学位論文要旨



No 126868
著者(漢字) 水野,和恵
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,カズエ
標題(和) 四次元放射線化学療法に向けた薬品送達システムの研究
標題(洋)
報告番号 126868
報告番号 甲26868
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7509号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 小佐古,敏荘
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 准教授 出町,和之
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

現在、日本人の3人に1人が癌で死亡しており、抗癌剤と放射線を組み合わせた化学放射線療法が効果の高い治療法として注目されている。しかし正常組織への薬剤分布と被曝により、副作用も同時に増強されてしまうため、患者への負担が大きい。

本問題の解決法として最も有力視しているのが、薬剤送達システムとピンポイント放射線の組Fみ合わせである。放射線のダメージを集中させることに加え、増感作用をもつような薬剤を使用することで、正常組織への被曝を抑え、腫瘍部のみに効率よく物理エネルギーを導入することが可能だと考えられる。近年では、薬剤を高い機能性を持たせたキャリアに内包し、腫瘍組織へ特異的に集積させる「薬物送達システム(Drug Delivery System)」が飛躍的に進展おり、これを利用した抗癌剤が臨床試験段階に入っている。本研究では、放射線療法との併用に適したDDS薬剤の選定、DDS薬剤の体内動態解明、治療スケジュールによる抗腫瘍効果の評価を行った。特に放射光蛍光X線分析は、DDS薬剤の血管浸透性や集積を定量的に評価できるため、キャリアの設計にフィードバックが可能で、創薬にも貢献できるという点で意義がある。

また、薬剤だけでなく放射線照射に関しても高い標的指向性が求められる。ピンポイントビームや強度変調放射線治療(IMRT)により線量を集中させることが可能だが、照射位置の正確な制御が不可欠である。体幹部の照射の位置精度で一番問題となるのは、呼吸に伴う腫瘍や臓器の動きである。呼吸位相に合わせた照射や、4次元CT(4DCT)を利用した腫瘍軌道の取得等が試みられているが、それらの精度を検証するためのツールが普及していないため、計算結果のみを信頼して治療計画を立てているのが現状である。そこで、4次元放射線治療(4DRT)の検証用として、患者の腫瘍の動きを3方向で模擬することが可能な動体ファントムを開発した (図1)。

2.DDS薬剤と放射線の併用療法

2.1 白金製剤含有高分子ミセル

放射線と併用する薬剤の候補として、シスプラチンを含む高分子ミセル(図2)に着目した。シスプラチン(CDDP)は、既に臨床で広く用いられている抗癌剤であり、X線治療に対して増感作用があることが知られている。高分子ミセルは血中滞留性が1~2日間と長く、低い腎毒性と高い腫瘍集積性が確認されている。

2.2 併用に向けて解決すべき問題

白金製剤は臨床で化学放射線療法に広く用いられており、多くの先行研究において、投与後1時間以内に放射線を照射するのが最適と報告されている。しかし高分子ミセルは、臓器への集積特性が従来の白金製剤と異なるため、最適な照射タイミングも異なると考えられる。治療スケジュールを最適化するには、薬剤の体内動態を把握する必要がある。組織レベルでの集積性は誘導結合プラズマ質量分析等を用いて調べられてきたが、白金錯体に蛍光ラベルを直接付加することが困難であることから、細部における分布は明らかになっていなかった。そこで、薬剤に白金が含まれていることに着目し、蛍光X線分析により体内動態を評価した。プローブビームの種類により、感度や分解能に差があるため、組織内分布を放射光蛍光X線分析(SR-XRF)で、細胞内分布をParticle Induced X-ray Emission (PIXE)を用いて測定した。実験内容と得られた成果を図3にまとめた。

2.3 SR-XRFを用いた組織内分布評価

2.3.1 腫瘍における分布

図4はBxPc-3(ヒト膵臓癌細胞)を移植したマウスに、ダッハプラチンミセルを投与し、24時間後に回収した腫瘍切片のSR-XRF分析の結果である。腫瘍切片全体の元素分布を調べ、癌細胞巣(巣の周囲は血管(Fe)、内部は癌細胞(K)により形成される)を特定した。膵臓癌は繊維質が多いのが特徴で、血管から放出された薬剤が内部に届きにくく、低酸素状態であるため化学放射線療法において大きな障壁となっている。癌細胞巣の周囲において、巣周囲の白金の濃度分布を調べたところ、白金と鉄がほぼ同じ濃度分布を示していることから、ミセルが血管壁を透過し、拡散によって癌細胞巣内部に浸透したと考えられる。

本手法を用いて、白金の集積濃度を、薬剤を投与してからの時間と、血管からの距離をパラメータとして取得することを試みた。図5はB16-F10(マウス黒色腫)細胞を移植したマウスにCDDPとシスプラチンミセルを投与し、1, 4, 24時間後の切片を観察し、血管断面から外側に向けて点分析を行った結果である。CDDPは投与して1時間後には既に血管周囲に均一に分布しており、時間経過に伴い減少した。シスプラチンミセルは投与1時間後では血管内に留まっており、その後、血管から離れた領域での濃度が徐々に上昇する傾向が見られた。

2.3.2 腎臓における分布

白金製剤の投与量の制約となる最も大きな要因は急性腎毒性である。白金製剤含有高分子ミセルの腎毒性が低いことが分かっていたが、その機構は明らかにされていなかった。CDDPとシスプラチンミセルを投与したマウスの腎臓切片のSR-XRFイメージングを行ったところ、分布に大きな違いが見られた。図6, 7はそれぞれの薬剤投与4時間後の広域・局部微細イメージングである。CDDPは腎盂に高い濃度で集積しており、速やかに尿へ排出されている。また、皮質層内では白金が均一に分布しており、毛細血管や尿細管から漏れ出し一様に広がっていると考えられる。一方、シスプラチンミセルは腎盂への集積が少なく、糸球体周囲では、網目状の分布が観察された。ミセルが糸球体でろ過されず毛細血管内に留まっている、もしくは一部がろ過されたものの尿細管の壁面に留まっていると考えられる。

2.4 PIXEを用いた細胞内取込み評価

2.4.1 コンベンショナルPIXE分析

Chinese Hamster ovary (CHO)細胞を同濃度のCDDPとシスプラチンミセルを含む培地で24時間処理して、放射線医学総合研究所のコンベンショナルPIXEで分析したところ、10倍近くの差があった。ミセル化された状態では細胞内へ取り込まれにくいと考えられる。そこで、予めシスプラチンミセルと培地とを混合して、異なる崩壊度合いのシスプラチンミセルを用意し、CHO細胞を24時間処理したところ、混合時間(崩壊度合い)に応じて取込み量が変化した。CDDP単体の取込み特性と、崩壊定数から計算した予想とよく一致していることから、大多数は崩壊したミセルから放出されたCDDPが作用していると思われる。

2.4.2 マイクロビームスキャニングPIXE分析

白金製剤の抗腫瘍効果は、DNAと結合し、複製を妨げることにおって発揮される。したがって、細胞内に入っただけでは不十分であり、細胞核に取り込まれなければならない。本研究では2mMのシスプラチンミセルで6時間処理したPK-1(ヒト膵臓癌)細胞内の白金分布を、東北大学のマイクロビームスキャニングPIXE(μ-PIXE)を用いて測定した(図8)。カリウムやリンが多く含まれる細胞核の領域に、白金も分布していることが確認された。しかし、この条件では薬剤濃度が高すぎて、SR-XRFで観察された腫瘍内の白金濃度を再現できていない。そこで、照射時間やビームサイズを最適化し、100μMのダッハプラチンミセルで24時間処理したHT29(ヒト大腸癌)細胞のマッピングを行った。その結果、非常にシグナル数が少ないものの、細胞核内に白金が分布しており、薬剤が届いていることが確認された。

これらの蛍光X線分析の結果から、薬剤が癌細胞に到達するまでの時間と量を概算することができる。更に、放射線を照射した際の細胞毒性の結果を併せることで、最も効果の高い治療スケジュールを考案できると考えている。

3.動体ファントムの開発

3.1 動体ファントムと市販の装置の問題点

4DRT技術を検証するためには、再現性よく患者の腫瘍の動きを模擬できる動体ファントムが必要である。市販品は、非常に高価で、ターゲットの動きや範囲に制限があり、国内ではほとんど普及していない。近い将来、肺や横隔膜付近のIMRTが開始されると予想されており、汎用性の高い動体ファントムが求められている。

3.2 新型動体ファントムの構造

本研究では人体模型と3軸制御ユニットから成る動体ファントム(図9)を開発した。人体模型は成人日本男性のCTデータを元にし、内部に円筒状の肺空洞をもつ形状である。胴体には電子密度が人体に近く安価な樹脂を採用し、骨はインクジェット方式により石膏で作製した。3軸制御ユニットはターゲットを保持する棒を動かすためのステージユニット、および制御用マイコンボードから成る。ターゲットはアクリル製の球で、X線フィルムもしくはピンポイント線量計の取り付けが可能である。ターゲットは肺空洞内の任意の場所で、3cm/秒以下の速度で、ユーザーが用意した入力データに基づいて動作する。正弦波を再現した動作試験では、AP方向の位置誤差が0.01mm、100回の時間の遅れが3/100秒であった。位置・時間の双方で4DRTの検証用として十分な精度を有する。

3.3 東大病院での実証試験

4DCT装置を用いて、市販の動体ファントムと比較したところ、市販品の誤差が最大4mmであったのに対し、開発したファントムの誤差はスライス厚の範囲に収まった。また、この試験の過程で、取得データを治療計画装置に転送する際の不具合(画像取得時間とデータフォルダ名が一致しない)を発見し、院内のシステム改善に貢献した。

図10は患者の腫瘍と同じ動作をさせ、6MVのX線で0°から1門照射した際の、ターゲット中心面の線量分布である。ターゲット周囲の正常組織に過剰に照射されており、開発した動体ファントムは、患者個々の動きに対するマージン(ITV)の検証にも有用であるといえる。

結論

深部癌治療の副作用を低減し、高い治療効果を得るために、放射線療法とDDS薬剤との併用の最適化、および4DRTの検証ツールの開発を行った。DDS薬剤との併用では、白金製剤含有高分子ミセルの体内動態を評価するため、マイクロビームを用いた測定手法を確立した。また、腫瘍や正常組織の呼吸性移動を考慮した4DRTの研究・検証用として、高精度な胸部動体ファントムを作製し、有用性を評価した。

図1ピンポイント放射線化学療法の全体像と本研究の構成

図2シスプラチンミセルの構造

図3蛍光X線分析により得られた、白金製剤含有高分子ミセルの体内勤態に関する成果のまとめ

図4腫瘍切片の(a)(b)(c)広域と、(d)(e)(f)局所微細SR-XRFイメージング

図5血管からの距離に対する白金の量(相対値)

図6(a)CDDPと(b)シスプラチンミセルの投与4時間後の腎切片のHE染色と、SR-XRF広域イメージング

図7(a)CDDPと(b)シスプラチンミセルの投与1時間後の腎皮質層の局所微細イメージング

図8(a)CDDPと(b)シスプラチンミセルで処理したPK-1細胞の元素マップ

図9開発した動体ファントムの模式図

図10(左)静止させた場合と(右)患者の腫瘍の動きを元に動作させた場合のターゲット周囲の線量分布

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、ドラッグデリバリーシステムと高精度放射線治療を組み合わせた深部癌治療法の開発についてまとめられている。

癌治療において、抗癌剤と放射線を組み合わせた放射線化学療法は、各々の働くメカニズムおよび作用点が異なるため、単独の治療よりも高い効果が期待できる。しかし、現状の放射線化学療法では、同時に副作用も増強されてしまうため、対象となる患者が限られてしまっている。そこで本論文では、化学放射線療法の治療効果の向上と副作用の低減を目的として、薬品送達システム(Drug Delivery System, DDS)とピンポイント放射線を併用した治療法の開発が提案されている。

X線と併用するDDS薬剤の候補として、本学の片岡一則教授らのグループが開発した白金製剤を含む高分子ミセルが用いられた。シスプラチンやオキサリプラチン等の白金製剤は、既に臨床で広く用いられている抗癌剤であり、X線治療に対して増感作用があることが知られている。シスプラチンを含む高分子ミセルは臨床試験が行われており、放射線との併用の早期臨床応用を目指すには、最適な薬剤選択であると言える。

X線と白金製剤含有高分子ミセルの併用治療を行う際は、薬剤の集積性や徐放性を考慮し、照射のタイミングを最適化する必要がある。組織レベルでの集積性は誘導結合プラズマ質量分析等を用いて定量的に調べられてきたが、白金錯体に蛍光ラベルを直接付加することが困難であることから、細部における分布や分布時間は明らかになっていなかった。そこで本論文では、薬剤に白金が含まれていることを利用し、蛍光X線分析によるミクロンサイズでの元素マッピングを行った。蛍光X線分析は、高エネルギーの粒子を試料に照射し、放出される特性X線を検出し、含まれている元素を同定する手法である。プローブビームの種類により、感度や分解能に差があるため、腫瘍・正常組織内分布を放射光蛍光X線分析で、細胞内の白金分布をParticle Induced X-ray Emissionを用いて、それぞれ測定した。特にSPring8における放射光蛍光X線分析は、DDS薬剤の血管浸透性やミクロンサイズでの集積を定量的に評価できるため、キャリアの設計やパイロット分子の最適化など、創薬にフィードバックが可能な知見であると考えられる。

腫瘍組織の元素マッピングでは、シスプラチンミセルが血管から腫瘍組織内に時間が経過するにつれて浸透していく様子を観察した。また、癌細胞への白金の取込み量評価では、高分子ミセルが崩壊して放出されたシスプラチンが主として細胞内に均一に取り込まれていることを明らかにした。実験に使用した細胞株が異なってはいるものの、腫瘍内のシスプラチンミセルの浸透を拡散によってモデル化し、血管から一定距離離れた癌細胞に取り込まれるシスプラチン濃度を数値計算によって求めた。DDS薬剤の集積性だけでなく、治療効果の推定にも活用できることから、このような腫瘍内の動態解明は非常に意義があると思われる。

実際にシスプラチンミセルとγ線・X線を併用した細胞実験を行い、MTTアッセイとコロニーアッセイにより治療効果を確認した。特に、2種類のヒト肺癌細胞に異なるタイミングで放射線を照射したところ、片方はスケジュールによる違いがなく、もう片方は遅く照射した場合に相乗効果が低下していた。薬剤取込み量や細胞周期の停止に差異はなく、原因究明が今後の課題である。生体でも同様の効果がある場合は、患者毎に治療スケジュールを最適化する必要があり、その指標となる可能性がある。

マウスを使った動物実験では、照射用のマウス固定具の設計開発と線量校正を行い、皮下腫瘍モデルを使った予備実験の結果が報告された。治療を評価するための今後の課題として、麻酔時の体温調整や尾静注の方法を改善することが挙げられた。さらに、DDS薬剤の治療効果をより正確に測定するために、肺癌同所移殖モデルが作成された。肺野内の腫瘍は、呼吸同期が可能な動物用マイクロX線CTを活用することで、より正確に測定できることが示された。

臨床応用に向けて解決すべきもうひとつの課題として、ピンポイント放射線を照射する際に、腫瘍や臓器の移動と変形を考慮しなければならないことが挙げられる。本論文では、4次元放射線治療装置の精度検証のための動体ファントムを新規開発し、実際に臨床応用可能であることを示した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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