学位論文要旨



No 126802
著者(漢字) 川,岳
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,タカシ
標題(和) 超解像技術によるシャックハルトマン波面センサの精度向上に関する研究
標題(洋)
報告番号 126802
報告番号 甲26802
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7443号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 六川,修一
 東京大学 教授 岩崎,晃
 東京大学 准教授 土屋,武司
 東京大学 准教授 矢入,健久
内容要旨 要旨を表示する

本論文は光の波面歪みを計測する波面センサの1つであるシャックハルトマン波面センサに超解像技術を適用することで、従来と同じハードウェアを使用しつつ、従来よりも波面センシング性能を向上させる手法を提案し、数値シミュレーションおよび光学実験により提案手法の実証をした。

ハッブル宇宙望遠鏡に代表される宇宙望遠鏡は、すばる望遠鏡のような地上望遠鏡と異なる利点を持っている。大気の揺らぎによる影響がないこと、大気の窓に限定されず様々な波長での観測ができること、天候に左右されず定常的に観測が可能であることなどが挙げられ、これまで様々な科学的、実用的成果をもたらしてきた。しかし、宇宙望遠鏡は軌道上へ打ち上げる際、ロケットによる強い振動の影響で主鏡の歪みや光学系のミスアライメントが発生する可能性がある。ミスアライメントの存在する光学系を通過した光の波面は歪められ、波面収差が発生する。この波面収差の影響でCCDセンサやCMOSセンサなどの検出器上で得られる画像の高周波成分は失われ、画像から得られる情報が失われてしまう懸念がある。これに対して、従来は光学系を剛に設計し、打上げ前に精密にアライメント調整をするという設計思想で開発され、打ち上げ時の振動を模擬した試験を通して光学系のミスアライメントが許容範囲内に収まることを確認してきた。しかしながら、この設計思想では重量が過大になり、重量・寸法が大きく制限される小型衛星に、より大きな口径の望遠鏡を搭載することが難しい。また軌道上での宇宙機の修理は技術的・経済的に困難であるため、予期しないミスアライメントに対して有効な対策を取りえないという可能性がある。このような問題から、軌道上で任意に波面収差を補正する技術が望まれている。

一方、ハワイのマウナケア山にあるすばる望遠鏡やGemini望遠鏡等の地上望遠鏡では、補償光学技術を用いて大気の揺らぎによる波面収差の影響をキャンセルし、同望遠鏡の回折限界に近い分解能を達成している。補償光学とは、シャックハルトマン波面センサなどの波面センサで光の波面の歪みをセンシングし、形状を高速に変えられる可変形鏡で入射光を反射させることによって波面収差を相殺する技術である。

本論文は以下のような流れで構成される。

第1章では上記の研究背景について述べ、主に天文学で研究されてきた補償光学技術について、レーザーガイド補償光学、Gerchberg-Saxton Algorithm, Blind Deconvolution, Phase Diversity, Transverse Translation Diversity, Lucky Imagingなど、ハードウェア・ソフトウェア両面から概観した。それを踏まえて、地上望遠鏡と軌道上の宇宙望遠鏡における環境の違いを考慮し、宇宙望遠鏡には波面センサとアクチュエータからなる補償光学システムが適していると結論付けた。その中で波面センサとして広く使用されているシャックハルトマン波面センサをとりあげ、以下のような現在の課題点を挙げた。波面収差の計測性能を向上させるためにマイクロレンズ口径をこのまま小さくする方法では、本来はミッションカメラに導光したい光エネルギーを波面センサにより多く割り当てなければならないこと、シャックハルトマンセンサが計測できる波面傾きのダイナミックレンジが比例して小さくなってしまうことを挙げ、このような課題を克服しつつ、シャックハルトマン波面センサの精度を向上させることを研究目的とした。

第2章では、研究目的を達成するために、デジタル画像処理の分野で研究されている超解像技術を通常のシャックハルトマン波面センサから得られる複数枚の画像データに適用することを提案した。超解像技術の原理についてまとめ、複数枚画像の位置合わせ・再構成処理という超解像技術の2つの手続きを適用するために、空間位相変調器でマイクロレンズを模擬する、もしくはピエゾアクチュエータを使用してマイクロレンズを摺動部なしにサブレンズだけシフトした波面情報を含む画像を複数枚取得する方法を考案した。また再構成処理に関しては、高解像画像から低解像画像のモデル化は平均計算で表現可能であることを示した。これにより光エネルギーを利用したデジタル画像の超解像技術と同様の処理を、正負が存在する波面の情報を含む画像データでも適用可能であることを明らかにした。

本提案手法の特長は以下のとおりである。

・超解像のための複数枚画像の位置合わせ計算が不要

空間位相変調器でマイクロレンズを模擬する、もしくはピエゾアクチュエータでマイクロレンズを摺動部なしにサブレンズの距離だけずらした画像を取得することで超解像の結果に大きな影響を及ぼし、また時間のかかる複数枚画像の精度良い位置合わせ計算が不要になる。

・従来の再構成手法の適用が可能

超解像における再構成処理に必要な高解像から低解像のモデル化に関して、本研究対象である正負の値をもつ波面の傾き情報を含む場合でも従来の光エネルギーと同じ平均計算で済むことを示した。従来の超解像に用いられる再構成処理の手法を適用できることが合理的に分かった。

・使用する光エネルギー量を維持

提案手法ではマイクロレンズの口径は維持されているため、ミッションカメラに割り当てる光エネルギーの量を従来のまま維持できる。

・センサのダイナミックレンジを維持

提案手法ではマイクロレンズの口径は維持されているため、波面の傾き計測のダイナミックレンジも維持されている。

・ミッションカメラのデータ信頼性を保証

超解像技術はあくまで画像処理による推定であり、真の映像を写しているとは保証されない。しかし、本手法はミッションカメラで取得した画像に適用するのではなく、センシングに使用するものである。波面を補正して得られる画像は画像処理をしていない真の画像であり、ミッションデータとしても信頼性のあるものといえる。

第3章では、波動光学に基づいてシャックハルトマン波面センサの定式化、提案手法の定式化などをし、数値シミュレーションによる検証を行った結果、以下のようなことが分かった。

・Zernike係数をランダムに設定した3通りの模擬波面収差においていずれも波面推定性能が向上しており、提案手法の汎用性を確認できたこと。

・超解像処理によって模擬できる数のマイクロレンズで構成される高解像波面センサと比較して、同程度もしくはストレール比で最高10ポイント程度の性能向上が確認できたこと。

・超解像の枚数が10枚程度以下の時は対数的にセンシング性能が向上しており、推定波面補正後のPSFのストレール比において95%程度が上限であったこと。

・再構成処理前の複数枚の画像データを用いて波面推定すると1枚の時と同程度もしくは悪化していたため、提案手法による波面センシング精度向上のためには再構成処理が必須であること。

・付随して、センシング性能の悪化に影響していた要因はデータ点数の不足ではなく、局所的な波面を計測できないことであったこと。

・波面収差が大きい場合、超解像の再構成処理の過程における繰り返し計算中に推定誤差が悪化することもあった。

・超解像処理後の波面の傾き誤差はx方向、y方向共に同心円状に分布しており、特に開口内部の外縁部付近で相対的に大きかった。

・推定した波面を補正した後のPSFをサンプル画像で畳み込みしたところ、特に天体画像でより大きく画質の改善が感じられた。

第4章ではシャックハルトマン波面センサおよび空間位相変調器を用いた光学実験について述べる。この実験では、レーザーから出るコヒーレント光を遠方の点光源として瞳面の光波面をシャックハルトマンセンサでサブレンズだけシフトしながら、複数枚の画像を取得する。得られた画像に超解像処理をかけ、推定した波面収差をもとに位相変調器で波面補正をかける。最終的に、カメラで得られた点光源画像のストレール比をもとに提案手法の有効性について検証した。

第5章では本研究のまとめをし、今後の課題として以下の点を挙げた。

・より精度の高い、高解像から低解像へのモデル化

シミュレーション結果から、超解像処理後の波面傾き画像の誤差は同心円状に分布が存在していた。この原因を解明し、より精度の高いモデル化をすることで波面のセンシング性能を高めることができると考えられる。

・波面傾きデータ点数の削減

提案手法による波面センシング精度向上の要因はデータ点数の増加ではなく、より局所的な波面傾きを求めたこと、ということがわかった。しかし超解像処理ではより局所的な波面傾きを求める効果に付随して本来の目的である解像度の増加、データ点数の増加も起きてしまい、必要以上に再構成処理の計算時間が増大していることになる。今後はデータ点数が必要十分ながらも、より局所的な波面傾きを求める手法が求められる。

・より速い超解像処理アルゴリズム

本研究における提案手法では低解像波面センサの画像を複数枚取得したのちに超解像処理を行って波面推定精度を向上させた。しかし、例えば数値シミュレーションでは、25枚画像を取得して再構成処理の後にようやく波面を推定できることになる。また、必要な精度以上の枚数の低解像波面センサ画像を取得し、より時間をかけて計算した結果、オーバースペックになる可能性もある。そこで、低解像波面センサ画像を1枚取得する毎に超解像処理を逐次的行うアルゴリズムの提案が考えられる。必要十分な精度を実現するまで波面センサの画像を取得して超解像処理を逐次することで必要十分な計算時間も実現できるであろう。

本研究による成果は、軌道上で修理することが技術的、経済的に困難な宇宙望遠鏡に対して、予期しない光学系のミスアライメントを高精度に計測・補正し、宇宙望遠鏡の高信頼化に貢献することが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)吉川岳提出の論文は、「超解像技術によるシャックハルトマン波面センサの精度向上に関する研究」と題し、6章からなっている。

ハッブル宇宙望遠鏡や高解像度のリモートセンシング衛星に代表される宇宙望遠鏡は、軌道上へ打ち上げる際、ロケットによる強い振動や熱ひずみなどの影響で主鏡の歪みや光学系のミスアライメントを引き起こし、波面収差が発生する可能性がある。この波面収差の影響で、焦点面にある画像から得られる情報が失われてしまう懸念があるが、従来はこの問題に対しては光学系を剛に設計することで、歪みやミスアライメントを許容範囲内に収めてきた。しかしこの設計思想では光学系全体の重量やサイズが過大になり、重量・寸法が厳しく制限される小型または超小型衛星への搭載が困難となる。また軌道上での宇宙機の修理は技術的・経済的にほぼ不可能であるため、予期しない歪みやミスアライメントに対して有効な策がないことも大きな問題であった。これに対する一つの対策として、近年「すばる」などの地上望遠鏡で実用化されている補償光学技術を衛星上に搭載し、予期しない波面収差を軌道上で補正する「補償光学システム」が有望な技術として期待されている。

このような補償光学システムで使用される波面センサの1つにシャックハルトマン波面センサがある。これは、瞳面に多数配列されたマイクロレンズと、マイクロレンズの焦点面に設置された撮像素子で構成され、波面歪みの偏微分すなわち横収差を計測して波面収差を推定することができるものであるが、より高精度に計測するためにマイクロレンズの口径を小さくすると、波面センサのダイナミックレンジや、光エネルギーの減少という課題が存在することがわかっている。これらの課題を克服し、高精度に波面センシングをするために、本論文は超解像技術を適用する手法を提案し、実証することを目的としている。

具体的には、まず、複数画像間の位置合わせ・再構成処理という超解像技術の2つの手続きをシャックハルトマン波面センサに適用するために、空間位相変調器でマイクロレンズを模擬する、もしくはピエゾアクチュエータを使用してマイクロレンズを摺動部なしにサブレンズだけシフトした横収差画像を複数枚取得する方法を提案している。ついで超解像技術を適用するための数学的な検討を実施して再構成処理のアルゴリズムを定式化し、さらに、数値シミュレーションおよび光学実験を通して、提案手法がシャックハルトマン波面センサのセンシング精度向上に有効であることを実証している。

第1章では、宇宙望遠鏡への補償光学システム搭載の必要性を述べ、補償光学に必要な収差推定の一手法として使用されているシャックハルトマン波面センサの計測精度を向上させる際に課題となる点について言及し、研究目的を明確にしている。

第2章では、地上での望遠鏡を対象に現在研究されている補償光学技術について概観し、宇宙望遠鏡に適した補償光学システムとはどうあるべきかを定性的に検討している。

第3章では、超解像技術の原理について述べ、それを適用する際に必要な、衛星上で複数枚の横収差画像を取得する方法、複数枚の横収差画像に再構成処理を適用する方法を検討し、提案手法の特長、定式化について述べている。特に、再構成処理が超解像の性能を決める重要な要素であるものの、高解像画像から低解像画像への変換が、光エネルギーを扱う通常の画像データと異なり、正負が存在し、かつフーリエ変換を介した後の信号を扱うという複雑な変換である点を取り上げ、本研究対象の波面センサに対するモデル化の検討が従来は不十分であったことを課題として挙げている。その課題に対しては、数学的な検討により平均処理で対応可能であることを示し、それをもとに効果的な再構成処理アルゴリズムを定式化している。

第4章では、提案手法の効果を数値シミュレーションで検証している。その結果、ランダムに模擬した大中小いずれの量の波面収差に対しても、従来よりも精度よく推定できることを、誤差のRMS(Root Mean Square)やPSF(Point Spread Function)のストレール比、変調伝達関数等の観点から考察している。

第5章ではシャックハルトマン波面センサおよび空間位相変調器を用いた光学実験を行い、数値シミュレーションでの結果と比較考察している。光学実験においても従来の波面センサよりも高精度にセンシングできるという結果が得られ、数値シミュレーションでの結果に加えて提案手法が有効であることをさらに説得力のあるものとしている。

第6章では本論文の結論と今後の課題について述べている。

以上要するに、本論文は、軌道上で修理することが技術的・経済的に不可能な宇宙望遠鏡に対して有効な手段となる補償光学システムの重要性を主張し、予期しない光学系の歪みやミスアライメントに起因する光波面の歪みを、超解像技術を適用したシャックハルトマン波面センサによって高精度に計測する手法を提案し、その効果を実証したものであり、宇宙工学上貢献するところが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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