学位論文要旨



No 126889
著者(漢字) 溝口,昌秀
著者(英字)
著者(カナ) ミゾグチ,マサヒデ
標題(和) シロイヌナズナのタンパク質リン酸化酵素SnRK2のサブクラスIおよびIIファミリーのストレス応答における機能解析
標題(洋)
報告番号 126889
報告番号 甲26889
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3642号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 講師 刑部,祐里子
内容要旨 要旨を表示する

序論

世界では急激な人口の増加により、食糧問題が深刻化している。近年の地球の温暖化や異常気象は農業の生産性を不安定にしている原因の1つとなっており、乾燥や高温などの不良環境での植物の生産性を高めることが重要な課題である。移動できない植物が乾燥などの環境ストレスに曝されると、生理的な応答だけでなく細胞内でも積極的な分子レベルでの応答が行われる。植物の環境ストレス応答における細胞内シグナル伝達経路において、タンパク質のリン酸化は重要な位置を占めている。浸透圧ストレスやABAによって活性化するSnRK2(SNF1-related protein kinase 2)ファミリーは、植物に固有のプロテインキナーゼであり、ヒメツリガネゴケのような下等植物から高等植物に至るまで高度に保存されている。SnRK2はC末端にある酸性アミノ酸に富む配列によってサブクラスIからサブクラスIIIまで分類され、シロイヌナズナには10個(SRK2A~J/SnRK2.1~2.10)存在する。シロイヌナズナにおいてはサブクラスIII SnRK2はABAによって強く活性化し、乾燥ストレスをはじめとするABAシグナル伝達の主要な構成因子として重要な役割をはたすこと示された。一方、他のサブクラスIおよびIIに関しては、環境ストレス応答に関わることが示唆されているものの、それらの役割は不明である。そこで、本研究ではサブクラスI SnRK2(SRK2A, B, G, H)およびサブクラスII SnRK2(SRK2C, F)について、生化学的あるいは逆遺伝学的な手法を中心として植物における機能を解析した。

1.サブクラスII SnRK2の機能解析

シロイヌナズナゲノムにはサブクラスII SnRK2の遺伝子はSRK2C/SnRK2.8, SRK2F/SnRK2.7の2個存在している。それらの遺伝子発現解析の結果、SRK2Cは主に根で発現しており、SRK2Fは植物全体で発現していることが明らかとなった。細胞内局在はSRK2CとSRK2Fどちらも細胞質と核の両方に局在がみられたため、一部の組織では両者が冗長に機能している可能性が考えられた。次に、サブクラスII SnRK2の二重変異体srk2cfを作成して、植物体の変化を調べた。マイクロアレイ解析の結果から、srk2cfにおいて多くの乾燥ストレス応答性遺伝子の発現が低下していることが明らかとなった。さらに、それらの遺伝子の中には、多数のABA応答性遺伝子が含まれていることがわかり、さらにサブクラスIII SnRK2の制御下にある遺伝子と多くの重複が認められた。しかし、サブクラスIII SnRK2の3重変異体srk2deiに比べると、srk2cfの効果は弱いものであった。このことから、サブクラスII SnRK2の機能は部分的にサブクラスIIIと重複していることが示唆された。これを裏付けるように、サブクラスII SnRK2はサブクラスIIIのリン酸化ターゲットであるAREB/ABFファミリーの転写因子と相互作用すること、さらにAREB/ABFをリン酸化する能力を有することが明らかとなった。しかし、ABA処理を行ったときの遺伝子発現を見てみると、srk2cfと野生型植物の間においてほとんど差が見られなかったことから、ABAシグナル伝達におけるサブクラスII SnRK2の機能は限定的であり、乾燥ストレスのシグナル伝達因子としてサブクラスIII SnRK2とともに補助的に機能していることが示唆された。

2.サブクラスI SnRK2の機能解析

シロイヌナズナゲノムにはサブクラスI SnRK2の遺伝子はSRK2A/SnRK2.4, SRK2B/SnRK2.10, SRK2G/SnRK2.1, SRK2H/SnRK2.5, SRK2J/SnRK2.9の5個存在している。本研究ではサブクラスI SnRK2のうち、浸透圧ストレスで活性化しアミノ酸配列の相同性が高いSRK2A、SRK2B、SRK2GおよびSRK2Hの4個の遺伝子を対象に研究を行った。はじめに、4個のサブクラスI SnRK2の活性化の条件を検討したところ、サブクラスI SnRK2はいずれもABAを含む植物ホルモンでは活性化せず、浸透圧ストレス特異的に活性化することがわかった。さらに、サブクラスI SnRK2の遺伝子発現パターンは植物全体にわたって重複しており、細胞内局在においても全て細胞質および核で検出されたことから、サブクラスI SnRK2メンバー間には機能的に高い冗長性が存在することが示唆された。そこで、冗長性の問題を回避するために、4個の遺伝子すべてをノックアウトしたsrk2abgh四重変異体を作成して植物での機能解析を行った。マイクロアレイ解析の結果から、乾燥ストレス下のsrk2abgh四重変異体において、多くの病害・サリチル酸応答性遺伝子の発現が野生型植物に比べて増加していることが明らかとなった。また、srk2abghにおいて発現が増加していたこれらの遺伝子は、通常は乾燥ストレスによって発現が減少する遺伝子であった。植物ホルモンの内生量をそれぞれの植物について測定したところ、サリチル酸やABA量はsrk2abghと野生型植物で差はなかったものの、乾燥時のsrk2abghにおけるイソロイシン結合型ジャスモン酸の蓄積量が野生型植物の半分程度に減少していた。このことから、srk2abgh変異体では乾燥ストレス時におけるジャスモン酸とサリチル酸の拮抗作用が弱まった結果、サリチル酸応答性遺伝子が強発現しているものと考えられた。Pseudomonas Pst DC3000による感染試験において、srk2abghと野生型植物の間に差がなかったことから、サブクラスI SnRK2はサリチル酸の応答経路に直接関与しているわけではないことが示唆された。一方、ジャスモン酸シグナル伝達を負に制御する因子であるMPK3およびMPK6の活性化においてsrk2abghと野生型植物の間で乾燥やABAによる活性化に差は見られなかったことから、サブクラスI SnRK2とジャスモン酸シグナル伝達における役割については今後さらに解析を進める必要がある。

総括

本研究では、シロイヌナズナの3種のSnRK2ファミリーの中で解析の遅れていたサブクラスIおよびサブクラスIIについて詳細な機能解析を行った。先行研究によってサブクラスIII SnRK2のABAのシグナル伝達経路での主要な因子としての機能解析はすでに行われていることから、本研究によって初めて植物のすべてのSnRK2サブファミリーの役割について議論することが可能となった。本研究の中で新たにわかったことは、まず乾燥ストレス応答においてサブクラスII SnRK2が確かにABAのシグナル伝達因子として機能しているということである。さらに、その機能の一部がサブクラスIII SnRK2と重複していることも明らかとなった。一方で、サブクラスI SnRK2については、メンバーが協調してジャスモン酸とサリチル酸の拮抗作用に作用することが明らかとなり、サブクラスIIIとは明確に異なる機能を有することが示された。SnRK2ファミリーを進化的にみると、サブクラスIIIが蘚苔類から被子植物まですべて存在するが、サブクラスIIはシダで、サブクラスIIIは被子植物で見いだされることからサブクラスIIIが最も古い起源を持つと考えられる。このうち、サブクラスIIとIIIに機能重複が見られ、サブクラスIは独自の機能を持つという本研究の結果は、SnRK2ファミリーの進化という観点から見ても妥当である。本研究によって、すべてのSnRK2ファミリーの機能が網羅的に解析され、それぞれの役割を整理することができた。今後はSnRK2が介在するシグナル伝達ネットワークの全貌解明のために、それぞれのSnRK2の下流の標的タンパク質や浸透圧ストレスによる活性化制御のメカニズムを明らかにすることによって、植物の環境ストレス応答のより深い理解につながることが期待される。

Mizoguchi, M., Umezawa, T., Nakashima, K., Kidokoro, S., Takasaki, H., Fujita, Y., Yamaguchi-Shinozaki, K., and Shinozaki, K (2010) Two Closely Related Subclass II SnRK2 Protein Kinases Cooperatively Regulate Drought-Inducible Gene Expression. Plant Cell Physiol.
審査要旨 要旨を表示する

本論文の第I章では研究の背景や問題点、目的について述べた。浸透圧ストレスやABAによって活性化するSnRK2(SNF1-related protein kinase 2)ファミリーは、植物に固有のプロテインキナーゼである。シロイヌナズナには10個(SRK2A~J/SnRK2.1~2.10)存在し、C末端にある酸性アミノ酸に富む配列によってサブクラスIからサブクラスIIIまで分類される。サブクラスIII SnRK2はABAによって強く活性化し、乾燥ストレスをはじめとするABAシグナル伝達の主要な構成因子として重要な役割をはたすことがわかっている。一方、他のサブクラスIやサブクラスII SnRK2に関しては、環境ストレス応答に関わることが示唆されているものの、それらの役割は不明である。そこで、本研究ではサブクラスI SnRK2(SRK2A, B, G, H)およびサブクラスII SnRK2(SRK2C, F)について、生化学的あるいは逆遺伝学的な手法を中心として植物における機能を解析した。

第II章では本研究における実験材料および方法について記述し、続く第III章でサブクラスII SnRK2の研究結果について述べた。サブクラスII SnRK2はシロイヌナズナではSRK2CとSRK2Fの2個存在している。サブクラスII SnRK2の機能解析を行うにあたって、2重変異体srk2cfを作成した。マイクロアレイ解析の結果から、srk2cfにおいて多くの乾燥ストレス誘導性遺伝子の発現が野生型植物より低下しており、それらの中にはABA応答性遺伝子が多数含まれていることが明らかとなった。サブクラスIII SnRK2の制御下にある遺伝子と多くの重複が認められた。しかし、サブクラスIII SnRK2の3重変異体srk2deiに比べるとsrk2cfの効果は弱く、サブクラスII SnRK2の機能は部分的にサブクラスIIIと重複していることが示唆された。これを裏付けるように、サブクラスII SnRK2はサブクラスIIIのリン酸化ターゲットであるAREB/ABFファミリーの転写因子と相互作用するだけでなく、AREB/ABFをリン酸化する能力を有することが明らかとなった。しかし、ABA処理時の遺伝子発現はsrk2cfと野生型植物の間においてほとんど差が見られなかったことから、ABAシグナル伝達におけるサブクラスII SnRK2の機能は限定的であり、乾燥ストレスのシグナル伝達因子としてサブクラスIII SnRK2とともに補助的に機能していることが示唆された。

第IV章ではサブクラスI SnRK2の機能解析について述べた。サブクラスI SnRK2はシロイヌナズナではSRK2A、SRK2B、SRK2G、SRK2H、SRK2Jの5個存在している。本研究ではサブクラスI SnRK2のうち、浸透圧ストレスで活性化するSRK2A、SRK2B、SRK2GおよびSRK2Hの4個の遺伝子を対象に研究を行った。遺伝子発現の組織特異性と細胞内局在はメンバー間で重複したため、サブクラス I SnRK2の植物内における機能的な冗長性が考えられた。そこで冗長性の問題を回避するため、サブクラス I SnRK2の機能解析を行うにあたっては4重変異体srk2abghを作製し解析を行った。マイクロアレイ解析の結果から、乾燥ストレス下のsrk2abghにおいて多くのサリチル酸応答性遺伝子の発現が野生型植物に比べて増加していることが明らかとなった。また、srk2abghにおいて発現が増加していたこれらの遺伝子は、通常は乾燥ストレスによって発現が減少する遺伝子であることも分かった。さらに、乾燥時のsrk2abghにおけるイソロイシン結合型ジャスモン酸の蓄積量は野生型植物の半分程度に減少していることが明らかとなった。これにより、srk2abghでは乾燥ストレス時におけるジャスモン酸とサリチル酸の拮抗作用が弱まった結果、サリチル酸応答性遺伝子が強発現しているものと考えられた。

最後に第V章において総合考察について述べた。本研究では、シロイヌナズナのSnRK2ファミリーの中でサブクラスI・IIについて詳細な機能解析を行った。本研究によって、すべてのSnRK2ファミリーの機能が網羅的に解析され、それぞれの役割や機能分担を整理することができた。今後はSnRK2が介在するシグナル伝達ネットワークの全貌解明のために、それぞれのSnRK2の下流の標的タンパク質や浸透圧ストレスによる活性化制御のメカニズムを明らかにすることによって、植物の環境ストレス応答のより深い理解につながることが期待される。

本論文は、植物のプロテインキナーゼであるSnRK2ファミリーのサブクラスI・IIについて詳細な機能解析を行い、浸透圧ストレスや植物ホルモンのABAの存在下におけるこれらのプロテインキナーゼの役割を明らかにしたものである。これらの知見は植物の環境ストレス応答や耐性の獲得におけるシグナル伝達ネットワークの全容解明に貢献するものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51979