学位論文要旨



No 126874
著者(漢字) 杉本,貴史
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,タカフミ
標題(和) 細胞内共生細菌Wolbachiaが宿主アズキノメイガの性決定に与える影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 126874
報告番号 甲26874
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3627号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幸男
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 准教授 鈴木,雅京
内容要旨 要旨を表示する

Wolbachia属の細菌(以下、Wolbachiaと略す)は、非常に広範囲の節足動物およびセンチュウで感染が確認されている細胞内共生細菌で、宿主の細胞質を通じた母子感染によって感染を拡大させる。Wolbachiaの中には自身の増殖に有利になるよう宿主の生殖を操作するものが存在する。Wolbachiaは、その特性から、現象の面白さのみならず、害虫防除、天敵の効率的な生産、防疫など応用の観点からも注目されている。また、Wolbachiaによる生殖操作と性決定機構やエピジェネティクスの関係も指摘されており、それらの研究を発展させるためのツールとしても期待できる。

アズキノメイガO.scapulalisに感染するWolbachiaは、宿主の子においてオスのみを選択的に殺すmale-killingという現象を引き起こす。通常、Wolbachiaによって引き起こされるmale-killing現象では、抗生物質処理によってVaolbachiaを除くと、Wolbachiaによって致死となっているオスが生存可能となるため、性比は1:1に戻る。しかし、O.scapulalisでは抗生物質によってWolbachiaを除去した際に、メス個体のみが致死となる現象が確認されている。また、Wolbachia感染O.scapulalisを成虫期に抗生物質処理することで雌雄の特徴が入り混じった性モザイク個体が出現するが、この性モザイク個体はすべて遺伝的にオスの個体であることがわかっている。

これらの知見から、Wolbachiaは宿主の性決定機構になんらかの影響を与えることで生殖操作を行っていると考えた。本研究では、O.scapulalisに感染するWolbachiaの生殖操作の機構を、性決定という観点から追及し、その解明を試みた。その概要を以下に述べる。

第一章 O.scapulalisにおけるdoublesex遺伝子homologの同定

O.scapulalisは、共生微生物Wolbachiaに感染することで、male-killing現象が引き起こされることが報告されているが、このWolbachiaは遺伝的オスをメス化している兆候を示す。そこで、雌雄判別が難しい胚や幼虫期において表現型としての性を判別するツールとして、また、Wolbachiaによる生殖操作を検証するための指標として、究極的には、Wolbachiaによる生殖操作と宿主の性決定機構との関係を解明するための標的遺伝子の一つとして、多様な生物間で保存性が高く、かつ雌雄で異なったisoformを持つdsxのhomologは有効なツールとなりうると考え、第一章では、その単離を試みた。まず、縮重プライマーを用いてO.scapulalisにおける3つのdsxホモログを単離し、それぞれOsdSxM、OsdsxFL,OsdsFSと命名した。これは、鱗翅目昆虫では、bombycidae以外では最初の報告となる。また、inverse PCRによってexon/intron境界を決定し、雌雄それぞれのisofbrmが選択的スプライシングによるものであることを確認した。さらに、詳細な発現解析によって、Osdsxが各ステージおよび組織において、雌雄で異なった発現を示すことを示した。Bmdsxとの間での構造的、機能的な領域の保存性について検討を行った結果、OsdsxとBmdsxは構造的によく似ているだけでなく、機能的にも類似の遺伝子であることが示唆された。

第二章 Wolbachiaが誘導する性モザイクにおける性決定遺伝子Osdsxの発現解析

Wolbachiaに感染したO.seapulalisでは、成虫期の抗生物質処理による不完全なWolbachia除去によって、性モザイク個体が発生することが報告されている。この性モザイク個体はすべて遺伝的にはオスであるが、メス特異的器官である交尾嚢が形成される個体も観察されることから、Wolbachiaは不完全ながら、遺伝的オスのメス化現象を引き起こしていることがわかる。共生生物によって性転換が起こる例としては、Wolbachia感染によってFeminizationが引き起こされるキチョウEurema hecabeが知られており、E.hecabeにおいても抗生物質処理による性モザイク個体の出現が報告されている。また、ウンカやハチ類では、ネジレバネ類の寄生によって外見的には性転換が起こっているように見える事例が報告されているが、この場合は、オス個体ではメスに、メス個体ではオスに、それぞれ不完全に変化するため、中性化という表現が用いられる。他にも、現象としての性モザイクや性転換の報告は多く存在するが、分子レベルで性転換が行われていることを示した例はまだ存在しない。

昆虫で広くhomologの存在が確認されている性決定遺伝子dsxは、選択的スプライシングによって雌雄で異なったisoformを生じる。dsx遺伝子は、D.melanogasterのyolkprotein1,2を用いた実験から、dsxの翻訳産物であるDSXによって直接的に体細胞の性的な発現の差を制御していることが示されている。これらの特徴は、性的二型の表現型を知るための分子マーカーとして、また、体細胞の表現型を決める性決定遺伝子として性決定カスケードへの影響を調べるツールとして有効である。

第二章では、Wolbaehia感染および感染解除が宿主0.scapulalisに与える性的な影響を、dsxの0.scapulalisにおけるhomologであるOsdsx発現を通して解析した。その結果として、Wolbaehia感染個体の不完全な感染除去によって誘導される性モザイク個体では、雌雄両タイプの性決定遺伝子が発現していることを確認した。その一方で、性モザイク個体の中に、オス特異的組織である精巣と、メス特異的組織である交尾嚢が同時に発生することがあるが、これらの性特異的な組織では、それぞれに性特異的なOsdsxが発現することが示された。本研究は、Wolbaehia感染によって遺伝的オスであるO.scapulalisがメス化作用を受けていることを分子レベルで示した最初の報告である。

第三章 male-killingを引き起こすWolbachiaは宿主の性決定遣伝子を代替している

O.scapulalisでは、Wolbachia感染により、male-killingが引き起こされる。また、このWolbachiaでは、成虫期に抗生物質処理によって不完全にWolbachiaを除去した際に、その次世代で性モザイク個体が出現する。この性モザイク個体はすべて遺伝的にはオス型であることから、Wolhachiaは宿主を性転換させているが、完全なFeminizationには至らず致死となっていると考えられている。一方、幼虫期における抗生物質処理で完全にWolbachiaを除去した際に、その次世代で遺伝的メスが特異的に致死となる現象が観察されている。この現象は、宿主がWolbaehiaとの共生関係の中で、宿主メスの生存に必須の機能をWolbachiaが代替するようになったため、宿主側の当該遺伝子が機能を喪失しても生存に不利にならないため淘汰されず、結果的にメスの生存にWolbachiaが必須となってしまった結果と考えられる。

第三章では、Wolbachia非感染個体、Wolbaehia感染個体(オス致死)およびWolbachia感染除去個体(メス致死)のO.scapulalis胚において、遺伝的性と遺伝子発現から判別した表現型の性を比較することで、male-killingおよび遺伝的メスの特異的致死の要因を推定した。また、Wolbachiaによって操作を受ける因子をW染色体上の因子と考え、W染色体上の塩基配列がWolbachia感染個体と非感染個体で異なっていることを想定し、Wolbachia感染個体と非感染個体におけるW染色体特異的マーカーによるPCRを用いた比較を行った。

本研究の結果から、Wolbachia感染メスの子では遺伝的オスがメス化されているが、逆に、Wolbachia感染除去メスの子では遺伝的メスがオス化されていることがわかった。Wolbachia感染オスの致死現象であるmale-killingはWolbachiaが宿主に対して能動的になんらかの操作を加えて致死を引き起こしていると考えられ、感染除去メスの致死現象では、共生関係の中でO.sacapulalisが生存に必須な因子の一部をMolbachiaに依存するようになったため、結果的にWolbachia無しでは宿主のメスが生存不能になっていると考えられる。また、その原因となる因子は、どちらも共通で、W染色体上に存在するメス化を促す優性の性決定因子がそれにあたると考えられる。また、W染色体特異的マーカーでMolbachia感染および非感染O.scapulalisのゲノムを比較したところ、感染O.scapulalisのみで増幅断片が得られなかったことから、W染色体はWolbachia感染個体で特異的に変化が起こっていると考えられる。

第四章 高温処理によるWolbaehia密度の変化と次世代の性比の関係

Wolbachiaに感染したO.scapulalisではmale-killig現象が引き起こされるが、male-killingは生殖操作の結果がオスの致死というわかりやすい効果として現れるため、密度と性比の関係を調べるのに適した形質と言える。male-killingを引き起こすWolbachiaに感染したDrosophila innubilaでは、抗生物質処理によりWolbachia密度を下げてやると、male-killing能も下がる。その他の知見も含めて、母のWolbaehia密度は子のWolbachia密度に影響を与えることが複数の種で確認されている。この傾向は実験環境下のみならず、自然条件化においても観察された。また、male-killingを引き起こすWolbachiaに感染したDrosophila bifasciataでは、高温処理によってmale-killing能が低下する現象が報告されている。

以上の知見から、O.scapulalisにおいても、Wolbachia感染メス親の温度処理により、菌密度を下げることで、次世代におけるWolbachia密度や生殖操作能に影響を与えることができると考えた。また、抗生物質によらないWolbachia除去法を用いることで、Wolbachia密度に依存して起こる現象の観察が容易になる。

本研究では、Wolbaehia感染メスを60℃という超高温で短時間の処理を行うと言う、これまでにない処理方法によって、次世代でWolbaehiaによるmale-killing能を低減させ、また、性モザイク個体を発生させることに成功した。また、高温処理によって、Wolbaehiaのmale-killing能に影響を与えるだけでなく、密度の低減効果も確認された。この結果は、O.scapulalisに感染するWolbachiaは、高温短期の温度処理によって密度を減少させることが可能であることを示している。また、高温処理メスの密度と次世代の性比に高い正の相関が確認されたことから、Wolbachiaによるmale-killingは厳密に密度に依存しており、低密度では次世代の伝達がうまくいかなくなっていると考えられる。また、温度処理によって雌雄両個体が出現した際に、オスはWolbachia非感染であるが、性モザイク個体およびメス個体はWolbachiaに感染している。この結果は、オスではWolbachia感染から免れた個体は生存可能となり、Wolbachiaの侵入したオスは致死か性モザイク個体となることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

Wolbachiaは、節足動物およびセンチュウで広く感染が確認されている細胞内共生細菌で、主に宿主の細胞質を通じた母子感染によって伝搬する。この細菌はしばしば、自己の増殖を有利にするため宿主のメスの適応度を上げる生殖操作を行うことが知られている。アズキノメイガに感染するWolbachiaは、オスの子のみが致死となる「オス殺し」現象を引き起こす。興味深いことに、アズキノメイガのWolbachia感染系統から抗生物質処理によってWolbachiaを除去すると、逆にメス個体のみが致死となる。また、感染系統のアズキノメイガを成虫期に抗生物質処理すると次世代において雌雄の特徴が入り混じった性モザイク個体が出現がするが、この性モザイク個体はすべて遺伝的にオスであることがわかっている。本研究は、これらの現象を踏まえて、Wolbachiaによる宿主の生殖操作機構を宿主の性決定遺伝子の発現解析という新しい切り口から研究したものであり、4章から構成されている。

1.アズキノメイガにおけるdoublesexホモログの同定

アズキノメイガに感染するWolbachiaは不完全ながら遺伝的オスをメス化している。そこで、表現型としての性を判別するツールとして、また、Wolbachiaによる生殖操作を検証するための指標として、さらにはWolbachiaによる生殖操作と宿主の性決定機構との関係を解明するための標的遺伝子候補の一つとして、多様な生物間で保存性が高く、かつ雌雄で異なったmRNAアイソフォームを発現するdoublesex (dsx) 遺伝子のホモログの単離を試みた。その結果、オスで1種類(OsdsxM)、メスで2種類のアイソフォーム(OsdsxFL, OsdsxFS)を確認し、雌雄に特異的なOsdsxアイソフォームが選択的スプライシングによって生じていることがわかった。また、OsdsxとカイコのホモログBmdsxとの間には、配列のみならず遺伝子の構造にも非常に高い保存性が認められた。

2.性モザイクにおけるOsdsxの発現解析

Wolbachia感染系統のアズキノメイガでは、感染メス成虫を抗生物質処理すると次世代で性モザイク個体が発生する。この性モザイク個体は遺伝的オスが不完全なメス化を受けたものである。Wolbachiaによって性転換が起こる例は、ヨコバイの一種やキチョウで報告されているが、分子レベルで性転換が行われていることを示した例はない。本研究では、性モザイク個体においてOsdsx発現解析を行った結果、性モザイク個体では雌雄両タイプのOsdsxが発現していることが示された。一方、性モザイク個体の中に、オス特異的組織である精巣と、メス特異的組織である交尾嚢が同時に発生することがあるが、これらの性特異的な組織では、それぞれで異なった性特異的Osdsxが発現していた。この結果、Wolbachia感染によってアズキノメイガの遺伝的オスがメス化作用を受けていることが分子レベルで示された。

3.アズキノメイガのWolbachiaは宿主の性決定遺伝子を代替する

アズキノメイガのWolbachia感染系統では、幼虫期に抗生物質処理で完全にWolbachiaを除去すると、次世代で遺伝的メスのみが特異的に致死となる。この現象は、宿主メスの生存に必須な機能をWolbachiaが代替することで、宿主側の遺伝子機能が喪失しても生存可能なため淘汰されず、結果的にメスの生存にWolbachiaが必須となってしまった結果と考えられる。本研究では、非感染個体、Wolbachia感染個体(オス致死)および感染除去個体(メス致死)のアズキノメイガの孵化前の卵を用いて、遺伝的性と性決定遺伝子発現の比較検討を行ったところ、Wolbachia感染メスの子では遺伝的オスがメス化されているが、逆に、感染除去メスの子では遺伝的メスがオス化されていることがわかった。また、W染色体特異的マーカーでWolbachia感染および非感染アズキノメイガのゲノムを比較したところ、Wolbachia感染アズキノメイガでは増幅断片が得られなかった。これらの結果から、Wolbachiaは遺伝的オスをメス化する因子を持ち、メスのアズキノメイガではその機能が失われWolbachiaによって代替されていることが示唆された。

4.高温処理によるWolbachia密度の変化と次世代の性比の関係

アズキノメイガでは、抗生物質処理によってWolbachiaを感染個体から除去することが可能である。しかし、抗生物質処理では残効があるためWolbachiaによる致死効果やメス化作用の時間的解析が難しく、残効のないWolbachia除去法、性モザイクの作出法の開発が課題であった。本研究では、Wolbachia感染メスを60℃という高温で短時間処理するという、これまでにない処理方法を試みた結果、次世代でWolbachiaによるオス殺し能を低減させ、性モザイク個体を発生させることに成功した。さらに、定量PCRによって、オス殺し能が低下している子の親では、相対的にWolbachia密度が低くなっていることを明らかにした。この結果から、オス殺しの強度がWolbachia密度に依存することがわかった。また、温度処理次世代のWolbachia感染確認を通して、Wolbachiaの侵入したオスは致死か性モザイク個体となり、正常な発育が不可能になる可能性が示された。

上記の結果を総合して考えると、Wolbachia感染系統のメスでは、カイコガのFemに相当するメス化遺伝子(W染色体に座乗)が機能を失っていると考えられた。また、Wolbachia感染性モザイク個体が生存可能であることから、Wolbachia自体は致死作用を持たず、致死現象は性染色型と性決定遺伝子の性が異なる場合に引き起こされると考えられる。致死となるメカニズムについては、遺伝子量補償などが関与していると考えられた。

以上、本研究はアズキノメイガの共生細菌Wolbachiaが宿主の性決定能を代替していることを示すなど、Wolbachiaによる宿主の生殖操作についての理解を格段に深めたものであり、学術上、応用上の価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49085