学位論文要旨



No 126861
著者(漢字) 宇田川,豊
著者(英字)
著者(カナ) ウダガワ,ユタカ
標題(和) ジルコニウム中水素の挙動と脆化に関する原子論的研究
標題(洋)
報告番号 126861
報告番号 甲26861
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7502号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 長,晋也
 東京大学 教授 笠原,直人
 東京大学 准教授 沖田,泰良
 東北大学 教授 阿部,弘亨
内容要旨 要旨を表示する

軽水炉運転条件下ではジルコニウム(Zr)合金被覆管表面の水側腐食が生じ、金属層中に水素が吸収される。事故・異常過渡等、通常運転条件を上回る応力負荷が生じる様々な条件下で、水素吸収量の増加に伴う燃料破損限界低下が報告されている。Zr合金被覆管の健全性に及ぼす水素の影響を正確に把握し、これに基づいて合理的な評価を行うことは、原子炉出力増強・高燃焼度化等今後進展する燃料利用高度化に対応していく上で、軽水炉の安全評価における中心的課題の一つになると考えられる。

脆化・破壊現象の微視的機構を限られた実験的情報のみに依って特定・解明することは一般に困難であり、Zrの水素脆化についても今日まで統一的な理解は得られていない。一方計算機性能の進歩を受け量子計算手法の応用範囲は年々拡大しており、近年行われた幾つかの研究を通じ、第一原理計算・分子動力学計算に代表される原子論的手法の活用がZr結晶においても現実的なものとなった。本研究の目的は、原子論的手法の適用によりZr結晶構造・欠陥構造に遡って水素原子の影響を明らかにし、水素脆化プロセスの理解を進めること、これを通じて水素脆化に係る燃料安全評価の合理化と説明性向上に資することである。

まずジルコニウム水素脆化に係る今日までの知見を脆化メカニズムに主点をおいてまとめ(第2章第2節)、水素吸収から脆化発現までの流れを複数のプロセスの集合として関連づけ、整理した(第2章第3節)。脆化プロセスの整理を通じ、特に水素化物の形成から応力集中の発生に到るプロセス、また応力集中の発生から固溶体の割れに到るプロセスの検証・理解が停滞しているとの認識に立ち(第2章第4節)、これらの検証を進めるための課題に取り組んだ。水素を吸収したZr材は析出水素化物と固溶体から成る二相の系であり、その破壊挙動は微視的には水素化物、水素固溶体、そして両者の界面といった要素の負荷に対する応答に帰着できる筈である。個々の要素について微視的スケールから正確な情報、知見を積み上げ、マクロな挙動や静的な観察から類推された諸仮説の検証材料とすることで、整合性を欠く仮説の排除を通じ、破壊・脆化現象の理解を進めることができると考えられる。

結晶の延性/脆性挙動を、内包するき裂の進展の起こり易さとして捉えると、微視的に定義・評価可能なパラメータとしては表面エネルギ(γS)とγ表面鞍点エネルギ(γUS)の二つが重要となる。第一の課題として、Zr結晶中面欠陥特性γUS、γS及びこれら面欠陥に及ぼす水素の影響の第一原理計算評価を行った(第3章第1節)。この結果、固溶体、水素化物共に、水素濃度の増加に伴いγSは線形的に減少することが明らかとなり、水素による自由表面形成の助長が水素化物の脆性に一定の寄与を有することが示された。固溶体のγ表面最小エネルギ経路は純Zr系と変わらず、積層欠陥エネルギ(γSF)、γUS共水素濃度増加に伴い線形的に減少した。これは水素介在による固溶体中転位易動度上昇を示唆する。一方水素化物のγUSは純Zrに比べ2~3倍と極めて大きな値を示した。これは水素化物中転位の格子摩擦が著しく大きいことに対応し、γS減少と重畳して結晶の脆性的ふるまいを助長していることを示唆する。RiceのDパラメータを用いた解析によれば、Zr水素化物は、極めて脆いFCC金属として知られるイリジウムより更に強い脆性的性質を有することになる。以上は水素化物近傍におけるき裂形成をもたらすとされるプロセスの内、水素化物内部の割れが実際に生じ得ることを、結晶の微視的特性の観点から強く示唆する結果である。固溶体についてはき裂進展特性がむしろ延性的となることを示唆する結果が得られたが、これは水素吸収材の破面観察の一般的傾向に沿っており、固溶水素が脆性的き裂進展を助長する効果は無いとする解釈を裏付けている。ミクロスケールからの脆化機構解明を更に進める上では、固溶体については水素介在による空孔助長やすべりの局所化等他の延性的な破壊プロセス、また水素化物-固溶体界面については剥離(ボイド形成)やすべり、転位放出等のふるまいを検証していく必要がある。そこで以降の課題として、Zrの欠陥特性、欠陥-水素間相互作用を始めとする様々なZr-H二元系の物性を再現可能なポテンシャルの作成に取り組んだ。

軽水炉における実用Zr材(ジルカロイ)中の界面シミュレーションを念頭におけば、最も代表性が高いのは底面晶癖水素化物{111}面とHCP構造底面で形成される界面と考えられる。ところが水素化物の析出形態には純Zrとジルカロイで異なるケースがあり、γ水素化物の晶癖面は純Zrで柱面、ジルカロイでほぼ底面に平行となる。水素化物形成プロセスと合金元素の関連を把握し、後段で作成する原子間ポテンシャルに対する要請をより明確にするため、本研究の第二の課題として、水素化物形成プロセスに及ぼす合金元素の影響の第一原理計算評価に取り組んだ(第3章第2節)。この結果、HCP構造Zr結晶中で固溶水素と合金原子間に結合エネルギは生じないこと、積層欠陥-水素の結合はスズ(Sn)介在により底面・柱面共弱まること、γSFとγUSはSn介在により底面で減少、柱面で逆に増加すること、等が明らかとなった。これらを総合すれば、ジルカロイにおける底面晶癖水素化物存在比の増大は、柱面上を運動するらせん転位の底面上での分解・拡張がSn原子近傍で強く促進されることにより、底面晶癖水素化物のソースとなる水素吸着サイトが増加した結果と解釈することが出来る。Snの主な効果は底面上に広がりを持つ水素吸着サイトの安定化であることから、底面上積層欠陥の特性及び底面上積層欠陥と水素の相互作用を反映したZr-H二元系シミュレーションにより、底面晶癖水素化物の析出核が安定化して以降の界面形成を模擬できる見通しを得た。

第3章までに得られた知見、データを集約、反映し、第三の課題として、Zrの面欠陥特性やこれらと水素の相互作用を始めとする様々なZr-H二元系の物性を再現可能な原子間ポテンシャルの開発に取り組んだ(第4章)。上述した固溶体・界面挙動検証への適用を念頭に、最新のMendelevらのZr単元系ポテンシャルをベースとしたMAHポテンシャル及びMAHポテンシャルの柱面γ表面再現性を改善したUKHポテンシャルを作成した。原子埋め込み法に基づき定式化したポテンシャル関数を3次スプライン関数として合わせ込むことにより、HCP構造Zr結晶中の水素固溶エネルギ、水素化物形成エネルギ、水素化物格子定数等のバルク特性、自由表面やγ表面等の面欠陥-水素相互作用、空孔-水素相互作用、HCP構造及びFCC構造中の水素移動エネルギ等多くの物性値の再現に成功した。水素化物については600 K温度条件までのシミュレーションで構造の安定性を確認し、HCP構造Zr結晶と水素化物結晶が混在する系を取り扱えることを示した。更にHCP構造中底面・柱面上転位と水素原子の相互作用を調べ、鉄-水素系の研究と比較して妥当な結合エネルギが得られることを示した。何れもZr系ポテンシャルとして初めての成果であり、固溶体中の欠陥-水素間相互作用や固溶体-水素化物界面が関与すると考えられている諸脆化プロセスの検証手段として、ジルコニウム水素脆化機構解明に貢献するものと考えられる。最後に本研究の成果を踏まえ、微視的スケールから水素脆化機構の理解を進めていく上で今後取り組みが必要となる具体的課題を整理した。

審査要旨 要旨を表示する

軽水炉運転条件下ではジルコニウム合金被覆管表面に腐食が生じ、金属層中に水素が吸収される。事故・異常過渡等、通常運転条件を上回る応力負荷が生じる様々な条件下では、水素吸収量の増加に伴う燃料破損限界低下が報告されている。被覆管の健全性に及ぼす水素の影響を正確に把握し、これに基づいて合理的な評価を行うことは、原子炉出力増強・高燃焼度化等今後進展する燃料利用高度化に対応していく上で、軽水炉の安全評価における中心的課題となっている。

本論文は、原子論的手法の適用によりジルコニウム結晶構造・欠陥構造に遡って水素原子の影響を明らかにし、水素脆化プロセスの理解を進め、これらを通じて水素脆化に係る燃料安全評価の合理化と説明性向上に資することを目的として、第一原理計算・分子動力学計算に代表される原子論的手法に基づいた研究の成果を取りまとめている。

論文の第1章は序論であり、軽水炉燃料の事故時安全評価に関する背景と課題をまとめ、上記の本研究の目的を述べている。

第2章は、ジルコニウム水素脆化に係る今日までの知見を脆化メカニズムに主点をおいてまとめており、水素吸収から脆化発現までの流れを複数のプロセスの集合として関連づけ、整理している。また、脆化プロセスの整理を通じ、特に水素化物の形成から応力集中の発生に到るプロセス、また応力集中の発生から固溶体の割れに到るプロセスの検証・理解が停滞しているとの認識に立ち、これらの検証を進めるための課題を取りまとめ、水素を吸収したジルコニウムの破壊挙動は微視的には水素化物、水素固溶体と両者の界面の負荷に対する応答に帰着でき、微視的スケールから正確な情報、知見を積み上げ、マクロな挙動や静的な観察から類推された諸仮説の検証材料とすることで、破壊・脆化現象の理解を進めることが可能となるとしている。

第3章は、ジルコニウム結晶の延性・脆性挙動を、内包するき裂の進展の起こり易さとして捉え面欠陥特性とこれに対する水素の影響の第一原理計算評価を実施した結果をまとめている。この結果、固溶体、水素化物共に、水素濃度の増加に伴い表面エネルギーは線形的に減少することを明らかにし、水素による自由表面形成の助長が水素化物の脆性に寄与することを示している。また固溶体の表面最小エネルギー経路は純ジルコニウム系と変わらず、積層欠陥エネルギーと表面エネルギーがともに水素濃度増加に伴い減少することを明らかにし、水素介在による固溶体中転位易動度上昇を示唆する。一方水素化物の表面エネルギーは純ジルコニウムに比べ極めて大きく、水素化物中転位の格子摩擦が著しく大きくなって、結晶の脆性的ふるまいを助長していることを示した。RiceのDパラメータを用いることによって、水素化物内部の割れが水素化物近傍におけるき裂形成をもたらすことを明らかにした。

さらに第3章の後半では、水素化物形成プロセスに及ぼす合金元素の影響の第一原理計算評価に取り組み、稠密六方晶構造ジルコニウム結晶中で固溶水素と合金原子間に結合エネルギーは生じないこと、積層欠陥-水素の結合はスズ介在により底面・柱面共弱まること、表面エネルギーはスズにより底面で減少、柱面で逆に増加することを明らかにした。これらを総合すれば、ジルカロイにおける底面晶癖水素化物存在比の増大は、柱面上を運動するらせん転位の底面上での分解・拡張がスズ原子近傍で強く促進されることにより、底面晶癖水素化物のソースとなる水素吸着サイトが増加した結果と解釈でき、スズの主な効果は底面上に広がりを持つ水素吸着サイトの安定化であることから、底面上積層欠陥の特性及び底面上積層欠陥と水素の相互作用を反映したジルコニウム水素二元系シミュレーションにより、底面晶癖水素化物の析出核が安定化して以降の界面形成を模擬できる見通しを得た。

第4章では、ジルコニウムの面欠陥特性や水素との相互作用を始めとするジルコニウム水素二元系の物性を再現可能な原子間ポテンシャルの開発に取り組んでいる。最新のMendelevらの単元系ポテンシャルをベースとしたポテンシャル及びその柱面γ表面再現性を改善した新たな独自のポテンシャルを作成することに成功している。これによって、水素固溶エネルギー、水素化物形成エネルギー、水素化物格子定数等のバルク特性、自由表面やγ表面等の面欠陥-水素相互作用、空孔-水素相互作用、稠密六方晶構造及び面心立方晶構造中の水素移動エネルギ等多くの物性値の再現に成功した。水素化物については高温条件までのシミュレーションで構造の安定性を確認し、水素化物結晶が混在する系を取り扱えることを示すとともに、鉄水素系の研究と比較して妥当な結合エネルギーが得られることを明らかにした。これらはいずれもジルコニウム系ポテンシャルとして世界で初めての成果であり、固溶体中の欠陥-水素間相互作用や固溶体-水素化物界面が関与すると考えられている諸脆化プロセスの検証手段として、ジルコニウム水素脆化機構解明に貢献するものと考えられる。

これらの成果を踏まえて第5章では結論を述べるとともに、第6章において微視的スケールから水素脆化機構の理解を進めていく上で今後取り組みが必要となる具体的課題を整理している。

以上を要するに、本論文は原子力工学の中核をなす核燃料工学に寄与するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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