学位論文要旨



No 126860
著者(漢字) 前山,拓哉
著者(英字)
著者(カナ) マエヤマ,タクヤ
標題(和) 水への重粒子線照射で生じる・OHの収量 : 蛍光プローブの利用と核破砕の影響の検討
標題(洋)
報告番号 126860
報告番号 甲26860
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7501号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 准教授 沖田,泰良
 東京大学 特任准教授 石川,顕一
 国立がん研究センター東病院 室長 西尾,禎治
内容要旨 要旨を表示する

高エネルギーに加速した重粒子線を用いたがん治療が1946年にWilsonによって提案された。重粒子は放射線治療で用いられるX線に比べ、高い直進性と飛程末端で高い線量を与えることができるブラッグピークを持つことから、正常細胞への被ばくを抑制したがん治療が可能であり、これまでに、同線量のX線と比較して高い生物効果を持ち、さらに、放射線抵抗性を示す低酸素細胞にも有効であることが分かっている。日本においては、1994年に千葉にある放射線総合医学研究所の高エネルギー重粒子線加速器(HIMAC)において炭素線を用いた臨床研究が始まり、2010年3月までに、5196名の治療患者数に達し、HIMACにおける約15年の成果が文献にまとめられている。

高エネルギー重粒子線を用いたがん治療は今後、更なる発展が期待されるが、放射線照射後から最終的な生物効果が現れるまでの過程や機構については未だ十分に理解されていない。そのため、本研究では、治療用重粒子線を用い、放射線化学の観点から重粒子線が見せる特徴的な照射効果やそのメカニズムの解明に関する研究を行う。特に、生体の主成分である中性条件の水を照射試料とし、その放射線分解により生成するOHラジカルの高感度収量測定法の開発やその高感度収量測定法を応用し、ブラッグピーク付近やその後ろの領域での二次粒子影響についても検討した。

用いた試料は蛍光プローブであるクマリン-3-カルボン酸 (3-CCA)であり、以下に示すような目的を設定し、多様な条件下での3-CCA水溶液の放射線分解メカニズムについて議論する。

(1)クマリン-3-カルボン酸 (3-CCA) 水溶液を用いた高感度●OH収量評価手法の開発

(2)3-CCA 水溶液による高感度●OH収量測定法のイオンビーム照射への適用性の検討

(3)3-CCA 水溶液により評価される●OH収量の核破砕反応の影響の検討

(1):3-CCAを溶質とし、照射後に●OHの捕捉反応による生成物7-OHCCAを蛍光分析により高感度に定量可能であることが知られているが、●OH収量を評価するためには、これらの詳細な反応機構を追究する必要があり、高感度●OH収量評価手法の開発として、広く水分解メカニズムが知られている低LET放射線を用い、3-CCAの水分解ラジカルとの反応性や照射後に生成する蛍光物質の生成メカニズムについて明らかにすることを目指した。

(2):この3-CCAの低LET放射線分解の知見を元に、高エネルギー重粒子線照射に適用し、3-CCA水溶液の濃度依存性、さらには、LET依存性を評価することで、高感度●OH収量測定の適用性を検討する。また、重粒子線が持つ得意な照射効果が生じるメカニズムについても追究する。

(3):3-CCA水溶液を用いた、重粒子線照射用高感度●OH収量測定ならびに高感度水溶液線量計をブラッグピーク付近または、ブラッグピーク後の低線量領域に用いることで、高エネルギー重粒子線照射時のフラグメンテーションにより生じる二次粒子の影響を検討する。この二次粒子の影響評価には照射実験と並行して高エネルギー重粒子線輸送計算が行えるPHITSコードを用いた計算を行うことで、定量的な二次粒子影響評価を試みる。

序論では水の放射線分解の現状と課題、関連する高エネルギー重粒子線を用いた研究ならびに、高感度測定手法に関する既往の研究を示し、本研究の位置づけを行った。

2章では解析手法(反応速度定数評価、収量評価)や電子線パルスラジオリシス、ガンマ線照射装置、HIMAC(重粒子線加速器)、NCCHE(陽子線加速器)など用いた実験装置、さらに用いた水分解シミュレーションや高エネルギー重粒子線輸送計算PHITSを示し、3章以降で実験結果を示し、7章でまとめ、今後の展望について述べている。

以下、本研究の結果をまとめる

〇3-CCA水溶液の放射線分解メカニズム

3-CCAは●OH、e-aqと共に高い反応性(6.8×109 /M-1s-1と2.02×1010 /M-1s-1)を示した。蛍光体の生成にはe-aqは関与しないことや、●OHとの反応量に比例して7-OHCCAが変化し、溶存酸素系では酸素がない場合よりも2倍多く7-OHCCAを生成したことから、二つの7-OHCCA生成機構が考えられた。一つは酸素を介した脱離反応であり、もう一つは不均化反応である。両者は反応がおこる時間スケールが大きく異なることから、酸素の有無でそれぞれ生成効率を4.7%と3.9%と考慮することで水分解シミュレーションと良い対応を示すことを確認した。さらには、空気溶存3-CCA水溶液はその他の●OH捕捉剤を用いた報告値とも良い一致を示し、3-CCAは一定の生成効率を考慮することで、高感度●OH収量測定が可能であることが示された。

〇3-CCA水溶液を用いた高感度●OH測定法の重粒子線照射への適用性

G(7-OHCCA)のLET依存性(0.5~2246 eV/nm)、捕捉時間スケール依存性(5.6ns~1.4us)を評価し、トラック反応が進むことによる収量の減少と高LETではよりトラック反応が増加することよる収量の減少を観測した。これまでに報告されている●OHの一次収量(実験結果とシミュレーション結果)と100nsにおけるG(7-OHCCA)を比較したところ、ガンマ線照射時の比率と同様の比率(4.7±0.6%)で良い対応を示し、捕捉時間スケールが100nsに対応する3-CCA水溶液はLETが0.5~300 eV/nmの範囲で重粒子線照射用の高感度●OH収量測定法として用いることができることが示された。また高濃度3-CCAではトラック反応を反映した収量の減少、またはラジカル同士の反応である不均化反応が進むことにより収量の生成効率の減少が予測されるが、J.P. Jay-Gerinモンテカルロシミュレーションと比較しても高い収量を示し、これまで考慮してきた7-OHCCA生成機構に加え、他の生成機構があることが考えられた。

○高エネルギー炭素線の核破砕により生成する二次粒子の水分解ラジカルに与える影響

1cm幅の照射セルを用い、捕捉時間スケール100nsに対応するG(7OH-CCA)の侵入深さ依存性をブラッグピーク付近からその後ろの低線量の領域まで評価したところ、セル内ブラッグピークが含まなくなる領域において急激な収量の増加を観測し、12C6+のエネルギーを135、290、400MeV/uと変化させた時のブラッグピーク付近のG(7-OHCCA)は加速エネルギーが高くなるにつれて収量の増加を観測した。これよりブラッグピーク付近は一次粒子より低LETである二次粒子の寄与を無視できないことが分かる。

以上のような実験結果をPHITSコードとこれまで評価してきたG(●OH)のLET依存性を用いることで、計算によりブラッグピーク付近のG(●OH)を評価した。実験から評価されるG(7-OHCCA)は生成効率4.7%を用いG(●OH)に換算し、計算結果と比較したところ、大まかな傾向を良く再現可能であることが分かり、二次粒子の影響は各々のイオン照射の重ね合わせとして考えることができることが分かった。ただし、より詳細な議論をするためには、ATIMA、SPARなどのLET計算コードの高精度化や●OH収量のLET依存性のデータの整備が必要であった。

○4He2+, 56Fe26+の核破砕により生成する二次粒子の水分解ラジカルに与える影響

12C6+の照射実験と同様に、ブラッグピーク前までは良い一致を示し、ブラッグピーク後で計算結果の過小評価となった。これより、一次粒子における●OH収量の実測ならびに、計算結果は互いに評価が妥当であることが分かるが、二次粒子のみの寄与になるブラッグピークより後ろの領域では今後更なる検討が必要である。特に、低加速エネルギーや軽いイオン、重いイオンの一次粒子において差異が顕著であった。

以上より、本研究では中性水溶液の放射線分解により生成するラジカルの中で、DNAダメージに最も影響する●OHラジカルの高感度測定手法の開発ならびに、その高感度測定法の応用を行った。これにより、これまでにほとんど議論されてこなかった二次粒子の影響を初めて定量的に評価することに成功し、高エネルギー重粒子線を用いた水の放射線分解の理解をさらに深めることができた。

さらに本研究で開発した高感度な●OH収量測定法は、3-CCA水溶液への照射後に生成する7-OHCCAを定量し、変換効率φ(4.7±0.6)%を用いることで数cGyの感度で●OH収量を評価することができる。逆にイオン種と加速エネルギーが分かれば、7-OHCCAの濃度化を期待されるφ×G(●OH)でわることで、線量を評価することもできる。つまり、形状を自由に設定可能な重粒子線照射用の高感度水溶液線量計として用いることができる。

審査要旨 要旨を表示する

重粒子線はこれまでのX線や電子線とは異なり、飛程の末端でブラッグピークと呼ばれる線量ピークを形成し、これを活用してがん組織に選択的な照射を行う重粒子線治療が近年注目を浴びている。さらに、エネルギー付与密度(LET)が高いことから生物効果も大きく、難治療性のがんにも効果的である。しかしながら、重粒子の生体作用の特異性については十分な理解が進んでいない。さらに、体内のがん組織を照射するためには重粒子エネルギーはGeV以上が必要となり、結果的に重粒子と生体物質構成核との間で核破砕反応と呼ばれる核反応が引き起こされ、この評価は治療計画や二次がん発生などで必須課題となる。

以上の背景をもとに、本研究では治療線量領域での高感度の線量測定手法として、生成物の蛍光測定にもとづくカルボキシクマリン(CCA)線量計を提案し、その放射線反応機構を解明し、各種イオン照射に適用し、その特性を明確にし、さらに、ブラックピーク近辺での照射実験を実施し、核破砕反応評価をPHITS(Particle and Heavy Ion Transport code System)コードを用いてシミュレーションし、実験結果と比較してコードの精度等を検討した。

論文は七章からなり、第一章では本研究の背景と、本研究の目的をまとめている。第二章は照射実験とシミュレーションの手法についてまとめている。イオンビーム照射実験は放射線医学総合研究所のHIMAC施設からの各種イオンビーム、がんセンター東病院の陽子線治療施設のプロトンを用いて実施し、試料準備、線量測定、分析法、さらに、反応性評価のための、コバルト照射、パルスラジオリシスの手法について記述している。さらに、拡散モデル計算とHIBRACやPHITSコード計算などのシミュレーション手法についても記載している。

第三章はCCA線量計の放射線反応機構について検討した結果を述べている。CCA水溶液は放射線照射後に水分解で生ずるOHラジカルがCCAと反応した生成物の一つであるCCAのフェニル基の7位にOHが付加した生成物(7OH-CCA)は、蛍光性であり、線量域としてcGy(百分の一グレイ)の低線領域でも精度良く使用でき、この特性を生かし線量計として使用できる。この生成物が生成するまでの機構についてパルスラジオリシス法による反応性測定、各種条件下でのγ照射を行い、反応メカニズムを提案、スパー拡散モデル計算で反応メカニズムの確認を行っている。

第四章はCCA線量計を7種類の異なるイオンで照射し、G(7OH-CCA)のLET依存性、濃度依存性を詳細に測定した。その結果から、本システムはOHラジカルと100nsの時間領域で反応する1.5mM CCA水溶液でのG(7OH-CCA)は、同じ時間領域で生成するG(OH)の4.7%となりイオンの種類にほとんど依存しないことを見いだした。この結果は生物効果に密接な関係を示すG(OH)を、低線量で、しかも一つの水溶液系で評価できるという特徴を持ち、各種イオン照射への適用性が期待される。溶解度上限の26mM近辺では高LETイオン種ほど相対収量が増大することから、高密度でのトラック反応で生ずる独特の現象であるが、詳細なメカニズム解明は今後の課題としている。

第五章は1.5mM CCA線量計を炭素イオンのブラックピーク付近前後で照射し、その実験結果をPHITSコードでの核破砕反応を考慮したシミュレーションと比較検討した結果をまとめている。1cmの照射セルを用いているため、1cmの水溶液領域の積算結果を測定していることになり、このセルがブラッグピークを含む領域ではG(7OH-CCA)は極小を示すことが判った。これは一次粒子が最小のLETを示し、それに対応するOH生成も極小を示すことに対応する。しかし、ブラックピーク以降ではG(7OH-CCA)は再び増大する。この挙動を135, 290さらに400 MeV/nの炭素イオンの照射で相互に比較すると、高エネルギーほどブラッグピーク以後のG(7OH-CCA)は大きい。これは高エネルギー粒子ほど上流で発生する二次粒子の蓄積効果が大きく、飛程の長い軽イオン、即ち低LETの二次粒子の割合が高いことで説明できる。これらの結果を、実験体系を模擬した条件下でPHITSコードにより二次粒子の生成を評価し、第4章で見いだしたG(7OH-CCA)とG(OH)の関係を用いて、G(OH)を算出した。このシミュレーション結果と実験結果を比較検討した結果、ブラッグピークを含む領域ではシミュレーションは実験結果を良く再現するのに対し、ピーク下流では実験結果より過小評価をしてしまうことが明らかとなり、その要因について幾つかの可能性を検討した。

第六章では同様のブラックピーク近辺の照射をHe, Feイオン照射に展開した結果をまとめている。実験結果を前章同様にPHITS計算の結果を用いて再現シミュレーションを行った。特に、Feイオンの場合は生成二次粒子が膨大になるので簡易化手法を導入して計算した。前章と同様、PHITSは系統的に破砕反応を過小評価する傾向があり、この部分の再検討が必要と結論した。この点は、実際の治療、二次がんのリスク評価などに深く関わることから今後の重要な課題としている。

第七章では本研究の結論、今後の展望をまとめている。

以上、要すれば重粒子線の医学、治療分野への新しい水溶液線量計システムとその特性解明、さらに利用展開に関わる多大な成果を挙げている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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