学位論文要旨



No 126877
著者(漢字) 砂村,栄力
著者(英字)
著者(カナ) スナムラ,エイリキ
標題(和) 侵略的外来種アルゼンチンアリの社会構造解析および合成道しるべフェロモンを利用した防除に関する研究
標題(洋)
報告番号 126877
報告番号 甲26877
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3630号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幸男
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 准教授 加藤,和弘
 東京大学 非常勤講師 寺山,守
 東京大学 名誉教授 田付,貞洋
内容要旨 要旨を表示する

生物学的侵入は今日地球規模での生物多様性の減少の主要因の一つとなっており,アリ類は外来生物の中でも最も悪影響の大きいグループに含まれる.侵略的外来生物による被害を食い止めるためには,侵入・分布拡大の予防と,定着した個体群の防除を行う必要があるが,外来アリについては侵入の歴史に関する知見が少なく,真に効果的な防除方法も未だ確立されていない.

侵略的外来アリの多くは,協力的な多数の巣から成る「スーパーコロニー」とよばれる特殊な社会構造を保有し,侵入地において高い生息密度に到達するとともに,生態系などに大きな被害をもたらす.一般的なアリが近隣の同種他巣とのなわばり争いのコストを負うのに対し,スーパーコロニー形成種は餌資源の獲得と子孫の生産により多く投資できるため,スーパーコロニー形成は外来アリに侵略性をもたらす一要因とされている.本研究の材料であるアルゼンチンアリLinepithema humileは南米が原産であるが,人類の交易にともなって過去150年余りの間に世界各地へと分布を拡大した.原産地における本種の個体群は多数の小規模スーパーコロニーに分かれるが,限られた創始者から派生する侵入地個体群は少数の大規模スーパーコロニーを形成する.スーパーコロニー間の競争からの解放が侵入個体群の成功に大きく寄与すると考えられている.

本研究では,侵略的外来アリの防除に資する知見を得ること,侵略性の要因であるスーパーコロニーの形成・維持について理解を深めることを目的として一連の実験を行った.

1. 社会構造解析およびそれに基づいた侵入履歴推定

1-1. アルゼンチンアリ日本個体群の行動学的・化学生態学的・遺伝学的解析

近年,アジア温帯圏に侵略的外来アリが立て続けに侵入している.日本では, 1993年に広島県廿日市市で初めてアルゼンチンアリが確認されたが,現在,本種は西日本を中心に幾つかの沿岸地域に定着していることが判明している.本研究では,本種の日本個体群間の行動学的関係,巣仲間認識フェロモンである体表炭化水素組成の類似度,遺伝学的関係を調査し,その社会構造を初めて明らかにした.日本侵入個体群は行動学的,化学生態学的,かつ遺伝学的に異なる4つのスーパーコロニーに分けられ,各スーパーコロニーは独立の侵入起源をもつ可能性が高いと考えられた.この結果は近年のアジアへの外来アリ侵入状況を象徴する最たる例といえる.4つのスーパーコロニーのうち1つは国内の不連続な侵入地のほとんどに分布しており,その独自性を変化させないまま人為的長距離分散によって急速に規模を拡大しつつあることが示唆された.一方,その他の3つのスーパーコロニーは神戸港に局在しており,海運による海外からの直接侵入に由来することが示唆された.

1-2. 日本のスーパーコロニーと海外の巨大スーパーコロニーとの行動学的関係

アルゼンチンアリ侵入個体群間の行動学的関係は国内,大陸内のレベルでは研究されてきたが,大陸間レベルでは調べられていなかった.そこで,ヨーロッパと北米大陸から日本にアルゼンチンアリの生体を輸送し日本のアルゼンチンアリとの間で行動試験を行うことにより,大陸を超えた侵入個体群間の敵対性の度合いを調べた.ヨーロッパとカリフォルニアでそれぞれ最大のスーパーコロニーに属するワーカーは,日本最大のスーパーコロニーに属するワーカーとの間で敵対性を示さなかった.しかし,日本の小規模スーパーコロニーとの間では激しい敵対行動が観察された.3大陸の巨大スーパーコロニーは,ヨーロッパの巨大スーパーコロニーと敵対しないことが知られているマデイラ島の個体群も含めて,動物がつくる世界最大のコロニーといえる.このコロニーは,マデイラ島に150年以上前に侵入した世界最古の侵入個体群から派生したと考えられる.

2. 合成道しるべフェロモンを利用した防除法の開発

2-1. 高濃度の合成(Z)-9-hexadecenalによる行列撹乱・採餌抑制効果の確認

農学部応用昆虫学研究室では,高濃度の合成道しるべフェロモン(Z)-9-hexadecenalによる行列撹乱・採餌抑制効果を利用したアルゼンチンアリの防除に取り組んできた.本研究では,行列撹乱・採餌抑制効果の定量的な評価を行った.まず,(Z)-9-hexadecenalを含むフェロモンディスペンサーをアルゼンチンアリの行列に近づけると,周囲のアリは混乱して四方に散り行列中の定点を通過するアリ数が66~87%減少することを確認した(フェロモン放出量59-83μg/h).次に,ディスペンサーを100 m2の圃場に処理することで砂糖水へのアルゼンチンアリ動員数が60~89%減少することを確認した(フェロモン放出量71-100μg/h/m2).これらの結果は合成道しるべフェロモンによるアリの行列撹乱および採餌抑制が可能であることを確認し,害虫防除におけるフェロモン利用の新たな可能性を指し示すものである.

2-2. 合成(Z)-9-hexadecenalと毒餌の併用による野外防除試験

前項の実験に引き続き,小面積の生息範囲(市街地の庭の100 m2試験区)に対して合成道しるべフェロモン,毒餌,またはその両方の年間処理を行い,アルゼンチンアリの新規防除法開発を試みた.その結果,アルゼンチンアリの密度は合成道しるべフェロモンと毒餌の併用処理によってのみ,初期状態より少ないか同等の水準に維持することができた.また,併用処理区におけるアルゼンチンアリ密度は全試験区の中でほぼ最低で推移した.合成道しるべフェロモンまたは毒餌のいずれか1つを処理した区では,アルゼンチンアリの密度は無処理区と似た推移を示した.併用処理は,既存の防除法よりも効果的かつ環境負荷の少ない外来アリ防除法といえる.毒餌による殺虫とフェロモンによる再侵入の抑制が,併用効果のメカニズムであると考えられる.本研究は,合成道しるべフェロモンを利用してアリの生息密度に有意な影響を与えた初めての研究である.

3. 社会構造に関連した生態研究

3-1. 原産地と侵入地のスーパーコロニー規模と生息密度の比較

他の侵略種と同様,原産地におけるアルゼンチンアリの生息密度は侵入地と比べて低いと想定されている.しかし春季に両地域の密度を比べた先行研究では有意な差が見られなかった.本研究では生息密度の高まる秋季に原産地と侵入地の4試験地ずつを利用してアルゼンチンアリの密度,スーパーコロニーの規模およびアリの相を比較した.密度の指標である行列規模,ベイトへの動員数はいずれも侵入地が原産地を数倍上回った.原産地の3試験地では500 m前後の範囲から2~5個の異なるスーパーコロニーが確認されたが,侵入地では全地域で巣間の敵対性が全く見られなかった.原産地では繁殖力・競争力の高いアリが複数種見られたが,侵入地ではそのようなアリは見られなかった.以上から,原産地ではスーパーコロニー間の競争,他種アリとの競争が春季以降のアルゼンチンアリの生息密度増加を抑制し得ることが示唆された.一方,これらの要素や環境に差があったにも関わらず,原産地の4試験区における生息密度は同程度だった.上記の2要素やその他が複合的に作用して原産地における密度を一定の範囲に制御していると考えられた.

3-2. ワーカーによるオスの選択:スーパーコロニー間の遺伝子流動抑制メカニズムの検討

アルゼンチンアリでは侵入地・原産地のいずれにおいてもスーパーコロニー間で遺伝子交流がほとんど起こらないことが知られているが,そのメカニズムは未知であった.本種の新女王は結婚飛行を行わないため,オスが他巣の新女王に近づくには他巣に侵入する必要がある.本研究ではオスが他のスーパーコロニーのワーカーから干渉を受けるのではないかという仮説を立て,日本の2スーパーコロニーを利用して行動試験,化学分析を行った.ワーカーは他のスーパーコロニーのワーカーに対するのと同様に他のスーパーコロニーのオスを攻撃したが,自分が属するスーパーコロニーのワーカーやオスには攻撃しなかった.同じスーパーコロニーに属するワーカーとオスの体表炭化水素組成のプロフィールはよく似ていた.ワーカーは自分が属するスーパーコロニーのオスと他のスーパーコロニーのオスを体表炭化水素プロフィールに基づいて識別しているらしい.オスが他のスーパーコロニーの巣に侵入した場合,ワーカーから相当の攻撃を受けることが予想され,このことがスーパーコロニー間の遺伝子交流を抑制する一要因になっていると考えられる.アルゼンチンアリは,女王と交尾するオスの選択にワーカーが参加するという,社会性昆虫の中でもこれまで報告例のない繁殖システムを持つようである.

4. まとめ

アルゼンチンアリの侵入履歴の推定を試みた結果,国際貿易によって過去150年の間に特定の系統(スーパーコロニー)が世界各地に広まったこと,近年貿易の拡大に同調してアジア圏を中心に侵入頻度が高まっていることが示唆された.これらは侵入・分布拡大の予防策を講じる上での基礎的知見となる.また,定着個体群の防除を試みた結果,高濃度の合成道しるべフェロモンによってアルゼンチンアリの行列行動を撹乱することで,採餌の抑制および地域的な分散の抑制が可能であることが示唆された.これらは侵略的外来アリの根絶・管理を行う上での新規防除戦略として期待される.さらに,侵入地におけるスーパーコロニーの巨大化において,人為的長距離分散およびスーパーコロニーの独自性の維持が重要であることが示された.スーパーコロニーの独自性の維持機構として,長距離分散に伴う遺伝的浮動や環境変化に対する体表炭化水素プロフィールの安定性,および繁殖干渉によるスーパーコロニー間の体表炭化水素プロフィールを決定する遺伝子の流動の抑制が示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

外来のアリ類は、外来生物の中でも生態系に与える悪影響がとくに大きいグループとして知られている.多くの侵略的外来アリは協力的な多数の巣から成る「スーパーコロニー」とよばれる特殊な社会構造を保有し,侵入地において高い生息密度に到達するとともに,生態系に大きな被害をもたらす.その被害を食い止めるため,分布拡大の予防と定着個体群の防除を行う必要があるが,侵入履歴に関する知見が少なく,真に効果的な防除方法も確立されていない.アルゼンチンアリLinepithema humileは南米原産であるが,過去150年余りの間に世界各地へと持ち運ばれ,近年日本にも侵入した.本研究は,侵略的外来生物であるアルゼンチンアリの防除に資する知見を得ること,本種のスーパーコロニーの形成・維持について理解を深めることを目的として行ったものであり,3章から構成されている.

1. 社会構造解析およびそれに基づいた侵入履歴推定

1-1. アルゼンチンアリ日本個体群の行動学的・化学生態学的・遺伝学的解析

アルゼンチンアリ日本個体群の社会構造を初めて明らかにした.行動学的,化学生態学的(巣仲間認識フェロモンである体表炭化水素)かつ遺伝学的に異なる4つのスーパーコロニーが発見され,各スーパーコロニーは独立の侵入起源をもつと考えられた.本結果は近年のアジアへの外来アリ侵入状況を象徴するものである.1つのスーパーコロニーは国内の生息地のほとんどに分布しており,人為的長距離分散によって急速に規模を拡大しつつあることが示唆された.一方,その他3つのスーパーコロニーは神戸港のみに分布し,海運による海外からの直接侵入が示唆された.

1-2. 日本のスーパーコロニーと海外の巨大スーパーコロニーとの行動学的関係

大陸を超えたアルゼンチンアリ個体群間の行動学的関係を世界に先駆けて調査した.ヨーロッパと北米でそれぞれ最大のスーパーコロニーに属するワーカーは,日本最大のスーパーコロニーに属するワーカーとの間で敵対性を示さなかったが,日本の小規模スーパーコロニーに属するワーカーとの間では激しく敵対した.3大陸の巨大スーパーコロニーは世界最大の動物コロニーであり,共通の侵入起源をもつと考えられた.

2. 合成道しるべフェロモンを利用した防除法の開発

2-1. 高濃度の合成(Z)-9-hexadecenalによる行列撹乱・採餌抑制効果の確認

高濃度の合成道しるべフェロモン(Z)-9-hexadecenalを利用したアルゼンチンアリの防除に取り組んだ.本法を用いたアルゼンチンアリの行列撹乱・採餌抑制効果を定量的に評価し,各66~87%,60~89%という数値を得た.

2-2. 合成(Z)-9-hexadecenalと毒餌の併用による野外防除試験

100 m2の生息範囲に対して合成道しるべフェロモン,毒餌,またはその両方の年間処理を行い,アルゼンチンアリの新規防除法開発を試みた.その結果,アルゼンチンアリの密度は併用処理によってのみ初期状態以下に維持することができた.併用処理は,既存の防除法よりも効果的かつ環境負荷が少ないといえる.毒餌による殺虫とフェロモンによる再侵入の抑制が,併用効果のメカニズムであると考えられた.本研究は,合成道しるべフェロモンを利用してアリの密度に有意な影響を与えた初めての研究である.

3. 社会構造に関連した生態研究

3-1. 原産地と侵入地のスーパーコロニー規模と生息密度の比較

原産地におけるアルゼンチンアリの密度は侵入地に比べ低いと想定されているが,春季に両地域の密度を比べた先行研究では有意な差は見出されていない.本研究では生息密度の高まる秋季に両地域で比較調査を行った.密度の指標である行列規模,餌への動員数はいずれも侵入地が原産地を数倍上回った.侵入地と異なり,原産地では近距離の巣間で敵対性が確認され,競争力の高い他種アリも複数見られた.原産地ではスーパーコロニー間の競争,他種アリとの競争が春季以降のアルゼンチンアリの生息密度増加を抑制していると考えられた.

3-2. ワーカーによるオスの選択: スーパーコロニー間の遺伝子流動抑制メカニズムの検討

アルゼンチンアリではスーパーコロニー間で遺伝子交流がほとんど起こらないことが知られるが,そのメカニズムは未知であった.本種の新女王は結婚飛行を行わないため,オスが他巣の新女王に近づくには他巣に侵入する必要がある.本研究ではオスが他のスーパーコロニーのワーカーから攻撃されるのではないかという仮説を立て,行動試験,体表炭化水素分析により仮説を支持する結果を得た.アルゼンチンアリは,女王と交尾するオスの選択にワーカーが参加するという,社会性昆虫の中でもこれまで殆ど報告例のない繁殖システムを持つと考えられた.

以上,本研究は国内外におけるアルゼンチンアリの侵入履歴推定を行い,特定のスーパーコロニーが世界各地に広まったこと,近年日本を含めアジアにおいて侵入頻度が高まっていることを明らかにした.また,高濃度の合成道しるべフェロモンを用いた本種の新規防除法の開発に道を開き,さらに,侵入地における巨大スーパーコロニーの形成・維持に関する新しい知見を得るなど,本研究の成果は学術上,応用上の価値が高い.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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