学位論文要旨



No 126857
著者(漢字) 大城,幸紀
著者(英字)
著者(カナ) オオシロ,ユキノリ
標題(和) 脂肪鎖及びγアミノ酸含有特殊ペプチドの翻訳合成
標題(洋)
報告番号 126857
報告番号 甲26857
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7498号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 教授 吉江,尚子
内容要旨 要旨を表示する

従来、医薬品として用いられている化合物や開発されている化合物の多くは有機合成的手法によって作られる小分子化合物が主流である。しかし、小分子化合物は経口投与が可能で細胞膜透過性も高い等の利点を有しておりながらも、ターゲットに対する選択性という観点では低く、その為副作用を併発してしまう可能性も持っている。

近年、ペプチドや抗体を用いた創薬が行われるようになってきた。中でもペプチドは、抗体同様、高い特異性を持ち、分子量が比較的小さいため組織浸透性が良い点も有し、新たな創薬シーズとしても期待されている。しかし、ペプチドは生体内でプロテアーゼ等の分解酵素により容易に分解されてしまい経口投与できないという点、細胞膜透過性が悪いという点等の欠点も併せ持つ。

しかし、免疫抑制剤シクロスポリンA等、多くの天然から得られたペプチド製剤が存在して利用されており、これらのペプチドは、20種類のタンパク質性アミノ酸以外の特殊アミノ酸を含有し、その為に薬理作用を持ち、生体内安定性や細胞膜透過性をも獲得しているものと考えられる。特殊骨格の例として、N末端脂肪鎖修飾、D-アミノ酸、β、γアミノ酸、大環状化構造等多岐にわたる。一方、天然のタンパク質は通常リボソームにより合成されるが、20種類のタンパク質性アミノ酸のみによって合成される。しかしリボソームでは特殊アミノ酸を含有するペプチドは合成する事はできず、天然ではNRPS(Non Ribosomal Peptide Synthetase)と呼ばれる巨大なタンパク質複合体によって合成される。しかしながらNRPSを用いた特殊ペプチドの合成を利用するには、このたんぱく質に変異を導入するなどして基質許容性を高める必要があり、特殊ペプチドを網羅的に合成する事は非常に時間とコストがかかると考えられる。一方で、2001年に報告された、再構成試験管内リボソーム翻訳系は、反応の迅速性や、正確性、およびDNAの配列をランダム化する事でペプチドのライブラリー化が容易であるという長所を持つ。そして、幾つかの構成要素に関して言えば(例えば、RF1やアミノ酸等)、一部の要素をあらかじめ添加せずに用いる事が出来るという大きな特徴も有する。この長所を生かし、特殊アミノ酸含有ペプチドの合成が可能となり、これにより特殊ペプチドの研究が広く行われている。すなわち、tRNAに特殊アミノ酸を人工的にアミノアシル化し、翻訳系中で終止コドン等の空きコドン、若しくはあらかじめ20種類のアミノ酸のうち幾つかを除き、空きコドンを作成し、これら空きコドンに特殊アミノアシルtRNAを対応させて翻訳合成するものである。しかし多くのグループは、アミノアシル化の段階で導入可能な特殊アミノ酸に制限がある事が課題となっている。

申請者が所属する研究室では、フレキシザイム(Fx)と呼ばれる、任意のアミノ酸(Xaa)を任意のtRNA上へアミノアシル化できる画期的な人工RNA触媒を開発し、2006年に報告した。そして再構成in vitro翻訳系において不要なアミノ酸を翻訳系中から除き、空きコドンを作りそこへ特殊アミノ酸を新たに対応付けるという「遺伝暗号リプログラミング」により、Nメチルペプチドやポリエステル結合を有するペプチド等、特殊アミノ酸含有ペプチドを翻訳系で合成してきた。(図1)

さらに当研究室において特殊ペプチドライブラリーを構築し、mRNAディスプレイという技術により、標的タンパク質に特異的結合能を示す特殊ペプチドの取得も一部達成している。しかしライブラリーの多様性を考えると、現在用いる事が出来る特殊アミノ酸は限られており、新たなビルディングブロックの開発が求められている。その中で申請者はFxを用いて、創薬上有益な細胞膜透過性を付与できる可能性のある、脂肪鎖修飾を受けたペプチド(二章)、およびペプチドの安定性に寄与すると思われるγアミノ酸を含有するペプチドの翻訳合成を目的とし研究を行った(三章)。

第二章では、N末端に脂肪鎖修飾を有するペプチドの翻訳合成の検討について述べる。

天然にはダプトマイシンのような、N末端が脂肪鎖により修飾された薬理活性ペプチドが多数存在し利用されている。その脂肪鎖によって細胞膜に作用していると考えられる。また、これら脂肪鎖修飾ペプチドを翻訳系で合成した例はこれまで無い。これにより、申請者の所属する研究室において、全く新しいビルディングブロックを持つ特殊アミノ酸ライブラリーを構築することが出来る。さらにその中から、スクリーニングによって、生理活性を有するペプチドの取得やペプチドの膜透過、または膜局在化等の機能を付与できる可能性がある。

実験では、Fxを用い、始めは脂肪鎖を持つアミノ酸の直接アミノアシル化を試みた。しかし、実験を重ね検討した結果、脂溶性が高く反応が進行しないことが判明した。そこで、あらかじめFxにより天然型フェニルアラニンをtRNA上に結合し、その後、slufo-NHSによって活性された脂肪酸をフェニルアラニルtRNAと反応させるという、二段階アミノアシル化法を考案し、アミノアシルtRNAを得る事に成功した。(図2)この脂肪鎖修飾アシルtRNAを用い、メチオニンを除いた翻訳系中で翻訳反応させ、脂肪鎖修飾ペプチドが翻訳できた事がMALDI-TOF-MSで確認された。脂肪鎖の鎖長をC10、C12、C14と、種々変えても導入できた。さらに側鎖に反応性の高いチオールやアミノ基を有するCys、Lys以外の18アミノ酸を用い、炭素数がC12である脂質を用いても脂肪鎖修飾ペプチドの翻訳合成を達成した。この研究で考案した二段階アミノアシル化法は他の脂溶性基質を付与する際のツールともなる。

本研究の将来性としては、脂肪鎖を含み、ランダム配列を持つペプチドライブラリーを構築し、mRNAディスプレイ等の技術と組み合わせて細胞膜透過性能を持つ薬理活性特殊ペプチドの取得が期待される。

第三章では、薬理上有用で、ペプチドの安定化に寄与すると思われるγアミノ酸含有ペプチドの翻訳合成の検討について述べる。

天然にはPepstatin、Bidemnin Bなど、γアミノ酸含有ペプチドが存在し、それぞれ、pepsin、HIV proteaseなどの酸性プロテアーゼ阻害、抗ガン活性を有し、極めて重要な薬理活性を有している。Pepstatinは5つのアミノ酸と短い脂肪鎖によって構成されたペプチドである。この中に含まれるγアミノ酸であるStatine残基が、プロテアーゼの活性部位に入り込み阻害する機構が知られていることから、γアミノ酸を含有させることによって、ペプチドの生体内安定化に寄与すると考えられる。私はこのγアミノ酸に着目し、γアミノ酸含有ペプチドの翻訳合成を目指した。しかし実験の結果、γアミノアシルtRNAは翻訳系中で分子内求核攻撃を起こしアシルtRNAが分解しラクタムとtRNAが生成する事が判明したため、フェニルアラニンとのジペプチド体としてFxによりアミノアシル化し、翻訳系に用いた。6種類のγアミノ酸のジペプチド体を用いてアミノアシル化し、翻訳した所、全ての基質についてMALDI-TOF-MSによりペプチドへの導入が確認された。

さらに、γアミノ酸をペプチド鎖中に導入する事を目的として、γアミノ酸含有主鎖環状ペプチドを合成する事を試みた。Pepstatinの例では、含有されている二つのStatineのうち、C末端によるものではなく、ペプチドの中心部に含有されているStatineがペプチダーゼ阻害活性を有している事が分かっている。そこで、申請者は、ジペプチド体を伸長反応では導入できない為、主鎖環状する事でペプチド鎖中に導入する事を考案した。方法論としては、ペプチドのC末端側にCys-Pro-HOGly(グリコール酸)配列をFxにより構築する事を考案した。これは、システインのチオール基による求核攻撃とPro-HOGly間のエステル結合の切断をドライビングフォースとした分子内反応が誘起され、中間体としてジケトピペラジンチオエステル体が得られる。この中間体は反応性がエステル結合やアミド結合より高く、N末端のアミノ基と反応して主鎖環化反応を起こし、主鎖環状ペプチドが得られるのではないかと考えた。この方法により、加水分解物等も確認されたが、one potでγアミノ酸含有主鎖環状ペプチドを得ることに成功した。(図3)今後の展望として、ペプチドの安定性に寄与するγアミノ酸含有ペプチドをライブラリー化し、mRNAディスプレイ等の技術を合わせ、薬理活性ペプチドの取得を目指す。

図1 遺伝暗号のリプログラミング

図2 アミノ酸のNα-アシル化

図3 γアミノ酸含有ペプチドのone pot主鎖環状化戦略: Cys-Pro-HOGlyの連続配列によりジケトピペラジンチオエステル体が中間体として得られ、次いでN末端アミノ基の求核攻撃によって環化される。

審査要旨 要旨を表示する

大城幸紀氏は、試験管内翻訳系を用いて薬理活性ペプチドの取得およびその為のペプチドのライブラリー化の為の基盤技術の構築を目指し、新しい基質として脂肪鎖含有アミノ酸及び、γアミノ酸を用いて、初めてこれらを特殊骨格として含有するペプチド、すなわち特殊ペプチドの翻訳合成技術に関して研究を行った。

第一章では、ペプチド薬剤開発において、既存の、天然から抽出されて利用されてきた薬理ペプチドが持つ化学的構造の重要性、そして特殊アミノ酸および特殊骨格の重要性、特殊ペプチドを翻訳系により合成する為に必要なアミノアシルtRNAの合成法、これを用いた遺伝暗号の改変による特殊ペプチド合成の方法論、既存の特殊ペプチドライブラリー化技術及び、特殊ペプチドライブラリーのスクリーニング法について述べられている。

第二章では、申請者が新たに開発した二段階アミノアシル化法によって、脂肪鎖の脂溶性の高さゆえに従来達成不可能であった、特殊ペプチド合成に必要な脂肪鎖含有アミノアシルtRNAを取得する事に成功し、この技術と遺伝暗号の改変技術を用いることで、そのN末端に脂肪鎖を含有するペプチドの翻訳合成を達成したものである。脂肪鎖としては炭素数が10であるデカン酸、炭素数12であるドデカン酸、さらに炭素数14であるテトラデカン酸の3種類の長さを持つものについて達成している。さらにその二段階アミノアシル化法を多様なアミノ酸を用いて行う事でその方法論の汎用性について示し、そしてもう一つの特殊アミノ酸であるNγクロロアセチルα,γジアミノブチル酸を同時にペプチド鎖中に導入する事によって非天然型環状構造を有する脂肪鎖含有特殊環状ペプチドの翻訳合成についても達成したものである。この方法を用いる事で今後は脂肪鎖含有特殊環状ペプチドライブラリーの構築、及び第一章で述べたmRNAディスプレイ法によるスクリーニングを行い、標的タンパク質に特異的に作用する脂肪鎖含有特殊環状ペプチドの取得が期待される。

第三章では、同様に遺伝暗号の改変技術によってタンパク質性アミノ酸であるαアミノ酸よりも炭素骨格が二つ長い、γアミノ酸をN末端に含有する特殊ペプチドの翻訳合成、及び翻訳合成後のペプチドの主鎖環状化を行い、達成したものである。これまでγアミノ酸含有アミノアシル化tRNAは不安定な性質であったことから、当該分野ではγアミノ酸含有特殊ペプチドの翻訳合成に関する研究はいままで報告されていなかった。そこで申請者はその課題をフェニルアラニンとγアミノ酸とのジペプチド体として用いる事で解決し、γアミノアシルtRNAを取得し、翻訳系中でγアミノ酸含有特殊ペプチドの翻訳合成に成功したものである。このジペプチドを用いた方法論を6種類のγアミノ酸に適用し、そうする事によって多様な特殊ペプチドの翻訳合成を達成している。

さらに第三章では同時にγアミノ酸含有主鎖環状ペプチドについても翻訳系中で合成を行い、それを達成している。γアミノ酸をジペプチド体で用いている為、翻訳の伸長反応でγアミノ酸を含有させる事は出来なかった。その問題を解決し、多様なペプチドを得るため申請者は主鎖環状化を行っている。これはすなわち、ペプチドのN末端にはγアミノ酸を含有し、C末端側にはシステイン-プロリン-ヒドロキシグリシンの連続配列を翻訳合成により構築し、システインの持つチオール基によるカルボニル基への求核攻撃をドライビングフォースに、ジケトピペラジンチオエステル中間体を経てN末端のアミノ基の求核攻撃により主鎖環状化させるという戦略である。中間体の生成後、加水分解により直鎖状ペプチドが主生成物として得られる事が問題点として挙げられたが、申請者はそのペプチドの配列中にシステイン残基を含有させることによりその問題を回避し、γアミノ酸含有特殊主鎖環状ペプチドの合成に成功している。6種類のγアミノ酸を用いて、加水分解物も得られるものの、主鎖環状ペプチドが得られる事を明らかにしている。さらに申請者はこの主鎖環状化の方法論と、既に報告されている限界希釈PCR法を応用する事で、このγアミノ酸含有主鎖環状特殊ペプチドライブラリーを構築し、スクリーニングを行う事が可能であり、薬理活性を持つγアミノ酸含有主鎖環状特殊ペプチドの取得が可能であると述べている。

第四章の結語では、当該分野における研究の方向性について述べ、そのうえで申請者の行った本研究についての位置づけ、考察及び将来性についてまとめている。

以上より、本論文は特殊ペプチドの翻訳合成によるペプチド創薬の研究分野における新しい重要な基礎技術を提供すると共に、今後、生理活性物質の探索研究に大きく寄与するものと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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