学位論文要旨



No 126769
著者(漢字) 白,承冠
著者(英字)
著者(カナ) ベク,スンカン
標題(和) 19世紀における労働者向けのコミュニティモデルに関する建築・都市史的研究 : ジャン=バティスト・ゴダンのファミリステールを中心に
標題(洋)
報告番号 126769
報告番号 甲26769
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7410号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 隈,研吾
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 教授 伊藤,毅
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、フランスのパリから北東に約200kmのところにあるギーズという町で、19世紀の歴史的建造物として現存する集合住宅団地であるゴダンのファミリステールを中心とした19世紀の労働者向けのコミュニティモデルに関する建築・都市史的研究である。その一環として近代思想史、近代都市論、社会思想史に及ぶ多くの研究を含む既往研究の批評、すなわち、「ゴダンの試みはフーリエ思想の直線的な実践化ではなく、独自色の強いものである」という仮説に基づき、建築・都市史的立場から新たな知見を得るとともに、そうした観点からファミリステールを再考し新しい評価を目指すものである。よって、一連の目的である(1)「理想的コミュニティを目指すゴダンのファミリステール」、(2)「ファミリステールのオリジナリティとその建築・都市史的特性」、ならびに(3)「19世紀から現代に至るまでの歴史的建造物としての修復・再生」について考察を行った。

(1) 理想的コミュニティを目指すゴダンの建築的実験のオリジナリティ

ゴダンの社会思想においては、フーリエの概念を踏まえ、新たな社会を目指し、以下の革新的な思想が現れているのが確認される。

一.道徳と労働の強調。

二.協同組合や協会を強調し、これを通じて資本と労働を結合させ、分配の正義を追求するべきであると主張。

三.国家的次元からの貧困消滅のための社会的相互扶助の強調。

四.ゴダンは社会、あるいは国家間の関係において暴力を拒否し、平和主義を擁護することを指向。

五.新しい社会においては一人ひとりの知的かつ道徳的解放のために教育と住宅、広い意味での建築の役割が重要であると見なす。とくに教育よりも重要なのが住宅で、個人や社会が必要とする生活環境を充分に備えた新しい建築の適用を強調。

とくにゴダンは、彼の社会思想の中で、第五のブルジョアジーの個人住宅に設置される衛生設備と家政婦、保母、料理人等の雇用を通じて、各種サービスを受けることを「富に相応すること(equivalents de la richesse)」と称して、こうした設備とサービスを受けることができない労働者たちのために統合的な住居団地を提示した。そして、この住居団地には多様な階層が一緒に暮らしながら、社会性を向上させ、人間としての階層を越えた友愛を拡大していくとともに、女性が家事労働と子育てから解放され、経済的かつ政治的活動に参加することができるように各種家庭生活サービスが提供されるなど、住居環境におけるゴダンの考え方は、社会の発展に繋がるものであったことが見出される。そして、こうしたゴダンの考え方が現実世界に適用されたのが、ファミリステールであったと言える。

一方、ゴダンのファミリステールに関する既往研究において、ゴダンの建築的実験は「フーリエの思想および理想共同体がそのままゴダンによって実現された」と見なす解釈が一般的になっているが、本論文では、「ゴダンのファミリステールの建築的実験はフーリエ思想の直線的な実践化ではなく、独自路線の強いものである」という仮説を裏付けるために、第一に、ゴダンが自身の思想を表明するため出版した著書『社会的解決(Solutions Sociales) 1871』の解釈をもとに、ファミリステールの建設にあたって、代表的なフーリエ主義者であったヴィクトール・カルラン(Victor Calland)との協同作業が失敗に終わった理由、第二に、ゴダンのファミリステールとフーリエのファランステールの関連性を調べるために『ゴダンとカルランが交わした手紙』の分析、そして、第三に、ファミリステール協会(Le syndicat mixte du Falanstere Guise)の総責任者パニ(Frederic k. Panni)氏とのインタビューから得られた内容をもとに、第一と第二の分析結果を再び検討した。

一.「これ以上フーリエ主義者たちの考え方をもとにする実験にはならないだろう」

ゴダンの著書『社会的解決 1871』

二.「カルランが提示したファミリステールの基本計画案は実現可能性に乏しい」

『ゴダンとフーリエ主義者のカルランが交わした手紙』

三.「フーリエがファランステールという共同体理論に留まったとすれば、ゴダンはフーリエの基礎理論と自身の独自の社会思想に基づき、現実的な提案を直接実現したと言える」

『ファミリステール協会の総責任者、フレデリック・パニ氏とのインタビュー』

上で取りあげた幾つかの点は、ゴダンとフーリエの関連性について集約する重要なことであり、ゴダンのファミリステールの建築的実験は「フーリエ思想の直線的な実践化ではなく、独自路線の強いものである」というゴダンの建築的実験のオリジナリティをよく裏付けている。そして、こうしたゴダンの独自の考え方が現実世界に適用されたのが、ファミリステールであったと言える。

(2) 理論から実行へ:ファミリステールの建設とその建築・都市空間の特性

労働者たちが人間としての尊厳と自由を回復し、豊かな生活が実現できるためのコミュニティが建設されたものの、当時の空想的社会主義者たちによる理論上の運営方式は実際的に適用されずに計画に留まったと言える。その主な原因としては、資本の不足と運営上の問題でコミュニティが解散することになったことが指摘される[第一章]。こうした当時の労働者向けのコミュニティ建設の試みが長く続けられなかった状況のなかでゴダンは、1858年の土地の取得、1859年からの三つの建物、いわゆる社会宮殿の建設へとつなげていく。1860年には119世帯の住宅をそろえた左側棟が完成し、1865年には350世帯の住宅をそろえた中央棟が、1879年には89世帯の住宅をそろえた右側棟が完成した。この三つの建物、すなわち社会宮殿の収容人数は約1800-2000人で、1880年には1770人が居住していた。つぎに1883年には工場の労働者たちが増え、別の住居棟が追加された。そして住居棟の社会宮殿の建設にあたっては、各種生活サービス施設をそろえた多様な付属建物が相次いで追加された。1862年には中央棟の後ろからつながる幼稚園と保育所が、1865年にはベーカリー、食料品店、カフェなどの付属施設が建てられた。つぎに1869年には学校と劇場が、1870年には洗濯場、浴場、プールなどの公共サービス施設が次々に建設された。こうした多様な施設の建設にあたっては、環境問題に対しても積極的に取り組んでいた。このように、ファミリステールは工場(1846)を中心とする生産の領域だけではなく、社会宮殿と名付けた家族のための共同住宅の建設(1859-77)から広場(1858)、商店(1859)、託児所・幼稚園(1866)、学校・劇場(1869)、洗濯場・浴場・プール(1870)、キャンブレ住居棟(1884)の建設に至るまで漸進的に建設されたことが確認できた。

ゴダンのファミリステールにおいては、機能と拡張を考慮した住居単位(ユニット)、近代的な設備、機能的なゾーニング、コミュニティ形成を促す装置など、近代住宅、近代都市へ向かう実質的な計画であったということが判明した。また、19世紀から20世紀にかけての建築・都市史的観点からみたゴダンとル・コルビュジエとの関係について調べた結果、一方は19世紀の社会改良家でありながら企業家の立場で、もう一方は20世紀の建築・都市計画家であったにも関わらず、住居問題という共通したカテゴリーの中で接点が見出された。とくに20世紀にル・コルビュジエが論じた空気、採光、換気などの衛生と関連した住居空間の概念は、1870年にゴダンが『社会的解決』のなかで記した新鮮な空気、豊富な採光、流れる水を利用した建築設備などと類似していることが確認された。すなわち、ゴダンとル・コルビュジエの共通性からは、ファミリステールが時代に先駆けた近代性と現実性を示唆しつつ、かつ独創的なコミュニティ実験であったという事実が明らかとなった。そして、運営面においても19世紀の理論のみを中心としたユートピアに留まらず、住民を中心とした適切な運営原理に基き、物理的な環境と社会的な環境を同時に提供したという点が明らかになった。すなわち、各種施設や設備などの物理的な環境のみならず、消費生活協同組合による運営、相互扶助体系による医療サービスの提供、共同託児、教育などの共同体内の社会的な環境にも配慮したことが確認された。さらに、生産と富の分配においても、労働者が積極的に参加できるよう、労働者自主管理によって運営されたことも確認できた。すなわち、こうしたファミリステールに現れる各種社会的な装置によって、他の単なる共同体住居団地では見られない労働現場と連携された生産・消費・分配・教育・余暇に至る複合的なコミュニティが、運営・維持されたと見られる。

(3) ファミリステールの過去と現在、そして未来へ;ファミリステールの修復と再生

現在の協会が行っているファミリステールの総合的な計画『ユートピア 2000-2015』は、19世紀にゴダンが実現した生活共同体をそのまま復元するに留まらず、現代における新たな必要性を十分加味し、住民はもちろん地域コミュニティを活性化することとともに、社会的、経済的、歴史的、都市・建築史的次元に至る幅広い分野で新しい価値創出に向かっていることが確認された。また、その具体的な事業の一環として、現段階においては住居建物の公共的所有への作業が行われており、ヨーロッパ連合、政府、地方自治体などに至るまでの幅広い支援を受けながら活発に進行していることも確認された。

(4) 19世紀から21世紀に至るゴダンのファミリステールを通じてみた「ユートピア」本来の有り様

19世紀のユートピア思想と触れ合ったサン・シモン、オーエン、フーリエのように、空想的社会主義者であったにもかかわらず、ユートピア的発想からかなり現実的に考えたゴダンは、以前、あるいは同時代のユートピア思想や理論に留まらず、実際に存在するユートピア共同体「ファミリステール」を実現した。「ユートピア」というどこにもない場所、いわゆる現実には決して存在しない理想的な社会が、現実社会に存在することになったのである。これは、当時の資本主義生産システムがもたらした労働者と貧民の劣悪な住居環境や衛生問題など、社会問題に対する解決策として実験的に具現化されたものである。

一方、19世紀における実現されたユートピア「ファミリステール」は、21世紀に至って、上の(3)ですでに述べたように、徐々に悪化していく建物の衛生状態を持続的に維持・向上させるための修復、美化、そして持続可能な地域コミュニティを形成するために新たな「ユートピア」に向かっている。こうした19世紀から21世紀に至るファミリステールを通じてみると、実現されない間がユートピアであって、実現された時点においてそれはもはやユートピアでなくなる。すなわち、ある種のユートピアが実現したとしても、また新たな問題が生起するということか、それよりも、いずれにしてもユートピアとは実現されないのがユートピアであって、実現した時点でユートピアでなくなるものであるというユートピア本来のありようを考えさせられる。

(5) 社会を変える憧れの建築「ファミリステール」

現代においては個人の自由という考え方が強いが、そのことが社会への無関心ということとは直接結びつかないだろう。にもかかわらず現実には、他人への無関心さは増すばかりで、今日の都市とりわけ大都市は建物、住居、人間の単なる物理的集合になりつつあると言ってもよい。このようにますます物質的に豊かになりつつある現代社会においては、物質的豊かさの前に、人々の問題意識は薄れてしまうのであろうか。いずれにせよ助け合いや、社会的連帯あるいは公共性が時代の経過とともに、ますます退歩しつつあるように見受けられる。昨今の社会状況に鑑みても、従来の理想都市の失敗に対する反省をふまえた上で新たに人々の、とりわけ労働者向けの暮らしをゆたかにするためのコミュニティや都市・建築空間のあり方を再考することは、興味をそそられる。こうしたことを考えると思い起こされるのが、19世紀のいわゆる空想的社会主義者であり、企業家であったゴダンのコミュニティ建設の試みである。そこには、労働現場と連携した生産・消費・分配・教育・余暇に至る複合的なコミュニティが示されているからでもある。

「Le Progres Social des masses est subordonne au Progres des Dispositions Sociales de l'Achitecture」

…建築の進歩は、大衆社会を進歩させる…

J.-B.A.Godin『社会的解決(Solutions Sociales) 1871』

再生産の場としての住環境はもちろん、仕事の領域や子どもの教育から成人の再教育といったことまでを取り込んでおり、よりトータルな生活の場における共同化や、住民たちによる自主運営・管理などの助け合いや連帯の絆を強めたファミリステールの建築的実験は、物質的豊かさを眼前にして、助け合いや社会的連帯あるいは公共性が、時代の経過とともにますます退歩しつつある現代社会に向かう都市・建築のあり方について示唆を与えるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、サン・シモンやシャルル・フーリエなどの「空想的」社会主義者の流れにあり、企業家でもあったゴダンに焦点をあて、19世紀に彼が実験したファミリステールについて建築・都市史的立場から詳細に論じたものである。従来からゴダンのファミリステールはフーリエのファランステールとの形態的類似からその実現形として捉えられたり、あるいはその差異について言及されてきたが、ファミリステールそのものを総合的に位置づけた専論はなく、本論がその最初の試みである。

本論はファミリステールを分析するにあたって、(1)「理想的コミュニティを目指すゴダンのファミリステール」、(2)「ファミリステールのオリジナリティとその建築・都市史的特性」、(3)「19世紀から現代に至るまでの歴史的建造物としての修復・再生」、という3つの軸を設定し、それらの有機的な関係のうえに立って、あらたなファミリステール論を提起している。

(1) 理想的コミュニティを目指すゴダンの建築的実験のオリジナリティ

ゴダンの社会思想においては、フーリエの概念を踏まえつつも、19世紀的観点から来たるべき新たな社会を目指しており、著者によると以下ような革新的な思想が表出しているという。すなわち、1.道徳と労働の強調、2.協同組合や協会を強調、3.社会的相互扶助の強調、4.暴力を拒否し、平和主義を擁護、5.新しい社会においては一人ひとりの知的かつ道徳的解放のために教育と住宅、広い意味での建築の役割が重要であると見なす。とくに教育よりも重要なのが住宅で、個人や社会が必要とする生活環境を充分に備えた新しい建築の適用を強調。とりわけ最後の5の項目が従来看過されてきた重要な性格だという。

すなわち、著者の分析によると、ゴダンは彼の社会思想のなかで、ブルジョアジーの個人住宅に設置される衛生設備と家政婦、保母、料理人等の雇用を通じて、各種サービスを受けることを「富に相応すること(equivalents de la richesse)と称して、こうした設備とサービスを受けることができない労働者たちのために総合的な住居団地を提示したのである。そして、この住居団地には多様な階層が一緒に暮らしながら、社会性を向上させ、人間としての階層を越えた友愛を拡大していくとともに、女性が家事労働と子育てから解放され、経済的かつ政治的活動に参加することができるように各種家庭生活サービスが提供されるなど、住居環境におけるゴダンの考え方は、社会の発展に繋がるものであったことが次々と発見させる。そして、こうしたゴダンの考え方が現実世界に適用されたのが、ファミリステールであった、という。以上のようなファミリステール像は、著者が本研究を通じてはじめて位置づけた、きわめて興味深い学術的意義であると評価できる。

次にゴダンとフーリエの関連性を探るために、第一に、ゴダンが自身の思想を表明するため出版した著書『社会的解決(Solutions sociales) 1871』の解釈をもとに、テキサスでフーリエの理想共同体「ファランステール」を実現しようとしたフーリエ主義者たちに対するゴダンの考え方を考察している。第二に、ファミリステールの建設にあたって、代表的なフーリエ主義者であり、建築家であったヴィクトール・カルラン(Victor Calland)との協同作業が失敗に終わった理由にも言及し、それを裏付ける史料として「ゴダンとカルランが交わした手紙」の分析を行っている。第三に、ファミリステール協会(Le Syndicat Mixte du Familistere Godin)の総責任者パニ(Frederic k. Panni)氏とのインタビューから得られた内容をもとに、第一と第二の分析結果を再び再検討している。

(2) 理論から実行へ:ファミリステールの建設とその建築・都市空間の特性

労働者たちが人間としての尊厳と自由を回復し、豊かな生活が実現できるためのコミュニティが建設されたものの、当時の空想的社会主義者たちによる理論上の運営方式は実際に適用されずに計画に留まったといえる。その主な原因としては、資本の不足と運営上の問題でコミュニティが解散することになったことが指摘される[第一章]。

こうした当時の労働者向けのコミュニティ建設の試みが長く続けられなかった状況のなかでゴダンは、1858年の土地の取得、1859年からの三つの建物、いわゆる社会宮殿の建設へとつなげていく。1860年には119世帯の住宅をそろえた左側棟が完成し、1865年には350世帯の住宅をそろえた中央棟が、1879年には89世帯の住宅をそろえた右側棟が完成した。この三つの建物、すなわち社会宮殿の収容人数は約1800-2000人で、1880年には1770人が居住していた。つぎに1883年には工場の労働者たちが増え、別の住居棟が追加された。

そして住居棟の社会宮殿の建設にあたっては、各種生活サービス施設をそろえた多様な付属建物が相次いで追加された。1862年には中央棟の後ろからつながる幼稚園と託児所が、1865年にはベーカリー、食料品店、カフェなどの付属施設が建てられた。つぎに1869年には学校と劇場が、1870年には洗濯場、浴場、プールなどの公共サービス施設が次々に建設された。こうした多様な施設の建設にあたっては、環境問題に対しても積極的に取り組んでいた。このように、ファミリステールは工場(1846)を中心とする生産の領域だけではなく、社会宮殿と名付けた家族のための共同住宅の建設(1859-77)から広場(1858)、商店(1859)、託児所・幼稚園(1866)、学校・劇場(1869)、洗濯場・浴場・プール(1870)、キャンブレ住居棟(1884)の建設に至るまで漸進的に建設されたことを確認している。

この部分は本論のもっとも具体的な箇所であって、ファミリステールの建築史的位置づけに対する著者の見解が明らかにされているところである。すなわち、ゴダンのファミリステールにおいては、機能と拡張を考慮した住居単位(ユニット)、近代的な設備、機能的なゾーニング、コミュニティ形成を促す装置など、近代住宅、近代都市へ向かう実質的な計画とみなしうる。

また、19世紀から20世紀にかけての建築・都市史的観点からみたゴダンとル・コルビュジエとの関係についてみると、一方は19世紀の社会改良家でありながら企業家の立場で、もう一方は20世紀の建築・都市計画家であったにもかかわらず、住居問題という共通したカテゴリーの中で接点が見出されている。とくに20世紀にル・コルビュジエが論じた空気、採光、換気などの衛生と関連した住居空間の概念は、1870年にゴダンが『社会的解決』のなかで記した新鮮な空気、豊富な採光、流れる水を利用した建築設備などと類似していることが確認された。すなわち、ゴダンとル・コルビュジエの共通性からは、ファミリステールが時代に先駆けた近代性と現実性を示唆しつつ、かつ独創的なコミュニティ実験であったという事実が明らかとなった。

(3) ファミリステールの過去と現在、そして未来へ;ファミリステールの修復と再生

現在の協会が行っているファミリステールの総合的な計画『ユートピア 2000-2015』は、19世紀にゴダンが実現した生活共同体をそのまま復元するに留まらず、現代における新たな必要性を十分加味し、住民はもちろん地域コミュニティを活性化することとともに、社会的、経済的、歴史的、都市・建築史的次元に至る幅広い分野で新しい価値創出に向かっていることが確認された。また、その具体的な事業の一環として、現段階においては住居建物の公共所有への作業が行われており、ヨーロッパ連合、政府、地方自治体などに至るまでの幅広い支援を受けながら活発に進行していることも著者の分析によって確認された。

(4) 19世紀から21世紀に至るゴダンのファミリステールを通じてみた「ユートピア」本来の有り様

19世紀のユートピア思想と触れ合ったサン・シモン、オーエン、フーリエのように、空想的社会主義者であったにもかかわらず、ユートピア的発想からかなり現実的に考えたゴダンは、以前、あるいは同時代のユートピア思想や理論に留まらず、実際に存在するユートピア共同体「ファミリステール」を実現した。「ユートピア」というどこにもない場所、いわゆる現実には決して存在しない理想的な社会が、現実社会に存在することになったのである。これは、当時の資本主義生産システムがもたらした労働者と貧民の劣悪な住居環境や衛生問題など、社会問題に対する解決策として実験的に具現化されたものであると結論づけている。

(5) 社会を変える憧れの建築「ファミリステール」

現代においては個人の自由という考え方が強いが、そのことが社会への無関心ということとは直接結びつかないだろう。にもかかわらず現実には、他人への無関心さは増すばかりで、今日の都市とりわけ大都市は建物、住居、人間の単なる物理的集合になりつつあると言ってもよい。このようにますます物質的に豊かになりつつある現代社会においては、物質的豊かさの前に、人々の問題意識は薄れてしまうのであろうか。いずれにせよ助け合いや、社会的連帯あるいは公共性が時代の経過とともに、ますます退歩しつつあるように見受けられることを述べ、ファミリステールの現代的に意義にまで踏み込んでいる。

以上を要するに、本論は従来部分的に触れられてきたに過ぎなかったゴダンのファミリステールについて、はじめてその全貌を明らかにすることを試み、史料を博捜して著者なりのファミリステール像を構築することに成功した。近代都市計画史の厖大な蓄積のうえにあらたな知見を加えたものとしてその学術的価値は高い。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

以上

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