学位論文要旨



No 126854
著者(漢字) 趙,
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ジュンイル
標題(和) 4-アミノピペリジン-4-カルボン酸からなる新規pH応答性らせんモチーフの分子設計
標題(洋) Design of Novel pH-Responsive Helical Motifs using 4-Aminopiperidine-4-carboxylic Acid
報告番号 126854
報告番号 甲26854
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7495号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 藤田,典史
 東北大学 教授 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

分子生物学やバイオテクノロジーの飛躍的な進歩に伴い、生体分子の機能がその構造と密接に関係していることが明らかになっている. その中でも、タンパク質やDNAなどでよく見られるらせん構造は、1950年代にその構造がX線構造解析により決定されて以来、様々な分野の基礎及び応用研究の対象として用いられてきた.[1] らせん構造に関する研究において、特に化学の分野で達成された目覚ましい業績としてあげられるのは人工らせん分子の構築である.[2] 人工らせん分子の創製は化学という学問の特徴を発揮した例であり、人工的に模倣したらせん構造の研究をもとに生体分子の構造に関する理解を深めることが可能になった.このような人工らせんの合成においては、天然に存在するα-アミノ酸や2'-デオキシリボヌクレオシド等のモノマー以外にも、様々な非天然型のモノマーユニットが用いられており、これらのらせん構造の特徴に関する様々な研究結果が報告されてきた.特に、pH変化、温度変化及び光照射のような外部刺激によるらせん構造の変化に関する研究は生体分子内での構造変化に伴う機能発現を理解する上で重要なテーマであり、人工らせん分子はそのモデルシステムとして用いられてきた.代表的な例であるポリリシンはpH変化に応答して、構造変化を示すことが知られている(Figure 1).[3] 具体的にはpH10以上の塩基性条件下ではらせん構造を形成し、中性または酸性条件下ではポリリシンの側鎖間の静電的反発によりランダムコイル構造をとると推測されている.今まで報告されてきた、ポリリシンのように側鎖に塩基性官能基を有する人工らせん分子のほとんどは高いpH条件でらせん構造を形成し、pH低下に伴い側鎖の塩基性官能基がプロトン化されることによってらせん構造を維持できなくなるものがほとんどであった.[4] 本研究では、生命現象においてトリガーとして重要な役割を果たしているpHに注目し、pH変化に応答する新たならせんモチーフの構築に成功している.具体的には既存のpH応答性らせんモチーフの例で見られる分子設計指針との差異を明確にし、「側鎖と主鎖間の相互作用をpH変化でコントロールする」という新たなデザイン戦略を打ち出している。この新たな分子設計指針をデモンストレーションするビルディングブロックとして4-アミノピペリジン-4-カルボン酸を提示し、そのα-炭素の周辺でのピペリジン環の構造変化により側鎖のピペリジンの窒素原子と主鎖のアミドプロトン間の相互作用が可能であり、さらにその相互作用がpH変化で制御できる可能性を実証している.これにより得られたpH応答性らせんモチーフは前例のないpH応答性を示しており、新たな分子設計指針の有効性が実現されている(Figure 2).[1],[2]

2.アキラルなα-ジ置換アミノ酸からなるオリゴマーのキラル誘起

本研究で用いられた4-アミノピペリジン-4-カルボン酸(Api)はアミノ酸のα-炭素がピペリジン環で修飾されたα-ジ置換アミノ酸の一種である(Figure 3).そのため、アミノイソ酪酸(Aib)などの他のα-ジ置換アミノ酸のように側鎖間の立体的な反発によりα-炭素近傍の二面角の自由度が制限され、その結果ペプチドの二次構造を安定化する効果を示すことが報告されている.[5] それに加えて、Apiは側鎖にアミノ基のような極性官能基を有しており、リシンまたはアルギニンと同様にペプチドの水溶性を向上させる目的で用いられた報告例もある.[6] このようなApiモノマーの合成は既に報告されているが、[7]そのホモオリゴマーの合成例はなかった.そこで、私はApiからなる多量体ペプチドを合成し、その構造的な性質を円二色性(CD)分光法を用いて調べることに挑戦した.Apiはアキラルなアミノ酸であるため、ペプチドの二次構造を円二色性分光法を用いて確認するためには平衡状態の二次構造を一方向に偏らせる必要があり、そのため、ApiのN末端にキラルなアミノ酸を導入してキラル誘起を達成した.また、N末端にキラルなアミノ酸残基を有しているApiペプチドを合成し、Apiペプチドが示す円二色性に明確な鎖長依存性が存在することを確認した.特にApiペプチドのオクタマーの場合、側鎖のピペリジンのプロトン化によりらせん構造が誘起されることが分かった.この現象を明らかにするためにFigure 4に示している三種類のApiオクタマーの誘導体を設計した.具体的には、ApiオクタマーのN末端にL体及びD体のロイシンを導入したLeuAc(Api8)OBnを合成し、CDスペクトルでの測定を行った.また、らせん構造を構築する上で重要な要素であるアミドプロトンの分子内水素結合の安定性やアミドプロトンの空間的な配列をNMR法を用いて調べるために、アミドプロトンの観測を容易にしたAc(Api8)NHMeを合成した.最後に、LeuAc(Api8)OBnの合成中間体として得られたLeuFmoc(BocApi8)OBnを用いて、側鎖の非共有電子対がApiオクタマーの構造に及ぼす影響を検討した.

3.Apiペプチドが示す前例のないpH応答性の原因の解明

最初に、pH10でL体のLeuAc(Api8)OBnのCDスペクトルを測定したところ、らせん構造に由来する特徴的なCDシグナルは見られなかった (Figure 5a、L-form).続いて、同じサンプルpH4で測定したところ、210nmと226nm付近にらせん構造に有来する特徴的なCDシグナルが観測された.210nmと226nmのシグナル強度の比(Δe226/Δe210)から形成されたらせん構造がα-ヘリックスであることが予想された.[8] D体のLeuAc(Api8)OBnは鏡像関係のCDスペクトルを与えた(Figure 5a).さらに、pH変化の影響を詳しく調べるために滴定実験を行った結果、LeuAc(Api8)OBnは酸性pH条件下でらせん構造を形成し、pHの上昇に伴ってらせん構造特有のCDシグナルが消失していくことが確認できた(Figure 5b and 6).特に酸性条件で形成されるらせん構造は熱的に安定であり、溶液の温度を80℃まで上げてもCDシグナルの強度は完全に消失せず50%以上残っていた(Figure 5c). また、CDスペクトル上の226nmのΔeの変化をプロットした結果、Δeの値がpH7から10の間で大きく変化することが分かった(Figure 5b).特に、このΔeの変化の編曲点の値である8.5がピペリジンのpKa値より小さいことから、側鎖上のピペリジンの非共有電子対が水分子だけではなく他のプロトンドナーとも(例えば、近傍に存在しているアミドプロトン)相互作用をしていることが示唆された.この結果からApiオクタマーが示す特徴的なpH応答性の原因として側鎖のピペリジンと隣接するアミドプロトン間の相互作用の存在が考えられた.このような作業仮説の妥当性は側鎖のピペリジンのアミノ基をBocのような電子吸引基で保護したLeuFmoc(BocApi8)OBnのCDスペクトルの測定結果からでも裏付けられた(Figure 5d).

Apiオクタマーの構造的な特徴において側鎖のピペリジンの影響を調べるために、Ac(Api8)NHMeを用いて1H NMR測定を行った.その結果、pH6の酸性条件ではFigure 7bのような9つの明確に分離したNMRシグナルが観測された.また、2D ROESY測定により、これらの9つのアミドプロトンが全て帰属できた.各々のアミドプロトンのプロトン交換速度を求めたところ、N末端に存在する3つのアミドプロトン(H1-H3)が他の6つのアミドプロトンに比べて速い交換速度を示していることが分かった.この結果から、H1からH3までの3つのアミドプロトンが分子内水素結合を形成していないことが示唆された.N末端の方に分子内水素結合を形成していない3つのアミドプロトンが存在していることや2D ROESY測定結果から確認できたアミドプロトンの空間的な配置は、α-ヘリックス構造を形成するペプチドの特徴であり、この結果はLeuAc(Api8)OBnが酸性水溶液中でα-ヘリックスを形成していると予想したCDスペクトルの結果とよく一致している.pH6での測定結果とは対照的に、pH9で測定したAc(Api8)NHMeの1H NMRスペクトルでは二つのブロードなピークのみが観測できた.酸性条件と同様に求められたアミドプロトンの交換速度は酸性条件でのH1-H3の交換速度よりも2倍ほど速くなっていることが分かった.この結果から塩基性pH条件ではAc(Api8)NHMe内のアミドプロトンが安定な分子内水素結合を形成していないと考えられる.

さらにApiオクタマーの繰り返し単位のモデル化合物としてtertBu(Api)(Aib)OMe (Figure 8)を合成し、NMR測定を行った結果、側鎖のピペリジンが主鎖のアミドプロトンと相互作用をしていることが分かった.具体的にはピペリジンの共役酸(pKa=11.1)よりも高い酸性を持つニトロメタン(pKa=10.2)を1H NMR測定用の溶媒として用いることで、ピペリジンによる位置選択的なプロトン交換が起こることが確認できた(Figure 9). モデル化合物に存在する2種類のアミドプロトンのうちHbのみでH-D交換が起こる理由としては、ピペリジンの構造変化の自由度が制限されていることが考えられる.このような位置選択的なH-D交換によるアミドプロトンの消失は、tertBu(Api)(Aib)OMeの塩酸塩及びピペリジンがBoc保護されたモデル化合物では見られなかった.この結果は、ピペリジンと隣接しているアミドプロトン間の相互作用がピペリジンのアミノ基のプロトン化及びアセチル化によって阻害されることを示唆している.モデル化合物で確認できた側鎖のピペリジンと主鎖のアミドプロトン間の位置選択的な相互作用はApiオクタマーでも充分起こり得るものである.このような側鎖と主鎖間の相互作用がApiペプチドが示す特徴的なpH応答性の要因であると考えられる.

4.結論

本研究では、「側鎖と主鎖間の相互作用をpH変化でコントロールする」というpH応答性らせんモチーフの分子設計のための新たな指針が提示され、4-アミノピペリジン-4-カルボン酸からなるペプチドを用いてその可能性が実現されている.ペプチドが示すpH応答性は前例のないユニークなものであり、新しい分子設計指針の有効性が示されている.このようなApiペプチドが示す構造特性は今後様々なpH応答性ペプチドの設計において応用できると考えられる.本発表では上記の内容を中心にApiペプチドの分光学的な特徴について報告する.

[1] (a) Saenger, W. Principles of Nucleic Acid Structure; Springer-Verlag: New York, 1984. (b) Schulz, G. E. and Schirmer, R. H. Principles of Protein Structure; Springer-Verlag: New York, 1979.[2] Yashima, E.; Maeda, K.; Iida, H.; Furusho, Y.; Nagai, K. Chem. Rev. 2009, 109, 6102-6211.[3] (a) Greenfield, N. J.; Fasman, G. D. Biochemistry 1969, 8, 4018-4116. (b) Tseng, Y. -W.; Yang, J. T. Biopolymers 1977, 16, 921-935.[4] (a) Kolomiets, E.; Berl, V.; Odriozola, I.; Stadler, A.; Kyritsakas, N.; Lehn, J. M. Chem. Commun. 2003, 2868-2869. (b) Dolain, C.; Maurizot, V.; Huc, I. Angew. Chem. Int. Ed. 2003, 42, 2738-2740. (c) Majidi, M. R.; Kane-Maguire, L. A. P.; Wallace, G. G. Polymer 1995, 36, 3597-3599. (d) Yashima, E.; Maeda, Y.; Matsushima, T.; Okamoto, Y. Chirality 1997, 9, 593-600. (e) Okamoto, I.; Nabeta, M.; Hayakawa, Y.; Morita, N.; Takeya, T.; Masu, H.; Azumaya, I.; Tamura, O. J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 1892-1893. (g) Sebastian, H.; Hecht, S. Macromolecules 2010, 43, 242-248.[5] (a) Venkatraman, J.; Shankaramma, S. C.; Balaram, P. Chem. Rev. 2001, 101, 3131-3152. (b) Marshall, G. R.; Hodgkin, E. E.; Langs, D. A.; Smith, G. D.; Zabrocki, J.; Leplawy, M. T. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 1990, 87, 487-491. (c) Guo, Y. M.; Oike, H.; Aida, T. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 716-717. (d) Guo, Y. M.; Oike, H.; Saeki, N.; Aida, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2004, 43, 4915-4918.[6] (a) Yokum, T. S.; Gauthier, T. J.; Hammer, R. P.; McLaughlin, M. L. J. Am. Chem. Soc. 1997, 119, 1167-1168. (b) Yokum, T. S.; Bursavich M. G.; Gauthier, T. J.; McLaughlin, M. L. Chem. Comm. 1998, 1801-1802.[7] Hammarstrom, L. G. J.; Fu, Y.; Vail, S.; Hammer, R. P.; McLaughlin, M. L. Org. Synth. 2005, 81, 213-218.[8] Manning, M. C.; Woody, R. W. Biopolymers 1991, 31, 569-586.
審査要旨 要旨を表示する

「外部刺激に応答するらせん構造の構築」という研究は、核酸や蛋白質中に存在する生体内の「らせんモチーフ」が環境の変化に応答して行うコンフォーメーション変化と機能のスイッチングを模倣し、外部刺激に応答して機能をスイッチする高度な仕組みを人工的に構築することを目指している。分子の立体構造に対する外部刺激の影響の理解や応用は、今後の生物学及び材料科学の関連分野の発展において多大な寄与が期待される。このような観点において、刺激応答性らせんモチーフの分子設計のための新たな指針の提示及び新奇な刺激応答性の創出は、関連研究のさらなる発展の端緒を提供する重要な課題である。本論文では、生命現象においてトリガーとして重要な役割を果たしているpHに注目し、pH変化に応答する新たならせんモチーフの創製について述べている。具体的には4-アミノピペリジン-4-カルボン酸の構造的な特徴に着目し、pH応答性らせんモチーフを構築するための新たなコンセプトを提案している。さらに、このような新しい分子設計に基づいて得られた前例のないpH応答性について報告している。

序論では、まず1950年代から現在まで開発された人工らせんモチーフの代表的な例について述べている。特に近年注目を集めている刺激応答性らせんモチーフに焦点をあて、その中でpH応答性に関する研究の意義を明らかにしている。さらに既存のpH応答性らせんモチーフの例で見られる分子設計指針との差異を明確にし、「側鎖と主鎖間の相互作用をpH変化でコントロールする」という新たなデザイン戦略を打ち出している。この新たな分子設計の指針をデモンストレーションする具体的なビルディングブロックとして4-アミノピペリジン-4-カルボン酸を提示し、そのα-炭素の周辺でのピペリジン環の構造変化により側鎖のピペリジンの窒素原子と主鎖のアミドプロトン間の相互作用が可能であり、さらにその相互作用がpH変化で制御できる可能性を示している。

第1章では、4-アミノピペリジン-4-カルボン酸からなるペプチドの16量体までの合成と、それらが示す分光学的な特徴が述べられている。4-アミノピペリジン-4-カルボン酸はα-炭素にキラリティを持たないアミノ酸であり、そのアミノ酸からなるペプチドは、右巻きらせんの状態と左巻きらせんの状態を絶えずスイッチしている動的な性質を有している。本章では、動的ならせんの反転過程を1H NMRスペクトルを用いて調べており、その反転速度が既存のα-アミノイソ酪酸からなる動的ならせんペプチドの反転速度より遥かに遅いことを述べている。さらに、ペプチドのN末端にキラルユニットを導入することで一方巻きらせんの誘起に成功している。この現象を用いて、円二色性分光法によりペプチドが示す円二色性とその鎖長依存性が示されている。また、ペプチド側鎖のピペリジンの窒素原子を修飾することでペプチドの円二色性に顕著な変化が現れることから、窒素原子の修飾を通じてその二次構造をチューニングできることが述べられている。この研究は4-アミノピペリジン-4-カルボン酸のみからなる多量体ペプチドについての初の報告であり、今後の関連研究におけるさきがけとしての重要な位置を占めると主張されている。

第2章では、「酸性条件でのみ安定ならせん構造を形成する塩基性ペプチド」という前例のないpH応答性を示す4-アミノピペリジン-4-カルボン酸ペプチドの特徴について述べられている。まず、pH変化に対してペプチドが示す円二色性の変化が追跡され、pH 7以下の条件でペプチドがらせん構造に由来する特徴的な円二色性を示すことが述べられている。一方、1H NMR測定を行い、酸性条件でのペプチドの構造がα-ヘリックスであることが明らかにされている。最後に、ペプチドが従来の塩基性ペプチドでは見られない新たなpH応答性を示す要因として、本論文で提案した「側鎖と主鎖間の相互作用をpH変化でコントロールする」という新しい分子設計指針が述べられている。機構解明の手段として、ペプチドの繰り返し単位に類似したモデル化合物をデザインし、側鎖のピペリジンと主鎖のアミドプロトン間に位置選択的な相互作用が存在することを明らかにし、提唱したコンセプトの妥当性が示されている。さらに、今後のpH応答性分子デバイス構築のための新たなユニットとしての応用の可能性について述べられている。

以上、本論文では、pH応答性らせんモチーフの分子設計のための新たな指針が提示され、4-アミノピペリジン-4-カルボン酸からなるペプチドを用いてその可能性が実現されている。ペプチドが示すpH応答性は前例のないユニークなものであり、新しい分子設計指針の有効性が示されている。この新しい分子設計指針により、pH応答性らせんモチーフのバリエーションが飛躍的に広がると期待され、さらにpH応答性機能性材料の構築といった今後の応用にも寄与することが大きいと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク