学位論文要旨



No 126864
著者(漢字) 近田,拓未
著者(英字)
著者(カナ) チカダ,タクミ
標題(和) 酸化エルビウム薄膜中の水素透過挙動研究
標題(洋)
報告番号 126864
報告番号 甲26864
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7505号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 准教授 鈴木,晶大
 東京大学 准教授 下山,淳一
内容要旨 要旨を表示する

化石燃料の依存度が小さいエネルギー消費形態へ移行しエネルギーセキュリティを確保するために、原子力エネルギーの有効利用と水素エネルギーシステムの構築が有望とされている。それらの技術における材料分野で懸念されている重大な技術課題の一つとして、金属の水素脆化および水素の損失があり、高温で水素を扱う軽水炉燃料被覆管、水素化物高速炉燃料被覆管、核融合炉ブランケット配管、固体酸化物型燃料電池などにおいては、水素脆化による容器・配管の劣化と水素の重大な損失が起こると考えられている。これらの課題を克服する手法として、水素の透過を低減する薄膜を設置することが検討されており、数十年来酸化アルミニウム等のセラミック薄膜が水素透過防止性能を示すことが報告されている[1,2]。しかし、過去に作製された薄膜の透過防止性能は論文毎に4桁程度の大きなばらつきがあり、また薄膜の微細構造と水素透過挙動の関連性がほとんど研究されていないため、どの膜質が水素透過防止性能に寄与するかが明らかになっていない。そこで本研究では、セラミック薄膜の微細構造の分析と水素透過挙動の検討を通して、薄膜中の水素透過機構を解明することを目的とする。

本研究では、水素透過防止性セラミック薄膜の材料として、酸化エルビウム(Er2O3)を用いた。この材料は、熱力学的に最も安定な酸化物の一つで、良好な化学的安定性、電気絶縁性が過去の研究で示されており[3,4]、これらの諸特性は高温、強還元性雰囲気といった過酷な環境で使用される水素透過防止膜においてもきわめて重要である。Er2O3薄膜は、過去の研究で低不純物、高密着性の薄膜が得られ、高い液体金属リチウム耐食性を示した真空アーク蒸着法を中心に作製し、もう一方の手法として、湿式法の一種で配管内面や複雑な形状にも成膜可能でプラント規模の適用が有望とされる有機金属分解(Metal-Organic Decomposition,MOD)法を用いた。基板温度や熱処理雰囲気などの成膜パラメータを変化させ、膜質の異なる試料を作製した。基板材料については、オーステナイト鋼、フェライト鋼、核融合炉構造材料の候補である低放射化フェライト鋼/マルテンサイト鋼を用いた。

薄膜試料の分析は、表面、断面観察、結晶構造分析、結晶粒の観察によって実施した。薄膜試料の表面および断面観察では、いずれの手法においても、基板酸化物層が薄膜の剥離や不均一性を引き起こしていることがわかり、低減することで平滑な薄膜が得られることがわかった。そのため、真空アーク蒸着法では基板非加熱にて、またMOD法では基板の酸化を低減しEr2O3のみ結晶化させるために高純度水素と水蒸気の混合ガスを熱処理雰囲気として用いることが重要であることがわかった。薄膜の結晶構造の解析では、断面観察同様、剥離や不均一さの見られた試料では基板酸化物のピークが確認された。また、真空アーク蒸着法では室温で成膜すると酸化エルビウム薄膜は内部応力が大きい場合に生成する単斜晶の構造を有していたが、基板温度高温で成膜する、もしくは室温で成膜後、高温で熱処理すると、一般的な結晶構造である立方晶になることが確認された。薄膜の結晶粒の観察においては、真空アーク蒸着法で成膜した試料はいずれも柱状の結晶が確認され、その横幅の平均は基板温度が高くなると大きくなることがわかった。基板を非加熱および973 Kに加熱して作製した試料の結晶粒径は、それぞれ平均で20nmと200nmであった。MOD膜については、結晶構造は柱状ではなく、また平均の結晶粒径は30nmであった。

試料の水素透過特性の測定は、図に示すガス透過型水素透過装置によって実施した。平板試料両側をNi製のメタルシールで挟み込み、両側をそれぞれ10-6 Pa程度の超高真空に排気した後、片側に重水素ガスを最大で1気圧程度導入し、電気炉で一定温度に加熱した試料を通して排気側(下流)に透過してきた重水素フラックスを四重極質量分析計でイオン電流値として検出した。本研究では薄膜組織がより明確に確認可能であった真空アーク蒸着法で成膜した試料を主として用い、MOD法で成膜した試料の結果と比較することで透過挙動を検討した。

各種基板および真空アーク蒸着法、基板非加熱で作製した膜厚約1 μmの薄膜試料について、773 Kにおいて水素透過フラックスと重水素圧力の関係を調べた。基板では透過フラックスが1桁程度異なっていたが、薄膜試料ではその差が小さかったため、薄膜の基板依存性は小さく、重水素の透過は薄膜のみに制御されることが示された。さらに、透過フラックスが重水素圧力の0.5乗に比例していたことから、水素は膜中で解離して拡散律速で移動していることが示唆された。一方、MOD法で作製した薄膜試料では、重水素圧力の指数が0.7-0.9を示し、試料表面の不均一性による表面での吸着の効果、および基板酸化物層における表面反応が示唆された。

薄膜の膜厚依存性については、1 μm以上の試料では膜厚と透過フラックスが反比例の関係になったが、0.3 μmの試料では反比例の関係が成り立たなかった。試験後の0.3 μmの試料表面を観察すると、基板が露出している箇所が見られたことより、膜厚が小さい場合、薄膜が部分的に剥離し水素の透過経路となることがわかった。この結果をもとに被覆率と透過係数のモデル化を行ったところ、モデルおよび表面観察の結果から得られた被覆率は0.5%の誤差で一致した。MOD法で成膜した試料については、真空アーク蒸着法で成膜した場合よりも被覆率が高く、0.1 μm程度の膜厚でも高い被覆率を有していることが示された。

MOD法で作製した基板酸化物層の厚い薄膜試料は、透過試験中に透過防止性能が大きく劣化する場合があった。初回の試験においては基板に対し高い水素透過防止性能を有していた試料においても、温度を変化させ試験を繰り返すことで劣化した。この挙動より、温度変化によって薄膜中に剥離やクラックが生じたと考えられ、基板酸化物層に原因があることが示唆された。一方で、基板酸化物層のない真空アーク蒸着膜については、773-973 Kで7サイクル繰り返し透過試験を行ったが、劣化は見られず、熱負荷にも高い耐久性を示すことがわかった。

基板非加熱で成膜した薄膜試料の試験において、773 Kでの透過試験中に透過フラックスが試験開始直後の25%以下に減少した。しだいに透過フラックスは定常値に収束したが、さらに昇温して試験を行うと、再び同様な透過フラックスの減少が起こった。この現象を調べるために透過試験前後の試料断面を観察すると、試験前後で温度に応じて柱状結晶の横幅が増加し、また結晶構造が単斜晶から立方晶に変化することがわかった。これより、薄膜中の結晶構造の変化および結晶成長によって水素透過防止性能が向上することが示唆され、水素が薄膜中の粒界に沿って移動(粒界拡散)した可能性が示された。この結果を踏まえ、薄膜の柱状結晶粒界を水素が拡散するモデルによる水素透過の計算を行うと、773 Kにおける透過フラックスの減少を精度良く再現することが可能となった。しかし、873 K以上においては実測値とずれが生じ、粒界拡散だけでなく格子拡散の寄与が無視できなくなったと考えられる。また、MOD膜については、均一かつ明確な層構造や結晶粒界が観察できず、モデルとの比較が困難だった。

基板片面および両面に真空アーク蒸着法で成膜した場合、片面成膜試料と比較して両面に成膜した試料は透過係数が1桁以上低いことがわかり、また873 Kにおいて基板の1/105というきわめて高い透過防止性能を示した。実効的な膜厚が等しい場合においても透過係数に大きな差が生まれたことから、薄膜内の拡散距離以外の要素に起因することが示唆された。アレニウスプロットの傾きより透過の活性化エネルギーを求めると、両面被覆の場合が大きいことがわかり、膜中の拡散経路および拡散距離以外に薄膜表面の解離・固溶の過程が水素透過低減に大きく影響を与えることが明らかになった。

薄膜中の透過挙動結果のまとめとして、総合討論としてセラミック薄膜中の水素透過モデルの統合を行った。被覆率、結晶粒径、およびエネルギー障壁を変数として水素透過の評価式に導入し、Er2O3薄膜試料の実験値を基に評価を行い、実験値との比較からこれらの変数によってセラミック薄膜試料中の水素透過挙動が記述できることを示した。また、統合モデルの考察を通して、水素透過防止膜としてのEr2O3薄膜の2種の成膜手法についての総合評価、また実用に向けての課題についてまとめ、今後の指針を示した。

[1] V.A. Maroni and E.H. Van Deventer, J. Nucl. Mater. 85&86 (1979) 257-269.[2] G.W. Hollenberg, E.P. Simonen, G. Kalinin, et al., Fusion Eng. Des. 28 (1995) 190-208.[3] B.A. Pint, P.F. Tortorelli, A. Jankowski, et al., J. Nucl. Mater. 329-333 (2004) 119-124.[4] A. Sawada, A. Suzuki, H. Maier, et al., J. Nucl. Mater. 75-79 (2005) 737-740.

図 水素透過装置概念図

審査要旨 要旨を表示する

先進原子力エネルギー技術および水素エネルギーシステムにおいて水素の制御はきわめて重要であるが、構造材料として使われる金属および合金の多くは、高温で水素を透過しやすく、また水素脆性を起こして材料の諸特性が劣化するという検討課題が存在する。そして、その解決法として、水素透過防止性の薄膜を配管等に施すことが検討されており、現在まで核融合炉工学分野で酸化アルミニウム等のセラミックス材料を用いた薄膜の研究が行われてきた。しかし、既往の研究で得られたセラミック薄膜試料の水素透過防止性能は研究毎に4桁程度のばらつきがあり、また焼結体と比較して数桁低く、その原因としては、剥離やクラックの存在、透過の速い組織の存在、格子欠陥といった結晶性のばらつきといった原因が考えられていた。また、過去の水素透過防止膜の研究において最も本質的な問題は、薄膜による水素透過低減のメカニズムが解明されていないため、実用化に向けた設計指針が策定できないことであった。一方で、近年、核融合炉工学分野の高温、強還元性雰囲気で用いる電気絶縁性薄膜として研究が行われてきたセラミック材料の中で、酸化エルビウムは焼結体および高密着性、高結晶性の薄膜においてどの他の候補材料よりも高い耐食性を示しているが、耐環境性薄膜として有望な酸化エルビウム薄膜の水素透過防止膜としての研究例は少なく、薄膜試料の作製手法や作製パラメータを検討することによって、高い透過防止性能を得られる可能性があるだけでなく、薄膜のミクロ/マクロ構造の詳細な分析と水素透過挙動の検討を行うことによって、膜質が水素透過防止性能に与える影響を解明することができると考えられている。しかし、実用化の観点では、配管内や複雑な基板形状への真空アーク蒸着法による成膜は困難であり、液相法などの成膜手法の開発を並行して進めていく必要がある。

本研究は、このような背景のもとで、耐環境性薄膜として有望な酸化エルビウムを、水素透過防止膜の候補材料として、実用化に向けた成膜手法の開発を進めるとともに、膜質が透過挙動に与える影響を詳細に調べ、薄膜中の水素透過機構の解明を進めることで、核融合炉ブランケットをはじめとした水素透過防止技術の設計指針に資することを目的として研究を行ったもので、全体は6章から構成されている。第1章は序論であり、本研究の背景と目的について述べている。

第2章では、酸化エルビウム薄膜の作製方法と作製した試料の分析結果について述べている。高温液体リチウム共存性試験の結果が最も良好であった低不純物、高結晶性の薄膜が得られる真空アーク蒸着法と、配管内面に成膜可能でプラント規模の適用が期待される液相法としてMOD法を用いて、鋼材基板上に各種パラメータを変化させた薄膜を作製した。顕微鏡観察や微細構造の分析を通して成膜パラメータの最適化を行うとともに、水素透過防止膜の性能に関わるミクロ/マクロ構造について分析を行った。薄膜の剥離を低減するには、基板に生じた酸化物層の生成の抑制が最も重要であることが明らかになった。それに伴い、真空アーク蒸着法では基板非加熱で成膜すること、またMOD法では水素に水蒸気を混合した雰囲気で熱処理することが有効であることがわかった。また、結晶構造解析により、基板温度や熱処理温度によって薄膜の結晶性が変化すること、真空アーク蒸着法では、基板非加熱では柱状に成長した単斜晶の結晶構造が見られ、高温では立方晶に変化すること。基板非加熱と基板温度973 Kでは、結晶粒界の平均横幅がそれぞれ20±5nm、200±10nmとなり、高温の方が大きいことが述べられている。

第3章では薄膜中の水素透過挙動について述べている。分析した試料の膜質の情報を基に、水素透過特性を調べるために重水素と質量分析計を用いた水素透過装置を製作し、透過試験を行った。透過試験からは、主に5つの膜質のマクロ/ミクロ構造が透過挙動に与える影響について明らかにした。各種基板材料上に成膜した薄膜試料の水素透過フラックスにおける基板依存性は小さく、水素は薄膜のみに透過を制御されていることがわかった。また、水素は薄膜中で解離し、原子状態で拡散して移動していることがわかった。基板酸化物層のない試料については、熱サイクル下での長期間の透過試験においても薄膜が劣化しなかったが、基板酸化物層が厚い場合はクラック発生などのμm-mmオーダーの構造の変化による致命的な劣化が短期間で起こった。nmオーダーの構造が透過防止性能に与える影響としては、真空アーク蒸着法によって基板非加熱で成膜した場合、試験初期の透過フラックスの減少と試験後分析から薄膜結晶中の欠陥量と透過フラックスの関係を指摘し、結晶構造解析と結晶粒径の観察からその関係を検証している。両面成膜試料では、片面成膜試料と比較して1桁以上高い過去最高の水素透過防止性能が得られ、活性化エネルギーの観点から裏面での寄与が片面成膜試料の透過防止性能に掛け合わされたことを見出した。また、薄膜が重水素高圧側と低圧側に設置した場合では、透過挙動に関わる素過程が異なることを示唆する結果が得られている。

第4章では、第3章での実験結果から得られた膜質と水素透過挙動の関連性から水素透過機構の解明を進めるために、水素透過の予測をモデル化によって検討している。剥離やクラックといったμm-mmオーダーの構造の変化として被覆率についてのモデルを検討し、実験結果との比較によりモデルの妥当性と他の成膜手法への適用性を示した。膜内のnmオーダーを焦点とした構造に基づく透過挙動のモデルとして、結晶粒界を欠陥の代表として粒界中を水素が移動する粒界拡散モデルを検討し、過去の研究との共通点から粒界構造の単純化に基づく計算を行うことで、限られた制約条件の中で実験値の精度の良い再現を可能とした。また、2つの適用スケールの異なるモデルの統合を通してマクロとミクロの関係を調べ、より高い水素透過防止性能を得るためには、きわめて被覆率の高い薄膜を作製することが必要条件で、その上で結晶中の欠陥量を低減すること、もしくは粒界構造に留意して粒界拡散係数の小さい材料を適用することが重要であることを示した。続いて、MOD法で成膜した試料で見られた不純物の影響や多層構造による影響を考察し、より実用的な環境における水素透過予測の検討を行った。透過防止性能の寄与が積で表されることを表面挙動で得られた知見を基に示し、膜同士の寄与を調べることの重要性を述べた。また、それぞれのモデルにおいてミクロ/マクロ構造の関係に注意して、適用スケールについて整理し、スケールアップに向けての検討事項をまとめている。

第5章は結論であり、本研究で得られた成果を総括している。また、第6章では、今後の課題と展望について取りまとめている。

以上をまとめると、本論文は、酸化エルビウム薄膜の実用的な成膜手法の開発とともに、膜中の水素透過機構の解明を進め、水素同位体の制御が必要不可欠である核融合炉ブランケット分野をはじめとした高温で水素を取り扱う様々な技術において、水素透過防止システムの設計指針となる知見を提供したものであり、原子力工学、特に核融合炉工学に貢献するところが少なくない。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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