学位論文要旨



No 126837
著者(漢字) 原田,尚之
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,タカユキ
標題(和) 強磁性トンネル障壁層を用いた偏極スピン生成デバイスの作製
標題(洋) Generation of spin-polarized current using ferromagnetic tunnel barriers
報告番号 126837
報告番号 甲26837
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7478号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 准教授 下山,淳一
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、金属/強磁性絶縁体/強磁性金属構造からなる、スピンフィルタートンネル接合の作製と、その特性評価について述べたものである。金属/絶縁体極薄膜/金属構造のトンネル接合は、古くから盛んに研究が行われており、近年では、強磁性金属を用いたトンネル磁気抵抗(TMR)素子が注目を集めている。トンネル接合においてこれまでに研究されてきた系は、わずか数例を除いて全てが金属/絶縁体/金属構造における金属層に強磁性や超伝導等の機能を持たせたものであり、絶縁層に機能を持たせることで電子のトンネル確率を制御するという研究は、依然として未開拓な状態である。そこで本研究では、絶縁層に強磁性体を用いることで、透過電子のスピンの向きを一方に偏らせるスピンフィルターに着目した。スピンフィルターは強磁性絶縁層(FI)の障壁の高さが電子のスピンの向きに依存することを利用しており、スピン注入素子などへの応用が期待される。金属(NM)/強磁性絶縁体(FI)/強磁性金属(FM)構造(スピンフィルタートンネル接合)を作製すると、FM層において偏極スピンが検出され、FI層とFM層の磁化が平行な場合は低抵抗状態に、FI層とFM層の磁化が反平行な場合は高抵抗状態になる。その結果、TMR効果が観測される。電子のトンネル確率はトンネル障壁の高さが増加するにつれて急速に減少するため、スピンフィルターを透過した電子は原理的にはほぼ100% 上向きスピンを有するはずである。これまでに報告されているスピンフィルタートンネル接合において、明瞭かつ大きなTMR効果が得られていない原因として、(1) 膜厚の減少に伴う強磁性絶縁層の強磁性特性の劣化、(2) 強磁性絶縁体/強磁性金属界面での磁気結合の不在から予想される界面での磁気特性の劣化、(3) トンネル電子の散乱の三つが挙げられる。本研究では、極薄膜でも良好な強磁性特性を示す強磁性絶縁体の開発と、電極/障壁層界面の制御を行うことで、120%を超える大きく明瞭なTMRの観測に成功した。

本論文は、以下の7章に大別して論じている。

第1章では、本研究の背景であるスピントロニクス、特にスピン偏極電流の生成と注入についてのこれまでの研究を概観している。金属から半導体中へのスピンの注入においては、金属と半導体の間の「伝導度ミスマッチ」によって効率的なスピン注入が妨げられる。その有力な解決策としてスピンフィルタートンネル接合を挙げている。その後スピンフィルタートンネル接合のこれまでの研究例について述べ、特性を向上する上で解決すべき問題点を明らかにしている。さらに、この問題点を解決するための素子構造の設計について述べている。

第2章では、素子の作製と特性評価に用いた実験手法の原理について述べられている。薄膜の作製はパルスレーザー堆積法(PLD)を用いて行った。各層の膜厚は反射高速電子線回折(RHEED)の強度振動で制御した。薄膜の平坦性を原子間力顕微鏡(AFM)で、結晶性と配向性をX線回折(XRD)を用いて評価した。微細加工はフォトリソグラフィーとArイオンミリングを用いて行った。作製した素子を、クライオスタットを用いて4 Kまで冷却し、磁場中で素子の電気測定を行った。磁気特性は超伝導量子干渉計(SQUID)を用いて評価した。

第3章では、原子レベルで平坦かつ良好な磁気特性を示す、強磁性金属層の作製について述べられている。本研究では、強磁性金属層として、La0.6Sr0.4MnO3薄膜を用いた。必要な特性として、原子レベルの平坦性と良好な磁気特性が求められる。La0.6Sr0.4MnO3の表面はSr酸化物等の析出が生じやすいことが知られている。このような析出を防ぐためには、ペロブスカイト(ABO3)のAサイトイオンの化学量論比を保ったまま薄膜化する必要がある。化学量論比を保つことは、良好な強磁性を得る上でも必須となる。本研究で用いたPLD法においては、目的材料と同じ組成の焼結体にレーザーをあてることで原料物質をアブレーションし、それを基板上で結晶化させることで薄膜作製を行う。その際に基板へ到達する原料物質の組成は、レーザーが照射された場所を中心として分布があり、薄膜の化学量論比を制御するにはレーザーを照射する面積をうまく制御する必要があることが報告されている。本研究では、レーザーの照射面積を制御することで、析出の無い原子レベルで平坦な表面と、良好な強磁性特性を有するLa0.6Sr0.4MnO3薄膜の作製に成功した。

第4章では、極薄膜においても良好な強磁性特性を示す、強磁性絶縁体層の開発について述べられている。本研究では強磁性絶縁相の発現に、二重交換相互作用と超交換相互作用が寄与していると考えられているPr0.8Ca0.2MnO3に注目した。この系では極薄膜においても明瞭な強磁性ヒステリシスが報告されている。しかし、この系では保磁力が小さいという問題がある。スピンフィルター効果をトンネル磁気抵抗効果として観測するには、強磁性絶縁体と強磁性金属の磁化を独立に磁化反転させる必要があり、これら二つの層の保磁力差が十分大きい必要がある。そこで、スピン軌道相互作用の大きなCoでMnを置換することによりPr0.8Ca0.2Mn1-yCoyO3 (PCMCO)という物質を作製し、Co量を変化させることで保磁力の制御を行った。PCMCOにおいては、Co置換量が増加するにつれて保磁力は増加し、Co組成y=0.3においては、4000 Oeを超える大きな保磁力が得られた(LSMOの保磁力: 50 Oe)。また、0≦y≦0.3の範囲でCo量を変化させても良好な絶縁特性が保たれた。

第5章では、スピンフィルタートンネル接合の作製とその特性評価について述べられている。始めにフォトリソグラフィーとArイオンミリングによる素子作製プロセスの詳細が述べられている。低温における伝導特性から、作製したスピンフィルタートンネル接合において、理想的なトンネル伝導に起きていることが確認された。このような素子に対して、次にFI層とFM層の磁気結合の評価を行っている。FI層とFM層の磁気結合は界面において良好な強磁性特性が発現している証である。PCMCO(y=0.2)/ LSMO積層構造の磁化の印加磁場依存性(M-H曲線)において、界面での強磁性的な磁気結合に由来すると思われる一段のヒステリシスが得られた。このことからPCMCO(y=0.2)層とLSMO層が界面においても良好な強磁性特性を示していることが確認された。PCMCO(y=0.2)層とLSMO層を独立に磁化反転させるために、非磁性体であるSrTiO3(STO)の挿入を行い、M-H曲線の変化を調べた。その結果2分子層のSTOによって磁気結合が切れることが分かった。このように磁気結合を制御することで、120%を超える大きなTMRが観測された。多結晶Au極から、FI層へ電流を注入した場合に比べて、エピタキシャルLNO電極から電流を注入した場合にはより大きなTMRが得られた。この原因として、電子のトンネル過程の違いが考えられる。電子のトンネル過程について詳細に調べるために、非弾性電子トンネル分光(IETS)を行った。その結果、エピタキシャルLNO電極を用いることによって、多結晶Au電極を用いた場合に観測されていた、障壁中のフォノンおよび磁気的な散乱に由来するピークが大幅に減少することが分かった。障壁中のフォノンによる散乱の抑制には、LNOとLSMOのフェルミ面形状が類似していることによる、フォノン支援トンネルの抑制が関連していると考えられる。磁気的な散乱の有無は、Au/PCMCOとLNO/PCMCOの界面構造の違いによると考えられる。以上の結果は、スピンフィルタートンネル接合において、効率的にスピンを生成し、検出するためには、界面の制御が重要であることを示している。

第6章では、本論文のまとめが述べられている。

第7章では、本論文の展望が述べられている。

本論文は、偏極スピンを生成するデバイスであるスピンフィルタートンネル接合の作製に関する論文である。適切な材料選択と界面制御により、120%を超える大きく明瞭なトンネル磁気抵抗効果を示すスピンフィルタートンネル接合の作製に成功した。効率的に偏極スピンを生成し、検出するには界面の制御が重要であることが明らかになった。この知見は今後のスピントロニクス研究において重要な指針になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、金属/強磁性絶縁体/強磁性金属構造からなる、スピンフィルタートンネル接合の作製と、その特性評価について述べたものである。本研究では、絶縁層に強磁性体を用いることで、透過電子のスピンの向きを一方に偏らせるスピンフィルターに着目している。スピンフィルターは強磁性絶縁層(FI)の障壁の高さが電子のスピンの向きに依存することを利用しており、スピン注入素子などへの応用が期待される。スピンフィルターを透過した電子は原理的にはほぼ100% 上向きスピンを有するはずであるが、これまでに報告されているスピンフィルタートンネル接合において、明瞭かつ大きなTMR効果が得られていない。その原因として、(1) 膜厚の減少に伴う強磁性絶縁層の強磁性特性の劣化、(2) 強磁性絶縁体/強磁性金属界面での磁気結合の不在から予想される界面での磁気特性の劣化、(3) トンネル電子の散乱の三つが挙げられる。本研究では、極薄膜でも良好な強磁性特性を示す強磁性絶縁体の開発と、電極/障壁層界面の制御を行うことで、120%を超える大きく明瞭なTMRの観測に成功している。

第1章では、本研究の背景であるスピントロニクス、特にスピン偏極電流の生成と注入についてのこれまでの研究を概観している。金属から半導体中へのスピンの注入においては、金属と半導体の間の「伝導度ミスマッチ」によって効率的なスピン注入が妨げられる。その有力な解決策としてスピンフィルタートンネル接合を挙げており、スピンフィルタートンネル接合のこれまでの研究例、特性を向上する上で解決すべき問題点、さらに、素子構造の設計、について述べている。

第2章では、素子の作製と特性評価に用いた実験手法の原理について述べられている。第3章では、原子レベルで平坦かつ良好な磁気特性を示す、強磁性金属層の作製について述べられている。本研究では、レーザーの照射面積を制御することで、析出の無い原子レベルで平坦な表面と、良好な強磁性特性を有するLa(0.6)Sr(0.4)MnO3薄膜の作製に成功している。

第4章では、極薄膜においても良好な強磁性特性を示す、強磁性絶縁体層の開発について述べられている。本研究では強磁性絶縁相の発現に、二重交換相互作用と超交換相互作用が寄与していると考えられているPr0.8Ca0.2MnO3に注目した。スピンフィルター効果をトンネル磁気抵抗効果として観測するには、強磁性絶縁体と強磁性金属の磁化を独立に磁化反転させる必要があり、これら二つの層の保磁力差が十分大きい必要がある。そこで、スピン軌道相互作用の大きなCoでMnを置換することによりPr0.8Ca0.2Mn1ーyCoyO3 (PCMCO)という物質を作製し、Co量を変化させることで保磁力の制御を行った。PCMCOにおいては、Co置換量が増加するにつれて保磁力は増加し、Co組成y=0.3においては、4000 Oeを超える大きな保磁力が得られた。

第5章では、スピンフィルタートンネル接合の作製とその特性評価について述べられている。低温における伝導特性から、作製したスピンフィルタートンネル接合において、理想的なトンネル伝導が起きていることを確認した。このような素子に対して、次にFI層とFM層の磁気結合の評価を行っている。PCMCO(y=0.2)/ LSMO積層構造の磁化の印加磁場依存性(M-H曲線)において、界面での強磁性的な磁気結合に由来すると思われる一段のヒステリシスが得られた。このことからPCMCO(y=0.2)層とLSMO層が界面においても良好な強磁性特性を示していることが確認された。PCMCO(y=0.2)層とLSMO層を独立に磁化反転させるために、非磁性体であるSrTiO3(STO)の挿入を行い、M-H曲線の変化を調べた。その結果2分子層のSTOによって磁気結合が切れることが分かった。このように磁気結合を制御することで、120%を超える大きなTMRが観測された。

多結晶Au極から、FI層へ電流を注入した場合に比べて、エピタキシャルLNO電極から電流を注入した場合にはより大きなTMRが得られた。この原因として、電子のトンネル過程の違いが考えられる。電子のトンネル過程について詳細に調べるために、非弾性電子トンネル分光(IETS)を行った。その結果、エピタキシャルLNO電極を用いることによって、多結晶Au電極を用いた場合に観測されていた、障壁中のフォノンおよび磁気的な散乱に由来するピークが大幅に減少することが分かった。以上の結果は、スピンフィルタートンネル接合において、効率的にスピンを生成し、検出するためには、界面の制御が重要であることを示している。

第6章では、本論文のまとめが、第7章では、本論文の展望が述べられている。

本論文は、偏極スピンを生成するデバイスであるスピンフィルタートンネル接合の作製に関する論文である。適切な材料選択と界面制御により、120%を超える大きく明瞭なトンネル磁気抵抗効果を示すスピンフィルタートンネル接合の作製に成功した。効率的に偏極スピンを生成し、検出するには界面の制御が重要であることが明らかになった。この知見は今後のスピントロニクス研究において重要な指針になると考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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