学位論文要旨



No 126796
著者(漢字) 犬塚,一徹
著者(英字)
著者(カナ) イヌヅカ,イッテツ
標題(和) ALE有限要素法による羽ばたき翼シミュレーションと多目的デザイン
標題(洋)
報告番号 126796
報告番号 甲26796
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7437号
研究科 工学系研究科
専攻 システム創成学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 教授 奥田,洋司
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 准教授 村山,英晶
 東京大学 准教授 酒井,幹夫
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

近年,MAV(Micro Air Vehicle)と呼ばれる小型の飛行ロボットの研究・開発が盛んに行なわれている.これは数mm~十数cm程度のスケールで,狭窄地や極限環境での調査・観測を主な用途としている.このようなサイズでは,粘性等の効果により従来の固定翼機や回転翼機を単純に小型化したものでは高い飛行性能が得られないことが知られており,鳥や昆虫を模倣した羽ばたき型の翼を持つMAVに期待が集まっている.

しかしながら羽ばたき飛行は三次元・非定常な流体現象によって生じる流体力を利用するもので,そのメカニズムは複雑であり,未だ十分に解明されたとは言えない.そのため人工的に効率的な羽ばたき飛行を実現するのは容易ではない.高性能な羽ばたき型MAVを設計するためには人工的な翼運動・形状と飛行性能との定量的な関係を明らかにし,最適な翼の形状や運動を探索する必要がある.

既存の研究では個々の生物モデルやロボットにおいて流体力を発生させる流れ場の特徴や時間平均化された揚力・抗力等のマクロな飛行性能についての議論は多々行なわれているが,モデルや運動を変化させた際の流れ場の変化と飛行性能との関係に注目した例はほとんど見られない.

そこで本研究では,有限要素法シミュレーションを用いて羽ばたき運動と翼周りの流れ場の関係,及びそれが翼に働く力や消費エネルギーに与える影響について調べる.シミュレーションを利用する利点としては,三次元・非定常な羽ばたき翼周りの流れ場を詳細に観測・分析することが可能であり,形状や運動パラメータを変化させて感度解析を行なうことも容易であることが挙げられる.その後,得られた知見を用いて羽ばたき型MAVの翼運動について多目的デザインを行なうことを目的とする.

2. シミュレーション手法

本研究では3次元的に運動する翼周りの流れ場を剛体‐流体連成問題として取り扱い,境界の移動を扱うためALE (Arbitrary Lagrangian-Eulerian)法を用いて有限要素解析を行なう.ALE法は任意の参照座標系を用いて場の方程式を記述する方法であり,既存のコードに対して解析アルゴリズムを大きく変更することなく移動境界を扱う機能を実装することができる.

本研究ではシミュレーションには東大生研で開発された並列三次元流体有限要素解析コードFrontFlow /Blueを用い,これに先述のALE解析機能と翼面に追従するメッシュの変形を制御する機能を追加実装したものを利用する.羽ばたき飛行のシミュレーションでは移動境界である翼面の移動量が大きいため,境界の移動に伴うメッシュの変形量が大きくなる.そのため翼面近傍の計算精度を保つためのメッシュ制御プロセスが重要な役割を持つ.本研究ではメッシュ制御プロセスにはメッシュを疑似的に構造体として扱う疑似弾性解析を利用する.さらに,計算時間の短縮を図るため,これらの追加機能を並列化し,全計算過程を並列で行なえるようにした.

3.羽ばたき翼周りの三次元シミュレーション

前述のシミュレーションコードを用いて羽ばたき飛行の三次元シミュレーションを行なう.翼の運動モードとしては図1に示すFlapping運動とFeathering運動の組み合わせによるホバリング飛行を想定する.

まずシミュレーションの精度検証及び羽ばたき翼周りの流れ場の特徴を確認するため,既存の実験を参考としたシミュレーションを行なった.この実験モデルはガガンボという昆虫をモデル化しており,レイノルズ数がおよそ300,無次元振動数がおよそ0.06のモデルである.

シミュレーションに用いたメッシュは節点数383,916,要素数2,371,369で,算出された流体力が十分に周期性を示すよう,6周期分の計算を行った.計算ステップは12500ステップ,計算機環境は東大T2KのHA8000を128コア用い、11.8時間の計算時間を要した.シミュレーションの結果から,メッシュ制御プロセスにより翼の運動に伴ってメッシュが大きく変形しているが,この変形によるメッシュ性能の悪化が翼面近傍の流れ場計算に悪影響を及ぼさないことを確認した.さらに,翼面周りの時々刻々の流れ場が過去に報告されている羽ばたき翼周りの流れ場の特徴を再現できており,翼に働く揚力の時間変化が参照実験とよく一致したことから,このシミュレーションにより羽ばたき翼の運動を再現・評価できることを確認した.

続いて同じスケールのモデルを用いて翼の形状・運動パラメータを変化させ,流れ場の変化とそれによる飛行性能の変化を調べた.翼の形状としては、実験との比較に用いたガガンボの翼をモデル化したものに加え,これと翼長・翼面積を一致させた矩形翼及び丸型翼の計3つを用いる.運動パラメータとしてはFeathering運動の振幅,FlappingとFeatheringの位相差(図2のように翼断面の回転するタイミングを変化させるパラメータ),及び羽ばたき周波数の3つについてパラメトリックスタディを行なった.その結果以下のような知見が得られた.

・翼の形状による流れ場の変化はほとんどなく,飛行性能の変化についても面積配置の変化に伴う流体力の増減で説明可能であった

・Feathering振幅の変化に伴い,翼面周りの渦が発達し,剥離する時刻と大きさが変化する.振幅を45deg.から60, 70deg.と増大させたとき,揚力はあまり変化しないのに対して抗力,消費エネルギーが大きく減少した.

・FlappingとFeatheringの位相差については,90deg.から差を小さくすることにより,翼の回転に伴う渦がより発達し揚力が増大した.一方,位相差をわずかに大きくすることにより抗力が翼面の回転を助けることで消費エネルギーが減少した.

・羽ばたき周波数については,0.6倍から1.4倍に変化させた範囲において,周期で規格化した時刻における流れ場がほとんど変化せず,揚力・抗力・消費エネルギーもそれぞれ無次元化した値がほとんど変化しない.

・すなわち周波数を変えることは,流れ場の特徴を変化させることなく力や仕事率の絶対値のみを変化させることになる.これはMAVの運動を制御するパラメータとして非常に有用であると考えられる.

4.多目的デザイン

前章で得られた知見をもとに,羽ばたき型MAVの翼運動について多目的デザインを行なう.ここでは目的関数,あるいは制約条件として評価する飛行性能として,1周期平均の揚力係数,エネルギー係数,及びホバリング時の上下方向への振動量を扱う.振動量は,MAVを翼に働く揚力により運動する質点と仮定し,1周期中の質点の運動において初期位置からの距離が最も離れた時刻での距離と定義し,揚力の時間積分を用いて算出する.揚力が周期的に変化する羽ばたき飛行において定点観測や定位置での待機を行なう際に最小化するべき指標として設定した.

多目的デザインはホバリング状態を想定して以下のような問題設定により行なう.

・目的関数:飛行効率 ⇒ 最小化

:振動量 ⇒ 最小化

・制約条件 :揚力 > モデル重量

:消費エネルギー < モデル最大パワー

これらの問題設定に対して,設計変数をFeathering振幅と位相差の2つに限定し,対話型多次元設計解可視化分析ツールADVENTURE_DecisionMakerによる分析を行ない,最適解探索を行なう.ここで,3章の知見から羽ばたき周波数は他の設計変数による飛行性能の変化と干渉しないものと推測されるため、翼運動を決定した後にモデルのスケールに応じて調整可能なパラメータとして扱うことを想定し,設計変数には含めないものとした.

結果として,複数のパレート最適解を算出した.実際のMAVの運用においてはこれらの解のうち,待機時には振動量をある程度無視して消費エネルギーを抑える,観測時には逆に振動量を抑えるという形で運動を選択することになる.

5.結論

本研究では羽ばたき型MAVの設計を目的に,羽ばたき翼周りの流れ場と飛行性能との関係に注目し,翼の形状及び運動パラメータに関するパラメトリックスタディを行なった.その結果,各パラメータを変化させた際の流れ場の変化とそれらが飛行性能に与える影響について複数の知見を得た.

さらに,それらの知見を利用して翼の運動について多目的デザインを行ない,複数のパレート最適な翼運動を提案した.

図1 翼の運動モード

図2 位相差と翼断面の運動

審査要旨 要旨を表示する

近年,MAV(Micro Air Vehicle)と呼ばれる小型の飛行ロボットの研究・開発が盛んに行なわれている.これは数mm~十数cm程度のスケールで,狭窄地や極限環境での調査・観測を主な用途としている.このようなサイズでは,鳥や昆虫を模倣した羽ばたき型の翼を持つMAVが高い飛行性能を発揮すると期待されている.しかしながら羽ばたき飛行のメカニズムは複雑な非定常効果・三次元効果に基づいており未だ完全には解明されていない.そのため人工的な羽ばたき飛行において飛行性能を制御するための知見は十分に得られてはおらず,高い飛行性能を実現するのは容易ではない.高性能な羽ばたき型MAVを設計するためには人工的な翼運動・形状と飛行性能との定量的な関係を明らかにし,最適な翼のデザインを探索する必要がある.これまで生物を模した翼モデル等について実験やシミュレーションを用いて個別の飛行性能評価を行なった例は多々あるが,同一モデルにおいて翼の形状や運動パラメータを変化させた際の流れ場の変化及びその結果生じる飛行性能の変化を定量的に評価した例は少ない.また,MAVの設計に際してはペイロード,消費エネルギー,安定性等,複数の飛行性能の評価指標が考えられるが,これらについて単一の目的関数でなく,複数の目的関数間のトレードオフを考慮した多目的設計を行なった例はほとんど見られない.そこで本論文では,3次元ALE有限要素法を用いて羽ばたき翼周りのシミュレーションを行ない,翼の運動・形状と翼に働く力との関係について知見を得るとともに,その結果を利用して多目的最適な羽ばたき型MAVの翼運動デザインを提案している.

本論文は5つの章から構成される.

第1章は序論であり,本研究の背景として従来までの羽ばたき飛行に関する研究及びそれらから得られている知見についての概要をまとめた後,MAV設計という観点での現状と課題,本研究の意義と目的を述べている.

第2章では研究手法について述べている.本研究で用いた計算手法としてALE法,メッシュ制御手法,流体計算の概要及び計算アルゴリズム,実装について述べた後,基礎的な検証問題を用いてコードの精度並びにパフォーマンスについて検証・評価を行なっている.

第3章では前章で導入した手法を用いて羽ばたき翼周りのシミュレーションを行なっている.まず始めに計算に用いるMAVモデル及び翼運動について述べた後、既往の実験とモデル形状,レイノルズ数等を一致させたシミュレーションを行なっている.この際ALE法及びメッシュ制御により発生するメッシュの歪みが翼周りの流れに影響を及ぼさないことを確認している.シミュレーション結果より翼周りの流れ場の特徴及び翼に働く流体力が過去の知見と一致することを確認し,本シミュレーションの妥当性を示している.続いて翼の平面形及び翼運動についてパラメトリックスタディを行ない,パラメータの変化による翼周りの流れ場の様相,翼に働く力及び消費エネルギーの変化を定量的に検討している.その結果翼のひねり運動の振幅とひねりのタイミングについて,これらのパラメータの変化によって渦の生成・剥離及び翼運動と周囲の相対的な流れ場との非定常な相互作用が変化することにより,流れ場の変化とそれに伴う定常理論では予測できない飛行性能の変化を確認・評価している.一方,翼の平面形及び羽ばたき周波数については無次元化された流れ場に対して大きな影響を及ぼさないことを明らかにしている.

第4章では前章の知見を利用し,羽ばたき翼によるホバリング飛行を想定した翼運動の多目的設計を行なっている.ここでは翼ひねりの振幅とタイミングを設計変数とし,安定性と飛行の効率を目的関数,ペイロードと消費エネルギーを制約条件とする問題設定を行なっている.複数の設計解候補についてシミュレーションを行ない,算出された飛行性能を評価・分析することにより,複数のパレート最適解を示している.さらに,それらパレート解間の関係から飛行目的・状況に応じて最適な設計解の探索を行なうための知見を抽出している.

第5章は結論であり,本研究で用いた手法及び得られた知見についてまとめ,今後の展望が述べられている.

以上を要するに,本論文では高性能な羽ばたき型MAVの飛行を実現すべく人工的な羽ばたき翼の飛行性能評価を行ない,多目的最適な設計解及びその探索手法を提案している.翼と流れとの複雑な相互作用によって生じる飛行性能を再現・評価するとともに,それらを人工物システムとして利用するための知見・指針を示した点はシステム創成学分野にとって大きな価値があり,よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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