学位論文要旨



No 126760
著者(漢字) 平川,有宇樹
著者(英字)
著者(カナ) ヒラカワ,ユウキ
標題(和) 維管束幹細胞の維持における細胞シグナル伝達の研究
標題(洋) Study on cell signaling in plant vascular stem-cell maintenance
報告番号 126760
報告番号 甲26760
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5705号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 准教授 上田,貴志
 東京大学 准教授 杉山,宗隆
 東京大学 准教授 阿部,光知
内容要旨 要旨を表示する

陸上植物の長期にわたる発生と成長は、分裂組織の内部に維持される幹細胞の働きに依存している。この幹細胞の維持には周囲のニッチ細胞からの分化抑制シグナルを受容する必要があると考えられているが、その分子的な実態は明らかになっていない。近年、植物における新規のシグナル分子として低分子ペプチドが相次いで発見されている。そこで私は、幹細胞維持への関与が予想される維管束木部細胞分化阻害因子TDIFに着目し(Ito et al., 2006; 図1)、その生体内での働きについての研究を行った。

結果と考察

1. TDIFの機能解析

合成TDIFペプチドを与えて育成した植物体では、葉脈における木部道管の形成が抑制されたが(図2A)、前形成層と篩部組織は阻害されなかった(図2B)。TDIFをコードする遺伝子CLE41の過剰発現体も同様の表現型を示した(図2C)。胚軸の維管束においては、篩部と木部の間に存在する前形成層細胞がTDIF処理によって増加した(図3B, C)。逆に、cle41-1変異体では、前形成層細胞数の減少し、篩部細胞に隣接した位置での前形成層細胞の木部分化が見られた(図3D)。以上の結果から、TDIFは前形成層細胞の木部分化を阻害し、増殖を促進することが明らかとなった。

2. TDIF受容体遺伝子TDRの同定と発現解析

TDIF受容体遺伝子TDRを同定するため、TDIF非感受性株の探索を行った。一回膜貫通型のロイシンリッチリピート受容体型キナーゼ遺伝子ファミリーから候補となる遺伝子を選抜し、そのT-DNA挿入型変異体を収集した。この中からTDIF非感受性株を見出し、その原因遺伝子TDR(Atg61480)を同定した(図1, 4)。tdr-1変異体では、cle41-1と同様の表現型が見られた(図3E)。TDRとCLE41のプロモーターGUS解析の結果、それぞれ前形成層および篩部で強い発現が見られた(図5)。また、TDRの細胞外領域はTDIFと直接結合することが明らかとなった。したがって、篩部細胞から分泌されたTDIFがTDR受容体を介して前形成層細胞に受容されることが示された。

3. TDIFシグナル標的遺伝子の探索

TDIF受容後のシグナル経路を明らかにするため、TDIFシグナルの標的転写因子を探索した。WOXファミリー転写因子の遺伝子発現解析を行った結果、TDIF処理によりWOX4の発現上昇が見られた。この発現上昇はTDRに依存し、TDIF投与後1時間で起こった(図6)。WOX4はTDRと同様、前形成層で発現が見られた(図5)。以上からWOX4はTDIFシグナル伝達の標的遺伝子であると考えられる。

4. WOX4遺伝子の機能解析

WOX4の機能欠損型変異体wox4-1は、TDIFによる木部道管形成阻害に関して野生型と同等の感受性を示した(図4)。一方で、前形成層細胞増殖に関しては、tdr-1と同様の表現型を示した(図3F)。したがって、WOX4は前形成層細胞の増殖促進経路に働く遺伝子であることが示唆された。wox4-1では篩部に隣接した木部細胞形成が見られなかったことから、前形成層細胞の維持にはTDIFによる木部分化阻害活性が重要であることが明らかとなった。

5. 二次肥大成長におけるTDIFシグナルの機能解析

播種後4週目の植物の胚軸の維管束横断面では、野生型とwox4-1では環状の形成層が見られたのに対し、tdr-1では部分的に欠損していた(図7A-D)。形成層欠損部位では、篩部に隣接した木部分化が起こっており、これにより維管束の二次肥大成長が停止していたことが分かった(図7E-G)。以上より、TDIFの木部分化阻害活性が幹細胞維持に必要であることが明らかとなった。

まとめ

本研究では、TDIFシグ維管束幹細胞を維持するための分化抑制シグナルとして働くことを示した(図8)。篩部細胞群から分泌されるTDIFは、近傍の前形成層細胞においてTDR受容体キナーゼを介して受容され、その木部分化を阻害することによって幹細胞機能の維持に貢献する。同時にこのシグナルは標的転写因子WOX4を介して幹細胞群の増殖促進に寄与する。したがって篩部細胞が維管束幹細胞を支持するニッチ細胞の一つであると考えられる。

図1シロイヌナズナTDIFシグナル関連遺伝子がコードするタンパク質の構造

TDIFはCLE41タンパク質のC末端付近の領域から生成される。P*ヒドロキシプロリン、spシグナルペプチド、LRRロイシンリッチリピート、tm膜貫通領域、HDホメオドメイン。

図2TDIFによる木部分化の阻害

(A,B)TDIF処理による葉脈における不連続な木部道管(白)の形成。節管は連続的に形成される(アニリンブルー染色)。(C)CLE41遺伝子過剰発現体。(D,E)葉脈横断面におけるTDIFによる木部細胞特異的な分化阻害。点線は葉脈、矢印は木部細胞、矢じりは師部細胞を示す。スケールバー:100μm(A-C)、20μm(D,E)。

図3TDIFによる前形成層細胞増殖の促進

(A)胚軸維管束の横断面の模式図。(B-F)TDIF投与および各変異体における胚軸維管束の横断切片。黄色の点は前形成層細胞、青色の点は節部に隣接した木部細胞を示す。スケールバー:20μm。

図4葉脈道管形成におけるTDIF感受性

各変異体の葉脈におけるTDIFの道管形成阻害効果。fdr変異体はTDIFに非感受性を示す。点線は葉脈、矢じりは道管形成の阻害部位を示す。スケールバー:100μm。

図5遺伝子発現領域の解析

胚軸維管束の横断面におけるプロモーターGUS解析。CLε47は主に節部、TDRとWOX4は主に前形成層においてGUSのシグナルが見られる。スケールバー:20μm。

図6TDIFによるWOX4遺伝子の発現変動

図6TDIFによるWOX4遺伝子の発現変動TDIF投与後の脚X4mRNA量を示す。PgAはTDIFの非活性型誘導体。バー:SD、n=3、*p<0.05。

図7維管束二次肥大成長の解析

播種後4週の胚軸維管束の横断切片。(A-D)形成層領域の拡大図。黄、青線の領域は形成層、木部道管細胞、矢じりは節部細胞を示す。(E)tdr wox4二重変異体における強い表現型。維管束の肥大成長に顕著な異常が見られる。(F,G)Eの中央部拡大図および野生型との比較。青、水色、赤線の領域はそれぞれ木部、初期の木部、篩部を示す。スケールバー:50μm(A-D)、100μm(E)、20μm(F,G)。

図8TDIFシグナル経路のモデル

CLE41にコードされるTDIFは節部細胞より分泌され、TDR受容体を介して幹細胞に受容される。このシグナルによって幹細胞の木部分化が抑制される一方で、WOX4を介して細胞分裂が促進される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、始原細胞と呼ばれる植物幹細胞の維持において、特定のペプチド情報分子の役割を分子生物学的、遺伝学、発生生物学的に解析したものであり、5章からなる。第1章では、研究の背景として植物幹細胞が存在する分裂組織の維持制御に関与する分子遺伝学的な知見がまとめられ、これと関連付けて研究の意義と目的が記されている。第2章では本研究で使われた材料と方法について記述されている。第3、4章は研究の結果とその考察であり、第3章では、低分子ペプチドTDIFの植物体内での機能解析とその受容体をコードするTDRの同定および機能解析が、第4章では、TDIFシグナルの標的遺伝子としてのWOX4の同定およびその機能解析が述べられている。研究全体の総括と今後の展望が第5章に記されている。

植物幹細胞は、周囲の細胞からのシグナルによってその動態を決定すると考えられている。論文提出者は、維管束幹細胞をモデルとして、幹細胞に働きかけてその維持に働く因子の特定を目指し、ヒャクニチソウ培養細胞系で単離された木部細胞分化阻害因子TDIFに着目して、その植物体内での機能と作用機構を、シロイヌナズナを用いて解析した。

論文提出者は、TDIFの作用を植物体内で解析するため、シロイヌナズナにこのペプチドを投与するアッセイ系を開発した。これを用いて、TDIFが植物体内において前形成層細胞の増殖活性と前形成層細胞から木部細胞への分化の阻害活性を持つことを明らかにした。続いて、このTDIF活性を利用してTDIF受容体遺伝子の同定を目指した。このために、受容体候補遺伝子群のT-DNAタグラインを用いる逆遺伝学的な手法を採用し、TDIFへの感受性が失われる変異体群を探索した。その結果、TDIFに非感受性になる変異体が3ライン得られ、これらの変異体はいずれもAt5g61480にT-DNA挿入があることが明らかになった。この遺伝子にコードされるタンパク質の細胞外領域がTDIFと特異的に結合することが生化学的な実験により確認され、この遺伝子はTDIFの受容体をコードするTDR(TDIF Receptor)と名付けられた。この受容体を欠損するtdr変異体およびTDIFをコードする遺伝子の一つCLE41の機能欠損変異体では、前形成層細胞の減少と篩部に隣接した前形成層細胞が木部へと分化が見られ、内生のTDIFシグナル系が木部分化の抑制と前形成細胞の増殖に働いていることが明らかとなった。プロモーターGUSレポーター形質転換体を用いた観察から、TDIFをコードするCLE41およびCLE44が篩部およびその周辺で、一方、その受容体TDRは前形成層歳で発現することが明らかとなり、TDIFが細胞非自律的に働くことが示された。以上の結果は、維管束の篩部、木部、前形成層という主要な組織の発生制御に関わる細胞間シグナル系を見出した世界初の研究として高く評価された。

次に、論文提出者はTDIFシグナル受容後の標的遺伝子の探索をおこなった。WOX転写因子ファミリーの遺伝子に着目した遺伝子発現解析により、TDIFによって速やかに遺伝子発現が促進されるWOX4を見出した。WOX4プロモーターのGUSレポーター解析から、WOX4発現はTDRと同様に前形成層特異的であることが明らかとなった。この遺伝子の変異体を用いた表現型観察から、WOX4はTDIFによる前形成層細胞増殖の促進に必要な因子であるが、木部細胞分化には寄与しないことが明らかとなった。以上の結果から、TDIFシグナルはTDRにより受容された後に少なくとも二つの経路によって前形成層細胞の分化と増殖を制御することが明らかになった。1つはWOX4を介した前形成層細胞の増殖促進経路、他の一つはWOX4を介さない前形成層からの木部細胞分化阻害経路である。論文提出者は、さらに、二次肥大におけるTDIF-TDRシグナル系の関与を解析し、二次肥大を継続的に生み出す形成層を長期的に維持するためには、TDIFによる前形成層細胞の木部分化阻害が不可欠であることが証明した。以上の結果は、植物の幹細胞維持におけるペプチドシグナルの重要性を細胞レベルで示した初めての成果として高く評価された。

なお、本論文に記載された研究は篠原秀文、近藤侑貴、井上明日香、中名生幾子、小川真理、澤進一郎、伊藤恭子、松林嘉克、福田裕穂氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上、ここに得られた結果の多くは新知見であり、いずれもこの分野の研究の進展に重要な示唆を与えるものであり、かつ本人が自立して研究活動を行うのに十分な高度の研究能力と学識を有することを示すものである。よって、平川有宇樹提出の論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める。

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