの進化史が明らかになることが期待される。 図1.葉緑体多変異領域約5700bpを用いて作成した系統ネノトワーク。塩基置喚とlnDelテータを基に作成した 図2.炭化米DNA分析を行った遺跡 表1.炭化米DNA分析の結果.遺跡名下の括弧内は分析を試みた試料数を示した。 図3.aRc遺伝子のexor6とintron6約1000bpを用いて作庄した素綻ネツトワーク、塩基置換と1nDelテータを基に作成した。b-eaて示LたパフロタイプおよびハプロタイフウラスターのO.rufipogon地域聾団における頗度。 図4.aqSW5週伝子のORFの一部および上流配列から作成した系統ネットワーク。塩基置換とInDe1データを基に作成した,b-一eaで示したハプロタイプおよびハプロタイプクラスターのO.rufipogon地域集団における頻度。 | |
審査要旨 | 本論文は4章からなり,第1章ならびに第2章では葉緑体DNAの多変異領域の分子系統学的解析結果が、第3章では炭化米の葉緑体DNA分析結果が、第4章では栽培化関連遺伝子RcおよびqSW5を用いたイネの系統地理学的解析結果が述べられている。 葉緑体DNAは進化速度が核の約1/10と遅いため、非常に近縁な種間や種内の系統解析を効率的に高解像度で行うためには進化速度の速い領域を用いる必要がある。そのため、japonica、indicaおよびO. rufipogonの葉緑体ゲノム配列の比較解析をおこない、葉緑体ゲノム中で変異の多数蓄積している領域を発見している。最も変異の蓄積の見られた3領域約1800bpについてOryza属21種の配列を明らかにし、次にこの領域にさらに3領域を加えた約5kbを用いて現生イネjaponica、indica、O. rufipogon 214系統について配列を明らかにした。分子系統解析によって、japonicaは単系統性を示すこと、indicaは多系統性を示し多様な母系祖先を持つことを明らかにしている。また、アジア各地域集団における遺伝的分化の解析によって、japonicaは非常に大きく分化しているが東アジア集団と近縁関係を示すこと、indicaはその他の集団と近縁であることを示した。以上により、十分な解像度でOryza属の系統関係を得るための基礎データを確立した。 以上を基に、99%のjaponicaが属するクラスターJおよび、72%のindicaが属するクラスターIaを決定する2サイトについて、中世・陣ヶ峯遺跡、弥生時代・唐古鍵遺跡、朝鮮半島の楽浪郡ならびに泗川里遺跡から出土した炭化米のDNA分析をおこない、陣ヶ峯遺跡、唐古・鍵遺跡ではクラスターJおよび、J以外が、楽浪郡ではIaとJ以外、泗川里ではJを、発見した。これにより、日本では中世、弥生時代共にjaponicaとjaponica以外の系統を栽培もしくは交易により得ていたことが示唆された。また、朝鮮半島では中部の楽浪郡ではクラスターJは検出されずIaが見られた一方、南部の泗川里からはクラスターJがみられたことから、古代朝鮮でも日本と同様にjaponicaとは異なる品種、おそらくindicaも利用していたことが強く示唆する結果を示した。これらの結果は、炭化米DNA分析でなければ得られない重大かつ貴重な発見である。 次に、japonicaの栽培化の初期に栽培型変異(機能欠失型)を獲得したと考えられている遺伝子Rc(米の白色化に関連)とqSW5(米粒の幅に関連し、コメの収量と関係する)に関する系統地理的解析がされている。機能を変える多型サイトを含む約2kbの領域の塩基配列を決定して系統ネットワークを作成し、O. rufipogonの各地域集団におけるハプロタイプおよびハプロタイプクラスターの頻度から、Rcの栽培型alleleの祖先ハプロタイプを含むクラスターAは東アジア地域でのみ、かつ高頻度で観察されること、を示した。したがってRcの栽培型alleleはjaponicaの栽培化過程で東アジアの野生イネ集団由来のalleleに変異が生じたことにより獲得されたことが示唆された。他方、qSW5では栽培型allele(J)の祖先ハプロタイプKは東アジア集団では見られず南アジアと東南アジア大陸部で見られ、ハプロタイプKとその派生形ハプロタイプIはindicaにおいて比較的高頻度で見られたことから、indicaもしくはその祖先集団の持っていたallele(K)が遺伝子交流によりjaponicaにもたらされた後に栽培型変異が生じjaponica集団中に広まったことが示唆された。 以上、本論文では(1)現生イネ葉緑体DNAの詳細な分子系統解析を行い、炭化米DNA分析に必須であるリファレンスデータを作成、(2)このデータを基に作成したDNAマーカーを用いて炭化米のDNA分析に成功して亜種を判別することによって古代に利用されていたイネについての知見、特に日本と朝鮮半島の両方でjaponica以外の系統を利用していたことを示し、(3)栽培化関連遺伝子RcとqSW5の系統地理的な解析から両遺伝子の進化過程を明らかにし、栽培化過程の初期におけるjaponicaとindica間での遺伝子交流を示した。本論文で示された新たな研究手法ならびに明らかにされた新知見により、ヒトのイネ利用の歴史およびイネの進化史の解明が大きく前進した。なお、本論文は植田信太郎ならびに王瀝との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク |