学位論文要旨



No 126876
著者(漢字) 石井,佳子
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ヨシコ
標題(和) ファイトプラズマプラスミドのプロモーターに関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 126876
報告番号 甲26876
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3629号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 石川,幸男
 静岡大学 教授 瀧川,雄一
 東京大学 特任准教授 大島,研郎
内容要旨 要旨を表示する

プラスミドは、細菌の細胞内で染色体とは独立に複製する因子である。一般にプラスミドは、病原性因子や抗生物質耐性遺伝子など、細菌の生存上重要な遺伝子をコードする場合が多く知られている。また、染色体と比べ変異が入りやすいことから、多くの細菌はプラスミド上の遺伝子の再編成により、環境の変化に適応していると考えられている。

ファイトプラズマは多様な植物種に病気を引き起こす、農業生産上重要な植物病原細菌である。ファイトプラズマは植物体内では篩部組織に局在し、ヨコバイなどの吸汁性昆虫によって、植物から植物へと伝搬される。一般に昆虫媒介性細菌では、そのプラスミド上に昆虫伝搬能関連遺伝子をコードする例が多く知られている。ファイトプラズマにおいても、clover phyllodyファイトプラズマの昆虫伝搬能喪失株が持つプラスミドにおいて、極度の配列再編成が起こっていることから、プラスミドにコードされる遺伝子と昆虫伝搬能との関連性が指摘されている。

当研究室では、タマネギ萎黄病ファイトプラズマ(Candidatus Phytoplasma asteris, OY strain)の弱毒株 (OY-M) および、OY-M感染植物を組織培養することによって単離された昆虫伝搬能喪失株 (OY-NIM)を維持している。OYファイトプラズマは2種類のプラスミドを保持しており、1つはウイルスの複製酵素と相同な複製酵素 (RepEC)をコードするプラスミドEcOY-DNAであり、もう一つは細菌のプラスミドの複製酵素と相同な複製酵素 (RepBP)を持つプラスミドpOY-plasmidである。OY-MおよびOY-NIMは共に、EcOY-DNA (EcOYM、EcOYNIM)とpOY-plasmid (pOYM、pOYNIM)をそれぞれ1種類ずつ保持している。OY-NIMが持つプラスミドであるpOYNIMは、pOYMにコードされる機能未知の膜タンパク質ORF3を欠失している。従ってORF3は、昆虫伝搬能に関与する可能性が推測されていた。しかしその後EcOYNIMの配列が決定され、orf3遺伝子がEcOYNIMにコードされていることが明らかとなったため、ORF3の昆虫伝搬能への関与は疑わしいものとなっていた。

本研究では、ORF3の昆虫伝搬能への関与を解析するために、植物および昆虫内におけるORF3タンパク質の発現解析、orf3遺伝子の転写開始点の特定およびOY-MやOY-NIMのEcOY-DNAにおけるプロモーター領域の比較解析を行った。また、OYファイトプラズマのプラスミドに宿主環境の変化が与える影響について解析するため、約10年間に渡って維持したOY-NIMのプラスミド配列をOY-Mのプラスミドと比較解析した。

1. 植物および昆虫宿主内におけるORF3のタンパク質の発現解析

植物宿主内におけるORF3のタンパク質の発現を確認するため、ORF3タンパク質を大腸菌において大量発現させ、抗ORF3抗体を作出した。この抗体を用いてOY-MおよびOY-NIM感染植物の免疫組織化学的染色を行った。その結果、OY-M感染植物ではファイトプラズマが局在する篩部組織特異的にシグナルが観察されたが、OY-NIM感染植物では全くシグナルが観察されなかった。従ってOY-NIMは、そのプラスミドであるEcOYNIMにorf3をコードしているにも関わらず、植物宿主内でORF3タンパク質を発現していないことが示唆された。

また、植物および昆虫宿主内におけるORF3のタンパク質の発現を比較するため、抗ORF3抗体を用いてOY-M感染植物および感染昆虫の免疫組織化学的染色を行った。その結果、昆虫宿主においては1μg/mlのORF3抗体を反応させた場合でも強いシグナルが認められたが、植物宿主においては100μg/mlのORF3抗体を反応させないとシグナルは確認できなかった。この結果は、昆虫宿主内ではORF3タンパク質の発現量が増加している可能性を示唆しており、ORF3は昆虫宿主内で重要な役割を担っていると考えられた。

2. orf3遺伝子の転写開始点の特定

OY-NIMは植物宿主内においてORF3タンパク質を発現していないことから、orf3は転写発現していない可能性が考えられた。そこでorf3遺伝子の転写開始点を決定し、その上流をOY-MとOY-NIMで比較した。orf3遺伝子の転写開始点を特定するため、OY-M感染昆虫から抽出したRNAを用いて5'-RACEを行った。5'-RACEでは、逆転写した反応産物の5'末端にアダプター配列を付加させ、アダプターのプライマーと遺伝子特異的プライマーを用いてinitial PCRおよびnested PCRを行った。得られた増幅産物は、TAクローニングとシークエンスを行い配列の決定を試みた。

orf3は、orf1-orf2の下流にコードされている。5'-RACEの結果、orf1の内部から始まる増幅産物に加え、orf1とorf2の遺伝子間領域から始まる増幅産物が得られた。この結果はOY-Mではorf3遺伝子の転写が、orf1の内部およびorf1とorf2の遺伝子間領域の2ヶ所から開始していることを示唆している。

3. orf3遺伝子のプロモーターの推定と比較解析

EcOYMにおけるorf3遺伝子の転写開始点上流のプロモーター配列を、プロモーター予測ソフトウェアによって探索したところ、それぞれプロモーター配列が予測された。これら2つのプロモーターを、それぞれORF3-pro1およびORF3-pro2と命名した。EcOYMのORF3-pro1とORF3-pro2に該当するEcOYNIM上の配列を調べたところ、ORF3-pro1では配列が2塩基変異しており、ORF3-pro2においてはプロモーター領域全長を含む157 bpの領域が欠落していた。これらの結果から、OY-NIMではorf3のプロモーターが変異および欠落し、そのためにOY-NIMはorf3を発現できなくなった可能性が考えられた。

4. 1998-2006年におけるOY-MとOY-NIMプラスミドの比較解析

OY-Mは植物と昆虫を用いて維持している一方で、OY-NIMは植物内でのみ維持しているため、両者は宿主環境が大きく異なる。加えて、OY-NIMは短期間でOY-Mから単離されたことから、OY-NIMのプラスミド配列は単離後から現在までの間に、更に配列が変化していると推測された。そこで、約10年間に渡るOY-MおよびOY-NIMプラスミドの比較解析を行い、ファイトプラズマが一定の環境に生息・適応することによるプラスミドへの影響を解析した。まず、2006年のOY-M感染植物および1998-2000、2002-2006年までのOY-NIM感染植物からDNAを抽出し、そのDNAを用いてorf3のPCR解析を行った。その結果、OY-M感染植物と1998-2000年のOY-NIM感染植物ではorf3のバンドが検出されたが、2002-2006年のOY-NIM感染植物では検出されなかった。従って、orf3プロモーターが変異および欠落したEcOYNIMは、2000年以降orf3遺伝子も欠失したことが明らかとなった。同様に、各DNAを用いてプラスミドの複製酵素repECのPCRおよびSouthern blotting解析を行ったところ、OY-M感染植物と1998-2005年のOY-NIM感染植物ではバンドが検出されたが、2006年のOY-NIM感染植物では検出されなかった。プラスミドは染色体とは独立して複製するため、複製酵素の存在は必須であると考えられる。また、現在までに報告されているファイトプラズマのプラスミドには、複製に関与する遺伝子が必ずコードされている。2006年のOY-NIM感染植物ではrepECが検出されないことから,EcOYNIMは2005年から2006年の間にOY-NIMから消失したと考えられた。以上の結果より、EcOYNIMは植物による継代・維持で配列が段階的に失われ、遂にはプラスミド自体がOY-NIMから消失したことが明らかとなった。一方で、もう一つのプラスミドpOYNIMにコードされる複製酵素repBPのPCRおよびSouthern blotting解析では、全ての感染植物でバンドが検出されたことから、pOYNIMはOY-NIMで保持され続けていることが明らかとなった。

本研究の結果、OY-NIMのプラスミドは植物内という一定の宿主環境における維持により、段階的に配列が欠失していることが明らかとなった、この結果は、orf3を含めOYプラスミドにコードされる遺伝子が、植物内での生存に必須ではないことを示しており、OYプラスミドと昆虫伝搬能との関連性が強く示唆された。また、OYプラスミドの可塑性が強く示唆され、ファイトプラズマの多様性を理解するために、近縁な系統間におけるプラスミドの比較が重要であることを示唆した。今後、プラスミドにコードされる遺伝子とファイトプラズマの昆虫伝搬メカニズムとの関連性について、更に解析が進むことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

ファイトプラズマはヨコバイ等の昆虫によって植物から植物へと伝搬され、感染を拡大させる。そのため昆虫伝搬に関与する因子の探索は、ファイトプラズマ病の防除法を確立する上で重要である。Candidatus Phytoplasma asteris,、OY strainの弱毒株 (OY-M) および昆虫伝搬能喪失株 (OY-NIM)はそれぞれ2種類のプラスミドを保持しており (OY-M : EcOYMとpOYM, OY-NIM : EcOYNIMとpOYNIM)、pOYMにコードされているorf3遺伝子がpOYNIMでは欠失していたことから,ORF3が昆虫伝搬に関与する可能性が考えられている。本研究では、ORF3の昆虫伝搬能への関与を解析するために、植物および昆虫内におけるORF3タンパク質の発現解析、orf3遺伝子の転写開始点の特定およびOY-MやOY-NIMのEcOY-DNAにおけるプロモーター領域の比較解析を行った。また、OYファイトプラズマのプラスミドに宿主環境の変化が与える影響について解析するため、約10年間に渡って維持したOY-NIMのプラスミド配列をOY-Mのプラスミドと比較解析した。

1. 植物および昆虫宿主内におけるORF3のタンパク質の発現解析

植物宿主内におけるORF3のタンパク質の発現を確認するため、ORF3タンパク質を大腸菌において大量発現させ、抗ORF3抗体を作出した。この抗体を用いてOY-MおよびOY-NIM感染植物の免疫組織化学的染色を行った。その結果、OY-M感染植物ではファイトプラズマが局在する篩部組織特異的にシグナルが観察されたが、OY-NIM感染植物では全くシグナルが観察されなかった。従ってOY-NIMは、そのプラスミドであるEcOYNIMにorf3をコードしているにも関わらず、植物宿主内でORF3タンパク質を発現していないことが示唆された。

また、植物および昆虫宿主内におけるORF3のタンパク質の発現を比較するため、抗ORF3抗体を用いてOY-M感染植物および感染昆虫の免疫組織化学的染色を行った。その結果、昆虫宿主においては1μg/mlのORF3抗体を反応させた場合でも強いシグナルが認められたが、植物宿主においては100μg/mlのORF3抗体を反応させないとシグナルは確認できなかった。この結果は、昆虫宿主内ではORF3タンパク質の発現量が増加している可能性を示唆しており、ORF3は昆虫宿主内で重要な役割を担っていると考えられた。

2. orf3遺伝子の転写開始点の特定

OY-NIMは植物宿主内においてORF3タンパク質を発現していないことから、orf3は転写発現していない可能性が考えられた。そこでorf3遺伝子の転写開始点を決定し、その上流をOY-MとOY-NIMで比較した。orf3遺伝子の転写開始点を特定するため、OY-M感染昆虫から抽出したRNAを用いて5'-RACEを行った。5'-RACEでは、逆転写した反応産物の5'末端にアダプター配列を付加させ、アダプターのプライマーと遺伝子特異的プライマーを用いてinitial PCRおよびnested PCRを行った。得られた増幅産物は、TAクローニングとシークエンスを行い配列の決定を試みた。

orf3は、orf1-orf2の下流にコードされている。5'-RACEの結果、orf1の内部から始まる増幅産物に加え、orf1とorf2の遺伝子間領域から始まる増幅産物が得られた。この結果からOY-Mではorf3遺伝子の転写が、orf1の内部およびorf1とorf2の遺伝子間領域の2ヶ所から開始していることが示唆された。

3. orf3遺伝子のプロモーターの推定と比較解析

EcOYMにおけるorf3遺伝子の転写開始点上流のプロモーター配列を、プロモーター予測ソフトウェアによって探索したところ、それぞれプロモーター配列が予測された。これら2つのプロモーターを、それぞれORF3-pro1およびORF3-pro2と命名した。EcOYMのORF3-pro1とORF3-pro2に該当するEcOYNIM上の配列を調べたところ、ORF3-pro1では配列が2塩基変異しており、ORF3-pro2においてはプロモーター領域全長を含む157 bpの領域が欠落していた。これらの結果から、OY-NIMではorf3のプロモーターが変異および欠落し、そのためにOY-NIMはorf3を発現できなくなった可能性が考えられた。

4. 1998-2006年におけるOY-MとOY-NIMプラスミドの比較解析

OY-Mは植物と昆虫を用いて維持している一方で、OY-NIMは植物内でのみ維持しているため、両者は宿主環境が大きく異なる。加えて、OY-NIMは短期間でOY-Mから単離されたことから、OY-NIMのプラスミド配列は単離後から現在までの間に、更に配列が変化していると推測された。そこで、昆虫伝搬能喪失後のプラスミドの変化を追うため、OY-NIMを植物の組織培養によって約10年間維持し、その過程で経時的にサンプリングしたDNAを用いて、プラスミドの遺伝子構造を解析した。その結果、EcOYNIMはorf3プロモーターが欠失した後、orf3を含む周辺の領域が段階的に欠失し、最終的にはプラスミド自体がOY-NIMから消失したことが明らかとなった。以上の結果より、EcOYNIMは植物による継代・維持で配列が段階的に失われ、遂にはプラスミド自体がOY-NIMから消失したことが明らかとなった。

以上を要するに、OY-NIMのプラスミドは植物内という一定の宿主環境における維持により、段階的に配列が欠失していることが明らかとなった。この結果は、orf3を含めOYプラスミドにコードされる遺伝子が、植物内での生存に必須ではないことを示しており、ファイトプラズマのプラスミドと昆虫伝搬能との関連性が強く示唆された。この意義は大きく、この成果を応用すれば、昆虫伝搬によるファイトプラズマ病の拡大を抑えるような有効な防除法の確立も実現可能であると想定される。以上のように本研究の成果は、学術上また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク