学位論文要旨



No 126830
著者(漢字) 上野,智永
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,トモナガ
標題(和) ゲルネットワークを基盤とした新規化学システムの構築と機能創発に関する研究
標題(洋) Study on design of novel chemical systems and emergent functions based on gel network
報告番号 126830
報告番号 甲26830
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7471号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉田,亮
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 高井,まどか
 東京大学 准教授 山崎,裕一
内容要旨 要旨を表示する

自然界では秩序構造が自発的に形成する自己組織化現象が多く見られる。特に生物は分子の自己集合や時空間構造を利用した複雑なネットワーク形成を基に様々な機能を創発している。自己組織化は熱力学的な観点から二つの状態の違いによって現象を分類できる。一つは熱力学的に安定な平衡状態での現象である。平衡状態では、分子間の近距離相互作用に基づいて、空間周期性をもつ秩序構造が形成される(自己集合)。周期サイズは要素の大きさに依存し、平衡状態であるため時間発展しない。一方で、非平衡状態では、反応や拡散等の速度論的な要因が安定構造を生み出し秩序構造を形成する(散逸構造)。非平衡状態を維持するためには、エネルギーや物質のやりとりが可能な開放系であることが要件となる。散逸構造は時空間周期性をもち、リズム反応や、空間パターンとして現れる。この空間パターンの周期サイズは要素の大きさよりも数オーダー大きくなるのが特徴である。このような自己集合と自己組織化が相互に補完しあいながら階層的なシステムを形成し機能を創発する。この高い階層性と複雑なシステムを有する究極的な自己組織化体が生命である。

したがって高度な機能を創発するために、バイオミメティクス的な観点から生命の本質的な機能を抽出し、それを模倣したシステムを人工的に構築する手法が一つのアプローチとして挙げられる。本研究では生命に見られる、(i)自発的な定在パターンの形成、(ii) 媒体中の反応や拡散等の境界条件の変化による段階的なパターンの発展および形態形成、(iii)散逸構造と連結した可塑性の高い物質システムによる機能創発、を生命の本質的な機能ととらえ、これを模倣した人工的なシステムの構築およびその機能について研究を行った。自己集合の概念から様々な分子設計を行うことができるゲルネットワークを基盤として、ferrocyanide-iodate-sulfite(FIS)反応やBelousov-Zhabotinsky(BZ)反応などの化学反応によって得られる散逸構造(リズムやパターン)を用いてシステムを構築し、機能創発を行った。

以下に本論文の各章の概要を示す。

第一章では、自然界にみられる秩序構造が自発的に形成する自己組織化現象を自己集合と散逸構造が相互に補完しあう現象と定義し、究極的な自己組織化体として生命をとらえることができることを述べた。さらに、生命が有するシステムや機能を数例紹介し、それを人工的に模倣するための具体的な手法について紹介した上で、本論文における目的や構成について述べた。

第二章では、FIS反応によるポリアクリルアミドゲル中でのパターン形成の基本的な特性を、温度、ゲル媒体の厚みや膨潤度をパラメータとして調べた。FIS反応は自触媒反応を伴う基質-消費系の反応で、溶液を連続的に供給することで、pH 4~7程度の範囲でpH振動反応が生起する。この反応を空間に展開すると、pHの濃淡がパターンとして現れる。このようなpHの状態は供給する溶液の流量に依存し、低流量では低pH状態、高流量では高pH状態、中間の流量では、双安定・振動領域となり摂動が加えられると空間的な対称性が破れてパターンが発生する。このような領域を分ける分岐点は、温度を高くすると反応速度が増加するため高流量側にシフトした。また、本研究の条件では35℃以上でスポットが分裂して増殖していく自己複製スポットパターンが形成し、温度が高くなるにつれて、パターン形成時のフロント波の伝播速度の増大、スポットの分裂周期の低下がみられた。さらに、スポットサイズが温度の上昇とともに小さくなる傾向が見られた。温度による拡散係数の変化は小さいため、反応速度、特に高pH状態でのプロトンの生成速度がパターン形成のスポットサイズに影響したと考えられた。

次にゲルの厚みや膨潤度の影響を調べた。ゲルの厚みは分岐点やパターンに大きな影響を与え、厚みを厚くすると、分岐点が高流量側に移動し、形成されるパターンは定在パターンから動的に変化するパターンになった。またゲルの膨潤度を変化させると、分岐点の変化は厚みの影響ほど大きくなかったが、形成されるパターンは変化した。膨潤度が低くなるにつれて、振動スポットパターンから自己複製スポットパターン、ラメラパターンに変化した。膨潤度が低くなるとゲル中の物質の拡散が遅くなり、フロント波の伝播速度にも影響を与えた。このような、ゲル中の物質の拡散の変化がパターンに影響を与えたと考えられた。本章では温度や媒体中での拡散がパターン形成に与える影響についての基本的な知見を得た。

第三章では、第二章で得られた知見を元にFIS反応によるパターン形成を媒体の機能化によって制御した。二段階の光重合によって網目密度が異なるヘテロ構造のゲル媒体を作成した。網目密度の違いによって物質の拡散性が変化するので、媒体に人工的な境界条件を付与したシステムを構築することができる。このようなゲル媒体を用いてパターン形成の挙動を調べた結果、ゲルのヘテロ構造に対応したpHのパターンを発生させることができた。これは、ゲルのヘテロ構造における物質の拡散性の違いがFIS反応を介して、pHのパターンへと変換されたことを意味する。さらに、この境界条件が反応拡散メカニズムによって、ゲルのヘテロ構造とは異なるより高次のパターン形成を誘起した。これは生物の形態形成におけるパターンの段階的な発展を模倣した例になると考えられる。

次にFIS反応溶液中で、40℃でコイル状態からグロビュール状態に相転移するPoly(N-isopropylmethacrylamide)マクロモノマーを、アクリルアミドと共重合させて、グラフト鎖として導入したゲル媒体を作成した。このゲル媒体を用いて各温度における分岐点やパターン形成の挙動を調べた結果、相転移温度を境に分岐点に変化がみられた。温度応答性を示さないポリアクリルアミドゲルの場合には、高温になるにつれて反応の温度依存性により分岐点が高流量側に移動するのに対して、グラフト鎖を導入したゲルでは、40℃以下ではポリアクリルアミドゲルと比較して同等か高流量側に、40℃以上では低流量側に移動した。低温では、グラフト鎖がゲル内でコイル状態をとるため物質の拡散を制限していたのに対して、相転移温度以上ではグラフト鎖がグロビュール状態となり、物質の拡散性が増加し、低流量側に分岐点が移動したと考えられた。このように外部刺激によって媒体を変化させることで、パターン形成を制御できるシステムを構築できた。

第四章では、散逸構造が生み出す時間構造と物質の可塑性が連結されたシステムを構築した。TerpyridineとRuの錯形成は酸化状態と還元状態で配位構造が変化し、酸化のときにはTerpyridineが一つ配位した構造が安定となるのに対し、還元状態のときにはTerpyridineが二つ配位した構造が安定となる。そこで、末端にTerpyridineを修飾したポリマー鎖を合成し、錯体の解離・結合が分子量の変化やネットワーク構造の変化に変換される分子設計を行った。BZ反応は金属触媒の酸化・還元状態を周期的に変化させるので、Terpyridine-Ru錯体の可逆的な錯形成とBZ反応を組み合わせることで、周期的な連結点の結合・解離を誘起し、それが分子量やネットワーク構造の変化を生みだすシステムを構築した。最初にRu-Terpyridine錯体がBZ反応の金属触媒として機能し、振動を誘起することを確認した。次にBZ反応中のポリマー溶液の粘度を測定したところ、周期的な粘度振動が観察された。このことからRu-Terpyridine錯体の可逆的な錯形成により、Terpyridine末端修飾ポリマー間の結合・解離による周期的な分子量の変化およびネットワーク構造の変化を得ることができたと考えられた。

第五章は、総括とした。本論文全体の内容をまとめるとともに、本研究によって構築した化学システムや創発的な機能の可能性について示した。

本論文の遂行により、FIS反応によって生じるpH濃淡のパターンをゲル媒体によって定在的なパターンや動的なパターンとして制御できることを示した。さらにゲル媒体を機能化し、媒体中のダイナミクスを制御することによって、より高度で操作性の高いパターンを形成することができた。このようなpH濃淡のパターンは非平衡系のプロセスによってはじめて実現できるものであり、新規的なパターンテンプレートとしての応用が期待される。また物質の可塑性と非平衡系で生じる散逸構造が結びつくことで、定在的なパターンや動的なパターンに付随して物質の状態が変化し、自律的に形態形成を行う材料、また自律的に移動可能な材料が実現できると考えられる。これは、自律的に駆動するソフトマシンの実現を可能にするのみならず、究極的なソフトマシンである生命の理解の深化にも貢献できると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

自然界では秩序構造が自発的に形成する自己組織化現象が多く見られる。特に生命は、分子の自己集合や時空間構造を利用した複雑なネットワーク形成を基に様々な機能を創発している。本学位請求論文では、自己組織化現象を、自己集合と散逸構造が相互に補完しあうことで階層的なシステムを形成し機能を創発する現象ととらえ、その究極的な自己組織化体として生命体を挙げている。そして高度な機能を創発するために、バイオミメティックスの観点から生命の本質的な機能を抽出し、それを模倣したシステムを人工的に構築する試みを行っている。生命に見られる (i) 自発的な定在パターンの形成、(ii) 反応や拡散等の境界条件変化による段階的なパターンの発展および形態形成、(iii) 散逸構造と連結した可塑性の高い物質システムによる機能創発、を生命の本質的な機能ととらえている。これらを模倣した人工的なシステムを、様々な分子設計が可能なゲルネットワークを基盤として、Ferrocyanide-Iodate-Sulfite(FIS)反応やBelousov-Zhabotinsky(BZ)反応などの化学反応で得られる散逸構造を用いて構築し、機能創発を行っている。以下に本論文の各章の概要を示す。

第一章では、自然界にみられる秩序構造が自発的に形成する自己組織化現象を、自己集合と散逸構造が相互に補完しあう現象と定義し、究極的な自己組織化体として生命を捉えることができると述べている。さらに、生命が有するシステムや機能を例示し、それを人工的に模倣するための具体的な手法について紹介した上で、本論文の位置づけ、目的、構成について述べている。

第二章では、FIS反応によるポリアクリルアミドゲル中でのパターン形成の基本的な特性を、温度、ゲル媒体の厚みや膨潤度をパラメータとして調べている。FIS反応は自触媒反応を伴う基質-消費系の反応であり、溶液を連続的に供給することでpH 4~7程度の範囲でpH振動が生起する。この反応を空間に展開するとpH変化が種々の空間パターンとして現れる。スポットが分裂・増殖していく自己複製パターンの形成を確認し、温度上昇に伴うフロント波の伝播速度の増加、スポットの分裂周期の低下、さらにスポットサイズの低下が起こることを見いだしている。温度による拡散係数の変化は小さいため、反応速度、特に高pH状態でのプロトンの生成速度がスポットサイズに影響したと推察している。さらにゲル厚みや膨潤度がパターンに与える影響について検討しており、ゲルが厚くなると定在パターンから動的に変化するパターンとなることを示している。またゲルの膨潤度が低くなるにつれて、振動スポットパターンから自己複製スポットパターン、ラメラパターンに変化することを明らかにしている。膨潤度が低くなるとゲル中の物質拡散が遅くなるためフロント波の伝播速度が変化し、パターンに影響を与えたと考察している。

第三章では、第二章で得られた知見を元に、FIS反応によるパターン形成を媒体の機能化によって制御している。網目密度が異なるヘテロ構造のゲル媒体を作成し、網目密度の違いによる物質拡散性の変化を利用して、人工的な境界条件を付与したシステムを構築している。このようなゲル媒体によって、ゲルのヘテロ構造に対応したpHパターンが発生することを確認している。またこの境界条件が、ゲルのヘテロ構造とは異なるより高次のパターン形成を誘起することを明らかにしている。さらに、外部刺激によりゲル媒体の網目構造を変化させることでパターン形成を制御するシステムを構築している。40°Cでコイル状態からグロビュール状態に相転移するpoly(N-isopropylmethacrylamide)マクロモノマーをアクリルアミドと共重合させ、グラフト鎖として導入したゲル媒体を作製している。各温度における分岐点やパターン形成挙動を調べた結果、相転移温度を境に分岐点に変化がみられることを見いだし、グラフト鎖の影響について議論している。

第四章では、散逸構造が生み出す時間構造と物質の可塑性が連結されたシステムを構築している。TerpyridineとRuの錯形成は酸化状態と還元状態で配位構造が異なり、酸化状態ではTerpyridineが一つ配位した構造が安定となるのに対し、還元状態ではTerpyridineが二つ配位した構造が安定となる。これを利用して、末端にTerpyridineを修飾したPEG鎖を合成し、錯体の結合・解離が分子量変化やネットワークの構造変化に変換される分子設計を行っている。BZ反応は、触媒となるRu錯体の酸化・還元状態を周期的に変化させる。そこでTerpyridine-Ru錯体の可逆的な錯形成とBZ反応を組み合わせることで、周期的な連結点の結合・解離を誘起し、分子量やネットワーク構造の変化を生みだすシステムを構築している。実際にBZ反応によって酸化・還元振動が誘起され、ポリマー溶液の粘度が自励振動することを確認している。Ru-Terpyridine錯体がBZ反応の金属触媒として機能し、Terpyridine末端修飾ポリマー間の結合・解離による周期的な分子量の変化およびネットワーク構造の変化を得ることができたと考察している。

第五章は総括であり、本論文全体の内容をまとめるとともに、本研究によって構築した化学システムや機能創発の可能性について述べている。

以上のように、本学位請求論文は、ゲルを媒体としたFIS反応によって生じるpHの空間パターンを定在パターンや動的パターンとして制御できることを示している。さらにゲル媒体を機能化し、そのダイナミクスを制御することによって、より高度で操作性の高いパターン形成が可能であることを示している。このようなpHパターンは非平衡系のプロセスによってはじめて実現されるものであり、新規的なパターンテンプレートとしての応用が期待される。また物質の可塑性と非平衡系で生じる散逸構造が結びつくことで、定在パターンや動的パターンに付随して物質の状態が変化し、自律的に形態形成や移動を行う材料が実現可能となる。これは、自律的に駆動するソフトマシンの開発へとつながり、マテリアル工学の可能性を拡張するのみならず、究極的なソフトマシンである生命の理解の深化にも貢献できると期待される。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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