学位論文要旨



No 126763
著者(漢字) 西村,亮彦
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,アキヒコ
標題(和) メキシコ・シティ旧市街におけるオープンスペースの公共性に関する研究
標題(洋) Study on the Public Quality of Open Spaces in Mexico City's Historic Center
報告番号 126763
報告番号 甲26763
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7404号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 中井,祐
 東京大学 准教授 清水,哲夫
 東京大学 准教授 千葉,学
 東京大学 准教授 羽藤,英二
 メキシコ国立自治大学 研究員 楠原,生雄
内容要旨 要旨を表示する

広場や街路をはじめとする都市のオープンスペースは,市民の生活を支えるパブリックスペースとしての機能を担っている.しかしながら,わが国の都市部では,駅前広場や都市公園が各地に整備されてきた他,近年では公開空地という形で都心部に数多くのオープンスペースが創出されてきたものの,これらの多くがパブリックスペースとしての機能を十分に発揮できていない状況にある.通常,公共的であるとされる建築物である広場や街路について,それ自体がパブリックスペースであると言うことができないのは,こうしたわが国におけるオープンスペースの機能不全を見れば一目瞭然である.一方,都市のオープンスペースがパブリックスペースとして機能するための条件は何か,という問いに対する明快な答えは未だ究明されていないと言える.

ラテンアメリカ最大の都市,メキシコ・シティの旧市街は,人口流出に伴う様々なインナーシティ問題に悩まされてきたが,今日まで,広場や街路は市民の生活の場として多様な機能を果たしてきた.また,近年,旧市街再生の本格的な取り組みが進む中,広場の改修や歩行者専用街路の創出を通じて,数多くのパブリックスペースが整備されてきた.

そこで本研究は,伝統的に多様な屋外活動が活発で,近年積極的にパブリックスペースの整備が進められてきたメキシコ・シティ旧市街を例に,オープンスペースが持っているパブリックスペースとしての質を明らかにするとともに,その背後にある社会構造を読み解くものである.そして,都市のオープンスペースが市民の多様な活動を受け入れるパブリックスペースとして機能するための条件を,明らかにすることを目的としている.

本研究は全7章から構成される.

第1章では,研究の背景や目的,手法など,研究の概要を説明している.その中で,本研究のテーマである都市空間の公共性とは何か,定義した上で,都市空間の公共性の背後にある社会構造のモデルを提唱した.都市空間の公共性とは,空間に参与する利用者の複数性と,そこで行なわれている活動の自由度に関わる概念である.近代国家は都市の公共性を担保するシステムとして,行政機構と法制度を発展させてきたが,行政機関が都市空間の管理機能を担う中で,都市空間の公共性は,管理者である行政機関にとっての公共性「オフィシャル・パブリック」と,利用者である市民にとっての公共性「シビル・パブリック」の2つの公共性へ分化していったと考えることができる.両者は矛盾や逸脱を繰り返しながらも均衡することで,実際の空間の利用のあり方を左右してきたと言える.

第2章では,まず,メキシコ・シティ旧市街におけるオープンスペースについて,その形成と変遷の歴史を,空間の使われ方に着目しながらレビューしている.現在のメキシコ・シティ旧市街における広場や街路における多様な活動は,植民地化以前,スペイン植民地時代,近代という3つの異なる文化の融合の下で,伝統的に受け継がれてきたものであることが明らかになった.続く現状分析では,本研究の対象となるオープンスペースを,空間形態と都市環境に着目して分類した上で,これらの基礎条件が空間の利用に与える影響を分析している.オープンスペースの利用については,活動目的に基づいて,通過,余暇,収益活動,イベント,侵入の5つに分類した上で,活動形態に基づいて細分類を行なった.全体的な傾向として,余暇が専ら空間形態によって,収益活動が専ら都市環境によって空間に呼び込まれているのに対し,通過・イベント・侵入は空間形態と都市環境双方の関わり合いの中で呼び込まれる活動であることが明らかになった.

第3章では,行政機関の規制管理の原理である法規について,オープンスペースの利用や管理に関わる法規のレビューを行っている.法規は,合衆国レベルとメキシコ・シティの行政単位であるDF(連邦地区)レベルの,2つのレベルの法規から構成される.これらの法規は,オープンスペースとの関わり方に基づいて,公共財の管理に関する法規,公共財の利用に関する法規,特定の活動に関する管理法の3つに大きく分類される.この内,公共財の利用に関する法規は,公共財を利用する上での市民の権利と義務を細かく規定したもので,オープンスペースにおける活動を,無条件で認められる活動,条件付きで認められる活動,無条件で認められない活動の3つに区分している.条件付きで認められる活動の内,露店における物品販売など,一部の活動について適切な管理法がないことが明らかになった.一連の法規の中でも重要なのが,DFにおける公衆道徳を規定したDF市民文化法で,この法律を根拠として様々な活動の合法性を恣意的に判断できるため,一部の活動に対する管理法の不在と併せて,法的枠組みの中に行政機関による柔軟な対応が担保されていることが分かった.

第4章では,行政機関が法規をどのように運用しながら規制管理を行なっているのか,DF政府機関,国の機関,区の部局の3つのレベルに渡って,分析を行なっている.その中で,実際のオープンスペースにおける様々な活動の許可を発行する権限は基本的に区に属しているものの,メキシコ・シティ旧市街の場合,地区の歴史的環境や社会的重要性を理由に,DF政府機関や国の機関が連携することで,多層的な規制管理が実現していることが明らかになった.また,適切な管理法が存在しない活動や,DF市民文化法に基づいて合法性を恣意的に判断することができる活動に対しては,現状に即した柔軟な規制管理が行なわれていることが明らかになった.そして,同業組合が存在する一部の収益活動については,組合が行政機関の規制管理機能の一部を担っていることが明らかになった.

第5章では,近年取り組まれてきた旧市街再生プロジェクトを通じ,行政機関がどのようにパブリックスペースの管理と創出に取り組んできたのか,2002~2006年にかけて行なわれたロペス市政のプロジェクトと,2006年末に始まるエブラルド市政のプロジェクトを例に,比較と考察を行なっている.ロペス市政がセントロ信託統治局を中心とした集権的な体制の下,旧市街の一部に対する集約的な整備を行なったのに対し,エブラルド市政がセントロ特別局を中心とした多機関による分業体制の下,旧市街の広範囲において総合的な整備を実現したことが明らかになった.エブラルド市政は,知事の強力なリーダーシップの下,大規模な露店整理とオープンスペースの整備を実現し,旧市街の再生に大きな成果を挙げたと言える.また,一連の再生プロジェクトを通じ,オープンスペースの使われ方が大きく変わってきたことが明らかになった.歩行者回廊プロジェクトはその顕著な例で,連続した歩行者専用街路を旧市街の広範囲に通すことで,歩行者の便宜を図るだけでなく,市民の生活に密着した質の高いパブリックスペースとして整備することで,地区の総合的な再生に大きく貢献した.

第6章では,前5章の知見に基づいて,5つのオープンスペースにおける事例研究を通じ,市民と行政機関がそれぞれどのような戦略の下に,シビル・パブリックとオフィシャル・パブリックを形成し,実際の空間における公共性が生み出されているのか,分析を行なっている.シビル・パブリックについては,暮らす人,働く人,訪れる人といった異なる属性の利用者が,お互いの異なる利害を調停しながら,個別の場所ごとに公共性を形成していく過程が明らかになった.一方,オフィシャル・パブリックについては,法的枠組みの中に担保された法の解釈の余地や,管理法の不在を根拠に,行政機関が柔軟な規制管理を通じて公共性を形成していく過程が明らかになった.そして,2つの公共性の間に不均衡が発生した場合,行政機関と市民の交渉を通じて均衡を取り戻す回路が機能していることが明らかになった.また,旧市街再生プロジェクトにおけるインフラ整備を契機に,新たな活動が呼び込まれた場合に,異なる利用者間,ないし行政機関と市民の間で調整を行ないながら,新たな質の公共性が生み出されていく過程が明らかになった.

第7章では,研究の内容を整理し,メキシコ・シティ旧市街におけるオープンスペースの豊かな公共性と,それを支える社会的構造を明らかにした上で,わが国のオープンスペースについて提言を行なっている.メキシコ・シティ旧市街のオープンスペースの公共性の特徴は,強靭なシビル・パブリックと柔軟なオフィシャル・パブリックにあると言える.一方,わが国のオープンスペースがパブリックスペースとして十分に機能していない理由として,そもそも空間を利用したいという欲動が市民の中に欠如していること,杓子定規な法的枠組みの運用という管理システムの障壁が多様な活動の発展を阻害していることが挙げられる.こうした状況の中,ハード整備を行なうと同時に,空間における新たな活動のインセンティブを行政が主体となって発動していくという,メキシコ・シティにおいて近年取り組まれてきた歩行者回廊プロジェクトは,わが国におけるパブリックスペースのあり方に大いに示唆を与える取り組みであると言える.垂直方向の開発のおまけとして,足下の私的な残余空間を限定的に提供する公開空地の手法は,この考え方に真っ向から反対するものであり,今後は行政機関が公有地を利用したヒューマンスケールなオープンスペースの整備を行い,そこに文化的活動などを積極的に呼び込むという手法が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

海外の大都市や歴史的都市に比べ、わが国の都市部におけるオープンスペースは、決して好ましい状況にあるとは言い難い。画一的な手法の下に駅前広場や児童公園が、全国各地で整備されてきた。また近年では、公開空地という形で都心部を中心に数多くのオープンスペースが創出されてきたが、これらの多くもパブリックスペースとしての機能を十分に発揮しているとは言い難い。本論文は、都市のオープンスペースが市民の多様な活動を受けいれるパブリックスペースとして機能するための条件を明らかにすることを目的としている。

具体的な調査対象地として、伝統的に多様な屋外活動が活発で、近年、積極的にパブリックスペースの整備が進められてきたメキシコ・シティ旧市街を扱っている。フィールドサーベイ、行政関係者への聞き取り調査、法令の調査、行政手法の調査を重ね、これをベースに都市のオープンスペースにおける公共性が生成されるメカニズムについて論じたものである。本論文は、空間の利用という側面から都市の公共性を捉えることを試み、行政機関にとっての公共性「オフィシャル・パブリック」と、市民にとっての公共性「シビル・パブリック」の2つの公共性のバランスから都市空間の公共性が成り立っているとの仮説から、調査で得た情報を読み解いている。

第一章では、研究の背景や目的、手法を説明した上で、関連研究のレビューを行なっている。

第二章では、メキシコ・シティ旧市街におけるオープンスペースを、空間形態と立地に着目して分類し、これらの基礎条件が空間の利用に与える影響を明らかにしている。対象地域において展開するオープンスペースの雑多な利用を、活動目的と活動形態の組み合わせから分類整理している。その上で、オープンスペースの空間構造や対象地域の都市構造が、各オープンスペースの利用に与える影響を、独自に収集したデータを用いて明らかにしている。

第三章では、各種法規の下で、オープンスペースがどのように位置づけられているのかを明らかにしている。公共財の管理に関する法規にはじまり、公共財の利用に関する法規、特定の活動に関する管理法まで、関連法規の幅広い収集と分析を行なっている。これはメキシコ国内の法学分野においても前例がない成果として、すぐれた成果と言える。また、露店における物品販売などの一部の活動については適切な管理法がないことや、公衆道徳に関わる規定が恣意的に判断できることなど、法的枠組み自体に行政機関の柔軟な対応が担保されていることを見出したことは、貴重な成果と言える。

第四章では、第三章でレビューした法的枠組みを、各行政機関がどのように運用し、オープンスペースにおける活動の規制管理を行なっているのかを明らかにしている。その中で、まず、実際の活動の許可を発行する権限は、基本的に区に属しているものの、メキシコ・シティ旧市街の場合、地区の歴史的・社会的重要性を理由に、DF(メキシコ・シティ連邦地区)の行政機関や国の機関が連携して、多層的な規制管理が実現していることを明らかにした。また、適切な管理法が存在しない活動や、合法だが恣意的な判断の余地が残されている活動については、行政プログラムの運用や現状に即した判断を通じて、柔軟な規制管理が行なわれていることを明らかにした。

第五章では、近年取り組まれてきた旧市街再生事業の分析を通じ、行政機関がどのように公共性の調整と創出に取り組んできたのかを明らかにしている。中でも、2007年から本格的に始まる現エブラルド政権の再生プロジェクトを現在進行形で追跡調査し、分析を行なっている。エブラルド政権が、パブリックスペースの整備を一つの鍵として、旧市街の広範囲に渡る本格的な再生を実現したことや、大規模な露店整理によってオープンスペースをインフォーマルな商業による占有から解放したことに対して、成功の要因はエブラルド知事が新たに設立した直属機関のACHやAEPを中心とする分業体制にあったことを指摘したことは、大きな成果と言える。また、一連のプロジェクトの中でも、連続した歩行者専用街路を旧市街に通す「歩行者回廊」プロジェクトが、歩行者の便宜を図るだけでなく、街路に文化的活動をはじめとする新たな活動を呼びこみ、さらには地区の総合的な環境改善を実現した過程を、設計者の意図と手法に着目して明らかにしている。

第六章では、前五章の知見をもとに、五つの具体的なオープンスペースにおける事例研究を通じ、行政機関と市民がそれぞれ様々な戦略をとりながら、シビル・パブリックとオフィシャル・パブリッックを均衡させていく過程を明らかにしている。利害を異にする空間の多様な利用者が、お互いの活動を調整しながらパブリックスペースとしての場のあり方を生む過程や、それを行政機関が自らの理論で規制管理する過程を、ヒアリングを中心とした社会学的手法を用いて克明に描き出したことは、大きな成果といえる。

第七章では、本論全体の結論として、メキシコ・シティ旧市街の場合、法的枠組みと行政機関の管理システムの間に柔軟な規制管理の余地が担保されており、これが良好な結果を生み出していること、また、この点がわが国の過剰な規制管理体制と異なることを指摘した上で、このような手法によって、わが国においても新たな可能性を見出すことができるはずだ、という提言をしている。

以上概観したように、本研究の最も評価すべき点は、行政機関と市民それぞれが考える二つの公共性のバランスによって成り立っているパブリックスペースについて考察し、その背後にある構造を読み解いたところにある。また、調査対象としたメキシコ・シティ旧市街におけるパブリックスペースの生成と変容の過程を明らかにした点は、本論文のオリジナリティを担保するものであり、資料としても価値があるものと認められる。さらに、この手法は、メキシコ・シティ旧市街のみならず、広く世界の都市空間の公共性を読み解く上でも適用し得る可能性を秘めており、高く評価できる。

以上の理由により、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク