学位論文要旨



No 126880
著者(漢字) 星,朱香
著者(英字)
著者(カナ) ホシ,アヤカ
標題(和) ファイトプラズマの病原性因子「TENGU」に関する研究
標題(洋)
報告番号 126880
報告番号 甲26880
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3633号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 宇垣,正志
 静岡大学 教授 瀧川,雄一
 東京大学 准教授 伊藤,純一
 東京大学 特任准教授 大島,研郎
内容要旨 要旨を表示する

植物は菌類、細菌、ウイルスなどの病原微生物に感染すると、葉や花器などに様々な症状(病徴)を示し、農作物では収量や品質が著しく低下する。これらの病原微生物が植物に引き起こす病徴の発現機構を解明することは、農学における最重要課題の一つである。近年、これら植物の病徴のうち、壊疽斑、胴枯れ・葉枯れ、癌腫・潰瘍、すす点といった細胞死を伴う病徴に関する研究は急速に進展し、細胞死誘導の分子機構や関連因子についての知見が数多く報告されている。しかしながら、自然界において病原体の感染により誘導される病徴には、細胞死を伴うもの以外にも様々な病徴がある。それらの多くは、植物に形態異常を引き起こす病徴であり、例として、縮葉、巻葉、矮化、萎縮、叢生、抽薹、花器官の緑化・葉化等が挙げられる。しかしながら、これらの病徴を誘導する病原微生物由来の因子は、ほとんど特定されていないことから、植物の形態異常を伴う病徴発現の分子メカニズムについては未だ未解明な部分が多い。

ファイトプラズマは、世界中で約700種以上の植物に感染する病原細菌である。また、ファイトプラズマに感染した植物は、萎縮、叢生、黄化、花器官の緑化・葉化・突き抜け症状等の形態異常を伴った特徴的な病徴を示すことから、その病徴発現に至る分子メカニズムには興味を持たれてきた。しかしながら、人工培養系および、形質転換系が確立していないことから、その分子生物学的研究は遅れ、病徴誘導メカニズムも不明であった。

そこで、本研究では、花器官に緑化、葉化、突き抜け症状を引き起こすアジサイ葉化病ファイトプラズマ(Japanese Hydrangea phyllody(JHP)phytoplasma)と、萎縮・叢生症状を引き起こすタマネギ萎黄病ファイトプラズマ(Onion yellows(OY)phytoplasma)を用いて、感染植物内におけるファイトプラズマの局在、および感染から形態異常を誘導するまでの分子メカニズムの全容解明を目的として以下の解析を行った。

1. 葉化アジサイの花器官におけるファイトプラズマの局在解析

葉化症状を示すアジサイの花器官におけるJHPファイトプラズマの分布を解析し、形態異常とファイトプラズマの局在についての関連性を調べた。一般に、ファイトプラズマの菌体表面の大半は、主要抗原膜タンパク質(Antigenic membrane protein:Amp)に覆われていると考えられており、Ampに対する抗体を作出することにより、特異性の高いファイトプラズマの検出が可能である。そこで、JHPファイトプラズマのAmpをコードするJHP-amp遺伝子のクローニングを行い、抗JHP-Amp抗体を作出した。次に、健全アジサイおよび葉化アジサイの花器官の切片について、抗JHP-Amp抗体を用いた免疫組織化学的解析を行い、JHP-Ampタンパク質を検出した。その結果、葉化アジサイ花器官の維管束の篩部組織においてJHP-Amp特異的なシグナルが検出された。加えて、葉化した萼片の葉脈や、葉化した柱頭に形成された篩部組織からもシグナルが認められた。一方、器官分化に重要な役割を果たす頂芽分裂組織など、篩部以外の組織からはシグナルは認められなかった。これらの結果から、ファイトプラズマ自身は篩部組織に留まりながら、植物の形態形成に影響を与え、葉化症状などの形態異常を引き起こすことが示唆された。

ファイトプラズマは、宿主細胞内に局在し、ペプチドグリカン等からなる細胞壁を欠くことから、ファイトプラズマの菌体の外に放出される分泌タンパク質は、植物宿主に直接的に働きかけ、病原性を発現する機能を持つ可能性が高く、病原性因子の最有力候補と考えられる。そこで、上記の結果を踏まえ、次項ではファイトプラズマの分泌タンパク質に焦点を当て、病原性因子の同定および病徴誘導メカニズムの解明を目的として、以下の解析を行った。

2. 植物に形態異常を誘導する病原性因子の探索

OYファイトプラズマは、タンパク質輸送系であるSec systemを介してタンパク質を菌体外へと分泌することから、シグナル配列推定プログラムであるSignalP 3.0やPSORTなどを使うことにより、Sec systemを介して輸送されるタンパク質を推定することできる。そこで、OYファイトプラズマの全ゲノム情報より分泌タンパク質遺伝子を予測し、それら分泌タンパク質を、ウイルスベクターを用いてNicotiana benthamianaに一つずつ一過的に発現させ、植物の応答を調べた。その結果、分泌タンパク質のうち、PAM765を発現させた植物において、頂芽から複数のシュートが分化する叢生症状と萎縮症状が認められた。さらに、PAM765を恒常的に発現するシロイヌナズナの形質転換体を作出したところ、同様の叢生および萎縮症状を示した。日本において、叢生および萎縮症状を示す植物は、てんぐが巣を作ったように見えたことから、これらの症状はてんぐ巣症状と呼ばれてきた。そこで、植物にてんぐ巣症状を誘導する病原性因子として、PAM765を「tengu-su inducer(TENGU)」と命名した。

3. 病原性因子「TENGU」によるてんぐ巣症状誘導メカニズムの解析

TENGUは極めて小さなタンパク質であり、分泌の際にN末端のシグナルペプチド部分が切断され、わずか38アミノ酸(分子量:4.5 kDa)になると考えられる。一般に、篩部要素と伴細胞をつなぐ原形質連絡を通過できる分子の分子量上限は約10~40 kDaであることから、TENGUはファイトプラズマから分泌された後に、篩部組織から非篩部組織へと移行することが理論上可能である。そこで、TENGUの植物組織内における挙動を調べるため、抗TENGU抗体を用いた免疫組織化学的解析を行った結果、TENGUは篩部組織にとどまらず、茎の内部組織(髄)全体で検出された。特に、TENGUは分枝領域や茎の先端周辺に多く局在し、加えて茎頂においても局在が認められた。以上の結果は、TENGUが篩部組織から隣接組織、そして茎頂に向かって移行する性質を持つ可能性を示唆している。

さらに、TENGUによるてんぐ巣症状誘導メカニズムを調べるため、TENGU発現形質転換体において特異的に発現変動する植物遺伝子群を、マイクロアレイ解析によって調べた。その結果、TENGU発現形質転換体では、植物ホルモンのオーキシンに関連した遺伝子群の発現低下が認められた。このことからTENGUにはオーキシンのシグナル経路や生合成経路を抑制する機能があると考えられる。また、TENGUによるオーキシン作用の抑制により、頂芽優勢が解除され、頂芽の伸長が抑制される一方で、側芽の伸長が促進され、結果として、萎縮や叢生症状を伴ったてんぐ巣病が引き起こされるものと考えられる。

ファイトプラズマは植物だけでなく、ヨコバイ等の昆虫にも細胞内寄生する細菌である。リアルタイムPCRにより、植物と昆虫におけるファイトプラズマのTENGU遺伝子の発現量を比較したところ、植物宿主内では昆虫宿主内に比べ、約5倍も多く発現していた。これは、TENGUが植物において重要な機能を担っていることを示唆している。以上の結果より、ファイトプラズマは、篩部組織から隣接組織や茎頂分裂組織へと拡散するTENGUを分泌することにより、自身では侵入できない組織における植物宿主の形態形成を間接的に制御し、てんぐ巣症状を誘導していると考えられる。

4. まとめ

本研究では、ファイトプラズマの分泌タンパク質を標的として機能スクリーニングを行い、植物にてんぐ巣症状を誘導する病原性因子「TENGU」を同定した。さらに、TENGU形質転換体を用いたマイクロアレイ解析および、抗TENGU抗体を用いた免疫組織化学的解析の結果、TENGUはファイトプラズマから分泌された後、頂芽分裂組織を含む植物体全体へと拡散し、オーキシン作用を抑制することで、萎縮および叢生症状を引き起こすという新規な病徴誘導メカニズムを提唱することができた。

ファイトプラズマ以外にも、植物に叢生や萎縮症状を引き起こす病原微生物が存在するが、いずれも植物ホルモンを直接分泌するものである。一方、TENGUは、植物に形態異常を引き起こす初めてのペプチド性病原性因子である。本研究により、ファイトプラズマは、植物ホルモンを生産する遺伝子を持たない代わりにTENGUを植物宿主に送り込み、オーキシン作用を抑制することで、てんぐ巣症状を誘導するというユニークな病徴誘導メカニズムを持つことが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

植物は菌類、細菌、ウイルスなどの病原微生物に感染すると、葉や花器などに様々な症状(病徴)を示し、農作物では収量や品質が著しく低下する。これらの病原微生物が植物に引き起こす病徴の発現機構を解明することは、農学における最重要課題の一つである。しかしながら、病原体の感染により誘導される植物に形態異常を伴った病徴については、その誘導メカニズムの大部分が不明である。

ファイトプラズマは、世界中で約700種以上の植物に感染する病原細菌である。また、ファイトプラズマに感染した植物は、萎縮、叢生、黄化、花器官の緑化・葉化・突き抜け症状等の形態異常を伴った特徴的な病徴を示すことから、その病徴発現に至る分子メカニズムには興味を持たれてきた。しかしながら、人工培養系および、形質転換系が確立していないことから、その分子生物学的研究は遅れ、病徴誘導メカニズムも不明であった。

そこで、本研究では、花器官に緑化、葉化、突き抜け症状を引き起こすアジサイ葉化病ファイトプラズマ(Japanese Hydrangea phyllody(JHP)phytoplasma)と、萎縮・叢生症状を引き起こすタマネギ萎黄病ファイトプラズマ(onion yellows(OY)phytoplasma)を用いて、感染植物内におけるファイトプラズマの局在、および感染から形態異常を誘導するまでの分子メカニズムの全容解明を目的として以下の解析を行った。

1. 葉化アジサイの花器官におけるファイトプラズマの局在解析

葉化症状を示すアジサイの花器官におけるJHPファイトプラズマの分布を解析し、形態異常とファイトプラズマの局在についての関連性を調べた。まず、JHPファイトプラズマの局在を解析するために、ファイトプラズマの菌体表面の大半を覆う主要抗原膜タンパク質(Antigenic membrane protein:Amp)に対する抗体を作出した。次に、健全アジサイおよび葉化アジサイの花器官の切片について、抗JHP-Amp抗体を用いた免疫組織化学的解析を行った。その結果、葉化アジサイ花器官の維管束の篩部組織および、葉化した萼片の葉脈や、葉化した柱頭に形成された篩部組織においてJHP-Amp特異的なシグナルが検出された。一方、器官分化に重要な役割を果たす頂芽分裂組織など、篩部以外の組織からはシグナルは認められなかった。これらの結果から、ファイトプラズマ自身は篩部組織に局在した状態で、遠隔的に植物の遺伝子発現や形態形成に影響を与え、葉化症状などの形態異常を引き起こすことが示唆された。

このファイトプラズマによる形態形成の遠隔的な制御メカニズムの一つの仮説として、移行性の病原性因子の関与が考えられた。ファイトプラズマは、宿主細胞内に局在し、ペプチドグリカン等からなる細胞壁を欠くことから、ファイトプラズマの菌体の外に放出される分泌タンパク質は、植物宿主に直接的に働きかけ、病原性を発現する機能を持つ可能性が高く、病原性因子の最有力候補と考えられる。そこで、上記の結果を踏まえ、次項ではファイトプラズマの分泌タンパク質に焦点を当て、病原性因子の同定および病徴誘導メカニズムの解明を試みた。

2. 植物に形態異常を誘導する病原性因子の探索

分泌タンパク質より病原性因子を単離するため、OYファイトプラズマの全ゲノム情報よりシグナル配列推定プログラムであるSignalP 3.0を用いて分泌タンパク質遺伝子を予測し、それら分泌タンパク質を、ウイルスベクターを用いてNicotiana benthamianaに一つずつ一過的に発現させ、植物の応答を調べた。その結果、分泌タンパク質のうち、PAM765を発現させた植物において、頂芽から複数のシュートが分化する叢生症状と萎縮症状が認められた。さらに、PAM765を恒常的に発現するシロイヌナズナの形質転換体を作出したところ、同様の叢生および萎縮症状を示した。日本において、叢生および萎縮症状を示す植物は、てんぐが巣を作ったように見えたことから、これらの症状はてんぐ巣症状と呼ばれてきた。そこで、植物にてんぐ巣症状を誘導する病原性因子として、PAM765を「tengu-su inducer(TENGU)」と命名した。

3. 病原性因子「TENGU」によるてんぐ巣症状誘導メカニズムの解析

TENGUの分泌領域は、わずか38アミノ酸(分子量:4.5 kDa)の極めて小さなタンパク質である。そこで、TENGUの植物組織内における挙動を調べるため、抗TENGU抗体を用いた免疫組織化学的解析を行った結果、TENGUは篩部組織にとどまらず、茎の内部組織(髄)全体で検出された。特に、TENGUは分枝領域や茎の先端周辺に多く局在し、加えて茎頂においても局在が認められた。以上の結果は、TENGUが篩部組織から隣接組織、そして茎頂に向かって移行する性質を持つ可能性を示唆している。

さらに、TENGUによるてんぐ巣症状誘導メカニズムを調べるため、TENGU発現形質転換体において特異的に発現変動する植物遺伝子群を、マイクロアレイ解析によって調べた。その結果、TENGU発現形質転換体では、植物ホルモンのオーキシンに関連した遺伝子群の発現低下が認められた。このことからTENGUは、オーキシンのシグナル経路や生合成経路を抑制する機能をもつ可能性が示唆された。このTENGUによるオーキシン作用の抑制により、頂芽優勢が解除され、頂芽の伸長が抑制される一方で、側芽の伸長が促進され、結果として、萎縮や叢生症状を伴ったてんぐ巣病が引き起こされるものと考えられた。

ファイトプラズマは植物だけでなく、ヨコバイ等の昆虫にも細胞内寄生する細菌である。リアルタイムPCRにより、植物と昆虫におけるファイトプラズマのTENGU遺伝子の発現量を比較したところ、植物宿主内では昆虫宿主内に比べ、約5倍も多く発現していた。これは、TENGUが植物において重要な機能を担っていることを示唆している。以上の結果より、ファイトプラズマは、篩部組織から隣接組織や茎頂分裂組織へと拡散するTENGUを分泌することにより、自身では侵入できない組織における植物宿主の形態形成を遠隔的に制御し、てんぐ巣症状を誘導していると考えられた。

以上を要するに、本研究では、ファイトプラズマの分泌タンパク質を標的として機能スクリーニングを行い、植物にてんぐ巣症状を誘導する病原性因子「TENGU」を同定した。さらに、TENGU形質転換体を用いたマイクロアレイ解析および、抗TENGU抗体を用いた免疫組織化学的解析の結果、TENGUはファイトプラズマから分泌された後、頂芽分裂組織を含む植物体全体へと拡散し、オーキシン作用を抑制することで、萎縮および叢生症状を引き起こすという新規な病徴誘導メカニズムを提唱した。本研究の成果は、学術上の新規性、また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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