学位論文要旨



No 126850
著者(漢字) 田中,亮
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,リョウ
標題(和) 9族遷移金属触媒を用いた一酸化炭素及び二酸化炭素の変換反応の開発
標題(洋) Synthetic application of carbon monoxide and carbon dioxide using group 9 transition metal catalysts
報告番号 126850
報告番号 甲26850
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7491号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 東京大学 准教授 西林,仁昭
 東京大学 准教授 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

9族遷移金属錯体を用いて、C1資源を用いた有機合成反応の開発に取り組んだ。一酸化炭素や二酸化炭素といった炭素を一つだけもつ化合物は「C1資源」と呼ばれ、安価で入手容易なことからその活用法が注目されている。また9族遷移金属触媒と一酸化炭素や二酸化炭素の反応は素反応レベルで多く知見が得られており、これらの知見は新規変換反応へと応用できる可能性がある。したがって、一酸化炭素や二酸化炭素を有効利用する9族遷移金属触媒反応の開発は、学術的に見ても化学産業においても重要な課題である。

まずロジウム触媒を用いたビニル置換ヘテロ環化合物の不斉ヒドロホルミル化による光学活性なα-ヘテロアリルプロパン酸の合成法の開発に取り組んだ。α-ヘテロアリールプロパン酸類は鎮痛作用を持つ化合物群であり、その代表例としてチアプロフェンがある。これらの化合物は一方のエナンチオマーが他方より薬理活性が強いことが知られているため、効率的なエナンチオ選択的合成法の開発が望まれている。従来用いられてきた芳香族化合物の求電子置換反応は基質と同じだけの不斉源を必要とし、収率も悪かった。光学活性なα-アリールプロパン酸はBINAPHOSを配位子とするロジウム錯体を触媒としたスチレン類の不斉ヒドロホルミル化とそれに続く酸化の2段階で合成可能であり、その選択性も非常に高い。ビニル置換ヘテロ環化合物の不斉ヒドロホルミル化とそれによって得られるα-ヘテロアリールプロパナールの酸化によって光学活性なα-ヘテロアリールプロパン酸を効率的に得ようと考え、検討を行った。

Rh(acac)(CO)2と(R,S)-MeO-BINAPHOSを触媒としてビニルフラン・ビニルチオフェンをヒドロホルミル化すると、いずれの基質でも分岐体選択的にアルデヒドが生成し、そのエナンチオ選択性も高かった。またアルデヒドの酸化剤として亜塩素酸ナトリウムを使用すると、光学純度をほぼ損ねることなくα-ヘテロアリールプロパン酸が得られた。特に5-ベンゾイル-2-エテニルチオフェンを基質として用いた場合は、(S)-チアプロフェンが収率55%, 84%eeで得られ、薬理活性を持つ化合物の合成にもこの手法が適用できるということが明らかになった。

2-ヘテロアリールプロパノール類もまた、天然物や医薬のキラルシントンとして利用できる可能性がある。これらの化合物は、不斉ヒドロホルミル化で得られたアルデヒドを還元することで得られるが、この時カルボニル基のα位のラセミ化が起こらないよう穏和な条件で還元を行う必要がある。-78°Cで水素化ホウ素ナトリウムを加えて還元を行ったところ、光学純度を損なうことなく高い収率で目的とする2-ヘテロアリールプロパノールが得られた。

次に二酸化炭素を用いた反応として、水素化によるギ酸塩の合成反応に注目し、高活性なイリジウム錯体触媒の開発に取り組んだ。ギ酸は現在年間約40万トン生産され、皮革の表面処理や殺菌剤、還元剤等に利用される工業的に重要な化合物である。工業的にはアルコールのCOによるカルボニル化とそれに続く加水分解により合成されている。また代替反応の一つとして遷移金属触媒を用いたCO2の水素化があるが、現状では塩基共存下超臨界二酸化炭素中でルテニウム触媒を用いる系や水中でイリジウム触媒を用いる系が報告されているものの、未だアルコールのカルボニル化に取って代わるほど高い活性を有する触媒は報告されていなかった。多座で金属から解離しにくいpincer型配位子をもつ錯体は熱的に安定である。例えばPCPイリジウム錯体を用いると、通常の温度では困難なsp3炭素-水素結合の活性化を含むアルカンの脱水素化反応を200°Cという高温条件で進行させることができる。私はpincer型配位子をもつイリジウム錯体を二酸化炭素の水素化触媒として用いれば、通常より高い温度で反応できるため活性が向上すると考えた。

新規錯体であるPNPトリヒドリドイリジウム(III)錯体を合成し、二酸化炭素の水素化触媒として用いた。この錯体はX線結晶構造解析により、三つのヒドリドとPNP配位子がそれぞれmeridionalに配位した構造であることを確認した。このPNPトリヒドリドイリジウム(III)錯体を用いて、水酸化カリウム水溶液中で二酸化炭素の水素化反応を行ったところ、200°Cで反応を行った際の触媒回転頻度は毎時15万回に達し、従来系の最高値と比べ1.5倍程度に向上した。また、120°Cでの触媒回転数は従来系の最高値の15倍程度となる350万回に達した。

次に、トリヒドリドイリジウム錯体を用いた二酸化炭素の水素化反応における触媒サイクルの反応機構について、中間体と考えられる錯体を単離することにより考察した。これによって、トリヒドリドイリジウム錯体を用いた二酸化炭素の水素化反応は、イリジウムヒドリドへの二酸化炭素の挿入、脱プロトンと配位子のピリジン環の脱芳香化を伴うホルミル基の脱離、水素の付加という3段階を経て触媒的に進行していると推定できた。この3段階の機構について、計算化学による機構の解明を試みた。B3LYP/6-31++G**/Lanl2dz(f)レベルで計算を行い、溶媒効果はSCRF計算により見積もった結果、反応の律速段階はジヒドリドアミド錯体に配位した水素の不均等開裂であり、活性化エネルギーは25.1 kcal/molと求められた。この結果は反応活性が水素圧に大きく依存するという実験結果に合致するものであった。

最後に二酸化炭素の水素化の逆反応であるギ酸もしくはギ酸塩の脱水素化反応についても検討した。ギ酸は高圧条件を必要としない水素発生源として注目されており、その有効利用のためには高活性な脱水素化触媒が必須であった。先に述べた二酸化炭素の水素化反応において高い活性を示したPNPトリヒドリドイリジウム(III)錯体を用いてギ酸塩の脱水素化反応について検討したところ、ギ酸トリエチルアンモニウムの脱水素化における触媒回転頻度は毎時12万回に達し、従来系よりも高い値を示した。

以上に述べたように、私は9族遷移金属触媒を用いたC1化合物の反応として不斉ヒドロホルミル化と二酸化炭素の還元反応に関する研究をおこなってきた。ロジウム触媒を用いた不斉ヒドロホルミル化においては複素環置換オレフィンが新たに基質として適用できることを見出した。また、二酸化炭素の還元反応とその逆反応であるギ酸塩の脱水素化においては今までにない活性を持つイリジウム触媒を開発することができた。

1) Nakano, K.; Tanaka, R.; Nozaki, K. Asymmetric Hydroformylation of Vinylfurans Catalyzed by {(11bS)-4-{[(1R)-2'-Phosphino[1,1'-binaphthalen]-2-yl]oxy}dinaphtho[2,1-d:1',2'-f]-[1,3,2]dio xaphosphepin}rhodium(I) [RhI{(R,S) -binaphos}] Derivatives Helv. Chim. Acta 2006, 89, 1681-1686.2) Tanaka, R.; Nakano, K.; Nozaki, K. Synthesis of optically active α-heteroarylpropanoic acid via asymmetric ydroformylation of vinylheteroarene and the subsequent oxidation J. Org. Chem. 2007, 72, 8671-8676.3) Tanaka, R.; Yamashita, M.; Nozaki, K. Catalytic Hydrogenation of Carbon Dioxide Using Ir(III)-Pincer Complexes J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 14168-14169.4) Ryo Tanaka Oxidation of Alkyl C-H Bonds Using Iron Complexes Journal of Synthetic Organic Chemistry, Japan, 2010, 68, 964.5) Tanaka, R.; Yamashita, M.; Nozaki, K.; Chung, L. W.; Morokuma, K. Synthesis of formic acid salt via hydrogenation of carbon dioxide catalyzed by Ir(III)(PNP) trihydride complexes and its mechanistic investigations To be submitted.
審査要旨 要旨を表示する

学位論文研究においては、「9族遷移金属触媒を用いた一酸化炭素及び二酸化炭素の変換反応の開発」を目的として研究を遂行した。

一酸化炭素や二酸化炭素といった炭素を一つだけもつ化合物は「C1資源」と呼ばれ、安価で入手容易なことからその活用法が注目されている。したがって、一酸化炭素や二酸化炭素を有効利用する触媒反応の開発は、化学産業において重要な課題である。また9族遷移金属触媒と一酸化炭素や二酸化炭素の反応は素反応レベルで多く知見が得られており、これらの知見を新規変換反応へと応用することは重要な課題である。

第二章において触媒的不斉ヒドロホルミル化を用いた光学活性α-ヘテロアリールプロパン酸の合成をおこなった。BINAPHOSを配位子とするロジウム錯体を触媒としたビニル置換ヘテロ環化合物の不斉ヒドロホルミル化とそれによって得られるα-ヘテロアリールプロパナールの酸化によって光学活性なα-ヘテロアリールプロパン酸の合成に成功した。薬理活性の全く異なるα-ヘテロアリールプロパン酸の両エナンチオマーを選択的に作り分ける手法は今までに2-フリル基を持つものしかなく、収率も低かった。今回より基質適用範囲の広い、信頼性のある合成手法を開発した点は意義深いと考えられる。またα-ヘテロアリールプロパナールの酸化においては、これまでアルデヒドの酸化に有効であった酸化剤のほとんどがラジカル的な酸化により1炭素減少したメチルケトンを与えるため、ラジカルトラップ剤の併用が必須であるという新たな知見を得た。今まで例の無かったα-ヘテロアリールプロパナールの酸化について問題点と解決法の両方を明らかにした点でこの研究は意義深いものと考えられる。

第三章においては、二酸化炭素を用いた反応として、水素化によるギ酸塩の合成反応に注目し、高活性なイリジウム錯体触媒の開発をおこなった。新規なPNPトリヒドリドイリジウム(III)錯体を合成し、二酸化炭素の水素化触媒として用いたところ、水酸化カリウム水溶液中での触媒回転頻度は毎時15万回に達し、従来系の最高値と比べ1.5倍程度に向上した。また、触媒回転数は従来系の最高値の15倍程度となる350万回に達した。二酸化炭素の水素化においては、最も高い触媒活性と最も長い触媒寿命を同時に実現した系は今までに存在しなかったので、意義深いと考えられる。また反応機構の考察を行い、中間体と考えられる錯体を単離することによって、トリヒドリドイリジウム錯体を用いた二酸化炭素の水素化反応は、イリジウムヒドリドへの二酸化炭素の挿入、脱プロトンと配位子のピリジン環の脱芳香化を伴うホルミル基の脱離、水素の付加という3段階を経て触媒的に進行していると推定できた。またこれら3段階の機構について、計算化学による機構の解明を試みた結果、反応の律速段階はジヒドリドアミド錯体に配位した水素の不均等開裂であり、活性化エネルギーは25.1 kcal/molと求められた。この結果は反応活性が水素圧に大きく依存するという実験結果に合致するものであった。これまでに9族遷移金属と二酸化炭素の素反応に関する知見は多く得られていたが、このように考えられる中間体を全て単離または観測し、触媒サイクルの全容を明らかにした研究はこれまでに無く、今後二酸化炭素の水素化触媒の改善を行う上での土台となる知見である。よって、これらの知見は意義深いと考えられる。

第四章においては、二酸化炭素の水素化の逆反応であるギ酸もしくはギ酸塩の脱水素化反応について検討し、第三章で合成したイリジウムトリヒドリド錯体が高い活性を示すことを明らかにした。ギ酸トリエチルアンモニウムの脱水素化における触媒回転頻度は毎時12万回に達し、従来系よりも高い値を示した。この結果は第三章の結果と合わせると、ギ酸塩と水素との相互変換が同一の触媒でおこなえるということを意味する。このような触媒の例は今までに無かったので、意義深いと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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