学位論文要旨



No 126781
著者(漢字) 牧,浩太郎
著者(英字)
著者(カナ) マキ,コウタロウ
標題(和) 既成市街地における居住環境向上施策の便益計測に関する研究
標題(洋)
報告番号 126781
報告番号 甲26781
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7422号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 准教授 羽藤,英二
 東京大学 准教授 加藤,浩徳
 東京大学 准教授 大森,宣暁
内容要旨 要旨を表示する

従来の都市基盤整備は、主に、市街地の拡大に伴い、新規市街地において既存施設の充足を目的に実施されてきた。近年、既成市街地において、既存施設の質の向上による居住環境向上を目的とする施策が進められてきている。居住環境向上施策は、従来の都市基盤整備と比較して、既に居住している人がいるなかで、その居住環境を向上することを目的としている。

居住環境向上の効果を客観的に便益として提示することは難しいが、都市再生等の都市整備にあたり、居住環境の向上についても十分な取り組みが行われていくためには、居住環境向上の便益計測手法に関する研究を更に進展させ、実務的にも活用可能な知見を蓄積する必要がある。

居住環境向上施策の便益計測にあたり、まず、居住環境を適切に把握するため、居住環境を要素に分解する必要がある。居住環境の構成要素については、浅見編(2001)「住環境-評価方法と理論-」において、5要素((1)安全性、(2)保健性、(3)利便性、(4)快適性、(5)持続可能性)が示されている。本研究は施策による居住環境向上の便益計測を対象とするため、施策として当該効果へ直接的な関与が可能であり、当該効果の捉え方について十分に整理された効果を対象とする。また、既に実務的な便益計測手法が確立された効果については、研究の対象外とする。したがって、これらの要素のうち、既成市街地による居住環境向上施策による効果が期待される要素として、(1)安全性(特に、防犯性、木造密集地の解消等による地震や火災等に関する防災性の向上)、(3)利便性(特に、所要時間や移動コストの削減による評価が困難な効果=本研究では特に賑わいのある地区が近隣にあることの効果に着目する)、(4)快適性(特に、空間の性能、構成、自然共生、地域に蓄積された意味など多様な要因と関連する景観の向上)を研究対象とする。

本研究は、便益計測手法の実務的な適用可能性に着目する。実務的な便益計測における制約として、公的主体が限られた予算や期間のなかで説明責任を果たせる分析を行うために、データに関して、統計や事業計画書に基づくなど入手容易性や客観性が求められる。分析手法に関して、専門的なソフトウェアや高度な分析技術を活用できるとは限らないため、シミュレーションの実施といった煩雑な計算を用いずに、回帰式への数値の代入などにより便益を算出できる簡便性が求められる。

各要素の便益計測に当たっては、いくつかの既存研究がみられる。例えば、防災性向上の価値についてヘドニック分析などを適用した研究事例、農村や古都などの景観を対象にCVMやコンジョイント分析を適用した研究事例がある。しかし、居住環境の向上に資する具体的な施策を評価するためには施策として対策が可能なことについて分析する必要があるため、例えば、地域間の差異や居住環境の状態の差異(防災性の高い地域と低い地域における差異)ではなく、施策の有無における差異(都市基盤の整備に伴う、道路空間や空地の確保、建築物の不燃化を進めることによる価値向上)について分析できる必要がある。さらに、既成市街地では施策の実施にあたり多様な主体が関係するため、嗜好の多様性を考慮した分析も求められる。従って、施策の有無による居住環境の差異について実務的に分析可能な便益計測手法を検討するとともに、価値観の多様性を考慮した分析手法を検討することを目的とする。

研究対象とする効果は、以下の3点とする。

・低未利用地の有効利用による犯罪の低減や賑わいの向上などの多面的な効果

・木造密集地の解消等による、地震、火災等に関する防災性向上の効果

・空間の性能、構成、自然共生、地域に蓄積された意味など多様な要因と関連する景観向上の効果

研究対象施策については、公共による取組みであり、多様な効果をもたらす施策が望ましい。近年、既成市街地の用地買収等が困難な地域においては、まちづくりの多様な施策と土地区画整理事業を組み合わせることで、より円滑な施策の実施が図られている。このような土地区画整理事業は「柔らかい土地区画整理事業」と呼ばれ、例えば、暗い雰囲気の商店街の改善、商業施設の再配置や集約化、密集市街地における行き止まりの私道の解消などの施策に活用されており、既成市街地における多様な効果の発現に寄与する。また、景観の向上に関しては、直接的な公的な都市基盤整備において景観の向上が主目的とされる事例はほとんど無いが、多面的な景観向上を目的とする施策として、景観等に関する規制誘導施策が考えられる。従って、低未利用地の有効利用及び防災性の向上については土地区画整理事業を活用した各種関連施策を取り上げ、景観については、必ずしも都市基盤整備を伴わないため、景観規制による景観向上施策を想定した。

研究対象とする非市場財の便益計測手法は多様な手法が考えられるが、土地区画整理事業を用いた各種関連施策による効果については、事業地区やその周辺部に帰着することが想定されるため、市場で形成される土地価格に関するヘドニック法による分析を適用した。景観規制等の景観誘導施策による効果については、景観に対して感じる効用について、嗜好の多様性を考慮できる非集計分析を行うため、住民等へのアンケート調査に基づくコンジョイント分析として効用関数を推定した。

各章の要旨は以下のとおりである。

第2章では、低・未利用地の高度利用に資する土地区画整理事業の事業特性を適切に評価するため、事業による効果を体系的に整理し、事業の実施前に設定可能な指標を説明変数として検討した。設定された説明変数を用いて地価関数を推定し、各説明変数について統計的に有意な結果が得られた。ケーススタディとして、都市基盤の整備に加えて高度利用に関する効果が期待される分析を行い、本章で推定した地価関数による分析では、「土地区画整理事業における費用便益分析マニュアル(案)」の地価関数と比べて地価単価の変化率が大きくなることを確認した。以上より、犯罪の低減や賑わいの向上などの効果を体系的に整理し、事業の実施前に設定可能な指標で分析する方法を示した。

第3章では、各町丁目の防災性に関する各指標を説明変数として各町丁目の地域危険度を説明する関数を推定した。被説明変数となる地域危険度は順序性のある離散変数であるため、オーダードロジットモデル型の関数とした。推定された関数より、事業実施前の入手容易性の高い指標(道路率、空地率、建ぺい率及び不燃化率)から、危険度の各ランクになる確率の分布を説明する手法を構築した。この関数にあわせて、説明変数として地域危険度を用いた地価関数を用いることで、地域危険度の算定における複雑なシミュレーションを用いずに、事業の実施前に事業計画書等から整理可能な指標から、防災性向上の便益を計測可能となった。

第4章では、景観規制や分析対象地域で実現している景観を適切に表現したコンジョイント分析を実施した。具体的には、景観規制や分析対象地域で実現している景観に基づいて、コンジョイント分析のプロファイルの指標、各指標の水準、写真を作成して分析を実施した。さらに、各景観構成要素に関する嗜好の多様性を念頭に、嗜好の異なるセグメントごとの支払意思の差異について分析した。いずれのセグメントについても符号の逆転しない要素については、景観規制に異論が少なく積極的な取り組みが妥当と考えられ、セグメントにより符号の逆転する要素については、意見の相違が予想されるため、「規制の対象外」、「当該要素は規制せずに結果的に意図した景観が実現される上手な規制を検討」等の慎重な対応が考えられる。例えば、市内居住者の分析結果より、建築物がほぼ見えない景観の実現には賛否が分かれるが、遠景に高層の建築物が見える景観には正の効用は観測されなかったことを踏まえ、高層建築物は規制するが、建築物を低層に限定するほどの規制は行わない方針が考えられる。

本研究では、低未利用地の有効利用、防災性向上および景観向上について、実務的な適用可能性の高い便益計測手法を検討した。実務的な便益計測における制約を鑑みて、統計や事業計画書などから入手容易で客観的なデータにより便益を計測できる手法を構築した。また、分析手法に関しては、専門的なソフトウェアや高度な分析技術を活用できるとは限らないため、煩雑なシミュレーションを用いずに、回帰式への各数値の代入などにより便益を算出できる簡便なモデルを構築した。さらに、嗜好の多様性を評価できる便益計測手法を構築した。以上により、居住環境に関する便益計測手法の拡充を行うとともに、実務における居住環境向上施策に関する便益計測手法の確立に資する研究を行った。

以上

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、低未利用地の有効利用、防災性向上および景観向上を目的とする居住環境向上策を対象に、施策の有無による差異を分析し、多様性について考慮できる便益計測手法を構築し、その有用性を明らかにしたものである。

第一章は、居住環境向上施策の効果と捉え方の変遷を整理すると共に、既存研究をレビューし、時代の要請に応える新たな便益評価手法が必要であるという研究目的を設定している。

居住環境の5要素(安全性、保健性、利便性、快適性、持続可能性)に関する既存研究レビューと最近の居住環境施策の動向を基に、便益計測手法の改善の必要性が高いものとして、(1)低未利用地の有効利用による犯罪の低減や賑わいの向上などの多面的な効果、(2)木造密集地の解消等による、地震、火災等に関する防災性向上の効果、(3)空間の性能、構成、自然との共生、地域に蓄積された意味など多様な要因と関連する景観向上の効果を選定している。具体的に、(1)と(2)は、多様な施策と組合せた土地区画整理事業の効果として、(3)は、景観規制等による景観誘導施策の効果として、それらの便益計測手法を開発することを目的としている。

第二章は、低未利用地の高度利用に資する土地区画整理事業を想定し、その事業特性を適切に評価するために実務的に利用可能な説明変数を用いて地価関数を推定し、昼間人口密度(街の賑わい、防犯性)、不燃領域率(防災性の向上)、前面道路幅員(防災性、収益性の向上)、地積(その他の大街区化による効果)等の各説明変数について統計的に有意な結果が得られた。また、ケーススタディとして、推定された地価関数を用いて、事業による地価単価の上昇率を計測した。本章で推定した地価関数による分析では、マニュアル案における地価関数に基づく結果と比べて地価単価の変化率が大きくなっており、都市基盤の整備の便益に加えて高度利用に関する多様な便益についても捉えられたと考えられる。

第三章では、地震に関する防災性の指標である地域危険度を用いた地価関数を推定するとともに、事業の実施前に設定可能な防災性に関する各指標(道路率、空地率、建ぺい率および不燃化率)により、地域危険度を説明する関数を推定した。住宅地および商業地に関する地価関数の推定より、防災性が地価に帰着し、さらに地域危険度を用いた場合に自由度調整済み決定係数が最大となることを確認した。また、地域危険度を説明する関数より、道路率、空地率、建ぺい率および不燃化率と、危険度の各ランクとの間の関係を確認した。これらの両関数を用いることで、道路率、空地率、建ぺい率および不燃化率といった具体的な施策の内容を反映した指標を用いて、都市基盤整備に伴う防災性の向上による便益の計測が可能となった。さらに、便益帰着表を作成して、主体ごとの便益の違いを整理した。

第四章では、具体的な都市を対象に、当該自治体の景観計画等を踏まえてコンジョイント分析を行った。景観法に基づく景観計画区域、景観地区など一定の区域を対象とする規制を念頭に、通りからの街並みの景観を対象に分析を行った。また、当該自治体による景観に関する規制の有無により差異の生じる構成要素に着目し、景観計画、現地の状況、用途規制等を参考に、各構成要素について実現し得るレベルでコンジョイント分析のプロファイルを作成した。各設問のプロファイルについて、視覚的に理解しやすくするため、現地周辺の写真を加工した合成写真を提示した。分析の結果、景観計画等により差異が生じる景観の各構成要素について、効用関数の説明変数として統計的に有意な結果が得られた。また、各景観構成要素に関する回答者の嗜好が一様ではないことが予想されるため、セグメントごとの支払意思の差異について分析した。景観に関する規制を行うことについて異論が少ないために積極的に取り組みを行うことが妥当と考えられる景観要素と、意見に相違がみられることが予想されるために慎重な合意形成が必要と考えられる景観要素を整理した。今後、具体的な施策を対象に景観形成に関する経済的価値の分析が求められる際には、本章と同様の手法で分析が可能である。

以上より、本研究は、居住環境向上施策の中で、便益計測手法の開発が必要な対象を整理し、具体的に、土地区画整理事業による低未利用地の有効利用と防犯性向上の施策効果が計測可能な便益計測手法と、歴史的な街並みの保全事業による景観形成の嗜好の多様性を考慮した便益計測手法に関して、施策の有無による居住環境の差異について、実務的に分析可能な便益計測手法を提示した。また、各章におけるケーススタディにより、既存の研究では実務的に便益計測が困難であった効果について本研究により提示した手法では分析できること、既存の実務的な分析手法に比べてより適切に分析できることを示した。

これらの研究成果は、既成市街地における居住環境向上施策の便益計測手法の改善に大きく貢献するものである。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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