学位論文要旨



No 126863
著者(漢字) 熊谷,友多
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,ユウタ
標題(和) 水-シリカ界面における放射線誘起反応の研究
標題(洋)
報告番号 126863
報告番号 甲26863
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7504号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 岡本,孝司
 東京大学 准教授 工藤,久明
 日本原子力研究開発機構 主任研究員 永石,隆二
内容要旨 要旨を表示する

シリカやアルミナ、ジルコニアのような固体酸化物との共存下にある水では、放射線分解による水素の発生量が増加するなど、放射線効果がバルクの水溶液とは異なることが報告されている。この固液界面における特異な放射線効果は放射線化学の基礎的な研究対象であると同時に、原子力工学を始めとする様々な分野における重要な界面現象と関連している。

例えば、原子炉の水化学では、原子炉材料との界面にある水や、材料表面に生じた亀裂に取り込まれた水への放射線効果を考えることができる。また、放射性廃棄物の地層処分では、多重バリアシステムを構成する様々な物質との共存下で地下水の放射線分解が生じると考えられる。さらに、界面におけるラジカル反応に注目すれば、セラミック材料の表面改質技術や、鉱物粉塵の肺への影響など、幅広い分野と基礎的な関連を見出すことができる。

このため、水と固体酸化物との共存状態における特異な放射線効果の基礎を解明することができれば、界面と放射線、ラジカルの関わる多くの分野の進展に貢献できると考えられる。

そこで、これまでにも特異な放射線効果について報告の多い水-シリカ界面に着目し、放射線による活性種の発生から最終的に観測される放射線効果に至る反応経路への界面の効果を基礎的に明らかにすることを本研究の目的とした。特に、界面の存在下での水の放射線分解生成物の反応過程の多くは明らかにされておらず、固液共存下での放射線効果の理解に向けた課題と言える。

そのために、本研究ではまず、二クロム酸イオンの放射線誘起還元反応に対するシリカゲルの添加効果を調べた。その結果、活性種の収量変化に加えて、水の分解で生じるOHラジカルの反応経路がシリカゲルの添加により影響を受ける可能性を見出した。次に、このOHラジカルの反応経路に対する影響を詳しく調べるため、ナノサイズのシリカコロイド共存下でのOHラジカルの反応を時間分解で観測した。これにより、OHラジカルの捕捉反応が水-シリカ界面で起きることを明らかにした。一方で、シリカコロイド共存下での水和電子の反応挙動を時間分解で調べた結果、水-シリカ界面と水和電子の直接の相互作用はほとんどないことが分かった。以下では研究の結果をより具体的に述べ、最後に本研究の結果から示唆される水-シリカ共存系での特異な放射線効果のメカニズムについて述べる。

まず、二クロム酸イオンの放射線誘起還元反応に対するシリカゲルの添加効果について述べる。過塩素酸酸性の二クロム酸カリウム水溶液に対して、9.1 wt.%までのシリカゲルを添加し、ガンマ線照射による二クロム酸イオンの還元量を測定した。その結果、シリカゲル添加量に応じた還元収量の増加が観測された。9.1 wt.%のシリカゲルの添加により、二クロム酸イオンの還元収量は25%程度増加した。一方で、シリカゲルの共存による還元収量の増加はt-butanolもしくは銀イオンを水溶液に添加することによって抑制された。t-butanolを100mM含む試料においても、シリカゲルの共存によって二クロム酸イオンの還元量は僅かに増加したが、シリカゲルを添加することによる放射線エネルギーの吸収量の増加を考慮すると、二クロム酸イオン還元収量の増加は認められなかった。水溶液中の放射線誘起反応においてt-butanolはOHラジカルの捕捉剤となる。そのため、t-butanolの添加によってシリカゲルの共存効果が抑制されたことから、シリカゲルの共存効果が生じる過程においてOHラジカルの反応挙動が重要であることが示唆された。銀イオンの添加では、水溶液中の銀イオン濃度の増加に従って、シリカゲルの共存による二クロム酸イオン還元量の増加は抑制された。銀イオン濃度が100μMを越えると、還元量の増加は半分以下となり、シリカゲル添加による放射線エネルギーの吸収量の増加を考慮した場合には、シリカゲル共存による還元収量の増加はわずかであった。銀イオンは放射線の水分解で生じるOHラジカルおよびH原子と反応するため、銀イオンの添加は活性種の反応経路を大きく変える。従って、銀イオンの添加によるシリカゲル共存効果の大幅な抑制から、シリカゲル共存効果が水溶液中の活性種の反応動力学に強く依存していることが示唆された。

そこで、水-シリカ共存系における活性種の反応挙動を明らかにするために、ナノサイズのシリカコロイドを用いて、パルスラジオリシス法により、OHラジカルおよび水和電子の過渡挙動を時間分解で調べた。まず、OHラジカルの反応挙動に対するシリカコロイド共存効果として、シリカコロイドによるOHラジカル捕捉反応が観測された。粒径の異なるシリカコロイドについてOHラジカルとの反応性を調べた結果、シリカコロイドのOHラジカルに対する反応性は、およそ粒径の2乗に比例して増加することが分かった。このため、シリカコロイドによるOHラジカル捕捉反応はシリカコロイド表面での反応であると考えられる。また、シリカコロイド共存下ではシリカコロイドによるOHラジカル捕捉反応の生成物と考えられる過渡吸収が紫外領域に観測された。反応物がOHラジカルであること、シリカコロイドによるOHラジカル捕捉反応が表面反応であると考えられること、および光吸収スペクトルの類似性から、生成物はシリカ表面上のnon-bonding oxygen hole center(≡Si-O●)であると推定し、OHラジカルとシリカ表面のシラノール基との反応を提案した。一方で、シリカコロイドによるOHラジカル捕捉能は水溶液のpHに依存することが観測された。シリカコロイドによるOHラジカル捕捉能は、pHの低下とともに増加する傾向にあり、シリカコロイド表面のOHラジカルに対する反応性は、pH 8からpH 4にかけて、少なくとも3倍程度に増加することが推察された。ただし、シリカコロイドのOHラジカル捕捉能の増加は、pHの低下に対して単調ではなく、pH 7では捕捉能が特異的に高くなり、pH 7からpH 6にかけて捕捉能の減少が観測された。pH 7からpH 6にかけての捕捉能の減少には、pH 6以下で粒径の増大が観測されたことから、粒子の凝集が影響していると考えられる。pHの低下に伴うシリカコロイドとOHラジカルとの反応性の増加から、シラノール基の電離状態に依存して変化する界面の水分子の構造が、シリカコロイド表面とOHラジカルとの反応に関係している可能性が考えられる。

一方で、水和電子の反応挙動に対しては、シリカコロイドの共存はほとんど影響を与えなかった。粒径の異なるシリカコロイドについて、水和電子の減衰挙動を時間分解で測定し、その共存の影響を調べたが、pH 8では、最も粒径の小さい平均粒径1.2nmのシリカコロイドについて僅かな影響が観測された以外には、水和電子の減衰挙動にシリカコロイド共存による有意な変化は観測されなかった。また、平均粒径2.8nmのシリカコロイドでは、pH 4からpH 8までのpH領域で水和電子の減衰挙動を調べたが、シリカコロイド共存による減衰挙動の有意な変化は認められなかった。ただし、水溶液がOHラジカル捕捉剤を含まない場合には、シリカコロイドの共存によって水和電子の減衰速度が遅くなった。これは、シリカコロイドによるOHラジカル捕捉反応が、水和電子とOHラジカルとの反応を抑制したためと考えられる。また、シリカコロイド共存下では水和電子と過酸化水素との反応が遅くなることも観測された。これは、シリカコロイドによる過酸化水素の吸着や触媒的な分解によって、水和電子との反応が抑制されたためと考えられる。

以上で述べた本研究の結果からは、水-シリカ共存系における特異な放射線効果は次のようにして現れると考えられる。水の放射線分解によって生じる主な活性種である水和電子とOHラジカルのうち、酸化性のOHラジカルは共存するシリカに捕捉され、水溶液中の酸化反応が抑制される。一方で、水和電子は共存するシリカの影響を受けることなく、水溶液中での還元反応に寄与する。そのため、水溶液中には還元的な雰囲気が作られる。従って、水-シリカ共存系における特異な放射線効果として多くの報告がある水素の発生については、共存シリカによるOHラジカル捕捉反応が、水素とOHラジカルの反応を抑制し、水溶液中の水和電子の一部が水素の生成に寄与するために水素の発生量が増加すると考えられる。また、シリカコロイド水溶液中での水和電子の過渡挙動を調べた限りにおいては、例えば、表面反応などを通して、シリカの共存によって水和電子から積極的に水素を発生させる反応は起きていないと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

水は身近で最もポピュラーであることから、水の放射線分解についてはこれまで多くの知見が蓄積されてきた。しかし、これらはバルク水の放射線分解であった。近年になり、原子力の分野で放射性廃棄物の地層処分、原子力材料の腐食、固体界面のラジカル反応等の課題を検討する上で、局所空間の水の放射線分解、固体界面の水の放射線分解の理解が重要であることが認識され、固液共存・不均一系での水の放射線化学の研究が進められるようになり、固体酸化物のエネルギー・電荷移動、固体酸化物共存による反応過程への影響、最終生成物などの観点での研究が進められている。

本研究では、放射線化学の理解を固液共存・不均質系へ拡張を行うことを目指して、水-固体酸化物共存下での特異な放射線効果の観測、放射線分解で生ずる活性種の反応過程を明らかにし、そのメカニズムの解明と、反応全体の整合的な描像を追究するため、これまでにある程度の知見が蓄積され、高純度試料の調整が比較的容易な水-シリカ共存系を対象に、捕捉剤を用いた定常照射実験と時間分解能を持ったパルスラジオリシスによる実験を行った。

本論文は七章からなり、第一章では上に述べたような背景と、本研究の目的を述べている。

第二章は実験方法をまとめている。まず、不純物を極力排し、ナノサイズに粒径を整えたシリカコロイドの調整法についてまとめ、調整したシリカコロイドの特性評価として粒径,表面電離量測定法について述べている。放射線照射に使用したパルスラジオリシス法、ガンマラジオリシス法についても述べている。

第三章は酸性水溶液中での二クロム酸イオンの放射線誘起反応に与えるシリカゲルの効果について測定したものである。二クロム酸水溶液の放射線反応機構は確立しており、放射線照射で生ずる水分解生成ラジカルのうちH原子とH2O2が二クロムイオン(Cr2O72-)を還元、OHラジカルが酸化し、全体では還元され、その還元量を測定することにより線量計として利用される。これに10%のシリカゲル添加で二クロム酸イオンの還元収量が25%増大する。t-ブタノールを含む二クロム酸水溶液を用いた実験ではOHが捕捉され、そこで生成したラジカルが還元に回るので還元収量は大幅に増加し、しかもシリカ添加量には依存しなくなる。Ag+イオン存在下の二クロム酸水溶液にシリカゲルを加えるとAg+濃度増加とともに還元収量は減少した。これらのシリカゲル添加実験をもとにシリカゲルからの活性種の発生、吸着した二クロム酸の界面での還元、OHラジカルによる酸化反応の抑制などの可能性が検討され、そのうち最後の寄与が最も大きいと結論されている。

第四章はパルスラジオリシス法を用いてOHラジカルの反応過程に対するシリカ共存の影響を明らかにしている。ナノサイズのシリカコロイドとして粒径,1.2, 2.5, 5.3nmの三種類を用いて、フェロシアンイオンFe(CN)64-がOHラジカルと反応してFe(CN)63-を生成するが、これに対するシリカコロイドの添加効果を評価し、OHラジカルがシリカコロイドと反応することを明らかにした。さらに、粒径を変化させたシリカコロイドの反応性を粒子重量、粒子数、総表面積との比較から、反応性が表面積に比例すると結論している。さらに、OHラジカルとの反応で生成する紫外領域の吸収はシリカ表面に形成された≡Si-O.や≡Si-O-O.の吸収で説明でき、表面の表面シラノール基とOHラジカルとの反応を推定している。さらに、この過程を確認するためにOHラジカルとの反応性のpH依存性も検討し考察した。

第五章は水分解でOHとほぼ同量生成する水和電子とシリカコロイドの反応性を検討している。パルスラジオリシス法により水和電子の吸収の減衰をシリカコロイドの粒径毎に添加量を変化させて観測した。その結果、水和電子とシリカコロイドとは反応性が低いことを明らかにした。過酸化水素存在下での測定も行い、水和電子と過酸化水素の反応性がシリカコロイド存在下で減少することを見いだし、その原因として過酸化水素がシリカコロイドへ吸着、あるいは表面で分解する等の可能性を挙げている。

第六章は考察の章で、実験で得られた結果をもとにOHラジカルとの反応性について議論するとともに、既往の結果との比較を行っている。

第七章は結論で、本研究をまとめるとともに今後の課題と展望を述べている。

以上、要すればシリカコロイド、シリカゲルを対象に水-固体酸化物共存下での特異な放射線効果の観測、放射線分解で生ずる活性種の反応過程を明らかにした。放射線効果研究として原子力工学への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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