学位論文要旨



No 126831
著者(漢字) 寺澤,麻子
著者(英字)
著者(カナ) テラサワ,アサコ
標題(和) ナノスケールにおける多端子電気伝導シミュレータの開発及びナノ構造系の4端子抵抗の理論解析
標題(洋) Development of Multi-probe Electron Transport Simulator and Simulation of Four-probe Measurement at the Nanoscale
報告番号 126831
報告番号 甲26831
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7472号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 准教授 枝川,圭一
 東京大学 講師 長汐,晃輔
 東京大学 教授 押山,淳
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 長谷川,修司
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

近年の電子デバイス微細加工技術の発展によって,電子デバイスの最小加工サイズは数十ナノメートルの領域にまで至っており,今後更なるデバイスの微細化が期待される.しかし,ナノスケールでは,バリスティック伝導や位相干渉等の影響のため,マクロスケールにおけるオーミックな伝導モデルに基づいた電気伝導理論をそのまま適用することはできず,今後更なる微細化が期待されるナノデバイスにおいて,その設計指針を立てることが難しいという問題が生じてくる.このため,ナノデバイス及びナノ構造体の特異な電気伝導特性を知ることは,今後のデバイス技術の発展において非常に重要である.

ナノ構造体の電気伝導特性を明らかにしようとする試みは,これまでに実験と理論の両面からなされてきている.実験手法の中で注目されるものの1つが,接触抵抗に影響されない電気伝導特性の計測手法である4端子抵抗測定法をナノ構造体へと応用する試みである[1-4].しかし,ナノ構造体の4端子抵抗は,オーミックな伝導モデルから予想できない振る舞いを見せることがある.例えば,Gaoらによる単層カーボンナノチューブ(SWNT)の4端子計測[5]では,極低温において4端子抵抗がゲート電圧に対して振動し,局所的に負の値が観測されている.また,Makarovski らは,同じく低温におけるSWNTの4端子計測において,オーミックな伝導モデルでは考えられない非局所抵抗の存在と,この非局所抵抗のゲート電圧に対する振動を報告している[6].ナノ構造体の多端子伝導がこのような振る舞いを見せることに関しては,ナノスケールにおける負の4端子抵抗の出現の可能性が指摘されているものの[7],電子波干渉の存在下での4端子抵抗の特異な振る舞いを評価するための明確な指針は得られていない.

ナノ構造体の多端子伝導の研究における上記のような背景を踏まえ,本研究は信頼性の高い電子状態計算・電気特性計算手法を用いてナノスケール多端子電気伝導シミュレータを開発し,ナノスケールの物理現象と計測される物理量との関係の解明を目指した.

2. 研究手法

目的とする多端子電気伝導シミュレータ開発のため,本研究では非平衡Green関数法及び自己無撞着密度汎関数強束縛(SCC-DFTB)法を用いた[8-10].Green関数法においては,電子状態を陽に計算する領域(以下では「散乱領域」とする)に接続した半無限プローブの影響をGreen 関数における自己エネルギーの形で考慮することができる.また,散乱領域のGreen 関数G(E)=[ES-H-Σ(E)](-1)の計算においては, SCC-DFTB法による原子軌道基底表現を用いた.SCC-DFTB法は,電荷分布が作る静電ポテンシャルを考慮し,強束縛法の枠内で自己無撞着にハミルトニアン行列Hを決定する手法である.また,プローブpの自己エネルギーΣp(E)の計算にはモードマッチング法を用いた[11,12].

3. 低温・低バイアス極限における4端子抵抗の解析

開発した多端子電気伝導シミュレータを用い,様々なナノ構造系の4端子抵抗の,低温・低バイアス極限における電子のエネルギーに対する依存性を調べた.[13,14]

a)炭素原子鎖の4端子抵抗スペクトルにおける干渉効果の解析

まず一般的な特性を調べるため,炭素原子鎖からなる単純な4端子系についてエネルギーに対する4端子抵抗スペクトルの計算を行った.この4端子抵抗スペクトルは電子のエネルギーに対する振動を見せ,極小点では負の値を生じる場合が見られた.さらに,この振動の様子は試料-プローブ間の相対的位置関係により変化した。このような4端子抵抗の挙動について電子波干渉モデルを用いて考察した結果,異なる伝導経路における多重反射過程の違いによる強い干渉が,4端子抵抗の振動および負の4端子抵抗をもたらすことがわかった.

このような電子波干渉モデルに基づく4端子抵抗スペクトルの解析を目的として,4端子抵抗スペクトルに現れる振動のピーク間隔の入射エネルギー依存性である「ピーク間隔スペクトル」を導入した.数値計算から得られた4端子抵抗のピーク間隔スペクトルと,電子波の間の位相差がその行路差のみから決まるとした単純な干渉モデルから予測されるピーク間隔スペクトルとを比較した結果,両者の間のずれとして,試料-プローブの接点における散乱の際の位相シフトの効果がピーク間隔スペクトルに現れることがわかった.

b) より複雑な系に対する解析

(5,5)-カーボンナノチューブからなる4端子系について4端子抵抗スペクトルを計算した結果として,炭素原子鎖の場合と同様に,試料-プローブの位置関係に依存した4端子抵抗スペクトルの振動および負の4端子抵抗を得た[13].この4端子抵抗スペクトルに対してピーク間隔スペクトルの解析を行ったところ,異なるプローブ間隔で共通の位置にピーク間隔スペクトルに落ち込みが表れた.この落ち込みはプローブ・試料の接触位置における共鳴状態と関連していることが,接点における射影状態密度との比較より明らかになった.

次に,炭素原子鎖からなる4端子系に水素原子を配した系についても,同様に4端子抵抗スペクトル,およびそのピーク間隔スペクトルの解析を行った.その結果,水素原子と炭素原子鎖の距離に応じてピーク間隔スペクトルは複雑に変化するが,ピーク間隔スペクトルの解析によって接点における共鳴状態の影響と水素原子の吸着による共鳴状態の影響を分離することができた.

c) デコヒーレンスの影響の現象論的解析

上述の解析では電子‐フォノン散乱等の影響によるデコヒーレンスの影響を無視していた.そこで4端子抵抗の振動的振る舞いへのデコヒーレンスの影響について,現象論的なデコヒーレントモデルを導入し解析を行った、その結果デコヒーレンスによって4端子抵抗の振動の振幅は小さくなるが,ピーク間隔スペクトルはデコヒーレンスの影響を殆ど受けないことを示した.

4. 有限バイアスの存在下における多端子伝導シミュレーション

上記の計算結果は実験と定性的に対応しており,実験における干渉効果の影響を強く示唆していると考えられる.しかし上記の計算が低温、低バイアス極限において行われているのに対し、実験における電圧印加はナノスケール系では強い電場勾配となる。そのため,現実的な系では小さな電圧印加であっても電子状態に対する影響が無視できるとは限らない。そこで,原子-電子の相互作用ポテンシャルを扱うSCC-DFTB法に、バイアス電圧に由来するポテンシャル勾配を導入し、有限バイアス印加時の2端子および多端子に対するシミュレーションを行った。

炭素原子鎖からなる4端子系に対して、電流プローブ間に有限のバイアス電圧V14を印加し,電圧プローブ間の電位差V23は,線形応答近似の範囲内で電圧プローブの電流ゼロの条件を満たす様に,V23 =[R4pt/R2pt]0V14とした.ここで,[R4pt/R2pt]0は低温・低バイアス極限における4端子抵抗/2端子抵抗である.このような条件のもとで計算したところ、電圧プローブに流れる電流は電流プローブに流れる電流に比べごく小さくなったものの、有限の値を取っており、バイアス電圧変化に対し非線形に変化した。従って、電圧プローブの電流ゼロの条件を満たすためには、再帰的なバイアス電圧決定が必要になる。

5. まとめ

本研究では、複雑なナノ構造系の低コストかつリアリスティックな電気伝導計算を目的とした多端子伝導シミュレータを開発し、様々なナノ構造系の状態が4端子抵抗にどのように現れるかを解析した.本研究において得られた結果は実験と定性的に対応しており、実験で見られた一見奇妙な4端子抵抗の振る舞いがナノスケール系の特異な伝導現象から説明できることを示している。このように本研究で得られたナノスケールの多端子伝導に対する新たな知見は、今後さらなる発展が見込まれるナノスケール系の多端子電気伝導の実験・理論において重要性を増していくことが期待される。

[1] Y.-F. Hsiou et. al., Jpn. J. Appl. Phys., 44, 4245 (2005).[2] Y. Nosho et. al., Jpn. J. Appl. Phys., 46, L474 (2007).[3] S. Yoshimoto et. al., Nano Lett. 7, 956 (2007).[4] Y. Kitaoka et. al., Appl. Phys. Lett. 95, 052110 (2009).[5] B. Gao et. al., Phys. Rev. Lett. 95, 196802 (2005).[6] A. Makarovski et. al., Phys. Rev. B, 76, 161405(R) (2007).[7] S. Datta, ``Electronic Transport in Mesoscopic systems'' (Cambridge University Press, New York, 1995).[8] D. Porezag et. al., Phys. Rev. B 51, 12947 (1995).[9] M. Elstner et. al., Phys. Rev. B 58, 7260 (1998).[10] Th. Frauenheim et. al., Phys. Stat. Sol. (b) 217, 41 (2000).[11] T. Ando, Phys. Rev. B 44, 8017 (1991).[12] P. A. Khomyakov et. al., Phys. Rev. B 72, 035450 (2005).[13] A. Terasawa et. al., Phys. Rev. B, 79, 195436 (2009).[14] A. Terasawa et. al., New J. Phys., 12, 083017 (2010).
審査要旨 要旨を表示する

近年の電子デバイスの一層の微細化によって、ナノスケール構造体の電気伝導特性の理解がますます重要になってきている。この中で、接触抵抗に影響されない電気伝導特性の計測手法である4端子抵抗測定法をナノ構造へと応用する試みも進められている。しかしナノ構造の4端子抵抗は、4端子抵抗値のゲート電圧に対する振動や負の4端子抵抗値の出現など、マクロな系では見られない特異な振舞いを示すことがある。ナノスケールにおける負の4端子抵抗の出現自体は理論的に既に可能性が指摘されていたものの、具体的なナノ構造に即して4端子抵抗の特異な振舞いを評価するための明確な指針は得られていなかった。本論文は、ナノスケール多端子電気伝導シミュレータを開発し、ナノ構造の電気特性、特に4端子抵抗の振舞いの解明を目指したものである。本論文は6章からなる。

第1章は緒言であり、4端子抵抗測定の原理を述べた後、ナノスケール4端子抵抗測定および極低温でのカーボンナノチューブの4端子抵抗測定の実験研究を概観し、負の4端子抵抗の出現をはじめとする特異な振舞いが見られることを指摘している。次に4端子抵抗に関する理論研究について概観し、負の4端子抵抗の出現の可能性が指摘されており、また4端子抵抗のシミュレーションが可能な計算方法・プログラムがいくつか開発されているものの、具体的な系に即して4端子抵抗の振舞いを解析する上では信頼性等の点で不十分であることを指摘して、本研究の目的を明確にした。

第2章では、本研究の計算手法である密度汎関数強束縛法および非平衡グリーン関数法を述べている。まず基盤となる密度汎関数法の概略を述べた後、密度汎関数強束縛法とこの方法における電荷の自己無撞着な決定法について説明している。その後、非平衡グリーン関数法の概略を説明すると共に、効率的な非平衡グリーン関数法計算のために導入したモードマッチング法を説明している。最後に自己無撞着な密度汎関数強束縛法を有限バイアスに拡張する方法を、多端子系における静電ポテンシャルの決定法に特に注意を払いながら説明している。

第3章では、炭素原子鎖からなる単純な4端子系に対してゼロバイアス極限での4端子抵抗の電子エネルギー依存性(以下、4端子抵抗スペクトルと記す)の計算を行った結果とそれに対する考察を述べている。4端子抵抗スペクトルが試料-プローブ間の相対的位置関係に依存した振動を見せ、極小点では負の値を生じる場合が見られた点で実験事実を再現していること、およびこれらの挙動がプローブ間の電子波の多重反射による干渉から理解できることを述べている。さらに、この電子波干渉モデルに基づいてより詳細な解析を行う目的で、4端子抵抗スペクトルに現れる振動のピーク間隔の入射エネルギー依存性である「ピーク間隔スペクトル」を導入した。そして、数値計算から得られた4端子抵抗のピーク間隔スペクトルと電子波の間の位相差がその行路差のみから決まるとした単純な干渉モデルから予測されるピーク間隔スペクトルとを比較し、試料-プローブの接点における散乱の際の位相シフトの効果が両者の間のずれとして現れることを明らかにした。以上に加えて、電子-フォノン散乱等によるデコヒーレンスが4端子抵抗スペクトルの振舞いに及ぼす影響についても現象論的なモデルを用いて解析し、デコヒーレンスによって4端子抵抗の振動の振幅は小さくなるが、ピーク間隔スペクトルはほとんど変化しないことを示した。

第4章では、より複雑な系に対する多端子伝導特性のシミュレーションとして (5、5)-カーボンナノチューブからなる4端子系についてゼロバイアス極限での4端子抵抗スペクトルを計算した結果について述べている。炭素原子鎖の場合と同様に試料-プローブの位置関係に依存した4端子抵抗スペクトルの振動および負の4端子抵抗を得た。またピーク間隔スペクトルの解析においては、異なるプローブ間隔で共通の位置にピーク間隔スペクトルに落ち込みが現れた。この落ち込みがプローブ・試料の接触位置における共鳴状態と関連していることを、接点における射影状態密度との比較より明らかにした。

第5章では、有限バイアスの影響を陽に考慮して多端子伝導特性を考察した結果を述べている。まず一直線上に並んだ2本の炭素原子鎖について2電極系の計算を行い、原子鎖間の隙間における電界集中や系の静電容量に関して物理的に妥当な振舞いを得、これにより開発したシミュレータへの有限バイアス効果の導入が適切になされていることを確認した。次に、ランダウア・ビュティカーの公式とゼロバイアス極限での透過関数スペクトルから有限バイアスでの4端子抵抗を見積る評価式を導出した。さらに、この評価式によって決定した電圧プローブの化学ポテンシャル値を用いて数値計算を行った結果、電流端子間の電流よりはずっと小さいが有限の電流が電圧プローブに流れることを示し、この電流が透過関数スペクトルのバイアス電圧印加による変化に起因するものであることを明らかにした。この結果から、導いた評価式が有限バイアスでの4端子抵抗の粗い評価に有用である一方、精密な評価のためには電圧プローブ中の電流がゼロという条件を満足するための自己無撞着計算が必要であると述べている。

第6章は総括である。

以上のように、本論文は、ナノスケール多端子電気伝導シミュレータを開発し、これを用いて4端子抵抗スペクトルの振舞いを解析した。電子波の干渉やプローブ-試料間接点での散乱、印加バイアス電圧等がナノスケール4端子抵抗の振舞いに及ぼす影響を明らかにし、ナノスケール電気特性計測を解析する上で有用な知見を得た。よって本論文のナノスケール電子物性学、計算マテリアル工学への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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