学位論文要旨



No 126775
著者(漢字) 永野,秀明
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,ヒデアキ
標題(和) 呼吸空気質改善のための人体周辺微気象解析
標題(洋)
報告番号 126775
報告番号 甲26775
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7416号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 教授 鹿園,直毅
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、人体の健康増進のために呼吸空気の質を改善することを目的に、人体近傍の気流性状、汚染質拡散を解析し、またその特性から効果的な呼吸空気質改善効果を提案するものである。

人体の肺胞におけるガス交換によって直接的に血液に取り込まれる呼吸空気は、人体に有害な物質が含まれていた場合、深刻な健康リスクとなる可能性がある。建築室内においては空調設備機器によって室内空気を制御し一定の空気質を保つのであるが、この時室内空気は温度や汚染質濃度などの勾配を持たないという完全混合が前提となっている。したがって、空調機は室中央などにおける代表温度・代表濃度を対象に、これらが目標値に達するよう運転される。しかし人体近傍では人体からの発熱やそれに伴う熱上昇流や自身の身体活動により複雑な気流が形成され、温度勾配が生じている。またその複雑な気流の内部において汚染質が発生する場合、汚染質濃度においても勾配が生じることとなる。人体が呼吸によって体内に取り入れる空気はこの人体近傍の空気であるため、室内の代表的な空気質と人体の呼吸空気質は大きく異なると考えられる。

そこで本研究では、人体の呼吸空気質を効果的に改善することを最終目的として、人体近傍での汚染質の混合・拡散を検討し、また具体的な呼吸空気質改善手法を提案するとともにその改善効果を評価した。

本論文は、本章を含めた全8章で構成される。

第1章では、本論文の研究背景として、人体の呼吸活動の性質と空調機の役割、同時に設備機器が目指すべき省エネルギー性などに触れ、汚染源の特性把握や混合特性を検討することを通じて呼吸空気質改善手法を模索するという本研究の目的を述べた。

第2章では、本研究で用いた実験手法及び数値シミュレーション手法について概説した。用いた測定機器の測定原理及び仕様について述べ、本研究で用いることの正当性を示した。シミュレーションについては現在までに検討されてきた数値解析手法を用い、また人体体温調節の概要とその再現モデルについて述べた。

さらに、本研究に関わる既存のシステムや既往の研究事例について概説した。従来の完全混合換気方式に対する置換換気方式の特徴や、タスク・アンビエント空調方式の定義、パーソナル空調の特徴について述べた。

第3章では、人体周辺の熱上昇流が重要となる置換換気方式によって換気される室内における立位人体周辺気流性状を数値シミュレーションにより検討した。梁らによって過去に行われた実験データと比較し、人体表面の発熱固定条件とFangerの熱的中立方程式条件においては周辺の気流性状に大きな違いはないことを示した。

第4章では、建築室内よりも狭小であるがゆえに空間全域が人体周辺となる車内空間を対象に、足元から空調空気が吹き出すフットモード方式によって換気される車内で汚染質が発生した場合の呼吸空気質と換気による給気・排気性状を実験により検討した。

続いて第5章では、汚染質発生源がさらに人体直近となった場合を想定し、人体が携行する身の回り品から汚染質が発生する場合の拡散性状と呼吸空気質を実験により検討した。人体近傍から汚染ガスが発生する場合、呼吸域が近いことから呼吸空気質は発生源の形状や発生方向に大きく影響され、下流ほどその影響は小さくなることが示された。携帯電話の場合、排出ガスの排気方向などによって健康リスクが大きく左右されることがわかった。

第4・5章での汚染質発生条件と呼吸空気質の検討結果を受けて第6章では、汚染質ではなく清浄空気を人体直近から供給することを提案し、人体装着型(ウェアラブル)の空気清浄機を考案した。そして本清浄機による呼吸空気質改善効果をCFD解析により検討した。その結果、本清浄機により呼吸空気質を改善できることがわかった。

第7章では、第5章における汚染質の拡散・混合の検討から着想を得、第6章の検討手法において吹き出す清浄空気を効率的に呼吸域へ到達させることを考え、混合を低減することで効果的に清浄空気を搬送することが可能な二重吹出気流を用いた机設置型パーソナル空調を提案し、トレーサガス実験により呼吸空気質改善効果を検討した。その結果から、吹出空気の混合・拡散を低減するために等風速の還気を吹き出す手法の効果が確認された。

第8章では、まとめとして本研究の成果と、今後の研究課題を示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、人体近傍における汚染質の拡散挙動に着目し、その特性を明らかにすることで呼吸域周辺に形成される微気象を予測し、人体が呼吸によって吸引する空気の質を高める手法を開発する研究である。

建築室内外を問わず汚染質が発生した場合、第一に人体への健康影響が懸念されるが、これを制御・調整することは環境工学の目的にかなう。しかし、単に環境を制御するのではなく、効率的に為すために重要なのは、環境を高精度に予測すること、現象の特性を明らかにすること、その特性に即した手法を選択することである。そのような背景を受け、本研究では従来の換気設計の際に前提とされていた汚染質の瞬時一様拡散・完全混合とは異なり、人体により形成される不均一な環境に着目している。汚染質の発生量が微量でかつ瞬時一様拡散が成立するならば、空間の汚染質濃度は極めて低くなり、人体の健康リスクを評価することができない。しかし実環境のように不均一性がありなおかつ汚染質発生源が人体近傍に位置する場合、たとえその発生量が微量であったとしても、拡散性状によっては高濃度の汚染質を吸引する可能性がある。多くの設計ではそのような状況は想定されておらず、排出側も対処側も共に指針とすべき検討事例が少ないのが実情である。本研究ではそのような条件下における呼吸空気質を実験と数値シミュレーションを用いて検討し、発生源位置による呼吸空気質の悪化リスクを評価した。またそれらの検討を通じて得られた知見を利用して新たな空調手法を提案し、これによって人体近傍の空気質を効果的に改善し得るとの結果を得ている。

本論文は、本章を含めた全8章で構成される。

第1章では、研究背景として人体が呼吸する空気の由来や特性について述べ、工学的手法により呼吸空気の質を改善することの重要性を論じた。また従来の環境制御手法である空気調和方式の特性とそれにより引き起こされ得る問題について提起した。

第2章では、測定実験や数値シミュレーションなどの本研究で用いた検討手法について詳細に記述し、本研究で用いることの有効性を示した。測定機器においてはその動作原理・検出法について述べ、数値シミュレーションにおいては使用したコードと支配方程式を概説した。また従来の空調設計が前提とする瞬時一様拡散・完全混合について触れ、さらに各空調方式により形成される空気環境の特性を述べた。さらに本研究が前提とする既往の研究成果や類似の研究事例を列挙したうえで、本研究の独自性を明確にした。

第3章では、環境予測精度検証として過去の実験に対応する数値シミュレーションを行い、人体周辺の上昇流の性状把握を行った。また人体の発熱条件の違いにより上昇流の発達に差異が生じるかを検証し、簡易な発熱条件を用いても微気象には大きな影響を及ぼさないことを確認した。

第4章では、引き続き実験と数値シミュレーションを用いて、狭小な空間である車室内を対象に、人体の呼吸空気質と空調の換気効率を検討した。人体直近である座面などから汚染質が発生した場合には、呼吸空気質が悪化し得ることを示した。

続いて第5章では、さらに危険側の検討として人体の身の回りのものから汚染質が発生する条件における呼吸空気質を風洞実験により検討した。人体の無い自由空間における汚染質拡散性状と、人体がある場合の呼吸空気質との比較検討から、人体の有無によって室内対象点の空気質が変化することを明らかにした。

これらの検討を受けて、従来よりも効率的に呼吸空気質を改善する手法の提案として、第6章では人体が身につけるウェアラブルな空気清浄機を提案した。本手法では、清浄空気が人体の移動や姿勢変化などの活動に追随して呼吸域をカバーする点に独創性があるといえる。本手法を想定した数値シミュレーションを行い、立位人体の周辺上昇流が支配的となる置換換気方式において汚染質が発生した場合の呼吸空気質を評価し、本手法が有効であることを示した。

第7章では、椅座位人体では呼吸位置が大きく変化しないことを前提とし、供給空気が周辺空気と混合することを抑制する低混合型の空調方式を提案し、その試作と実験により人体の呼吸空気質改善効果を検討した。

第8章では、まとめとして本研究の成果と、今後の研究課題を示した。

以上を総括するに、本論文では従来の空調設計時に仮定されていた完全混合・瞬時一様拡散では人体近傍からの汚染質発生に対応できないことを示し、まず人体周辺微気象の数値シミュレーションの精度検証を行ったうえで、換気量だけでなく換気効率を念頭に置いた換気設計の重要性や、人体周辺上昇流を考慮した環境予測及び空調方式の選択が必要であることを示している点において、本論文は評価に価する。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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