学位論文要旨



No 126884
著者(漢字) 銭,曙光
著者(英字)
著者(カナ) セン,ショコウ
標題(和) ガ類の性フェロモン生合成に関する比較研究 : フェロモン腺における脂質代謝に注目して
標題(洋) Comparative studies on the sex pheromone biosynthesis in moths with a focus on lipid metabolism in the pheromone gland
報告番号 126884
報告番号 甲26884
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3637号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幸男
 東京農工大学 教授 安藤,哲
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 名誉教授 田付,貞洋
内容要旨 要旨を表示する

生物は個体間の情報伝達において視覚や聴覚を利用すると同時に、化学物質を重要な伝達手段の一つとして利用している。なかでも昆虫は化学物質による情報伝達を高度に発達させたグループである。ガ類は、雌雄間の情報伝達に性フェロモンを利用している。ガ類の性フェロモンは一般に、複数の揮発性化合物が一定の比率で混合したものであり、メス成虫の腹部末端に位置するフェロモン腺(節間膜が特殊化したもの)で生合成される。性フェロモンは、その末端に官能基をもつグループ(Type I)と末端に官能基の無いグループ(Type II)に大別される。

Type Iの性フェロモンは炭素数10~18の直鎖脂肪族骨格と1~3個の2重結合、そしてアルコール、アセテート、アルデヒドに代表される官能基を末端にもつ。これらの成分は、体内に普遍的な飽和脂肪酸であるパルミチン酸(palmitic acid)やステアリン酸(stearic acid)がフェロモン腺において炭素鎖の短縮、不飽和化、還元などの酵素反応を受けることにより合成される。他方、Type IIの性フェロモンは、食物由来のリノレン酸(linolenic acid)が原料であると考えられている。腹部にあるエノサイトでリノレン酸からType II性フェロモンの骨格をもった炭化水素が生合成され、体液を介してフェロモン腺へ運ばれ、そこでエポキシ化等の最終的な化学的修飾が施されることが示されている。

ガ類の性フェロモン腺細胞内には微小な油滴がしばしば観察されるが、油滴の化学成分や油滴の生成メカニズムが詳細に研究されているのはカイコガに限られる。カイコガのフェロモン腺には、数多くの微小油滴が存在し、その中には性フェロモンの前駆体が結合したトリアシルグリセロールが豊富に含まれている。油滴の数は羽化2日前より急激に増大し、羽化後は性フェロモンであるボンビコールの産生に伴って、その数とサイズが日周性をもって劇的に変動する。

Fatty acid transport protein (FATP)は多くの生物に普遍的に存在する膜タンパク質で、細胞内への遊離脂肪酸の取り込みに重要な働きをしている。哺乳類では6種類のFATPアイソフォームが存在していることが明らかとされており、それぞれが異なった組織で発現し、特異な機能を果たしている。しかし、昆虫ではFATPに関する知見がきわめて限られている。最近、カイコガの性フェロモン腺からFATPが単離され、BmFATPと名づけられた。RNAi法によりこの遺伝子の発現を抑制したところ、フェロモン量の半減が認められた。このことから、BmFATPは細胞外遊離脂肪酸のフェロモン腺細胞内への取り込みを通して、性フェロモンの生産に寄与していると考えられている。

本研究では、Type Iの性フェロモンを利用するアズキノメイガ(Ostrinia scapulalis)とType IIの性フェロモンを利用するキマエホソバ(Eilema japonica)を材料として用い、両種の性フェロモン腺における油滴の発見をその端緒として、両種の性フェロモンの生合成の様相をフェロモン腺で高発現しているFATPの機能解析を中心として比較解析したものである。

1.フェロモン腺中の油滴の観察

Type I性フェロモンを利用するアズキノメイガとType II性フェロモンを利用するキマエホソバを用いて、性フェロモン腺における油滴をNile Redにより染色し暗視野顕微鏡下で観察した。陽性対照として用いたカイコガと比較すると少なかったが、アズキノメイガとキマエホソバの両種のフェロモン腺内にも微小油滴を観察することができた。この結果は、性フェロモン腺における油滴の有無は、性フェロモンのタイプ(Type I、Type II)とは必ずしも関係がないことを示していた。前述の通り、Type IIの性フェロモンを利用するガ類では、脂肪酸は性フェロモンの直接の原料とはならない。従って、Type IIの性フェロモンを利用するキマエホソバのフェロモン腺内の油滴については、その役割に興味がもたれる。

2. FATPのクローニング

本章ではアズキノメイガ、キマエホソバ、ヨモギエダシャク(Ascotis selenaria)の性フェロモン腺からFATPのホモログであるOsFATP、EjFATP、AsFATPをコードする遺伝子をクローニングし、それらの系統関係や発現パターンを解析した。系統解析の結果、3種類のFATPはいずれもカイコガのBmFATPと高い相同性を示し(OsFATP 72.6%;EjFATP 77.9%;AsFATP 70.3%)、同一のグループを形成していた。Type II性フェロモンを利用しているキマエホソバから単離したEjfatpは、定量PCR法による解析の結果、他の組織に比べ性フェロモン腺で高発現していた。また、発現量の時間変動を調査したところ、蛹期では低く、羽化後に約5倍まで増加した。アズキノメイガ由来のOsfatpはフェロモン腺に特異的ではなく、多くの組織で高い発現がみられた。しかし、フェロモン腺における発現量の時間変動はフェロモン分泌の変動と一致した。これらの結果から、EjFATPとOsFATPはカイコガにおけるのと同様に、性フェロモンの生合成に関わっている可能性が示唆された。FATPホモログのアミノ酸配列の膜貫通領域を解析ソフトSOSUIにより推測した結果、EjFATPとOsFATPには他のFATPでN末側に保存されている膜貫通領域が認められたが、AsFATPには膜貫通領域がなかった。AsFATPは機能を失っている可能性が考えられる。

3.EjFATPとOsFATPの機能解析

Type IIの性フェロモンを利用するガ類では、エノサイトにより生合成されたフェロモン前駆体炭化水素は血液を介してフェロモン腺へ運搬されると考えられている。従って、フェロモン生合成に直接関与するFATPがフェロモン腺に存在することは考えられない。その為、大腸菌過剰発現系を用いて、キマエホソバの性フェロモン腺由来のEjFATPの機能解析を行った。EjFATPが発現した大腸菌は野生株と比較してステアリン酸(stearic acid)とアラキジン酸(eicosanoic acid)約1.5倍多く取り込む事がわかった。しかし、EjFATPにキマエホソバの性フェロモン前駆体(炭化水素)や類似炭化水素の取り込み能は認められなかった。

アズキノメイガの性フェロモン腺におけるOsFATPの役割を評価するため、RNAi法によりOsfatpの発現を抑制してその性フェロモン生産に及ぼす効果を調べた。RNAi処理したアズキノメイガにおけるOsfatpの発現は、二本鎖Osfatp RNAの注射量に依存して減少したが、それに伴うノックダウン個体の性フェロモン量の減少は認められなかった。

以上、本研究ではガ類の性フェロモン腺における脂質代謝に注目し、Type IとType IIの性フェロモンの生合成に関する比較研究を行った。Type IとType II性フェロモンの生合成経路は大きく異なるが、何れのTypeを生産するフェロモン腺からも微小な油滴を発見した。また、性フェロモンのTypeとは関係なくFATPホモログが性フェロモン腺で発現していることを明らかとした。これらの結果は、フェロモン腺においてFATPホモログが性フェロモンの生産に関与している可能性を示唆していた。大腸菌を用いたタンパク質発現系を用いてEjFATP、OsFATPの機能を評価したところ、大腸菌で発現したEjFATPに細胞外の脂肪酸を細胞内に取り込む能力が認められたが、炭化水素の取り込み能は認められなかった。RNAi法でOsFATPの発現を抑制してもフェロモン生産量は変化しなかったことから、OsFATPは性フェロモンの生合成と直接的な関係はないことが分かった。FATPは性フェロモン腺で必要されるエネルギーの供給に関与しているのではないかと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

ガ類の性フェロモンは、その末端に官能基をもつグループ(Type I)と末端に官能基の無いグループ(Type II)に大別される。Type Iの性フェロモンは体内に普遍的な飽和脂肪酸がフェロモン腺において炭素鎖の短縮、不飽和化、還元などの酵素反応を受けることにより合成される。他方、Type IIの性フェロモンは、腹部のエノサイトでフェロモンの前駆体炭化水素が生合成され、体液中のリポフォリンを介してフェロモン腺へ運ばれ、そこでエポキシ化等の最終的な化学的修飾が施されることが示されている。

ガ類の性フェロモン腺細胞内には微小な油滴がしばしば観察される。カイコガのフェロモン腺中の油滴には、性フェロモンの前駆体が結合したトリアシルグリセロールが豊富に含まれている。最近、カイコガの性フェロモン腺から脂肪酸膜輸送タンパク質(Fatty acid transport protein, FATP)が単離され、BmFATPと名づけられた。BmFATPは細胞外遊離脂肪酸のフェロモン腺細胞内への取り込みを通して、性フェロモンの生産に寄与していると考えられている。本研究は、Type Iの性フェロモンを利用するアズキノメイガ(Ostrinia scapulalis)とType IIの性フェロモンを利用するキマエホソバ(Eilema japonica)を用い、両種の性フェロモン腺における油滴の発見をその端緒として、両種の性フェロモンの生合成をフェロモン腺で高発現しているFATPの機能解析を中心として比較解析したものであり、3章から構成されている。

1.フェロモン腺中の油滴の観察

Type I性フェロモンを利用するアズキノメイガとType II性フェロモンを利用するキマエホソバを用いて、性フェロモン腺における油滴をNile Redにより染色し暗視野顕微鏡下で観察した。アズキノメイガとキマエホソバの両種のフェロモン腺内に少数の油滴を観察することができた。この結果は、性フェロモン腺における油滴の存在の有無は、性フェロモンのタイプ(Type I、Type II)とは必ずしも関係がないことを示していた。前述の通り、Type IIの性フェロモンを利用するガ類では、脂肪酸は性フェロモンの直接の原料とはならない。従って、Type IIの性フェロモンを利用するキマエホソバのフェロモン腺内の油滴については、その役割に興味がもたれた。

2. FATPのクローニング

本章では上記のアズキノメイガ、キマエホソバに加えて、Type IIフェロモンを生産するヨモギエダシャク(Ascotis selenaria)の性フェロモン腺からFATPのホモログをコードする遺伝子をクローニングし、それらの系統関係や発現パターンを解析した。系統解析の結果、3種のFATP(それぞれ、OsFATP、EjFATP、AsFATP)はいずれもカイコガのBmFATPと高い相同性を示し(OsFATP 72.6%;EjFATP 77.9%;AsFATP 70.3%)、同一のグループを形成していた。キマエホソバから単離したEjfatpは、定量PCR法による解析の結果、他の組織に比べ性フェロモン腺で高発現していた。また、発現量の時間変動は、蛹期では低く、羽化後に約5倍まで増加した。アズキノメイガ由来のOsfatpはフェロモン腺に特異的ではなく、多くの組織で高い発現がみられたが、フェロモン腺における発現量の時間変動はフェロモン分泌の変動と一致した。これらの結果から、EjFATPとOsFATPは性フェロモンの生合成への関与が示唆された。FATPホモログのアミノ酸配列の膜貫通領域を推測した結果、EjFATPとOsFATPには、これまで知られているFATPのすべてで保存されているN末側の膜貫通領域が認められたが、AsFATPには膜貫通領域がなかった。この事から、AsFATPは機能を失っている可能性が考えられた。

3.EjFATPとOsFATPの機能解析

大腸菌過剰発現系を用いて、キマエホソバの性フェロモン腺由来のEjFATPの機能解析を行った。EjFATPが発現した大腸菌は非組換え体と比較してステアリン酸とアラキジン酸を約1.5倍多く取り込む事がわかった。しかし、EjFATPにキマエホソバの性フェロモン(炭化水素)や類似炭化水素を取り込む能力は認められなかった。

アズキノメイガの性フェロモン腺におけるOsFATPの役割を評価するため、RNAi法によりOsfatpの発現を抑制し、性フェロモン生産に及ぼす効果を調べた。二本鎖Osfatpを処理したアズキノメイガにおけるOsfatpの発現は、二本鎖RNA注射量に依存して減少したが、それに伴うノックダウン個体の性フェロモン量の減少は認められなかった。

ガ類の性フェロモン腺における脂質代謝に注目し、Type IとType IIの性フェロモンの生合成に関する比較研究を行った結果、フェロモン腺における微小な油滴の存在はフェロモンのTypeとは必ずしもリンクしていないこと、FATPホモログがフェロモンのTypeに関係なくフェロモン腺で発現していることを見出した。大腸菌で発現したEjFATPに細胞外の脂肪酸を細胞内に取り込む能力が認められたが、炭化水素の取り込み能は認められなかった。RNAi法でOsfatpの発現を抑制してもフェロモン生産量は変化しなかったことから、OsFATPは性フェロモンの生合成とは直接的な関係はないことが分かった。これらの結果を踏まえると、性フェロモン腺で高発現しているFATPはこの組織で必要されるエネルギーの供給に関与しているのではないかと考える事が出来る。

以上、本研究はガ類の性フェロモン腺における脂質代謝に注目し、Type IとType IIの性フェロモンの生合成に関する比較研究を行ったものである。フェロモン腺で強く発現している脂肪酸膜輸送タンパク質 FATPのクローニングと機能解析を行い、その働きを明らかにするなど、本研究の成果は学術上,応用上の価値が高い.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51978