学位論文要旨



No 126867
著者(漢字) 端,邦樹
著者(英字)
著者(カナ) ハタ,クニキ
標題(和) 抗酸化物質エダラボンによる化学的放射線防護作用の研究 : 水分解ラジカル捕捉とDNA損傷前駆体の化学回復
標題(洋)
報告番号 126867
報告番号 甲26867
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7508号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 特任准教授 石川,顕一
 日本原子力研究開発機構 グループリーダー 横谷,明徳
内容要旨 要旨を表示する

序論

体内では絶えず活性酸素(Reactive Oxygen Species: ROS)と呼ばれる酸化性活性種が発生しており、がんや脳梗塞、心疾患などの原因物質として知られる。ヒドロキシルラジカル(・OH)、スーパーオキシドアニオンラジカル(O2・-)、過酸化水素(H2O2)、一重項酸素(1O2)などが代表的なROSとして挙げられる。ROSによる酸化損傷を防ぐ物質として抗酸化物質が知られており、ROS発生の抑制、ROSの除去、ROSによって受けた損傷部位の化学的な修復などを行う。

ROSの1つである・OHは、生体内の水の放射線分解によっても発生し、DNAの放射線誘起損傷の原因の1つとなっている。多くの抗酸化物質はROSによる酸化損傷を抑制するため、近年放射線防護剤としての利用も検討されている。抗酸化物質の作用から類推される放射線防護作用は、ROSの除去と損傷部位(特にDNA)の化学的な修復(化学回復)であると考えられている。

エダラボン(3-methyl-1-phenyl-2-pyrazolin-5-one)は抗酸化作用を示す薬剤であり、脳梗塞時に発生するROSの抑制や過酸化ラジカル連鎖反応の阻害などを行う。また、AnzaiらによるマウスへのX線照射実験において、エダラボンの高い放射線防護効果が示されており、放射線防護剤としての利用も期待されている。

過去の研究に基づいて提案されてきたエダラボンの抗酸化反応メカニズムを図1に示す。アルカリ条件下の反応性が高く、エダラボンアニオン(pKa=7)が酸化性ラジカルと反応し、電子移動反応によるエダラボンラジカルが発生する。エダラボンラジカルは最終的には安定な化合物にいたる。この反応メカニズムは過酸化ラジカルとの反応などから推測されてきた。しかし、放射線環境下で発生する・OHやDNAラジカルとの反応(化学回復)については、これまでほとんど報告がない。また、エダラボンの放射線防護効果が知られている一方で、低濃度条件ではエダラボンは放射線増感剤として作用するという報告もSasanoらによってなされている。このような背景から、エダラボンの放射線防護剤としての利用に先立ち、放射線環境下におけるエダラボンの振る舞いを理解する必要がある。

本研究は、「放射線環境下で想定されるエダラボンの反応を調べ、そこで得られる知見から、エダラボンが放射線防護剤として有効に機能するのかどうかを検証する」ことを目的とし、以下の2点に着目して実験を行う。

(1) エダラボンの水分解活性種捕捉作用

・OHなどの水分解活性種との反応を観測し、反応性や反応メカニズムを調べる。

(2) エダラボンの化学回復作用

DNAのモノマーであるdGMPのラジカルをエダラボンが還元する作用や、DNA上に発生した損傷前駆体へのエダラボンの化学回復作用を検出する。

得られた結果と過去の報告との類似点や相違点を考察し、エダラボンの放射線防護剤としての有用性や注意点などを議論する。

エダラボンと放射線水分解活性種との反応

エダラボンの水分解活性種捕捉作用の測定をパルスラジオリシス法により行った。電子線パルスをエダラボン水溶液に照射し、照射直後に生じる水分解ラジカルとエダラボンとの反応を、試料溶液の光吸収の変化から、観測した。

はじめに、水の放射線分解の主生成物の1つである水和電子との反応を観測した。反応性はpHに依存して変化した。中性条件下の反応速度定数は(2.4±0.2) ×109 M-1s-1と得られ、エダラボンアニオンラジカルの発生が示唆された。

次に、・OHとの反応を観測した。観測されたエダラボンラジカルの吸収スペクトルは320nmに吸収ピークを持ち、この反応の速度定数は(8.5±0.4) ×109 M-1s-1と評価された。吸収スペクトルと反応速度定数のpH依存性は小さかった。・OHとの反応が従来報告されてきた反応メカニズムに従うのならば、速度定数等がpH依存性を示すはずである。エダラボンと・OHとの反応が従来推測されてきたものと異なるのかどうかということを確認するために、他の酸化性ラジカル(CCl3O2・、N3・、Br2・-、SO4・-)とエダラボンとの反応を観測した。これらの酸化性ラジカルとの反応は電子移動反応であると考えられる。得られたエダラボンラジカルの吸収スペクトルは345-350nmに吸収ピークを示した。このエダラボンラジカルは・OHとの反応によって得られるエダラボンラジカルとは異なるものであることが示された(図2)。これにより、エダラボンと・OHとの反応はOH付加反応であると推察された。

エダラボンのOH付加サイトを明らかにするために、エダラボン誘導体を用いた比較実験を行った。エダラボンのフェニル基をピリジル基で置換した誘導体1,3-dimethyl-2-pyrazolin-5-oneと・OHとの反応により観測された吸収スペクトルは、N3・との反応により観測された吸収スペクトルとよく一致した。これにより、エダラボンのフェニル基が主なOH付加サイトであると示された。他の誘導体と・OH、N3・との反応の吸収スペクトルの形状からもエダラボンのフェニル基へのOH付加反応が強く示唆された。

量子化学計算により、最も起こりうるOH付加サイトの推測を行った。最も安定化する反応として、フェニル基のオルト位へのOH付加反応が示唆された。

抗酸化物質によるdGMPラジカルの還元

エダラボンの化学回復作用の測定のモデル実験として、エダラボンによるdGMPに発生するラジカル(dGMP・)の還元反応の測定を行った。(還元後、もとのdGMPが復元されることを示す実験ではないので、ここでは「回復」という言葉の使用を避ける。)実験にはパルスラジオリシス法を利用した。dGMPとエダラボンの濃度差を調整して、・OHがdGMPと選択的に反応する系を作成し、dGMP・とエダラボンとの反応による吸収スペクトルの変化を観測した。dGMP・の減衰速度はエダラボンの濃度に依存して速くなった。また、350nm付近に吸収ピークを持つエダラボンラジカルの発生が示唆され、電子移動反応によってエダラボンがdGMP・を還元しているものと考えられた。dGMP・とエダラボンとの反応速度定数は4.1ー4.3-108 M-1s-1と評価され、比較のために行ったアスコルビン酸によるdGMP・の還元反応の速度定数とほぼ同じであった。エダラボンがアスコルビン酸と同様、DNA損傷前駆体に対する化学回復剤としても有効に機能しうるということが期待された。

プラスミドDNA損傷前駆体に対する抗酸化物質の化学回復作用

DNAに対する抗酸化物質の化学回復作用はこれまであまり明確には示されていないため、はじめに測定系の確立を行い、アスコルビン酸の化学回復作用を検出した。その結果とエダラボンについて測定した結果とを比較することで、エダラボンの化学回復効果について検討した。pUC18プラスミドDNAの希薄水溶液に抗酸化物質を添加し、γ線照射した。照射により生じる一本鎖切断(SSB)や、Nth、Fpg、Nfoの3種類の塩基除去修復酵素によって認識されるピリミジン塩基損傷、プリン塩基損傷、塩基脱離部位(APサイト)の収量(G値)の評価を行った。抗酸化物質無添加の系におけるG値に対する抗酸化物質添加系におけるG値の比率を"G(相対)"とした。測定は空気飽和系で行った。抗酸化物質が・OH捕捉剤としてのみ作用すると仮定すると、抗酸化物質濃度に依存して、各損傷のG(相対)は等しく変化することが予測される。

アスコルビン酸についてG(相対)を評価したところ、SSBのG(相対)と比較して他の損傷のG(相対)が小さくなった(図3)。酵素に認識される塩基損傷やAPサイトの前駆体に対してアスコルビン酸の化学回復効果があると考えられた。

エダラボンについて同様にG(相対)を評価したところ、Nfoに認識される損傷を抑制する効果は見られたものの、Nth、Fpg認識される損傷を抑制する効果はアスコルビン酸の場合と比べて小さかった。N2O飽和系についてエダラボンの化学回復作用を測定したところ、空気飽和系の結果と比べて大きく変化したところはなく、Nfoに認識される損傷を抑制する効果のみ明確に示された。

dGMP・の還元に対する反応性は、アスコルビン酸とエダラボンとでほぼ同じであった。しかし、グアニン塩基の損傷を含むFpg認識損傷に対するエダラボンの抑制効果は小さく、DNAに対する化学回復効果がアスコルビン酸とエダラボンとで異なった。DNAの場合は塩基が二本鎖らせん構造の内側に存在しているため、アスコルビン酸とエダラボンのDNA内部へのアクセシビリティの違いがこの化学回復効果の違いに影響を与えているのではないかと考えている。しかし、この原因を明らかにするには、条件の異なるさらなる実験が必要である。

結論

本研究では、エダラボンの放射線防護作用として「水分解活性種捕捉作用」および「化学回復作用」の2点に着目した測定を行った。

水分解活性種との反応については、水和電子や・OHとの反応性の評価や・OHとの反応の解明を行い、これまでの報告にないエダラボンの反応初期過程のメカニズムを明らかにした。

化学回復については、抗酸化物質の化学回復効果を評価する新しい手法を確立し、その手法に基づいてアスコルビン酸とエダラボンの作用を測定した。塩基損傷に対するエダラボンの化学回復効果はアスコルビン酸の効果と比較して低く評価されたが、APサイトなどへのエダラボンの化学回復効果は示された。

エダラボンは優れたラジカル捕捉剤ではあるが、化学回復剤としての作用は小さい。また、水分解活性種捕捉のメカニズムは従来考えられてきたものとは異なった。今後は最終生成物の同定やその安全性などを評価していく必要があると考えられる。

また、本研究では化学回復作用を検出する新しい手法を導入した。様々な抗酸化物質の化学回復効果を評価する手段として利用されていくことが期待される。

図1 従来調べられてきたエダラボンの抗酸化反応メカニズム

図2 エダラボンと酸化性ラジカルとの反応によって発生するエダラボンラジカルの吸収スペクトル●:・OHとの反応、■:N3・との反応

図3 4種類のDNA損傷のG(相対)のアスコルビン酸濃度依存性■:Nthに認識された損傷、◆:Fpgに認識された損傷、▼:Nfoに認識された損傷、●:照射によって発生したSSB

審査要旨 要旨を表示する

OHラジカル、O2-(スーパーオキサイド)、過酸化水素、一重項酸素などの化学種は活性酸素と呼ばれ、体内の代謝や外部からのストレスで生じ、生体内のDNAなどの損傷などを引き起こし、がん、老化などにも深く関わると考えられている。体内には活性酸素を抑制する機構が備わっているが、過剰なストレスに対しては、抗酸化物質を経口摂取するのが有効で、サプリメントとして販売されている。抗酸化剤は7000種以上も存在するといわれ、植物などに含まれる新しい抗酸化剤の抽出やその作用の研究が進められている。活性酸素のうち、OHラジカルやスーパーオキサイドは放射線照射により生体内で生ずることから抗酸化剤は放射線防護剤としても期待されている。放射線治療における防護剤、増感剤の作用とも深く関わる抗酸化剤や放射線防護剤の作用機構については未だ未解明の部分が多く、現在も精力的に研究が進められている。

本研究は、脳梗塞時の治療薬として臨床で使用され、放射線防護作用が見いだされているエダラボンを対象に、各種水分解ラジカル、酸化ラジカルとの反応性を測定し、抗酸化作用の放射線化学的な実験を実施し、評価した。これをさらに展開して、抗酸化剤による初期のDNA損傷の修復メカニズムを検討するために、プラスミドDNAを用い、電気泳動法と酵素処理を併用した新しい手法を提案し、抗酸化作用の知られたアスコルビン酸とエダラボンの抗酸化作用を検討しその有効性を示した。

論文は5章からなり、第1章では上に述べたような背景を紹介するとともに、本研究の目的をまとめている。

第2章はエダラボンと放射線分解活性種との反応を測定した結果を述べている。反応測定にはパルスラジオリシス法を用い、反応位置の確認のための量子化学計算を行った。エダラボンとOHラジカルあるいは他の酸化性ラジカルとの反応では、異なった生成物が観測され、従来から提案されている電子移動の機構では説明できないことが判った。そこで、エダラボンの各種誘導体を用いた系統的な実験により、OHラジカルはエダラボン分子内のフェニル基に付加反応すると結論した。さらに、量子化学計算からフェニル基のオルト位への付加が優先することを推定している。これにより、新たにエダラボンとOHの付加反応の反応経路が存在することを示した。

第3章はDNAの構成要素のモデルとして、通常最もラジカルが発生しやすいグアニンのモデルであるdGMP(デオキシグアノシン三リン酸)を用いて、dGMPとOHの反応で生成するラジカルのアスコルビン酸とエダラボンによる還元反応をパルスラジオリシス法で測定した。反応性、濃度を調整し、パルス照射で生成するOHラジカルの大部分がdGMPと反応するようにした上で少量加えたアスコルビン酸ないしはエダラボンの影響を測定した。dMGPのOHラジカルとアスコルビン酸あるいはエダラボンとが反応して、各々の酸化したラジカルが生成することを確認した。アスコルビン酸でこの反応が生ずることは既に知られているところで、エダラボンにも同様の作用があることを初めて観測することに成功した。ただし、これが化学修復であることを示すには更なる実験が必要であるとしている。

第4章はモデルDNA(pUC18)を用いて抗酸化作用の評価の新しい実験手法の提案とそれを実際に適用した結果について述べている。DNAの損傷は一本鎖切断(SSB)、二本鎖切断(DSB)を電気泳動法で評価し、抗酸化剤の作用はSSB, DSBの抑制から評価されてきた。しかし、鎖切断以外にDNAの形状を保持したまま損傷が蓄積されている。この情報を引き出すには、損傷に特異に作用する酵素で処理してSSBを誘導し、顕在化させることによって、損傷量の評価に使用できる。これを抗酸化剤の存在下の照射試料に適用すれば、抗酸化剤に特有の修復作用を検出することが可能となる。このアイデアを適用し、ピリジミン塩基損傷、プリン塩基損傷、塩基脱離部に作用する、各々Nth、Npg、Nfoと呼ばれる塩基除去修復酵素を用いた実験を行い、DNA水溶液にアスコルビン酸、エダラボンの添加系で提案した手法が有効であることを示した。この手法は、様々な抗酸化剤を対象とする実験に利用でき、この分野の研究の進展に役立つ成果であることを示している。

第5章は、結論の章で、本研究の成果をまとめるとともに、今後のこの分野の研究展望についてまとめている。

以上要すれば、放射線科学、特に放射線化学、放射線生物の観点からエダラボンの抗酸化作用の初期過程を明らかにするとともに、抗酸化剤の作用研究の新しい実験手法を提案し、実験でその有効性を示した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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