学位論文要旨



No 126770
著者(漢字) チュウチェンチョン,ウェーラサック
著者(英字)
著者(カナ) チュウチェンチョン,ウェーラサック
標題(和) コンピュータ・シミュレーションによる建築物内火災時の避難経路選択行動に対する視環境情報の影響の検討に関する研究
標題(洋)
報告番号 126770
報告番号 甲26770
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7411号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 特任教授 柳原,隆司
 東京大学 准教授 野口,貴文
 東京大学 准教授 前,真之
 東京大学 特任教授 山田,常圭
内容要旨 要旨を表示する

近年は建築技術の進歩や危機管理意識の徹底が功を奏し、かつてのように大量の犠牲者が出る大規模建築物の火災の発生は少なくなっている。しかし、日常的には危険が意識されることなく利用されている高層ビルや互いに見知らぬ人同士が大勢集まる公共施設内で火災が発生したような場合を想定すると、それがたとえ小規模・部分的なものであっても、大規模な火災が発生したかのように大混乱に陥り、予想外に大きな犠牲を生じる危険性は存在している。このような事態を防止する上でも安全面でまだまだ検討を加え対応策を講じていく必要があると思われる。特に、国土が狭く都市部の土地の価格が高い日本のような国では、狭い土地の有効活用の名のもとに、建物の建設にあたって通路が狭く、しかも複雑な構造なものになりがちである。火災発生のような緊急事態下で、そのような空間から避難者を安全に出口に誘導するためには、火煙に対する避難経路の安全性を徹底的に向上させるとともに、避難行動を容易にするような避難経路設計が求められる。そのためにはいろいろな条件下での避難者の緊急時の避難行動の傾向を把握することが必要になるが、実際の火災現場の下での避難実験は、危険回避という面から一般的には実施困難である。

このような観点から、現在に至るまで、火災発生時の避難行動特性や避難経路選択行動について、さまざまな手法により定量的な関係づけやモデル化に向けた研究が行われ、人間の避難行動特性を考慮した避難経路設計への資料として蓄積されてきた。ただこれまで提案された避難行動モデルは、個々の避難行動特性を独立に捉えたものであり、空間特性や視環境情報との関係について、より実態に近い複数の避難行動特性を複合的に検討する知見は、まだ十分得られてはいないというのが実情である。

以上のような背景を踏まえ、より高度な安全性追求に向けて、本研究では、火災発生時の建物内における避難者の避難行動特性について視環境の影響を複合的に評価し、実験で得たデータにに基づいた避難者の行動モデルを策定し、避難シミュレーションプログラムを制作し、それによるシミュレーション実験を行った。

具体的には、まず、避難シミュレーションの基礎データとして避難者の避難経路選択行動習性のうち帰巣性、追従性について、この習性が顕在化した時の状況を定量的に得ることを目的とする実験を行う。すなわち、避難者がどのように避難路を選択するかを知り、選択肢別の選択比率のデータを得る。避難経路選択実験1では、ウォークスルーシステムによる避難シミュレータを開発し、それを利用して、避難者の避難経路選択行動実験を実施する。

次に、シミュレーションプログラム上の避難者モデルごとに避難行動を実行するために、避難行動動作の基礎となる視環境情報の「信頼度」を得ることを目的とした避難経路選択実験2を行う。「信頼度」とは避難者がそれぞれの視環境情報を比較して、どの程度重要視するかを定量的に表す数値(重み)である。避難経路選択実験2では、避難経路CG映像により避難時の視環境情報を評価することで、「信頼度」を求める。

最後に、避難経路選択実験1と2の結果を投入することで避難シミュレーションプログラムを完成させる。そして避難シミュレーションプログラム上の各視環境情報を変更することにより、避難行動への影響を検討するシミュレーション実験を行う。

以上のように、本研究は、任意の条件に対する効果を短時間に得ることのできるコンピュータ・シミュレーションの特長を利用し、避難経路選択行動に影響を与えるいろいろな視環境情報の条件を組み合わせて、東京大学工学部1号館における避難シミュレーションのケーススタディーを行い、避難者の避難完了時間を短縮するための視環境情報の条件を明らかにすることを目的とするものであり、さらに、その中から一般的に応用できる建築物内火災時の避難経路選択行動に影響する視環境情報の条件を導くものである。

なお、既往研究に見られたように個別の視環境情報を検証するだけでは不十分で、避難経路計画に向けてはいろいろな視環境情報を総合的に考慮することが必要であるとの考えから、本研究では、将来の総合的なシミュレーションへの第一歩として、単純化してはいるものの現時点で最低限必要だと思われる複数の視環境情報の条件を同時に組み込んだ避難シミュレーションを行い、また、より精度が高い次の手法への第一歩としての意味から、基本的な考え方として、人間の避難経路選択行動の妥当性と数理モデルとしての合理性の両面を追求することとする。

本研究は、7章で構成されている。

第1章は、序論であり、本研究の背景、既往研究と問題点、本研究の目的などについて述べている。

第2章では、避難行動アルゴリズムの作成について述べている。まず、既往研究から火災発生時の避難者の避難行動特性を蒐集し、その中から視環境に関する避難行動特性を選別する。選別した視環境に関する避難行動特性に基づく、コンピュータ・シミュレーションプログラム上の避難者モデルの避難行動アルゴリズムを作成した。そのアルゴリズムは、避難者が避難行動中に行動選択を行なう時点を示したものである。避難シミュレーション画面上に配置する各避難者モデルに、避難行動習性を持たせるためのデータを得るため、行動選択の比率と各視環境情報の信頼度を求める実験を行っている。

第3章では、避難シミュレーションプログラム上のエージェント別に、避難行動習性を持たせるための基礎データとして、避難者の避難経路選択行動習性のうち帰巣性、追従性について、避難経路選択時点での選択肢別の選択比率のデータを定量的に得ることを目的とする避難経路選択行動実験1について述べている。実験は、ウォークスルーシステムによる避難シミュレータを開発し、それを利用して、被験者による避難経路選択行動実験を実施することで避難者の避難行動特性を定量的に示した。実験の結果、火災発生を知った時点では帰巣性選択が50.0%、新規避難路探索選択が50.0%である。帰巣性を選んで、移動しようとした時、他の視環境情報が視野範囲に入った場合は、その情報に追従するのが53.4%、情報を無視して、引き続き帰巣性を選ぶのは46.6%である。新規避難路探索を選んだ避難者が視環境情報が視野範囲に入った場合は、100%がその情報に追従することが分かった。

第4章では、シミュレーションプログラム上のエージェントごとに避難行動を行わせるために、避難行動動作の基礎となる視環境情報の「信頼度」を得るために行った避難経路選択行動実験2について述べている。実験での視環境情報については2つの避難行動習性に関するものとした。追従性と本能的危険回避性である。追従性については、標識追従性と他避難者追従性の2つに分けた。本能的危険回避については、明るい方向に向かう習性と煙を回避する習性の2つである。実験は、上記各視環境情報の信頼度を定量的に捉えるために行うものである。実験方法は、被験者に左右2つの避難経路の映像を提示し、被験者はその2つの避難経路の映像を見る。そして避難経路としてどちらの映像を選ぶのか、また、その選択度合の強弱についての設問に回答してもらう。その回答の結果からの各視環境情報の得点を集計して信頼度とする。視環境情報の信頼度のデータを得たことで、シミュレーションプログラム上のエージェントごとに特性を持たせるため、シミュレーションの中の避難者避難行動のタイプの違いにより被験者は6グループに分けた。タイプの違いとは、4つの視環境情報のそれぞれについて、避難者が信頼する度合の高い順序のタイプである。各グループに属する被験者の実験結果からの信頼度得点の平均をとって、そのグループの信頼度得点とし、それをそのグループに属する全ての被験者の信頼度得点とした。それをシミュレーション上の避難者モデルの視環境情報信頼度得点とした。他避難者についての信頼度は、他避難者の人数が影響することが実験から分かった。この問題点については、実験で得られた他避難者の信頼度得点の平均から計算式を作成し、この計算式で他避難者人数に対応する信頼度得点を算出することができた。

第5章では、避難シミュレーションプログラムの開発について述べており、避難者モデル、避難行動アルゴリズム、ベクトルを利用した避難者モデル、信頼度得点、空間モデルなどについて説明している。

第6章では、避難シミュレーションの実行による検証について述べている。まず、実験1(第3章)の結果からの帰巣性を継続選択する避難者モデルの比率と実験2(第4章)の結果からの避難者モデルの避難行動タイプの比率を変更し、避難シミュレーションを20回実行した結果を比較し、シミュレーションのシステムとしてのロバスト性を検証した結果,比較的安定していることを確認した。次に、設定した避難シミュレーションの実行条件を種々変更し、同一条件下でのシミュレーションを20回実行して検証した結果から、現状の視環境情報を変更することで、より安全性が確保できることを示した。

第7章では、結語として全体のまとめ、今後の課題などについて述べている。

以上の通り、本研究においては、火災発生時の建物内における避難者の避難行動特性に関連を持つ視環境を評価するため、実験で得たデータに基づく避難行動アルゴリズムを作成し、避難シミュレーションのケーススタディーを行い、避難者の避難完了時間を短縮するための視環境情報の条件を明らかにし、さらに、その中から一般的に応用できる建築物内火災時の避難経路選択行動に影響する視環境情報の条件を導いた。

審査要旨 要旨を表示する

火災発生のような緊急事態下で,避難者を安全に出口に誘導するためには,火煙に対する避難経路の安全性を徹底的に向上させるとともに,避難行動を容易するような避難経路設計が求められる。そのためにはいろいろな条件下での避難者の緊急時の避難行動の傾向を把握することが必要になるが,実際の火災現場の下での避難実験は,危険回避という面から一般的に実施困難である。このような観点から,現在に至るまで,火災発生時の避難行動特性や避難経路選択行動について,さまざまな手法により定量的な関係づけやモデル化に向けた研究が行われ,人間の避難行動特性を考慮した避難経路設計への資料として蓄積されてきた。ただこれまで提案された避難行動モデルは,個々の避難行動特性を独立に捉えたものであり,空間特性や視環境情報との関係について,より実態に近い複数の避難行動特性を複合的に検討した知見は,まだ十分ではないというのが実情である。

以上のような背景を踏まえ,より高度な安全性追求に向けて,本論文では,任意の条件に対する効果を短時間に得ることのできるコンピュータ・シミュレーションの特長を利用し,避難経路選択行動に影響を与えるいろいろな視環境情報の条件を組み合わせて,東京大学工学部1号館における避難シミュレーションのケーススタディを行っている。避難者の避難完了時間を短縮するための視環境情報の条件を明らかにすることを目的とするものであり,さらに,その中から一般的に応用できる建築物内火災時の避難経路選択行動に影響する視環境情報の条件を導くものである。

本論文は,7章で構成されている。

第1章は序論であり,研究背景,既往研究・問題点,研究目的などについて述べている。

第2章では,既往研究から選別した視環境に関する避難行動特性に基づいたコンピュータ・シミュレーションプログラム上の避難者モデルの避難行動アルゴリズムの作成と,行動選択の比率と各視環境情報の信頼度を求める実験について述べている。

第3章では,避難行動習性を持たせるための基礎データとして,避難者の避難経路選択行動習性のうち帰巣性,追従性について,避難経路選択時点での選択肢別の選択比率のデータを定量的に得ることを目的とする避難経路選択行動実験について述べている。

第4章では,標識追従性と他避難者追従性からなる追従性と本能的危険回避性に関して,避難行動動作の基礎となる視環境情報の「信頼度」を得るために行った避難経路選択行動実験について述べており,避難者避難行動のタイプの違いを通じてシミュレーション上の避難者モデルの視環境情報信頼度得点を算出する方法を導入している。

第5章では,避難シミュレーションプログラムの開発について述べており,避難者モデル,避難行動アルゴリズム,ベクトルを利用した避難者モデル,信頼度得点,空間モデルなどについて説明している。

第6章では,避難シミュレーションの実行による検証について述べており,シミュレーションのシステムとしてのロバスト性を検証した結果,比較的安定していること,現状の視環境情報を変更することで,より安全性が確保できることを確認している。

第7章は結語であり,全体のまとめ,今後の課題について述べている。

本論文の成果としては,火災発生時の建物内における避難者の避難行動特性に関連を持つ視環境を評価するため,実験で得たデータに基づく避難行動アルゴリズムを作成し,避難シミュレーションのケーススタディを行い,避難者の避難完了時間を短縮するための視環境情報の条件を明らかにし,さらに,その中から一般的に応用できる建築物内火災時の避難経路選択行動に影響する視環境情報の条件を導いたことにある。また,本研究は,将来の総合的なシミュレーションへの第一歩として,単純化してはいるものの現時点で最低限必要だと思われる複数の視環境情報の条件を同時に組み込んだ避難シミュレーションを行うなど,この分野の研究上の開拓を行ったものと位置づけられる。以上のように,本論文の工学に対する寄与は大きなものであると考えられる。

審査過程では,研究目的と内容との整合性,避難行動アルゴリズムの合理性,避難シミュレーションの意義などに関する指摘があり,論文題目の変更も含め部分的な修正が行われたが,結果として研究論文として満足できる水準に到達している。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

以上

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