学位論文要旨



No 126879
著者(漢字) 橋本,将典
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,マサヨシ
標題(和) Flexivirus科ウイルスの細胞間移行に関わる遺伝子の機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 126879
報告番号 甲26879
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3632号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 鈴木,匡
 東京大学 特任准教授 大島,研郎
内容要旨 要旨を表示する

植物ウイルスは遺伝子構造・感染戦略などの点で極めて多様であり、様々な植物に感染し農作物の収量や品質の著しい低下を引き起こす。植物ウイルスの分類体系を整備し、個々のタンパク質の系統関係を明らかにすることは、植物ウイルスの早期の診断を可能にするとともに基礎研究においても重要な基盤的知見となる。また、植物ウイルスは感染・増殖の過程を宿主細胞に依存するために化学農薬による防除は極めて困難である。従って、多様な植物ウイルスに共通した感染戦略を明らかにし普遍性のあるウイルス防除手段の確立が望まれている。

Flexivirus科は長さ470nm~1000nmのひも状のウイルス粒子を持ち、単一のプラス1本鎖RNAをゲノムに持つウイルスの一群である。Flexivirus科には、農業生産上被害が大きいウイルスが多数含まれているほか、近年Flexivirus科ウイルスと高い相同性を有する菌類ウイルスが複数発見されている。従って、本ウイルス群の分類体系を整備し感染戦略を解明することは、ウイルス学上の意義のみならずウイルス病の診断といった応用面でも重要である。

ウイルスは植物細胞に侵入すると、初期感染細胞においてウイルスゲノムを「複製」し、細胞間をつなぐ原形質連絡を通じて「細胞間移行」し隣接細胞へと拡がる。さらに、篩部細胞に到達したウイルスは篩管流に乗り植物体全体に「長距離移行」する。植物ウイルスの多くは、細胞間移行に必須な移行タンパク質(movement protein; MP)をゲノムにコードしている。一方、外被タンパク質(coat protein; CP)はウイルスゲノムRNAと共にウイルス粒子を形成する主成分であるが、複数のウイルス属においては細胞間移行にも関与することが知られている。しかし、その具体的な機能についてはほとんど知られていない。

以上のような背景から本研究では、前半でFlexivirus科ウイルスの遺伝子構造を明らかにし、個々のタンパク質の系統関係を明らかにした。一方、本研究の後半ではFlexivirus科Potexvirus属ウイルスの細胞間移行に関与するCP遺伝子の機能について詳細な解析を行い、細胞間移行に必須なアミノ酸残基を特定した。

1. Flexivirus科ウイルスの遺伝子構造に関する解析

Flexivirus科Potexvirus属のアスパラガスウイルス3 (asparagus virus 3; AV3)およびCarlavirus属のフキモザイクウイルス (butterbur mosaic virus; ButMV)は、いずれも宿根性の作物を宿主としていることから遺伝子レベルでの正確な診断技術の確立が望まれている。そこで本研究では、両ウイルスの遺伝子構造ならびに分類学的性状を明らかにした。

1.1 アスパラガスウイルス3 (asparagus virus 3; AV3)の遺伝子構造

AV3は、若い葉に軽微な黄化症状を呈するアスパラガス(Asparagus officinalis)から見出された。およそ580nm×13nmのひも状の粒子を持ち、抗血清に対する反応などから、Potexvirus属の暫定種とされていた。

AV3のゲノム塩基配列を解読したところ、poly (A) tailをのぞき全長6,937塩基であった。ゲノムには、他のPotexvirus属ウイルスと同様に5つのORFが存在し、5´末端からそれぞれ複製酵素(RNA-dependent RNA polymerase; RdRp)、移行タンパク質(triple gene block protein 1, -2, -3; TGBp1, 2, 3)およびCPであると推定された。また、RdRpおよびCPのアミノ酸配列を用いて系統樹を作製したところ、いずれにおいてもAV3はscallion virus X(ScaVX)と非常に近縁であることが示唆された。

次に、AV3とScaVXの関係を明らかにするため、RdRpおよびCPの塩基配列ならびにアミノ酸配列を比較したところ、既存のPotexvirus属の種と系統の分類基準では両者の関係を判断できなかった。そこで、Potexvirus属内でTGBを含めたすべてのORFについて塩基配列ならびにアミノ酸配列に基づくペアワイズ解析を行ったところ、細胞間移行に関与することが知られているTGBp3およびCPにおいて同種異系統と判断される相同性の値を示した。以上のことから、AV3はScaVXと同種異系統であると考えられた。

1.2 フキモザイクウイルス (butterbur mosaic virus; ButMV)の遺伝子構造

ButMVはモザイク症状を呈する栽培フキ(Petasites japonicus)から見出された。およそ670nm×13nmのひも状の粒子を持ち、Carlavirus属のタイプ種であるcarnation latent virus(CLV)ウイルス粒子に対する抗血清に反応することなどから同属に分類されている。

ButMVのゲノム塩基配列を解読したところ、poly (A) tailを除き全長8,662塩基であった。他のCarlavirus属ウイルスと同様に、Potexvirus属ウイルスと類似したゲノム構造を有し、5´末端からRdRp、TGBp1~3、CPのほか、最も3´末端にはCarlavirus属を含む一部のFlexivirus科に特有の核酸結合タンパク質 (nucleic acid binding protein; NABP)がコードされていた。次に、RdRpおよびCPのアミノ酸配列を用いて系統樹を作製したところ、RdRpの系統樹においてButMVはCVNVと最も近縁であった。一方でCPの系統樹においてはCLVと最も近縁であった。以上のことから、ButMVはCarlavirus属に分類されるべきウイルスであることが明らかにされた。

NABPはCarlavirus属ウイルスの全身感染には必須ではないものの、RNAおよびDNAへの結合活性を有することから宿主との相互作用において何らかの機能を有すると考えられている。NABPについて系統樹を作成したところ、Carlavirus属ウイルスのNABPは互いに遠縁な3つのグループに分かれることが見出された。さらに他属ウイルスにコードされるNABPはいずれも属内で一つのクラスターを組んだが、Carlavirus属ウイルスのNABPは他属ウイルスのものと入れ子状態になることが判明した。以上のことから、Carlavirus属ウイルスのNABPは、一度の水平動により獲得された後他属ウイルスへ拡散したか、系統的に離れたグループごとに独立して他属ウイルスから水平移動により獲得されたか、宿主との相互作用の結果収斂進化を遂げたものと推測された。

2. Flexivirus科ウイルスの細胞間移行における外被タンパク質に関する解析

2.1 CPに存在する2つのAUGコドンと病原性の関係

plantago asiatica mosaic virus(PlAMV)は、約500nm×13nmのひも状のウイルスであり、Potexvirus属に分類される。CP遺伝子の5´末端には同一フレーム内に2つのAUGコドン(5´末端側からAUG1、AUG2とする)が存在している。

そこで、AUG1、AUG2あるいは両方に変異導入したウイルス(それぞれmCP1、mCP2およびmCP12)を構築し、CPの翻訳開始点とウイルスの病原性との関連について解析した。タバコ属植物Nicotiana benthamianaにアグロインフィルトレーション法により各変異ウイルスを接種したところ、mCP2は野生型のPlAMVと同程度の病原性を示したのに対して、mCP1、mCP12は病原性が著しく低下した。また、CP抗体を用いたImmuno-tissue blot法により接種葉におけるウイルスの拡がりを調べたところ、mCP2は野生型のPlAMVと同程度にウイルスが拡がったのに対して、mCP1では拡がりが著しく抑制された。以上の結果から、mCP1は野生型のPlAMVおよびmCP2と比較してアミノ末端領域の14 aaを欠失したことにより、ウイルスの拡がりが抑制され、その結果病原性が低下したと考えられた。

2.2 トランス相補実験を用いたウイルスの細胞間移行に関する解析

Potexvirus属ウイルスのCPは細胞間移行に関わることが知られているため、細胞間移行におけるCPアミノ末端領域の14 aaの機能について詳細な解析を試みた。まず、CP遺伝子を欠失させGFP遺伝子を導入した変異ウイルスPlAMV-GFPΔCPを構築した。PlAMV-GFPΔCPは細胞間移行能を失っているため、N. benthamianaに接種するとGFP蛍光が単一細胞にとどまった。PlAMV-GFPΔCPと同時にCPを一過的に発現させたところ、GFP蛍光の拡がりが観察され、細胞間移行が相補された。このようなトランス相補実験を用い、CPアミノ末端領域の14 aaを欠失したCP14Δを一過的に発現させたところ、GFP蛍光の拡がりは認められずPlAMV-GFPΔCPの細胞間移行は相補されなかった。

Potexvirus属のCPは細胞間移行およびウイルス粒子形成において重要な機能を果たしている。そこで、CP14Δによるウイルス粒子形成能について調べた。PlAMV-GFPΔCPとともにCP14Δを一過的に発現させウイルス粒子を精製したのち電子顕微鏡を用いて観察したところ、野生型のPlAMVと同様のひも状のウイルス粒子が観察された。以上の結果より、CPアミノ末端領域の14 aaはウイルス粒子形成に必須ではないが、細胞間移行に重要であると考えられた。

さらにトランス相補実験を用いて細胞間移行に重要な領域の特定を試みた。まず、CPアミノ末端領域の5 aaを欠失したCP5Δを一過的に発現したところ、細胞間移行は相補されなかった。次に、アラニンスキャニング変異導入により、細胞間移行に重要なアミノ酸残基の同定を試みた。CP5Δにおいて欠失させた5つのアミノ酸残基のそれぞれをアラニンに置換したCPL3A、CPN4A、CPQ5A、CPP7Aを作製した(6番目はアラニン)。トランス相補実験を行ったところ、CPN4A、CPQ5A、CPP7AはPlAMV-GFPΔCPの細胞間移行を相補したが、CPL3Aは相補しなかった。これらのことから、CPアミノ末端領域の少なくとも5 aaが細胞間移行に必須であり、特に3番目のロイシン残基が細胞間移行に重要であることが示唆された。

次にPlAMVのCPアミノ末端領域の細胞間移行における機能が、普遍性を有する可能性について検討を行った。Potexvirus属ウイルスのなかでPlAMVにもっとも近縁な種であるtulip virus X(TVX)およびタイプ種であるpotato virus X(PVX)のCPアミノ酸配列をPlAMVと比較し、PlAMVのCPアミノ末端領域14 aaに該当するTVXのCPとPVXのCPのそれぞれのアミノ末端領域とCP14Δを融合タンパク質として発現するキメラCP(TV-CP、PV-CP)を作製した。TV-CPはPlAMV-GFPΔCPの細胞間移行を相補したが、PV-CPは細胞間移行を相補しなかった。このことから、Potexvirus属内の近縁なウイルス種間においてCPアミノ末端領域の機能は高度に保存されている可能性が考えられた。

Potexvirus属ウイルスのCPアミノ末端領域はウイルス粒子の表面に露出することが知られており、TGBなどのウイルス因子や宿主因子と相互作用する可能性が考えられる。これまでに、Closterovirus属ウイルスのCPがMPと相互作用する例や、Potyvirus属ウイルスのCPが宿主植物のDnaJ様タンパク質と相互作用する例などが知られており、これらの相互作用はウイルスの細胞間移行に重要な機能を持つことが示唆されている。Potexvirus属ウイルスのCPアミノ末端領域の機能は他のウイルス属で保存されている可能性が考えられ、今後さらなる詳細な機能の解明が期待される。

以上を要するに、本研究では2種類のFlexivirus科ウイルスの遺伝子構造を明らかにし、細胞間移行を含むウイルスの感染過程において重要な機能を持つ個々のタンパク質の系統関係について議論を行った。また、Flexivirus科ウイルスの細胞間移行における外被タンパク質の機能について解析を行い、細胞間移行において重要なアミノ酸残基を特定した。当該アミノ酸残基が他のウイルス因子あるいは宿主因子との相互作用に重要であると考えられたことから、本研究の成果は他のウイルスの細胞間移行にも共通したCPの機能を明らかにする端緒となる可能性があり今後の展開が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

植物ウイルスは、様々な植物に感染し農作物の収量や品質の著しい低下を引き起こすが、感染・増殖の過程を宿主細胞に依存するために化学農薬による防除は極めて困難である。従って、多様な植物ウイルスに共通した感染戦略を明らかにし普遍性のあるウイルス防除手段の確立が望まれている。本研究では、日本国内で発生したFlexivirus科ウイルスを対象として、遺伝子構造および系統関係を明らかにし、細胞間移行に関与するCP遺伝子の機能に関する解析を行った。

1. Flexivirus科ウイルスの遺伝子構造に関する解析

Flexivirus科Potexvirus属のアスパラガスウイルス3 (asparagus virus 3; AV3)およびCarlavirus属のフキモザイクウイルス (butterbur mosaic virus; ButMV)は、いずれも宿根性の作物を宿主としていることから遺伝子レベルでの正確な診断技術の確立が望まれている。そこで本研究では、両ウイルスの遺伝子構造ならびに分類学的性状を明らかにした。

AV3のゲノム塩基配列はpoly (A) tailをのぞき全長6,937塩基であった。ゲノムには、他のPotexvirus属ウイルスと類似した5つのORFが存在した。RdRpおよびCPのアミノ酸配列を用いて系統樹を作製したところ、いずれにおいてもAV3はscallion virus X(ScaVX)と非常に近縁であることが示唆された。次にAV3とScaVXの関係を明らかにするため、Potexvirus属内でTGBを含めたすべてのORFについて塩基配列ならびにアミノ酸配列に基づいてペアワイズ解析を行った結果、AV3はScaVXと同種異系統であると考えられた。

ButMVのゲノム塩基配列はpoly (A) tailを除き全長8,662塩基であった。他のCarlavirus属ウイルスと類似したゲノム構造を有し、RdRpおよびCPのアミノ酸配列を用いて系統樹を作製したところ、RdRpではCVNVと、CPではCLVと最も近縁であった。以上のことから、ButMVはCarlavirus属に分類されるべきウイルスであることが明らかにされた。

2. Flexivirus科ウイルスの細胞間移行における外被タンパク質に関する解析

2.1 CPに存在する2つのAUGコドンと病原性の関係

Potexvirus属に分類されるplantago asiatica mosaic virus(PlAMV)は、CP遺伝子の5´末端には同一フレーム内に2つのAUGコドン(5´末端側からAUG1、AUG2とする)が存在している。AUG1、AUG2あるいは両方に変異導入したウイルス(それぞれmCP1、mCP2およびmCP12)を構築し、CPの翻訳開始点とウイルスの感染性への影響について解析した。タバコ属植物において、mCP2は野生型のPlAMVと同程度の病原性を示したのに対して、mCP1、mCP12は病原性が著しく低下した。また、CP抗体を用いたImmuno-tissue blot法により接種葉におけるウイルスの拡がりを調べたところ、mCP2は野生型のPlAMVと同程度にウイルスが拡がったのに対して、mCP1では拡がりが著しく抑制された。以上の結果から、mCP1は野生型のPlAMVおよびmCP2と比較してアミノ末端領域の14 aaを欠失したことにより、ウイルスの拡がりが抑制され、その結果病原性が低下したと考えられた。

2.2 トランス相補実験を用いたウイルスの細胞間移行に関する解析

細胞間移行におけるCPアミノ末端領域の細胞間移行における機能について詳細な解析を試みた。まず、CP遺伝子を欠失させGFP遺伝子を導入した変異ウイルスPlAMV-GFPΔCPを作製し、同時にCPを一過的に発現させGFP蛍光の拡がりにより細胞間移行を判定するトランス相補実験系を構築した。CPアミノ末端領域の14 aaあるいは5 aaを欠失したCP14Δ、CP5Δを一過的に発現させたところ、GFP蛍光の拡がりは認められずPlAMV-GFPΔCPの細胞間移行は相補されなかった。また、PlAMV-GFPΔCPとともにCP14Δを一過的に発現させウイルス粒子を精製したのち電子顕微鏡を用いて観察したところ、野生型のPlAMVと同様のひも状のウイルス粒子が観察された。以上の結果より、CPアミノ末端領域はウイルス粒子形成に必須ではないが、細胞間移行に重要であると考えられた。次に、アラニンスキャニング変異導入により、細胞間移行に重要なアミノ酸残基の同定を試みた。その結果、CPアミノ末端領域の5 aaのうち特に3番目のロイシン残基が細胞間移行に重要であることが示唆された。

PlAMVのCPアミノ末端領域の細胞間移行における機能が、普遍性を有する可能性について検討を行った。PlAMVにもっとも近縁な種であるtulip virus X(TVX)およびタイプ種であるpotato virus X(PVX)のCPアミノ酸配列をPlAMVと比較し、PlAMVのCPアミノ末端領域14 aaに該当するTVXのCPとPVXのCPのそれぞれのアミノ末端領域とCP14Δを融合タンパク質として発現するキメラCP(TV-CP、PV-CP)を作製した。その結果、TV-CPは細胞間移行を相補したが、PV-CPは細胞間移行を相補できなかった。以上のことから、CPアミノ末端領域の機能は近縁なウイルス種間において高度に保存されている可能性が考えられた。

以上を要するに、本研究では2種類のFlexivirus科ウイルスの遺伝子構造を明らかにし、細胞間移行を含むウイルスの感染過程において重要な機能を持つ個々のタンパク質の系統関係について議論を行った。また、Flexivirus科ウイルスの細胞間移行における外被タンパク質の機能について解析を行い、細胞間移行において重要なアミノ酸残基を特定した。当該アミノ酸残基が他のウイルス因子あるいは宿主因子との相互作用に重要であると考えられたことから、本研究の成果は他のウイルスの細胞間移行にも共通したCPの機能を明らかにする端緒となる可能性があり今後の展開が期待される。以上のように本研究の成果は、学術上また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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