学位論文要旨



No 126882
著者(漢字) 宮下,脩平
著者(英字)
著者(カナ) ミヤシタ,シュウヘイ
標題(和) 植物RNAウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックに関する研究
標題(洋)
報告番号 126882
報告番号 甲26882
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3635号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 農業生物資源研究所 上級研究員 石川,雅之
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 岩田,洋佳
内容要旨 要旨を表示する

植物RNAウイルスは進化が早く、一回の接種を行うだけで変異体が現れることや、適応度の低い変異体を植物体に接種した場合に、復帰変異を起こし野生型に戻ったものや野生型と同等の性質を示す疑似復帰変異体が現れることもある。植物RNAウイルスの進化が速い理由の一つは、ウイルスゲノムにコードされた複製タンパク質が校正機能を持たないため、突然変異率が高いことにあるが、もうひとつの理由は変異の固定にかかる時間が短いことによると考えられる。一般的に、次の世代に子孫を残す集団の規模が小さいこと、すなわち「遺伝的ボトルネック」が変異の固定を促進することが知られており、それは植物RNAウイルスにも当てはまると考えられる。

植物RNAウイルスはその生活環においていくつかの遺伝的ボトルネックを経験することが知られている。多くの植物RNAウイルスの生活環は、以下のようなものである。まず細胞内において複製し、プラズモデスマータを通って細胞から細胞へ移行(細胞間移行)し、局部的な感染域を拡大する。維管束に到達すると篩管または導管を通って植物体全体に感染域を拡大(全身移行)する。一部の植物RNAウイルスは種子を経由して次世代に垂直伝搬されたり、接触等による機械的伝搬により植物体から植物体へ水平伝搬されたりするが、多くのものは昆虫や線虫、菌類などの媒介生物によって水平伝搬される。これまでに、Wheat streak mosaic virus (WSMV)の全身移行や昆虫伝搬における遺伝的ボトルネックの存在や、タバコモザイクウイルス(TMV)の全身移行やキュウリモザイクウイルス(CMV)の全身移行と昆虫伝搬、ジャガイモYウイルス(PVY)の昆虫伝搬における遺伝的ボトルネックの存在が示されてきた。しかし、細胞間移行における遺伝的ボトルネックの存在は、明らかにされていなかった。本研究では植物RNAウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックの存在を示し、その植物RNAウイルスの進化における意義を数理モデルにより検討した。さらに、遺伝的ボトルネックの発生機構についての検討を行った。

1.ムギ類萎縮ウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックの発見

本研究ではまず、ムギ類萎縮ウイルス(SBWMV)の細胞間移行における遺伝的ボトルネックの存在を明らかにした。SBWMVは2分節の(+)鎖RNAウイルスである。RNA2の外被タンパク質(CP)遺伝子および関連タンパク質遺伝子を、核局在化シグナルを付加した蛍光タンパク質YFP遺伝子およびCFP遺伝子の配列に置換したRNA2ベクター(RNA2.NLS-YFP.p19、RNA2.NLS-CFP.p19)を作製し、RNA1と混合してChenopodium quinoaの葉に機械的接種すると、大半の箇所でYFPとCFP両方の蛍光が混在して観察されたが、2種類の蛍光は混在状態から感染域の拡大に伴って分離し、7-9回の細胞間移行で殆どの細胞がどちらか一方の蛍光を示すようになった。同様の蛍光の分離はコムギへの接種でも確認された。この結果は、2種類のRNA2ベクター間で感染領域の分離が起こったことを示しており、隣接細胞で感染を成立させるウイルスゲノム数が非常に少なく、細胞間移行において細胞内ウイルス集団に対する遺伝的ボトルネックが存在することを示している。C. quinoaにおいて、1回目および2回目の細胞間移行後の混合感染細胞と単独感染細胞の数を数え、遺伝的ボトルネックの大きさの推定に用いたところ、最初の混合感染細胞から1回目、2回目の細胞間移行における遺伝的ボトルネックの大きさは、それぞれ5.97±0.22,5.02±0.29となった(最尤推定値±標準誤差)。

2.細胞間移行における遺伝的ボトルネックによるウイルスの適応的な進化の促進

細胞間移行における遺伝的ボトルネックが植物RNAウイルスの適応的な進化に果たす役割について簡単な数理モデルを作成して検討した。その結果、翻訳されるゲノムRNAに翻訳と共役して結合するなどしてcisに働く遺伝子や因子においては細胞間移行における遺伝的ボトルネックは選択速度に寄与しないが、ゲノムに対してtransに働く遺伝子や因子では、細胞間移行における遺伝的ボトルネックが適応的なゲノムと適応的でないゲノムを確率的に分離することで、選択を促進している可能性が示された。

3.遺伝的ボトルネック発生機構に関する検討(ムギ類萎縮ウイルス)

上述のRNA2.NLS-YFP.p19とRNA2.NLS-CFP.p19(塩基配列相同性 99.6%)を混合しRNA1とともにオオムギ葉肉プロトプラストに接種した場合も確率的な単独感染が見られ、プロトプラスト接種においても遺伝的ボトルネックが生じることが明らかになった。さらに細胞毎のYFPとCFPの蛍光強度比を、感染を成立させたウイルスゲノム数の比と見なして解析した結果、遺伝的ボトルネックの大きさは4.12±1.52と推定された。一方、RNA2.NLS-YFP.p19のYFP配列を相同性の低いTurboYFP配列に、p19配列をSBWMVネブラスカ株のp19配列に置換したRNA2.NLS-tYFP.NEp19とRNA2.NLS-CFP.p19(塩基配列相同性 76.0%)を混合しRNA1とともに接種した場合、見かけの遺伝的ボトルネックの大きさは7.61±1.22と推定され、ウイルスゲノム間の塩基配列相同性が遺伝的ボトルネックの発生に関与する可能性が示唆された。また、RNA1にコードされるMPをYFPまたはCFPの融合タンパク質として発現する2種類のRNA1ベクターを混合して接種した場合も確率的な単独感染が見られ、RNA2の場合と同様の推定の結果、ボトルネックの大きさは2.70±0.48となった。一方、RNA1ベクターとRNA2ベクターの混合接種では、RNA1ベクター単独でも感染が可能にもかかわらずそのような単独感染細胞が確認されなかったことから、RNA1とRNA2の間には遺伝的ボトルネックは存在しないことが分かった。そのため、分節ゲノムを持つウイルスであっても遺伝的ボトルネックにより全ての分節が揃わず感染できない、といった問題は生じないものと考えられた。

4.遺伝的ボトルネック発生機構に関する検討と数理モデルの提案 (トバモウイルス属ウイルス)

SBWMVと同じヴァーガウイルス科(Virgaviridae)に属し、非分節ゲノムをもち複製機構の研究なども進んでいるトバモウイルス属ウイルスを用いて、遺伝的ボトルネック発生機構に関する検討を行った。まず、トマトモザイクウイルス(ToMV)にコードされるCP遺伝子をYFPまたはCFP遺伝子に置換したウイルスベクターを作製しプロトプラスト化したタバコ培養細胞に混合接種したところ、確率的な単独感染がみられ、トバモウイルスの細胞感染においても遺伝的ボトルネックが発生することが確認された。また、トバモウイルスアブラナ科系統(TMV-Cg)のCP遺伝子を蛍光タンパク質遺伝子に置き換えたベクターを作製し、異なる蛍光タンパク質遺伝子をコードするToMVベクターと混合接種した場合(塩基配列相同性58.4%)でも遺伝的ボトルネックの発生が確認されたことから、塩基配列の相同性だけでは遺伝的ボトルネックの発生を説明できないことが分かった。また、(+)鎖合成効率を低くすると考えられる5'UTR(非翻訳領域)の部分的な欠失を導入した変異型ベクターを作製し、野生型5'UTRをもつウイルスベクターと混合接種したところ、両者は混合感染せず、変異型ベクター感染細胞の比率は低いものの全ていずれかのウイルスベクターにより単独感染した。このことから、一回目の(+)鎖合成よりも後で遺伝的ボトルネックが発生することが示唆された。そこで、(+)鎖RNAウイルス感染細胞で観察される複製複合体の形成が遺伝的ボトルネックの発生に関与すると考え、1) ウイルスゲノムが複製複合体を形成し複製サイクルに入る時間当たりの確率が低く、2) 一細胞内に形成できる複製複合体の数は限られているが、3) いったん複製複合体を形成するとその子孫であるウイルスRNAは細胞内で複製複合体形成に関する競合に参加することができ、4) 複製複合体を形成していないウイルスRNA(細胞質中の(+)鎖RNA)は確率的な分解を受ける、という仮定で遺伝的ボトルネック発生機構を数理モデル化したところ、細胞感染における遺伝的ボトルネックの発生を再現することができた。また、このモデルにより、細胞に感染できるウイルスの数は細胞によってばらつき、その複製量比もウイルスゲノム間で大きくばらつくことが予測された。そこで、ウイルスにランダムな10塩基のシーケンスタグを導入することでウイルスゲノムを区別できるようにして細胞の接種を行い、各細胞で増殖するウイルスゲノムとその比率を調べたところ、モデルで予想されたように細胞に感染できるウイルスの数は細胞によってばらつき、その複製量比もウイルスゲノム間で大きくばらつくことが分かった。このことから、上述の数理モデルは細胞感染における遺伝的ボトルネックの発生機構に関してある程度実態を反映しているものと考えられた。

本研究で得られた知見から、宿主遺伝子の発現量の調節等により植物RNAウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックの大きさを制御できるようになる可能性がある。また、遺伝的ボトルネックの大きさの制御に本研究で提案した数理モデルによる予測を組み合わせることで、より効率的な植物RNAウイルスの防除・利用に寄与することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

植物病原ウイルスの大半はプラス鎖RNAをゲノムとする。一般的にRNAウイルスはDNAウイルスに比べて変異の蓄積すなわち進化速度が早い。RNAウイルスゲノム上にコードされたRNA依存性RNAポリメラーゼが塩基変異の校正機能を持たないことがRNAウイルスの進化速度が早い理由の一つとされている。また植物ウイルスの集団はその生活環のいくつかの段階において遺伝的ボトルネックに遭遇することも知られている。例えば、ウイルスの宿主植物体内での全身移行や媒介昆虫による伝搬に際しては、極めて限られた数のウイルスが移行や伝染に関与するとされる。一方、植物ウイルス感染の初期における原形質連絡利用した細胞から細胞への移行(細胞間移行)段階では、遺伝的ボトルネックの存在は予想されても実際の解析はこれまでなされていない。本論文では、植物RNAウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックの存在を実験的に示し、植物RNAウイルスの進化における意義を数理モデルにより検討した。さらに遺伝的ボトルネックの発生機構についての検討を行った。

第1章の緒論に続き、第2章ではムギ類萎縮ウイルス(Soil-borne wheat mosaic virus, SBWMV)の細胞間移行における遺伝的ボトルネックについて述べられている。SBWMVは2分節性のプラス鎖RNAウイルスである。RNA2の外被タンパク質遺伝子およびその関連タンパク質遺伝子を、核局在化シグナルを付加した蛍光タンパク質YFP遺伝子およびCFP遺伝子に置換したRNA2ベクターを作製し、RNA1と共にコムギ及びChenopodium quinoaの葉に機械的接種を行なった。その結果、いずれの場合でも大半の箇所でYFPとCFP両方の蛍光が混在して観察されたが、2種類の蛍光は混在状態から感染域の拡大に伴って分離し、7-9回の細胞間移行で殆どの細胞がどちらか一方の蛍光を示すようになった。この現象は、2種類のRNA2ベクター間で感染領域の分離が起こったことを示しており、隣接細胞で感染を成立させるウイルスゲノム数が非常に少なく、細胞間移行において細胞内ウイルス集団に対する遺伝的ボトルネックが存在することを示している。C. quinoaにおいては、1回目および2回目の細胞間移行後の混合感染細胞と単独感染細胞の数を数え、遺伝的ボトルネックの大きさの推定に用いた。その結果、最初の混合感染細胞から1回目と2回目の細胞間移行における遺伝的ボトルネックの大きさは、それぞれ5.97±0.22および5.02±0.29と計算された(最尤推定値±標準誤差)。

第3章では細胞間移行における遺伝的ボトルネックによるウイルスの適応的な進化の促進に関して数理モデルを作成し検討している。翻訳されるゲノムRNAに翻訳と共役してcisに働く遺伝子や因子では細胞間移行における遺伝的ボトルネックは選択速度に寄与しないが、ゲノムに対してtransに働く遺伝子や因子では細胞間移行における遺伝的ボトルネックが適応的なゲノムと適応的でないゲノムを確率的に分離することで、選択を機能させている可能性を示した。さらに第4章では第1章で取り上げたムギ類萎縮ウイルスでの遺伝的ボトルネック発生機構を検討し、RNA2間の塩基配列相同性がボトルネックに関与する可能性を示し、RNA1とRNA2の間には遺伝的ボトルネックは存在しないことを明らかにした。

第5章では、単一RNAゲノム性トバモウイルス属ウイルスを材料とし、遺伝的ボトルネック発生機構に関する検討と数理モデルの提案をしている。さらに、第6章では、トバモウイルスの細胞感染における遺伝的ボトルネック発生様態を解析している。

第7章の総合考察では、本論文を総括し今後の展望が述べられている。

以上、本研究では植物RNAウイルスの進化の一因である遺伝的ボトルネックに関し、ウイルスの細胞間移行における遺伝的ボトルネックの存在を明らかにし、それを数理モデル化した。本研究の成果は、植物RNAウイルスの進化を理解する上で有効である共に、ウイルス病の効率的な防除に利用されることが期待され、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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