学位論文要旨



No 126835
著者(漢字) 菊池,貴
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,タカシ
標題(和) 球状錯体の生体分子修飾と表面分子認識
標題(洋) Biomolecule Covered Spherical Complexes and Their Surface Molecular Recognition
報告番号 126835
報告番号 甲26835
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7476号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 野地,博行
 東京大学 教授 平岡,秀一
 東京大学 講師 但馬,敬介
 東京大学 講師 佐藤,宗太
内容要旨 要旨を表示する

自然界においては、生体分子が多数クラスター化して多点で結合することによって、強い分子認識を行っている。例えばインフルエンザウィルスは、細胞表面に多数存在するシアル酸糖鎖を、ウィルス表面のタンパク質レセプターによって多点認識することで、細胞の認識と細胞内への侵入を行っている。近年、人工的なナノ粒子を足場として生体分子クラスターを構築し、分子認識材料として利用する研究がさかんに行われている。例えば、金ナノ粒子の表面を1本鎖DNAで被覆することで、細胞内での標的RNAの高感度検出や、金ナノ粒子の高次構造構築への応用がなされている。しかし、既存のナノ粒子はそのサイズや形状、表面の生体分子の密度に分散があり、結果としてその性質にも分散がある。精密な表面分子認識のためには、構造の厳密に定まったナノ粒子を用いる必要がある。本研究では、折れ曲がり配位子(L)と金属イオン(M)から単一構造として定量的に自己集合する、M12L24組成の球状錯体に着目した。単一構造をもつ球状錯体を鋳型とすることで、構造が一義的に規定された生体分子クラスターの構築、および錯体表面における精密な分子認識を目指した。

第2章では、球状錯体をオリゴヌクレオチド鎖で修飾することで、錯体表面における相補オリゴヌクレオチドの精密認識を行った。表面を1本鎖DNAで高密度に修飾したナノ粒子は、標的DNAの検出やナノ粒子の組織化の手法として有力であるが、その構造を精密制御するのは困難である。そこで本研究では、DNAを精密集積するための分子性ナノ粒子状テンプレートとして、自己集合性球状錯体を用いた。折れ曲がりの頂点に、1ー3塩基のチミンからなるオリゴヌクレオチドを連結した配位子とPd(NO3)2を2:1の比で混合し、DMSO中70 °Cで2時間加熱撹拌することで、表面を24本のオリゴヌクレオチド鎖で高密度に被覆された球状錯体を定量的に構築した。錯体の構造は、NMRおよび質量分析によって決定した。直径3.5nmの巨大な単分散骨格上に、1nm2あたり0.6本という高密度でオリゴヌクレオチド鎖を集積できた。得られた錯体は、その表面において相補オリゴヌクレオチドであるオリゴアデノシンと選択的に塩基対を形成することがわかった。1H NMRによる解析の結果、DMSO:クロロホルム=1:2の溶液中では、塩基対の形成のためには最短で3塩基の鎖長が必要であることがわかった。より低極性のDMSO:クロロホルム=1:4の溶液中では、1,2塩基のオリゴヌクレオチドも塩基対を形成し、鎖長が長くなるほど塩基対が安定化されることがわかった。この溶媒条件中では3塩基のオリゴヌクレオチドで修飾した錯体と相補鎖の間には強い水素結合が働き、架橋構造を有すると考えられる沈殿物が生じた。また、ミスマッチ塩基であるグアニン、シトシンの誘導体は全く塩基対の形成を示さなかったことから、このチミン集積錯体は、その表面において相補塩基であるアデノシンと選択的に塩基対を形成することが明らかになった。自己集合性球状錯体を利用することでDNA鎖を高密度に集積し、さらにその表面において相補DNAを選択的に認識することに成功した。

第3章では、球状錯体表面をカチオン性ペプチドで修飾し、ポリアニオン分子である天然DNAの構造制御を試みた。真核生物の細胞内においてDNAは、カチオン性の球状タンパク質であるヒストンに巻きついて折りたたまれ、その転写活性を制御されている。単一構造を持つナノ粒子によってDNAの構造を制御できれば、DNAの反応活性の精密制御が可能になる。本研究では、表面をカチオン性のペプチドで被覆した球状錯体を用いることで、天然DNAの構造制御に成功した。環状DNAであるプラスミドpBR322に対してカチオン性球状錯体をアニオン:カチオン比1:0.9となるように水中で加えたところ、カチオン性錯体がDNAに対してランダムに結合し、折り曲げられる様子がAFMによって観察された。さらに球状錯体の濃度を電荷比1:9まで増加させると、均一な大きさのナノ粒子が分散した構造に変化した。この粒子は、DNA1分子がカチオン性錯体によってコンパクトに折りたたまれた構造であると考えられる。DLSによる粒径測定から、これらAFMにより観察されたDNAの構造変化は、溶液中のDNA-錯体複合体の構造を反映していることが明らかになった。この多段階のDNAの構造変化は、ヒストンと同様にDNAが錯体表面に巻きつくことで起こっていると考えられる。

第4章では、無機材料への結合能を持つペプチドで球状錯体表面を被覆することで、球状錯体の無機材料への固定化を行った。無機材料への結合能を持つペプチドアプタマーを用いた基板表面へのタンパク質の固定化は、基板選択的な固定化の手法として有力であるが、ペプチドアプタマー1分子の結合能は弱く、安定な固定化は困難である。本研究では、球状錯体の表面にペプチドアプタマーを多数集積することで、基板表面との多点結合を可能にし、錯体を基板表面に固定化する手法を開発した。折れ曲がりの頂点にチタン結合性ペプチドminTBP-1 (Arg-Lys-Leu-Pro-Asp-Ala)を連結した配位子とPd(NO3)2を2:1の比で混合し、DMSO中70 °Cで24時間加熱撹拌することで、表面に24本のチタン結合性ペプチドを有する球状錯体を定量的に得ることに成功した。錯体の構造は、各種NMRの解析により明らかにした。得られた球状錯体の水溶液を酸化チタン基板表面に滴下し、溶液中でAFM観察を行ったところ、基板表面に球状錯体が密集して結合している様子が見られた。QCM測定によってチタン基板上への球状錯体の結合能を評価したところ、min-TBP1修飾錯体はチタン基板上に不可逆に吸着し、非常に安定に固定化されていることが明らかになった。QCMのシグナル強度から、球状錯体は基板表面にほぼ単分子の層を形成していることが示唆された。さらに、チタン結合性を持たないペプチドで修飾した球状錯体、および単独のminTBP-1分子はいずれもチタン基板への結合能を示さなかったことから、minTBP-1修飾錯体は、錯体表面のペプチド鎖とチタン基板との間の多点結合によって、基板表面に強く固定化されていることが示された。

第5章では、球状錯体の内面にカチオン性の空間を構築し、その内部空間を鋳型としてアニオン性モノマーの重合制御を行った。自然界においてウィルスは、中空の殻タンパク質の内面にカチオン性のペプチド鎖を多数集積することで、ポリカチオン性の内表面を構築し、ポリアニオン分子であるDNAやRNAの包接を行っている。本研究では、ウィルス内面のカチオン性ペプチド空間の模倣として、球状錯体の内部空間にカチオン性官能基を集積することでカチオン性のナノ空間を構築し、内部での重合反応の制御を目指した。折れ曲がりの内側に第四級アンモニウムカチオンを連結した配位子とPd(NO3)2から、内面に24個のカチオンを集積した球状錯体を定量的に構築し、NMRおよび質量分析によってその構造を明らかにすることに成功した。このカチオン性球状錯体は、多点静電相互作用によって多価のアニオン性ゲスト分子を強く包接することを、NMRを用いた解析によって明らかにした。さらに、球状錯体のカチオン性内部空間を反応場とすることで、アニオン性モノマーのラジカル重合反応の制御を行った。アニオン性のラジカル開始剤を用いてp-スチレンスルホン酸ナトリウムをラジカル重合させたところ、錯体の存在によってバルクの重合に比べて初期反応が加速され、生成するポリマーの分子量、多分散度が小さくなることがわかった。対照実験の結果から、これらの球状錯体の重合制御効果は、アニオン性モノマーとカチオン性錯体が多点静電相互作用しながら重合反応が進行するためであることが明らかになった。精密構造を有するカチオン性球状錯体の内部空間を鋳型とすることで、アニオン性モノマーの重合反応を制御することに成功した。

以上本研究では、精密構造を有する球状錯体を鋳型とすることで、生体分子を精密に集積したクラスターを構築し、さらにその表面での分子認識を行った。第2章では、錯体表面をDNA鎖で被覆することで相補DNAの認識を、第3章では、カチオン性ペプチドで修飾することで天然DNAの構造制御を行った。第4章では、無機材料に結合するペプチドを錯体表面に密集させることによって無機基板への錯体の固定化を、第5章では、球状錯体の内面にカチオン性官能基を集積することで、内部での重合反応の精密制御を行った。今回開発した生体分子クラスターの構築手法は、精密な分子認識能を有する生体分子材料としての応用のみならず、生命現象を解明するための有用なモデルとして機能することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、自己集合性球状錯体のナノ表面上に生体分子の精密なクラスターを構築し、分子認識表面として利用する手法が開発された。生体内では、ペプチドや糖鎖などの生体分子が多数クラスター化することで、精密な細胞認識やシグナル伝達を行っている。近年、金属ナノ粒子やポリマー粒子の表面を多数のDNAやペプチド、糖鎖などの生体分子で修飾することで、生体モデルや分子認識材料として利用する研究がさかんに行われているが、人工ナノ粒子を基盤とした生体分子クラスターのサイズや形状を精密に制御することは一般に困難である。本論文では、一義構造を持つ球状錯体の自己組織化を利用することで、球状錯体表面に精密構造を有する生体分子クラスターが構築された。これらの錯体は、錯体表面の生体分子が多数協同的に相互作用することで、生体分子や無機基板を効率的に認識することが明らかにされた。

第1章では、本研究の概要とその研究背景、そして学問的意義が論じられた。

第2章では、自己集合性球状錯体の表面をDNA鎖で修飾することで、単一構造を有するDNAクラスターの構築と、錯体表面における相補DNAの精密認識が行われた。1ー3塩基のチミンからなるDNAを外側に連結した配位子とPd(II)イオンから、表面を24本のDNA鎖で高密度に被覆された球状錯体が定量的に構築され、NMRおよび質量分析により構造決定された。1H NMR実験により、得られたチミン被覆錯体は相補塩基であるアデニンからなるDNAと選択的に二重鎖を形成し、相補塩基とミスマッチ塩基を識別できることが明らかにされた。低極性のDMSO/CHCl3(1:4)混合溶媒中では、3塩基のDNAで修飾した錯体が相補鎖との塩基対形成によって架橋され、ネットワーク構造が構築されたことが示された。球状錯体表面にDNA鎖を多価提示することにより、多数の水素結合が協同的に作用し、塩基対の結合力の増幅が見出された。

第3章では、カチオン性ペプチドで表面修飾した球状錯体によるDNAの特異な折り畳みが実現された。真核細胞内でDNAはカチオン性タンパク質であるヒストンにより段階的に折り畳まれているが、これを人工カチオン材料で再現できた例は少ない。本章では、ヒストンと同等の大きさと高い表面正電荷を有するペプチド修飾球状錯体を用いることで、段階的なDNAの折り畳みが達成された。DNAに対して球状錯体を電荷比1:0.9の比で加えることで、剛直なDNA鎖が錯体の結合によってランダムに折り曲げられた"beads-on-a-string"構造が形成され、その構造はAFMにより直接観察された。さらに球状錯体を電荷比1:9まで加えることで、DNA1分子が均一な大きさの球状粒子へと凝縮されることが明らかにされた。これらのDNA-錯体複合体の構造変化は、DLSによる粒径測定によっても支持された。段階的な凝縮挙動から、カチオン性球状錯体がヒストンと同様にDNAを巻き取りながら折り畳んでいる機構が推定された。

第4章では、無機材料結合性ペプチドを球状錯体表面に集積することで、ペプチドの基板への結合力が増幅され、球状錯体の無機材料への固定化が行われた。チタン結合性ペプチドminTBP-1 (Arg-Lys-Leu-Pro-Asp-Ala)を外側に連結した配位子とPd(II)イオンから、表面に24本のチタン結合性ペプチドを有する球状錯体が定量的に構築され、各種NMRの解析によりその構造が明らかにされた。液中AFMにより、得られた球状錯体は酸化チタン基板に密集して結合することが示された。また、QCM測定により、球状錯体錯体はチタン基板上に不可逆に単層吸着し、非常に安定に固定化されていることが明らかにされた。対照実験により、球状錯体は錯体表面に高密度集積されたペプチド鎖とチタン基板との間の多点結合によって基板表面に強く固定化されていることが示された。

第5章では、ウィルスのカチオン性タンパク質内表面を模倣し、球状錯体の内面にカチオン性表面を構築することで、その内部空間でのアニオン包接、およびアニオン性モノマーの重合制御が行われた。内側に第四級アンモニウムカチオンを連結した配位子とPd(II)イオンから、内面に24個のカチオンを集積した球状錯体が構築された。NMR実験により、錯体内部に多価アニオンが強く包接されることが見出された。さらに、錯体内部を鋳型としてアニオン性モノマーのラジカル重合反応を行い、錯体が重合反応を加速させること、および生成するポリマーの分子量・多分散度が小さくなることが示された。対照実験の結果から、アニオン性モノマーと球状錯体のカチオン性内表面が静電相互作用しながら重合することで反応が進行していることが検証された。

第6章では、本研究の総括が行われ、さらに本研究の波及効果及び将来展望が論じられた。

以上本研究では、精密構造を有する球状錯体を鋳型とすることで、生体分子を精密に集積したクラスターが構築され、さらにその表面での分子認識が行われた。今回開発された生体分子クラスターの構築手法は、精密な分子認識能を有する生体分子材料としての応用のみならず、生命現象を解明するための有用なモデルとして期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク