学位論文要旨



No 126838
著者(漢字) 安原,隆太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤスハラ,リュウタロウ
標題(和) 放射光電子分光による抵抗変化型不揮発性メモリの電子状態に関する研究
標題(洋)
報告番号 126838
報告番号 甲26838
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7479号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 田畑,仁
 東京大学 准教授 福村,知昭
 東京大学 准教授 野口,祐二
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、放射光電子分光法による抵抗変化型不揮発性メモリ(ReRAM)の電子状態解析に関して述べられたものである。ReRAMはその動作機構が未解明であり、そのことが実用化を進めるうえで最大の障壁となっている。これまで多くなされてきた電気特性による評価では素子の電子状態の直接観測が不可能であり、素子の化学的な情報が得られないという問題があった。さらに、抵抗変化現象はさまざまな酸化物で観測され、また物質によって多様な抵抗変化特性を示すことが知られており、このことがReRAMの抵抗変化機構解明を阻む一因になっている。本論文では、放射光電子分光法を用いてReRAM素子の電子状態解析を行い、ReRAM素子の電子状態と抵抗変化の相関関係を多様な酸化物について横断的に調べることにより、一見異なる振る舞いを示すこれらの抵抗変化現象の背後にある統一的な機構について論じている。また、ReRAM素子中において抵抗変化現象が生じている場所を特定することは抵抗変化機構を理解するうえで必要不可欠であるため、素子の面内方向および面直方向における局所的な電子状態について特に述べられている。

第1章では、本研究の背景について述べられている。遷移金属酸化物絶縁体を金属電極で挟んだキャパシタ構造を有するReRAMは、電圧パルスにより巨大な抵抗変化を示し、その抵抗状態の保持と可逆的なスイッチが可能であることから、フラッシュメモリなどに置き換わる新規不揮発性メモリとして注目を集めている。ReRAMは高速動作、大容量、低消費電力といった高いポテンシャルを有しているにもかかわらず、他の新規不揮発性メモリに比べ集積回路の開発が進んでいない。その最大の理由は、メモリの動作機構が解明されていないため、素子の設計・最適化ができない点にある。これまでの研究から、抵抗変化現象が素子内部における酸化還元反応に起因している可能性が指摘されているが、抵抗変化機構の理解のためには、素子の化学状態を直接観測が必要不可欠である。また、素子によって多様な抵抗変化特性を示すため、素子の材料(2元系酸化物またはペロブスカイト型酸化物)および電圧極性(ノンポーラ型またはバイポーラ型)の2つの観点から抵抗変化材料を分類している。

第2章では、光電子分光(PES)、X線吸収分光(XAS)および光電子顕微鏡(PEEM)などの原理と実験に用いられた放射光電子分光装置に関して述べられている。実験は高エネルギー加速器研究機構放射光研究施設(PF)アンジュレータビームラインBL-2CおよびSPring-8アンジュレータビームラインBL17SU、BL47XUにおいて行った。放射光を用いた光電子分光法はエネルギーを変化させることにより電子の平均自由行程を自由に変化させることが可能である等、本実験方法の特徴についても述べられている。

第3章では、PEEMによるPt/CuO/Pt構造ReRAM素子の抵抗変化に伴う相分離現象の解析に関して述べられている。CuOはノンポーラ型、2元系酸化物の抵抗変化材料であり、最初の電圧印加(フォーミングプロセス)によって電極で挟まれたCuO中に低抵抗"ブリッジ"構造が形成されることが分かっているが、その実態については明らかになっていなかった。PEEMによって取得したCuイオンの化学マッピング像から、CuO中の"ブリッジ"構造においてのみCuイオンの価数が減少していることが分かった。また、Cu L3局所XASスペクトルにおいて、"ブリッジ"構造以外では930.3 eVに吸収端が見られることからCuOが主な成分であるのに対し、"ブリッジ"構造内ではその他に932.6 eV付近にも大きなピークが観測され、Cu2OもしくはCu金属が多く含まれていることが明らかになった。以上の結果は、電圧印加に伴ってCuOの還元により"ブリッジ"構造が生成したことを強く示唆している。さらに、さまざまな形状におけるReRAM素子の化学マッピング観察を行った。その結果、電極付近におけるCuイオンの還元の程度は電極の極性に依らず、素子によってばらつきがあることが明らかになった。このことから、"ブリッジ"構造におけるCuOの還元反応は電気化学反応ではなくジュール熱を介した反応が支配的であると考えられる。

第4章では、硬X線PESによるPt/TaOx/Pt構造ReRAMの界面電子状態解析について述べられている。TaOxはバイポーラ型、2元系酸化物の抵抗変化材料であり、低電圧動作や高い繰り返し回数などの優れた素子特性を示しているものの、抵抗変化機構が未解明であった。Pt/Ta2O5-δ/TaO2-β/Pt構造ReRAM素子の電圧印加前(IRS)、高抵抗(HRS)、低抵抗(LRS)の各抵抗状態において硬X線PES測定を行い、Ta 4d内殻光電子スペクトルにおいて、主成分であるTa5+由来ピークの低結合エネルギー側に位置する還元成分のピーク強度が、抵抗の減少(IRS > HRS > LRS)に伴って増大していく様子を観測した。このことは、硬X線PESの大きな検出深さを利用することにより、電極下に埋もれた界面における、素子の抵抗スイッチングに伴う化学状態変化の直接観測に成功したことを意味する。これらの結果から、Ta酸化物中における電界誘起の酸素イオンの移動がPt/Ta2O5-δ/TaO2-β/Pt構造における抵抗変化現象を引き起こしていることが明らかになった。さらに、電極/Ta2O5-δ/TaO2-β構造における界面電子状態の電極依存性を調べた。抵抗変化を示すPt/Ta2O5-δ界面において、23.4 eVに鋭い"metallic screening"ピークが観測されており、Pt電極とTa酸化物が界面反応層を有することなく接していることを示している。一方、抵抗変化を示さないAl/Ta2O5-δ界面においてはこのようなピークは観測されていない。これらの結果から、電極とTa2O5δが界面反応層を有することなく接していることがこの素子のReRAM動作において重要であることを示している。以上のように、Ta酸化物ReRAMにおいては、電極/Ta酸化物界面の酸化還元反応を制御することが抵抗変化の鍵となることを見出した。

第5章では、軟X線PES、XASによる電極/Pr0.7Ca0.3MO3(PCMO)界面電子状態解析について述べられている。PCMOはバイポーラ型、ペロブスカイト型酸化物の抵抗変化材料であり、抵抗変化の振る舞いに電極依存性があることから、電極/酸化物界面が抵抗変化の鍵となっていると考えられる。"in situ PES-LaserMBE-Sputtering複合装置"を用いて電極/PCMO界面の電子状態観測を行い、抵抗変化を示すAl/PCMO構造においては、Al 2p内殻準位の電極堆積膜厚依存性から、Al堆積の初期過程においてはAl酸化物が形成され、Al堆積量を増やすにつれてAl金属として堆積されていることがわかった。一方、Mn 2p内殻準位においては、電極堆積前には見られなかったMn2+の存在を示唆するサテライトピークが観測された。これらのことは、Al/PCMO界面においてはAl金属とMnイオンとの間に酸化還元反応が起こっていることを示している。しかしながら、このような電極/PCMO界面の酸化還元反応は、抵抗変化を示さないPt/PCMO構造においては観測されず、電極とPCMOが直接接合していると考えられる。さらに、Mn L2,3 XASスペクトルにおいても、Pt堆積によるMn価数の明瞭な変化は見られなかったが、Al堆積によってMnイオンは界面数nmに渡って2価まで還元されていることが明らかになった。これまで、電極/PCMO界面の抵抗変化は、i)界面準位誘起の電極/PCMO界面ショットキー接合の変調およびii)電極/PCMO界面に生成した界面反応層の抵抗変化の2つの機構が提案されてきた。今回の結果においてAl/PCMO界面における界面反応はMnイオンのMn3.3+からMn2+へ大きな価数変化を伴うことから、PCMOは界面付近でバルクと大きく異なる特性を示していると期待される。このことから、Al/PCMO界面をi)の"単純なショットキー接合+界面準位"と考えることは出来ず、ii) 電極/PCMO界面に生成した界面反応層の導電性が変化することが電極/PCMO構造の抵抗変化の起源であると考えられる。さらに、導電性ペロブスカイト型マンガン酸化物La0.6Sr0.4MnO3(LSMO)を用いてショットキー障壁を持たないAl/LSMO/Au構造素子を作製したところ、Al/PCMO界面と同様に抵抗変化特性を示し、Al/LSMO界面においても界面酸化還元反応による界面反応層の形成が観測されたことから、上記抵抗変化機構の妥当性が確かめられた。

第6章では、本論文のまとめ及び今後の展開が述べられている。

以上のように、本論文は、放射光電子分光法を用いることでReRAMの抵抗変化機構に統一的な理解を与えるものであり、同時にReRAM素子の抵抗変化の振る舞いと電子状態が密接に関わっていることを実験的に示したものである。本研究で得られた知見は、今後ReRAMの実用化に向けた素子の設計・最適化に対して重要な指針を与えるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、放射光電子分光法による抵抗変化型不揮発性メモリ(ReRAM)の電子状態解析に関して述べられたものである。ReRAMはその動作機構が未解明であり、そのことが実用化を進めるうえで最大の障壁となっている。これまで多くなされてきた電気特性による評価では素子の電子状態の直接観測が不可能であり、素子の化学的な情報が得られないという問題があった。さらに、抵抗変化現象はさまざまな酸化物で観測され、また物質によって多様な抵抗変化特性を示すことが知られており、このことがReRAMの抵抗変化機構解明を阻む一因になっている。本論文では、放射光電子分光法を用いてReRAM素子の電子状態解析を行い、ReRAM素子の電子状態と抵抗変化の相関関係を多様な酸化物について横断的に調べることにより、一見異なる振る舞いを示すこれらの抵抗変化現象の背後にある統一的な機構について論じている。

第1章では、本研究の背景について述べられている。ReRAMは高速動作、大容量、低消費電力といった高いポテンシャルを有しているにもかかわらず、他の新規不揮発性メモリに比べ集積回路の開発が進んでいない。その最大の理由は、メモリの動作機構が解明されていないため、素子の設計・最適化ができない点にある。これまでの研究から、抵抗変化現象が素子内部における酸化還元反応に起因している可能性が指摘されているが、抵抗変化機構の理解のためには、素子の化学状態を直接観測が必要不可欠である。また、素子によって多様な抵抗変化特性を示すため、素子の材料(2元系酸化物またはペロブスカイト型酸化物)および電圧極性(ノンポーラ型またはバイポーラ型)の2つの観点から抵抗変化材料を分類している。

第2章では、実験方法について述べている。

第3章では、PEEMによるPt/CuO/Pt構造ReRAM素子の抵抗変化に伴う相分離現象の解析に関して述べられている。CuOはノンポーラ型、2元系酸化物の抵抗変化材料であり、最初の電圧印加によって電極で挟まれたCuO中に低抵抗"ブリッジ"構造が形成されることが分かっているが、その実態については明らかになっていなかった。PEEMによって取得したCu L3局所XASスペクトルにおいて、"ブリッジ"構造以外ではCuOが主な成分であるのに対し、"ブリッジ"構造内ではその他にCu2OもしくはCu金属が多く含まれていることが明らかになった。以上の結果は、電圧印加に伴ってCuOの還元により"ブリッジ"構造が生成したことを強く示唆している。さらに、CuOの還元反応は電気化学反応ではなくジュール熱を介した反応が支配的であることを見出している。

第4章では、硬X線PESによるPt/TaOx/Pt構造ReRAMの界面電子状態解析について述べられている。TaOxはバイポーラ型、2元系酸化物の抵抗変化材料であり、低電圧動作や高い繰り返し回数などの優れた素子特性を示しているものの、抵抗変化機構が未解明であった。ReRAM素子の電圧印加前(IRS)、高抵抗(HRS)、低抵抗(LRS)の各抵抗状態において硬X線PES測定を行い、Ta 4d内殻光電子スペクトルにおいて、主成分であるTa5+由来ピークの低結合エネルギー側に位置する還元成分のピーク強度が、抵抗の減少に伴って増大していく様子を観測した。このことは、硬X線PESの大きな検出深さを利用することにより、電極下に埋もれた界面における、素子の抵抗スイッチングに伴う化学状態変化の直接観測に成功したことを意味する。これらの結果から、Ta酸化物中における電界誘起の酸素イオンの移動がPt/Ta2O5-./TaO2-./Pt構造における抵抗変化現象を引き起こしていることが明らかになった。

第5章では、軟X線PES、XASによる電極/Pr0.7Ca0.3MO3(PCMO)界面電子状態解析について述べられている。"in situ PES-LaserMBE-Sputtering複合装置"を用いて電極/PCMO界面の電子状態観測を行い、抵抗変化を示すAl/PCMO構造においては、Al堆積初期段階でAl酸化物が形成されることがわかった。一方、Mn 2p内殻準位においては、電極堆積前には見られなかったMn2+の存在を示唆するサテライトピークが観測された。これらのことは、Al/PCMO界面においてはAl金属とMnイオンとの間に酸化還元反応が起こっていることを示している。これまで、電極/PCMO界面の抵抗変化は、i)界面準位誘起の電極/PCMO界面ショットキー接合の変調およびii)電極/PCMO界面に生成した界面反応層の抵抗変化の2つの機構が提案されてきた。本研究により、Al/PCMO界面をi)の"単純なショットキー接合+界面準位"と考えることは出来ず、ii) 電極/PCMO界面に生成した界面反応層の導電性が変化することが電極/PCMO構造の抵抗変化の起源であると考えられる。

第6章では、本論文のまとめ及び今後の展開が述べられている。

以上のように、本論文は、放射光電子分光法を用いることでReRAMの抵抗変化機構に統一的な理解を与えるものであり、同時にReRAM素子の抵抗変化の振る舞いと電子状態が密接に関わっていることを実験的に示したものである。本研究で得られた知見は、今後ReRAMの実用化に向けた素子の設計・最適化に対して重要な指針を与えるものと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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