学位論文要旨



No 126789
著者(漢字) 山,糧
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,リョウ
標題(和) 低マッハ数のファンから発生する流体音の数値計算
標題(洋)
報告番号 126789
報告番号 甲26789
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7430号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 大島,まり
 東京大学 教授 鹿園,直毅
 東京大学 准教授 白樫,了
 豊橋技術科学大学 教授 飯田,明由
内容要旨 要旨を表示する

国内外の低騒音環境に対する意識は年々高まっており,小型化・高速化に伴い増大するファンの流体音(以下、ファン騒音)の低減化が強く求められている。従来研究により、ファン騒音の特徴および主要な音源についてはある程度明らかになっているものの、ファン騒音の定量的な予測手法は確立されていなかった。そのため、実際のファンの設計および実機へのファン実装においては経験的な知見に頼るところも多く、ファン騒音の根本的な対策は困難な状況にあった.そこで本論文では、ファン騒音の定量的な予測の実現を目的として、新しい音の予測手法を提案し、基礎的な検証において提案手法の有用性および適用限界について明らかにしたのち、実証問題として提案手法をプロペラファン騒音に適用し、騒音の定量的予測を行った。

従来研究における低マッハ数のファン騒音の予測精度が低かった理由の一つに、物体の大きさが音の波長に対し非コンパクトであることを考慮しない予測手法に基づいていたことが挙げられる。一般に、低マッハ数の流れから発生する流体音の予測は、計算効率の関係からLighthillの音響学的類推に基づく流れと音の分離解法により行われ、とりわけ非圧縮性流れ解析により求めた物体表面の圧力変動を、流体音の基礎式であるLighthill方程式の種々の境界条件における積分解に入力し遠方場音を計算するという手法が多用されてきた。しかしながら、物体の大きさが非コンパクトとなる場合には物体表面における音の散乱が重要となるため、流れ解析で得られた音源情報に音の位相が考慮されていない上述の手法では、予測精度が著しく低下する。このような問題への対策として、流れ解析で求めた渦音源を用いた音響解析により、音の位相を含んだ物体表面の圧力を求める手法が提案されているが、この手法はポテンシャル干渉も主要な音源となるファン騒音には適用できない。そこで、物体の大きさが非コンパクトであり、かつポテンシャル干渉が主要な音源となるようなファン騒音に適用可能な新しい音の予測手法として、ファン近傍の主要な圧力変動を一点に集中した二重極音源としてコンパクト近似し、その音源からの放射音が周囲の物体で散乱される効果を音響解析により考慮する手法を提案した。本手法は、Green関数として自由空間のGreen関数の代わりに、物体表面の法線方向の微分がゼロとなるTailored Green関数を用いることで、音源と音響効果を分離して議論でき、また音圧レベルの平均化が容易に行えるという利点がある。

次いで、前縁を丸めた平板の後縁音を対象に、提案する音の予測手法の基礎的検証を行った。まず、平板上の主要な音源は後縁近傍にコンパクトに存在すると仮定して、非圧縮性流れ解析により求めた表面圧力変動から提案した音響解析の基礎式における点の二重極音源を与え、平板の残りの表面は音源からの散乱効果を及ぼすだけの役割であると考え、これを音響解析における散乱面として音場の方程式を解き、遠方場音を計算した。このとき、マッハ数を変えることで音源のコンパクト性を表すパラメータであるc/λ(cは平板の長さ、λは音の波長)を変化させ、真の音源である渦音源のみを音源として用いた音響解析により得た音場と比較し、提案する音の予測手法の有効性とその適用限界を調べた。その結果,以下の知見を得た.

(1)物体の大きさがコンパクト(c/λ<<1)な場合における平板の垂直方向の二重極的な指向性は,c/λが0.4を超える辺りから複雑な指向性に変化する.

(2)非圧縮性流れ解析で求めた表面圧力変動を二重極音源として含める範囲は、表面全体の最大圧力変動の10%程度の強さとなる範囲までとすれば十分であることが分かった。

(3)提案する音の予測手法の適用限界は、上記のように決めた二重極音源の範囲が波長の1/4程度となるような周波数までであることが分かった。

さらに、応用問題として、動翼直径74mm、回転数3400rpmの小型のプロペラファンから発生する騒音の予測を行った。まず、音源情報を得るために、約500万要素のメッシュ3次元非圧縮性LES解析によりファン周りの流れを計算した。また、計算結果の精度検証のため、ファン性能測定装置により静圧上昇および騒音を計測し,PIVによりファン後流の速度分布を取得した。その結果,以下の知見を得た.

(1)ファンの静圧上昇は実験値とよく一致した.また,ファン後流の流れ場はPIV計測の結果と定性的に一致し,低流量域においてファン後流の流出方向が軸方向から遠心方向に変化することを示した。

(2)低流量域において旋回失速セルが発生し,翼の回転速度の約40%で翼前縁翼端に次々と干渉し,強い圧力変動をもたらすことが分かった.

(3)本計算対象ファンのレイノルズ数は低く、ファン周りの流れはほぼ層流と考えられるが、確認のためメッシュ解像度を10倍に上げた計算も行ったところ、動翼上に明確な乱流境界層は形成されず,流れおよび音の予測精度への影響はほとんどなかった。すなわち,本計算対象のような低レイノルズ数のファンでは高々500万要素程度の計算メッシュでも十分な精度で流れが予測可能であることが分かった.

(4)騒音の計測環境において床面の吸音床を取り外すと,床面からの音の反射により広帯域成分ではなく,ピーク成分に強い影響を及ぼすことがわかった.ファン騒音の測定にはマイクの設置点の全方向に吸音材の敷設が必要である.

次いで、提案する音の予測手法によりファン騒音を計算し、以下の知見を得た。

(1)提案する音の予測手法により計算された騒音スペクトルは実験と高精度に一致し、本手法によりファン騒音が定量的に予測できることを示した。

(2)ファン周囲に存在するチャンバ装置等の音響効果により、騒音の低周波成分が著しく増大することが分かった。一方、高周波側では音響効果はほとんど生じないが、これは高周波の音は回折効果が小さく、したがってファン周囲の物体と干渉せずに観測点に直接到達するためであると考えられる。

(3)ファンの周囲に物体があるなしに関わらず、ファンの音源は、ファン直径と波長が同程度の大きさになる周波数まではコンパクトと見なせる。

(4)提案する音の予測手法の適用限界は、本解析対象ファンに対しては波長がファンの直径に近くなる1200Hz程度であるが、騒音として寄与する主要な周波数範囲はこれよりも低く、予測精度に影響はない。

(5)本手法は軸流・斜流・遠心とファンの形式を問わず全ての形式の低マッハ数のファン騒音に適用可能であり、応用性が極めて高い手法といえる。

以上、本研究で提案した音の予測手法により、低マッハ数のファン騒音を定量的に予測できることが示された。本手法は計算コストが低く、既存の流れ解析手法および音響解析手法の枠組みの中で行えるものであり、極めて実用性が高い。本研究の成果により、産業界での実際の製品設計におけるファン騒音の予測精度が飛躍的に向上し、快適な低騒音環境の実現に大きく貢献するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「低マッハ数のファンから発生する流体音の数値計算」と題し、全5章から構成されている。

従来研究における低マッハ数のファンから発生する流体音(以下、ファン騒音)の予測は、物体の大きさが音の波長に対し非コンパクトであることを考慮しない予測手法に基づいていたため、その予測精度は低く、実際の設計に適用することはできなかった。本論文では、主要な音源の分布範囲が波長に対しコンパクトであることに着目し、コンパクト近似した音源から放射される音が音源の周囲の物体で散乱される効果を音響解析により考慮する音の新しい予測手法を提案し、基礎的な問題において検証したのち、実証問題としてファン騒音に適用し、騒音の定量的な予測を実現したという内容である。

以下に、各章の内容をまとめる。

第1章では、研究の背景として、ファンの小型・高速化に伴い増大するファン騒音の低減が問題となっていることを述べたのち、従来研究において明らかとなっているファン騒音の音源およびその低減手法について整理している。次いで、流体音の計算手法が直接計算と分離計算に二分され、低マッハ数においては計算コストの点から後者の分離計算が多用されることを述べたのち、それらの手法をファン騒音の予測に適用した従来研究について詳述し、従来研究の多くが物体の大きさが音の波長に対し非コンパクトであることを考慮しない予測手法に基づいていたこと、そのため十分な予測精度が得られていなかったことを指摘している。このような背景の下、本研究の目的として、物体の大きさが非コンパクトとなる場合における、物体の音響効果を考慮した音の予測手法を提案し、ファン騒音の定量的な予測手法を実現することを述べている。

第2章では、流体音の基礎式および種々の境界条件における基礎式の積分解について整理し、それらの適用範囲について述べている。次いで、従来の低マッハ数の流れから発生する流体音の予測において多用されてきた、非圧縮性流れ解析で求めた物体表面の圧力を積分解に入力する分離計算では、流れ解析で得られた音源情報に音の位相が考慮されていないために、物体の大きさが非コンパクトとなる場合に音の予測精度が著しく低下することを述べている。このような問題への対策として、流れ解析で求めた渦音源を用いた音響解析により、音の位相を含んだ物体表面の圧力を求める手法が提案されているが、この手法はポテンシャル干渉も主要な音源となるファン騒音には適用できない点を指摘している。そこで、物体の大きさが非コンパクトであり、かつポテンシャル干渉が音源となるようなファン騒音に適用可能な新しい音の予測手法として、ファン近傍の主要な圧力変動を一点に集中した二重極音源としてコンパクト近似し、その音源からの放射音が周囲の物体で散乱される効果を音響解析により考慮する手法を提案している。本手法は、Green関数として自由空間のGreen関数の代わりに、物体表面の法線方向の微分がゼロとなるTailored Green関数を用いることで、音源と音響効果を分離して議論でき、また音圧レベルの平均化が容易に行えるという利点があることを述べている。

第3章では、前縁を丸めた平板の後縁音を対象に、提案する音の予測手法の基礎的検証を行った。まず、平板上の主要な音源は後縁近傍にコンパクトに存在すると仮定して、非圧縮性流れ解析により求めた表面圧力変動から提案した音響解析の基礎式における点の二重極音源を与え、平板の残りの表面は音源からの散乱効果を及ぼすだけの役割であると考え、これを音響解析における散乱面として音場の方程式を解き、遠方場音を計算した。このとき、マッハ数を変えることで音源のコンパクト性を表すパラメータであるc/λを変化させ、真の音源である渦音源のみを音源として用いた音響解析により得た音場と比較し、提案する音の予測手法の有効性とその適用限界を調べた。その結果、非圧縮性流れ解析で求めた表面圧力変動を二重極音源として含める範囲は、表面全体の最大圧力変動の10%程度の強さとなる範囲までとすれば十分であることが分かった。また、提案する音の予測手法の適用限界は、上記のように決めた二重極音源の範囲が波長の1/4程度となるような周波数までであることが分かった。

第4章では、実証問題として小型のプロペラファンを対象に、提案する音の予測手法によりファン騒音を計算し、実測結果と比較・検証することにより、以下の知見を得た。

(1)提案する音の予測手法により計算された騒音スペクトルは実験と高精度に一致し、本手法によりファン騒音が定量的に予測できることを示した。

(2)ファン周囲に存在するチャンバ装置等の音響効果により、騒音の低周波成分が大きく増大することが分かった。一方、高周波側では音響効果はほとんど生じないが、これは高周波の音は回折効果が小さく、したがってファン周囲の物体と干渉せずに観測点に直接到達するためであると考えられる。

(3)ファンの周囲に物体があるなしに関わらず、ファンの音源は、ファン直径と波長が同程度の大きさになる周波数まではコンパクトと見なせる。

(4)提案する音の予測手法の適用限界は、本解析対象ファンに対しては波長がファンの直径に近くなる1200Hz程度であるが、騒音として寄与する主要な周波数範囲はこれよりも低く、予測精度に影響はない。

第5章では、本研究で得られた新たな学術的・工学的知見をまとめて記述している。

以上、本研究により、物体の大きさは音の波長に対し非コンパクトであるが、物体表面の主要な圧力変動の分布範囲はコンパクトである点に着目した新しい音の予測手法により、低マッハ数のファン騒音の定量的な予測を初めて実現することができた。本手法は計算コストが低く、軸流・斜流・遠心とファンの形式を問わず全ての形式の低マッハ数のファン騒音に適用可能であり、応用性が極めて高い手法といえる。また、ファンの周囲に存在するチャンバ装置のような広い面積を持つ物体の音響効果により、低周波域において騒音レベルが増大することが明らかとなった。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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