学位論文要旨



No 126799
著者(漢字) 秋山,靖博
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,ヤスヒロ
標題(和) 持続的な有人火星滞在に向けたシステムアーキテクチャの構築
標題(洋) Construction of System Architecture for Sustainable Manned Mars Habitation
報告番号 126799
報告番号 甲26799
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7440号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 稲谷,芳文
 東京大学 教授 川口,淳一郎
 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 岩崎,晃
 東京大学 教授 橋本,樹明
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

将来,有人拠点を火星に構築して継続的に滞在することで長期,広範囲の火星探査を行う事が期待される.しかし,地球外での持続的拠点維持の研究,実績は不十分である.これまで唯一の持続的有人ミッションであるISSでは,LEO上で10年以上の運用を行い継続的な補給を実現している.また,地球外天体で行われた有人ミッションはApollo計画のみであるが,10日程度の短期ミッションであったため期間中の機器信頼度を高く保つ事ができた.それらに対し持続的火星滞在では,新たに,長期間輸送,高ΔV,狭いローンチウインドウ,長期的信頼度維持,稼働率の管理,物資欠乏リスクへの対応等が課題となる.

中でも大きな問題となるのが,長期孤立に伴う新たなリスクである.有人宇宙ミッションには様々なリスクが存在するが,これまで対策が施されているのは短期間で事態が進展する即死リスクのみである.帰還が容易であるためその他のリスクに対してはこれまで特段の対策を要しなかった.しかし,火星では早期の帰還は不可能であり,機器の故障による水や酸素の枯渇を考慮する必要がある.

本研究ではクルーが交代しながら持続的に火星滞在を行う状況を想定し,持続的有人宇宙活動に向けたシステムアーキテクチャを構築した.また,本研究では打上量削減に寄与する新規技術の効果を評価することで,莫大なコストを要する技術開発に指針を与えた.

2.滞在システムの構築

2.1 輸送システムの構築

代表的な惑星間遷移軌道を図1に示す.

Direct軌道は最も基本的な軌道であり,ΔV最小となるHohman軌道を含む.本研究では推進剤削減のため貨物とクルーで別の輸送システムを用い,貨物はHohman軌道で輸送した.Step-Over輸送は,惑星周回軌道間の輸送であるため往復輸送に適する.そのため本研究ではクルーの輸送に用いた.Cycler輸送では,地球,火星で繰り返しスイングバイを行う事で両惑星に繰り返しランデブーする宇宙機を使用する.この宇宙機を中継基地として使い,低ΔV,短期間での持続的な地球‐火星輸送が可能となる.

本研究では3種類の輸送法を下記のように組合せて輸送系を構築した.これらの軌道はPatched-conics法によって設計した.

(a)Stop-Over型:Cargo: Direct + Human: Stop-Over

(b)Cycler型:Cargo: Direct + Human: Cycler

また,本研究では物資欠乏リスクに対処するため,物資の備蓄を行うと共に緊急輸送を想定した.図2に本研究で用いた4種類の輸送法を示す.Lambert則およびSQPを用いて軌道計算を行った.

(a)耐久:初期計画通りの輸送を行う

(b)緊急帰還:クルーを帰還させる

(c)地球救援:地球から救援機を送る

(d)サイクラー救援:サイクラー機で救援する

また,原子力による高エネルギ推進の研究開発が進んでおり,火星輸送にも大きな影響を与えると考えられる.本研究では高エネルギ推進が持続的火星滞在に与える効果についても検討を行った.

2.2 基地システムの構成

火星恒久拠点を構成するシステム群の中でも非常に多くの質量を占めるのが生命維持システム(ECLSS)である.長期間の滞在期間中に消費する生存物資は100t以上に上り,ECLSSによる生存物資の再生が非常に重要である.本研究では,ECLSSのモデルとしてNASAの公表するALSモデルを用い,再生率に応じてECLSSの質量を計算した.

また,火星大気の95%を占めるCO2の利用および水の発見を通した火星での資源調達(ISRU)も地球からの輸送を大きく軽減すると考えられる.図3にそれらを考慮して構成した本研究のISRU,ECLSSモデルを示す.

2.3 滞在システムの全体構成

最適化には遺伝的アルゴリズムを用いた.計算プロセスを以下に示す.

3.考察

3.1.火星滞在システムの構築

図5に,Stop-Over輸送を用いた場合の低軌道打上量を示す.初期輸送は滞在システム初期設置時の輸送量であり,補給輸送は火星の公転周期に合わせて2.14年ごとに必要となる輸送量である.標準条件では初期輸送に2200t,補給輸送に1700tが必要である.次に,新規技術開発による輸送量削減の効果を評価した.

物資再生率向上の効果は,水の再生率を向上させた場合に著しい.水は消費量が酸素より大きいため,再生による影響が大きいと考えられる.また,火星での酸素採取はさらに大きな効果を持つ.酸素採取の結果,初期輸送は1100t,補給輸送は400t程度に削減できる.これは,帰還推進剤の酸素および火星でクルーの呼吸に必要な酸素を現地で生産できるためである.特に,帰還推進剤は火星で300t程度が必要であり,効果は大きい.さらに水を採取する事が出来れば,初期輸送をさらに削減する事が出来る.

一方,原子力推進による高比推力,高推力の推進が実現した場合,Isp=850では,初期輸送量900t,補給輸送量600tと輸送量を削減できる.

次に,Cycler輸送を行った場合を検討した.図6に,Cycler輸送を行った場合とStop-Over輸送を行った場合の比較を示す.Cycler輸送には中継基地となる宇宙機の設置が必要であるが,追加の推進剤が不要のため長期的には輸送量を削減できる.ただし,ISRUによって帰還推進剤を調達できるようになるとCycler輸送の優位は縮小される.推進系の発達もStop-OverとCyclerの差を縮小する方向に働く.

最後に,救援輸送について検討した.緊急帰還,緊急輸送による救援は,多くのケースで救援なしが最適である.ただ,地球からの救援を行う場合のみは輸送量の軽減が可能であった.また,システム信頼性の向上に伴う救援発生率の低下により更なる輸送量低減が可能である.この効果を図7に示す.

これらより,持続的火星滞在のためにはISRUの実現が強く求められる.また,Isp=850程度の原子力推進の開発もISRUと同等の輸送量を実現できる.Cycler輸送は,ISRUおよび高Isp推進と併用することにより補給輸送量を200t前後とできるが,初期輸送量の増加を招くため適用には注意を要する.

3.2 さらなる輸送量の削減に向けて

ISRUによる輸送量の削減を行う場合,水を無尽蔵に利用したとしてもクルーの往路輸送に要する質量が下限となる.それに対しIspの向上は火星での物資消費量が制約となる.図8に,さらにIspを向上した場合の結果を示す.Isp=10000程度で推進剤量はほぼ無視できる値になる.この時の輸送量は100t程度であるが,ECLSS再生率の向上により消耗品消費を抑える事で補給時IMLEOを50t以下まで抑える事が出来る.

3.3 水採取の可能性と効果

水を火星で調達できれば,クルーの生命維持,帰還推進剤への使用により輸送量の削減が可能である.しかし,これまでの探査の結果,地表には水が露出した地点は存在しないとされており,地下から採掘する必要があると考えられる.そのため,採掘機材の質量によって水採取の可否を判断する事が求められる.

帰還推進剤の補給をISRUで行う場合,会合周期ごとに一定量の水を調達せねばならないため,単位時間当たりの採取量が重要である.標準条件で用いる280tの帰還燃料を調達する場合,要求採取量は日産0.36t程度である.10年間の機器寿命を想定すれば,地球からの輸送と釣り合う水採取システムの質量上限は1000t程度である.

ただし,酸素採取によっても帰還推進剤の確保が可能である.そのため,水および酸素の採取システムの構成によっては水発見時にも酸素ISRUのみを行う事が有効となるケースも考えられる.

4.結論

・持続的な有人火星滞在を目的としたシステムアーキテクチャを構築し,低軌道打上量を評価する事で将来の技術開発の効果を定量的に示した.

・火星持続的滞在には現在の年間低軌道輸送量の10倍以上の資材が必要であるが,水の採取もしくはIsp=2700の原子力推進の実用化により輸送量を20%程度に削減できる事を明らかにした.

・Cycler輸送により補給輸送量を60%程度にできるが,Isp向上,ISRUとの相乗効果は限定的である事を示した.

・火星における水採取プラントに,日産0.36tの能力および最大1000t以内のシステム構築が必要である事を明らかにした.

図1.地球―火星遷移軌道

図2.救援輸送軌道

図3.ISRU型ECLSSシステム

図4.最適化計算プロセス

図5.推進系開発・資源採取による打上量減少効果

図6.サイクラー輸送による打上量減少効果

図7.信頼性向上による救援輸送量低下

図8.Ispの更なる向上の効果

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)秋山靖博提出の論文は,「持続的な有人火星滞在に向けたシステムアーキテクチャの構築」(Construction of System Architecture for Sustainable Manned Mars Habitation)と題されており,本文7章から構成されている.

地球から自立して持続的に活動可能な宇宙拠点を設置・維持することは,人類の宇宙進出における重大な目標の一つである.これまで行われた有人宇宙活動はすべからく地球からの短期間でのアクセスに依存しているのに対し,持続的有人火星滞在の実現は地球から自立した宇宙活動に向けたマイルストーンとなる.これは,地球に完全に依存した現在の有人宇宙活動が次の段階へと進むための重要な課題である.

筆者は,近距離輸送による地球との緊密な物質的連絡を前提としていたこれまでの有人宇宙活動に対し,遠距離での持続的な拠点運用という視点から持続的火星滞在システムの構築に取り組んだ.特に,持続的有人火星滞在を行う際の生存率の向上と地球低軌道への打上げ質量の低減を評価軸とし,持続的有人火星滞在システムの特性の考察を行っている.

第1章では,序論として地球からの依存から脱却した宇宙進出に向けて有人火星滞在ミッションが果たす役割が示されている.また,その実現に向けて解決すべき課題として,地球からの輸送の困難や火星基地の長期孤立等が提示され,本研究で構築する持続的有人火星滞在システムの概要とともに本研究の意義および目的が述べられている.

第2章では,持続的有人火星滞在システムモデル構築の前提として,システムの構成要素である有人宇宙活動,惑星間輸送,火星基地システムのそれぞれについての先行研究に触れている.中でも,生命維持システムの構成,惑星間輸送軌道の設計などは滞在システム全体の構成及び質量の増減に大きな役割を果たすと考えられる重要な要素である.さらに,原子力を用いた高エネルギ推進システムや火星における資源採集の可能性等,将来の宇宙開発に貢献すると考えられる多くの新規技術の概要および予想される性能,効果について述べている.

第3章では,持続的有人火星滞在システムを構成する輸送システムのモデルを構築している.持続的輸送という視点から2章で述べた輸送システムを用いて,緊急輸送に向けた新たな輸送方法の提案や複数の輸送方法の併用等を組合せる事により,持続的輸送に適した輸送システムモデルを構築している.

第4章では,持続的有人火星滞在システムを構成する火星基地システムモデルを構築している.これまでの単発の宇宙ミッションでは十分に考慮されてこなかった補給という視点を加味した検討を行い,長期間の継続的使用を前提とした火星有人基地のモデルを行っている.

第5章では,輸送システム,火星基地システムを統合した持続的有人火星滞在システムを構築し,地球低軌道質量を最小化する最適化を行っている.また,現在の技術水準に基づいた標準条件を設定し,最適な火星滞在システムについて考察している.この際,補給のための年間輸送量は現在の地球低軌道輸送の能力を越えるものであると示された.これは,技術開発による火星滞在システムの質量軽減または低軌道輸送系の拡張を促す指標を与える意味で有意義な結果である.

第6章では,5章で構築した持続的有人火星滞在システムを基にした考察を行っている.高エネルギ推進や火星での資源の利用などを含む様々な条件下での持続的有人火星滞在システムの振る舞いを調べる事で,システムの最適構成が,原子力推進を含む輸送システムの性能,物資の再生率,輸送機質量に占める消耗品比率などのパラメータによって左右される事を明らかにしている.このようにシステム構成を決定する要素を特定し,その影響を定量化することは,将来の持続的有人火星滞在実現に向け価値のある考察である.

以上まとめると,本論文は将来の持続的有人火星滞在について幅広い視野を持って包括的なモデルを作成し,考察する事によってその特性を明らかとした有意義なものである.本論文では人類のさらなる宇宙進出に向けて近距離輸送による地球との緊密な物質的連絡を前提としない条件の基で持続的に有人基地を維持するための有人火星滞在システムのモデルを構築し,このモデルにより,各種運用条件,技術要素に応じた最適な持続的有人火星滞在システムを設計する事が可能となった.また,このモデルを用いた検討により高エネルギ推進や火星資源の調達等の新規技術開発による効果や運用条件の影響を定量化し,それらの必要性,重要性を明らかとしている.さらに,本論文は持続的有人火星滞在システムの構成に影響を与えるパラメータの特定およびそれらと最適システム構成の関係理解についての考察を行っている.本論文はこれらの考察を通じて将来の持続的有人火星滞在システム開発および持続的有人火星滞在実現に向けた重要な知見を多く得たものであり,航空宇宙工学に貢献するところが大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク