学位論文要旨



No 126813
著者(漢字) 中邨,勉
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ツトム
標題(和) 柔軟衛星の高速姿勢変更のための制御系に関する研究
標題(洋)
報告番号 126813
報告番号 甲26813
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7454号
研究科 工学系研究科
専攻 電気系工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,宏文
 東京大学 教授 橋本,樹明
 東京大学 教授 久保田,孝
 東京大学 准教授 橋本,秀紀
 東京大学 准教授 古関,隆章
 東京大学 准教授 藤本,博志
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,柔軟人工衛星の高速な姿勢変更を実現するための制御系について研究を行った。従来より,柔軟人工衛星の姿勢制御あるいは高速な姿勢変更のための姿勢制御についての研究はそれぞれ行われていたが,これら両者を含む柔軟人工衛星の高速な姿勢変更のための制御系についての研究は不十分であった。しかし,今後のミッションでは,柔軟構造である大型アンテナ等を搭載し,姿勢変更による短時間での複数天体・複数地点への指向変更を要求することも考えられる。そこで本研究では,柔軟人工衛星の高速な姿勢変更を実現するため,高速姿勢変更時に生じる姿勢アクチュエータ起因の姿勢角速度飽和の有無に着目し,振動抑制を行う姿勢制御系を論じた。まず,飽和が生じない小離角の姿勢変更のための制御として,制御系に与える指令値を従来手法から発展させ,1. 制御対象の振動モードのモデル化誤差に対するロバスト性と高速性を両立する振動抑制指令値の提案を行った。当手法は,振動モードに対するロバスト性の与え方において従来手法よりも明確な意図を持たせたものである。また,大離角の姿勢変更のための制御として,2. 姿勢角速度飽和制約下で柔軟衛星を高速に姿勢変更させる切り換え型姿勢制御則の提案を行った。切り換え型姿勢制御則は,「柔軟構造を高速に運動させる」という共通点を有するハードディスクドライブ(Hard Disk Drive: HDD)の切り換え制御を宇宙機に応用したものである。HDD より柔軟性が高いと考えられる柔軟人工衛星に切り換え制御を応用するため,従来HDDの切り換え制御で行われていた切り換え時の補償方法に振動抑制効果を持たせた,新しい切り換え時補償方法を提案した。更に,3. 構造が非対称な衛星に対し,上述のどちらの制御を用いる場合でも振動抑制性能の向上が可能な並進運動制御系の提案を行った。当手法は,従来無視されていた並進のダイナミクスを利用した,全く新しい振動抑制制御手法である。以下,これら3つの提案について詳細に説明する。

1. 振動抑制指令値の提案姿勢アクチュエータが飽和を生じないような小離角の姿勢変更を行う場合,二自由度制御による高速・高精度制御が有効である。二自由度制御では,振動抑制のためのフィードバック制御もさることながら,フィードフォワード制御の検討が重要である。本研究では,低次振動モードの同定に比較し高次振動モードの同定が困難であるという特性に基づき,低次振動モードと高次振動モードにロバスト性の異なる振動抑制手法を用いる制振指令値生成手法を提案した。当手法は,Input Shapingと呼ばれるインパルス列設計手法の残余振動除去特性と,Nil-Mode-Exciting (NME) profilerと呼ばれる指令値生成手法の高周波遮断特性を利用したものである。本指令値は,同定が比較的容易な低次振動モードに対して設計したInput Shapingのインパルス列を,同定が困難な高次振動モードの固有周波数の周波数成分を持たないよう設計したNME profilerと畳み込み積分することで得られる振動抑制指令であり,この方法を修正NMEprofiler (Modified NME profiler)と呼ぶ。提案手法は,柔軟人工衛星の姿勢ダイナミクスを模擬した実験機を用いて,既存手法であるNME profiler,Input Shapingとバンバン制御の組み合わせ,及びSMARTと呼ばれる制振軌道との比較実験を行い(図1),振動モードのモデル化誤差に対するロバスト性と高速性を両立させる手法であることを示した。

2. 切り換え型姿勢制御則の提案高速な姿勢変更を頻繁に行う場合,燃料の消費のない,内力アクチュエータの使用が必須である。内力アクチュエータは角運動量保存則に基づくものであるため,姿勢制御系はアクチュエータが有する角運動量によって姿勢角速度を制限される。このような速度次元での飽和はHDDのヘッド位置決め制御と同様の問題であり,HDDにおいて速度飽和が生じる際に使用される切り換え制御が有効であると考えられる。そこで,本研究では切り換え型姿勢制御則を提案し,上述の実験機を用いた検討を行った。検討の結果,柔軟衛星に切り換え制御を適用する際には,切り換え制御の加減速及び切り換え時において柔軟性を考慮した設計が必要であることが分かった。そこで,Input Shapingの技法により振動のない加減速を行うとともに,切り換え時に発生する振動についての検討を行った。HDDの切り換え制御では,切り換え時に制御器の最適な初期状態を求める初期値補償設計が行われるが,微分ゲインの大きなPD 制御則を基本とする姿勢制御系に初期値補償設計を適用した場合,インパルス状のトルクが発生し,振動モードを励振させることが分かった。そこで,状態変数の補償を複数回行うこととし,これらの補償によって生じる切り換え後のトルクが,事前に設計したInput Shapingのインパルス列と同じ形状になるよう制約を課した,Input Shaping 型状態変数補償の提案を行った。柔軟構造を考慮した加減速及び,提案したInput Shaping 型状態変数補償は実験により検証を行い(一部図2に示す),切り換え型姿勢制御則による柔軟衛星の高速姿勢変更の実現可能性を示した。

3. 並進運動制御系の提案人工衛星ASTRO-G (図3)のように,搭載する柔軟構造により,人工衛星が非対称な形状となる衛星では,構造を非対称にしている柔軟構造を通して姿勢運動と並進運動が連成振動を生じることが知られている。このため,非対称な人工衛星において高速な姿勢変更を行う場合,姿勢制御入力によって励起された振動モードは,並進運動に現れることになる。よって,並進運動においてこのような振動運動を観測し,振動抑制制御を行うことで,振動の少ない姿勢変更の実現が達成できると考えられる。そこで,加速度センサとプルーフマスアクチュエータと呼ばれる並進アクチュエータによって並進運動に現れた振動を抑制する,並進運動制御系の提案を行った。当提案の有効性は,形状が非対称な柔軟衛星ASTRO-Gの数値モデルを用いたシミュレーションにより検証を行った。シミュレーション結果(図4) から,提案する並進運動制御を用いた場合,振動抑制性能が向上し,姿勢変更終了時の残余振動低減の一助となることを確認した。

以上のように本研究では,柔軟衛星の高速姿勢変更を実現するための制御手法として,姿勢アクチュエータの飽和の有無に着目し,飽和が生じない小離角姿勢変更のための振動抑制指令値生成手法の提案及び,飽和が生じる大離角姿勢変更のための切り換え型姿勢制御則の提案を行い,柔軟人工衛星の姿勢ダイナミクスを模擬した実験機により検証を行った。指令値生成手法は従来手法に比較し高速かつ高精度な姿勢変更の実現を可能とするものであることを示した。また,切り換え型姿勢制御則という新たな制御構造を人工衛星の制御に導入し,大離角姿勢変更時の姿勢角速度制約下で高速な姿勢変更が可能であることを示した。更に,構造が非対称な柔軟衛星において姿勢運動と並進運動が連成するという点に着目し,振動抑制のための並進運動制御系を提案,数値シミュレーションによりその有効性を示した。本研究の成果は,大型アンテナなどの柔軟構造を搭載し,短時間のうちに複数地点・複数天体に指向変更を行う衛星の高速姿勢変更の実現を可能とするものである。

図1 高次振動モードに固有周波数誤差が存在する場合の指令値別残留振動の実験結果(横軸:駆動時間,縦軸: 残余振動と移動角の比)。提案手法(Modified NME Profiler)は,同定が容易な低次の振動モードを制振するInput Shaping 手法と,高周波遮断特性に優れるNME Profilerを組み合わせたものであるため,高次振動のモデル化誤差の影響を受けず,高速性を実現した手法である。

図2 位置制御系への切り換え後の角速度(上図) 及びトルク(下図)の応答。提案手法では,トルク出力を時分割し,かつ事前に設計したInput Shapingのインパルス列と同じ形状になるように与える(下図) ことで,切り換え後の振動を抑え,速やかな収束を実現している(上図)。

図3 電波天文観測衛星ASTRO-Gの概観図。ASTRO-Gは片側に大型展開アンテナを搭載し,反対側に太陽電池パドルを搭載するため,衛星全体は非対称な形状となっており,姿勢運動と並進運動が連成を生じる衛星である。

図4 離角1 degの姿勢変更を行う数値シミュレーション結果。上図は姿勢変更の概観を示し,下図はその収束付近を示す。提案する並進運動制御系を用いることで,収束時付近の残余振動を典型的に1/5 程度に抑えることが可能であることが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

近年、ロケットの打ち上げ能力の制限のもとで人工衛星の大型化が進んだことから衛星構造の柔軟化が進むと同時に、ミッションの多様化のため高速な姿勢変更の実現が必要とされてきている。従来より柔軟衛星の姿勢を一定に保つ制御系設計に関する研究、あるいは剛性の高い衛星を高速に姿勢変更させる制御系設計に関する研究は盛んに行われていたが、これらの研究成果は柔軟性の高い衛星を高速姿勢変更させるミッションには不十分であった。また、今後増加すると考えられる高速な姿勢変更を行う衛星の姿勢制御系においては、大トルクを出力するControl Momentum Gyro (CMG)の使用が必須となると考えられ、従来のトルク飽和を考慮した制御系設計よりもむしろ姿勢角速度飽和を考慮した制御系設計が望ましい。本論文は、「柔軟衛星の高速姿勢変更のための制御系に関する研究」と題し、柔軟性の高い衛星に対して、姿勢アクチュエータ起因の姿勢角速度飽和が生じない高速の小離角姿勢変更のための制振指令値生成手法、姿勢角速度飽和が生じる高速の大離角姿勢変更のための切り換え型姿勢制御則、及び非対称な柔軟衛星の振動抑制性能を向上する並進運動制御系の提案を行い、計算機シミュレーション及び柔軟衛星の姿勢ダイナミクスを模擬した実験によりその有効性を明らかにしたものである。

本論文は、全7章で構成される。

第1章は序論であり、研究の背景、目的、論文の構成などを述べている。

第2章では、柔軟構造体を高速に動かすという共通点を有するハードディスクドライブ(Hard Disk Drive: HDD)における制御則の例を挙げることで、振動抑制制御における位相安定化の重要性について述べている。また、古くから用いられているコロケーションフィードバックが位相安定化制御であることを述べた後、実際の衛星における制御系の実例を挙げ、姿勢制御系における位相安定化制御の有効性と課題について述べている。

第3章では、第4章及び第5章で提案する姿勢制御則の評価のために設計・製作した柔軟衛星の姿勢ダイナミクスを模擬する実験機について述べている。柔軟衛星の制御サンプリングと最低次固有周波数の比率及び柔軟構造のゲイン特性を模擬できるように、実験機の機械系を設計した。実験に使用したアクチュエータの持つ摩擦を補償するための外乱オブザーバを提案し、摩擦補償に関する実験を行うことで、製作した実験機が柔軟衛星のダイナミクスを模擬するものであることを示している。

第4章では、アクチュエータ起因の姿勢角速度飽和が生じないような小離角の高速な姿勢変更を実現する制振指令値生成手法を提案している。柔軟衛星に対する制振指令値生成手法として従来から提案されていたInput ShapingとNME profilerについて説明した後、これらを組み合わせて両者の長所を活かすことで高次振動モードのモデル化誤差に対してロバストとなる修正NME profilerの提案を行っている。従来の3手法との比較実験により、提案した制振指令値生成手法は高次振動モードのモデル化誤差が懸念される場合に高速姿勢変更を実現する手法であることを示している。

第5章では、大トルクアクチュエータCMGを用いた将来の衛星ミッションでは、トルク飽和よりも姿勢角速度飽和が支配的な制約となると予想されることから、姿勢角速度制約下で高速な姿勢変更を可能とする切り換え型の姿勢制御則を提案している。本制御則は、HDDの速度飽和制約下のヘッド位置変更制御において使用される切り換え制御を柔軟衛星の姿勢制御系に応用したものである。柔軟衛星の姿勢制御系に応用するにあたり柔軟性の考慮が必要であることを述べ、従来からある制御モード切り換え時の補償方法である初期値補償設計を、柔軟系に対して拡張したInput Shaping型状態変数補償を新たに提案している。第3章で設計・製作した実験機によりこの方法の評価を行い、提案した切り換え型姿勢制御則が柔軟衛星の高速姿勢変更のための制御則として有効であることを示している。

第6章では、第4章と第5章で述べた制御則が高速化を狙ったものであるのに対し、新たに振動抑制性能を向上させるための制御系について提案している。ここでの提案は、非対称な人工衛星において姿勢運動と並進運動が連成振動を生じることを利用して、高速な姿勢変更時の振動を抑圧するために並進運動のダイナミクスを利用した振動抑制制御系である。計算機シミュレーションを用いた検討によりその振動抑制性能と実現可能性を明らかにしている。

第7章は結論であり、本論文をまとめ、今度の課題について述べている。

以上これを要するに、本論文では、従来実現が困難と考えられていた柔軟衛星の高速・高精度姿勢変更を実現するため、ロバストな制振指令値の生成法、振動を励起しない切換え制御則、及び並進運動のダイナミクスを利用した振動抑制のための制御系を新たに提案し、計算機シミュレーション及び姿勢ダイナミクスを模擬した実験機による検証をしたものであり、電気工学、制御工学上貢献するところが少なくない。よって、本論文は、博士 (工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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