学位論文要旨



No 126891
著者(漢字) 磯部,一夫
著者(英字)
著者(カナ) イソベ,カズオ
標題(和) 高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林土壌における窒素フローと硝化微生物群集
標題(洋)
報告番号 126891
報告番号 甲26891
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3644号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 石井,正治
 東京大学 准教授 大手,信人
 東京農工大学 特任准教授 木庭,啓介
 東京大学 准教授 大塚,重人
内容要旨 要旨を表示する

窒素は生物にとって必須の元素であり、様々な化学形態をとりながら森林生態系内を循環している。森林生態系では土壌中に大量の窒素が蓄積しているものの、土壌微生物や植物が吸収利用できる無機態窒素(NH4+やNO3-)はその1%にも満たない。さらに、NH4+は土壌に吸着・保持されるのに対し、NO3-はほとんど吸着・保持されず溶脱されやすい。そのため、無機態窒素の挙動の把握が森林生態系の窒素循環プロセスを理解するために重要である。

その一方で、ハーバー・ボッシュ法の発明以来、大量の無機態窒素が合成され環境中に拡散することで、大気から森林生態系への無機態窒素の沈着量が増加している。特に中国においては、急速な経済発展と相まった著しい窒素沈着が確認され、今後も増加の一途を辿ると予測されている。その結果として、中国のいくつかの森林では生態系の処理能力を超える量の無機態窒素が蓄積し、土壌から多量のNO3-が水の移動にともなって溶脱していることが報告されている。しかし、そのような森林土壌における無機態窒素の動態はほとんどわかっておらず、今後の窒素沈着量の増大にともなう窒素循環プロセスの変化は予測できない状況にある。

そこで本研究では、高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林を研究サイトとし、以下の3点を目的に土壌中の窒素のフロー(無機化、硝化、窒素不動化(主に微生物によるNH4+、NO3-同化))ならびに硝化(NH4+→NO3-)を担う微生物群集の解析を行った。すなわち、まず(1)窒素フロー速度の測定法を確立すること、(2)土壌中の窒素フローの速度を算出し、窒素フローの特徴と窒素流入量の増加に対する窒素フローの変化を明らかにすること、(3)硝化を担っている微生物群集を特定し、NO3-生成への寄与を定量的に明らかにすること、(4) これらを通して、亜熱帯林土壌中のNO3-生成メカニズムの全体像を明らかにし、予想される窒素負荷の増大に対する窒素循環プロセスの変化を予測することを目的とした。

1. 土壌中の窒素フロー速度の簡便な測定法の確立

土壌中の窒素フロー速度の測定には窒素安定同位体(15N)を用いるのが有効だが、この方法では窒素化合物の安定同位体比(15N/14N)を分析する必要がある。しかし、従来の分析手法は行程が煩雑なうえ、高価な同位体比質量分析計(IRMS)やガス濃縮などの特殊な前処理が必要とされるなどの難点があった。そのため、これらの難点を解決し、窒素フロー速度を簡便に測定するための手法を開発した。

まずIRMSの代わりにガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)を用いて分析できるようにするため、GC/MSの改良および分析条件の最適化を行った。併せて、微生物の代謝に関わる様々なガス種を同時かつ迅速に測定するための方法を確立した。特に窒素フロー速度の測定にとって重要なN2Oについては、2.5分以内に105のダイナミックレンジで定量することを可能にした。

続いて、土壌中のNH4+、NO3-、NO2-、溶存全有機態窒素(TDN)の濃度と15N/14Nを簡便に測定するための方法を確立した。この方法では、土壌抽出液中のNO3-は脱窒細菌を用いてN2Oに変換する。NH4+とTDNはそれぞれ化学的にNO3-に酸化した後、同様にN2Oに変換する。NO2-は化学的にN2Oに変換する。最終的に各窒素化合物に由来するN2Oの濃度と15N/14Nを上記のGC/MSシステムで測定する。この分析手法の確立により、土壌中のNH4+、NO3-、NO2-、TDNの濃度と15N/14Nの測定を、従来手法の1/10-1/100の少量の試料で行うことが可能になった。この分析システムを用いて、次の森林土壌中の窒素フロー速度の解析を行った。

2. 中国亜熱帯林土壌における窒素フローの特徴と将来予測

35kg-N/ha/yrもの無機態窒素(NH4+ + NO3-)が大気から流入する中国亜熱帯林において土壌中の窒素フローの解析を行った。林齢の異なる3つの森林、すなわち広葉樹林(極相林、林齢>400年)、松林(80年)ならびに広葉樹-松混合林(80年)を対象とした。広葉樹林では、松林や混合林に比べて土壌中のNO3-濃度が高く、水の移動にともない流入量以上の窒素がNO3-として土壌から溶脱している。それら3つの森林土壌中の無機化・硝化・窒素不動化速度を15N同位体希釈法によって算出した。その結果、無機化およびNH4+・NO3-不動化速度は森林間で差が見られなかった一方で、広葉樹林の硝化速度は、松林や混合林に比べて著しく大きいことが明らかになった。広葉樹林において土壌中のNO3-濃度が高く、多量のNO3-が溶脱しているのは土壌中の硝化速度が高いことに起因すると考えられた。

続いて、窒素負荷の増大が及ぼす影響を評価する目的として広葉樹林と松林に設置された、NH4NO3を人為的に添加する窒素添加区ならびに添加しない無添加区の土壌を用いて解析を行った。広葉樹林では窒素添加区の微生物バイオマスが無添加区に比べて小さく、窒素(NH4++NO3-)不動化速度が無添加区の42%程度にまで低下していたのに対して、松林では微生物バイオマスには差がなかったが、窒素不動化速度は136%程度に増大していた。それに加えて広葉樹林の窒素添加区では、無添加区と比較して土壌中のNO3-濃度が高い一方、NO3-不動化速度は小さかった。このことは、広葉樹林の窒素添加区では無添加区に比べて土壌中でNO3-が不動化されるまでの時間が長い、すなわち生成あるいは流入したNO3-はNO3-のまま土壌中に長く滞留し得ることを意味している。これらのことから、松林に比べ広葉樹林では、今後予想される窒素負荷の増大に応じて、土壌微生物バイオマスが小さくなり窒素不動化速度が低下することで、土壌からNO3-がさらに溶脱されやすくなると考えられた。

3. 中国亜熱帯林土壌における硝化微生物群集の解析

各森林土壌間の窒素フロー速度の差異は硝化速度において顕著であったことから、それぞれの土壌中で硝化を担っている微生物群集を解析した。硝化の第1段階であるアンモニア酸化は独立栄養性のアンモニア酸化細菌(AOB)が主に担っていると長年考えられてきたが、最近、その新たな担い手としてアンモニア酸化アーキア(AOA)が発見された。高窒素負荷環境にあり酸性化が進行している本研究サイトの土壌においてはAOAが硝化に寄与している可能性が考えられた。

広葉樹林、松林、混合林の各土壌から抽出したDNAを用い、AOBのamoA(アンモニアモノオキシゲナーゼ遺伝子)をターゲットとしてPCRを行ったところ、いずれの土壌からも増幅は見られなかった。培養法(MPN法)によってもAOBは検出されなかった。これに対し、AOAのamoAをターゲットとしたPCRではいずれの土壌からも増幅産物が得られ、定量PCRによりAOA amoAは各土壌1グラムあたり108から109コピー程度存在することが示された。また、各土壌のAOA amoAの存在量と硝化速度との間には正の相関が認められた。さらに、土壌から抽出したRNA中のAOA amoAの存在量と硝化速度との間にも正の相関が認められた。これらの結果から、本研究サイトの森林土壌においてはAOAがアンモニア酸化を担っている主要な微生物群であると考えられた。これまで土壌において主にAOAがアンモニア酸化を担っていることを硝化速度とともに示唆した事例はなく、微生物生態学的に重要な発見である。

各土壌より得られたAOA amoAの塩基配列から系統解析を行った結果、中国の土壌に由来するAOA amoAからなる特徴的な系統群が存在している事が示唆された。また硝化の第2段階を担う亜硝酸酸化細菌(NOB)であるNitsospira属細菌が各土壌に存在していることが、PCRにより得られた16S rRNA遺伝子の塩基配列から系統解析を行った結果、明らかになった。

以上の結果から、本研究サイトの森林土壌ではAOAとNitsospira属を含むNOBが硝化を担い、その速度はAOAの存在量によって大きくコントロールされていると考えられた。

4. まとめ

本研究において、まず窒素フローの速度を測定するための簡便な分析手法を確立した。その手法を用いて、高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林土壌における窒素フロー速度を算出した。それにより窒素流入量が同じであっても、森林の林齢および植生によって土壌中の硝化速度が異なることを明らかにした。また硝化速度が大きいことで土壌中のNO3-濃度が高くなり、それゆえ多量のNO3-が溶脱していることを示唆した。さらに、微生物群集の解析により、これらの土壌においては主にAOAがアンモニア酸化を担っており、AOAの存在量が硝化速度を大きくコントロールしている可能性を示した。また、極相林である広葉樹林においては、今後も窒素負荷が続くことで土壌微生物バイオマスが小さくなり、窒素不動化速度が低下することが予測され、NO3-の溶脱が加速していくと考えられた。本研究が提供する手法と知見は、今後予想される窒素負荷の増大に対して、窒素循環だけでなく森林生態系全体がどのように変遷していくのかを予測する上で極めて重要であると考える。

1) Isobe et al. (2011) A simple and rapid GC/MS method for the simultaneous determination of gaseous metabolites. J. Microbiol. Methods, 84, 46-512) Isobe et al. Novel analytical techniques for 15N-labelled compounds in the environmental samples with denitrifier and GC/MS. Microbes and Environ., in press
審査要旨 要旨を表示する

ハーバー・ボッシュ法の発明以来、大量の無機態窒素が合成され環境中に拡散することで、大気から森林生態系への無機態窒素の沈着量が増加している。特に中国においては、急速な経済発展と相まった著しい窒素沈着が確認され、今後も増加の一途を辿ると予測されている。その結果として、土壌から多量のNO3-が水の移動にともなって溶脱していることが報告されている。本研究は、高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林を研究サイトとし、以下の3点を目的としている。すなわち(1)窒素フロー速度の測定法を確立すること、(2)土壌中の窒素フローの特徴と窒素流入量の増加に対する窒素フローの変化を明らかにすること、(3)硝化を担っている微生物群集を特定し、NO3-生成への寄与を定量的に明らかにすること。さらに(1)~(3)を通して、亜熱帯林土壌中のNO3-生成メカニズムの全体像を明らかにし、予想される窒素負荷の増大に対する窒素循環プロセスの変化を予測することを試みている。

第1章では、森林の窒素循環および硝化微生物群集を概説したのち,無機態窒素の動態およびそれを担う微生物群集の把握の重要性を指摘し,本研究の目的について述べている。

第2章と第3章では、土壌中の窒素フロー速度の簡便な測定法の確立について述べている。従来の測定法は行程が煩雑なうえ、高価な同位体比質量分析計(IRMS)やガス濃縮などの特殊な前処理が必要とするなどの難点があった。第2章では、まずIRMSの代わりにガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)を用いて分析できるようにするため、GC/MSの改良および分析条件の最適化を行った。その結果、窒素フロー速度の測定にとって重要なN2Oについて、2.5分以内に105のダイナミックレンジで定量することを可能にした。続いて第3章では、土壌中の無機態・有機態窒素の濃度と安定同位体比を簡便に測定するための方法の確立を行った。この方法では、土壌抽出液中の無機態・有機態窒素をそれぞれN2Oに変換し、その濃度と窒素安定同位体比を上記のGC/MSで測定する。この分析手法の確立により、従来の方法に比べて簡便かつ迅速な土壌中の窒素フロー速度の測定を可能にした。

第4章では、高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林において土壌中の窒素フローの解析し、林齢の異なる3つの森林(広葉樹林、松林、広葉樹-松混合林)土壌中の窒素フローの特徴について述べている。解析を行った結果、無機化およびNH4+・NO3-不動化速度は森林間で差が見られなかった一方で、広葉樹林の硝化速度は、松林や混合林に比べて著しく大きいことを明らかにした。また広葉樹林においては土壌からのNO3-溶脱量が多いことが報告されているが、それは土壌中の硝化速度が大きく、その結果としてNO3-濃度が高いことに起因することを強く示唆した。

第5章では、窒素流入量の増大に対する窒素フローの変化を解析し、今後予想される窒素負荷の増大に対する窒素循環プロセスの変化の予測を行っている。そのために、広葉樹林と松林に設置された、NH4NO3を人為的に添加する窒素添加区ならびに添加しない無添加区の土壌を用いて土壌中の窒素フローの解析を行っている。その結果、広葉樹林の窒素添加区では無添加区に比べて、微生物バイオマスと窒素不動化速度が小さく、NO3-濃度が高いことを示した。これに対して、松林では微生物バイオマスやNO3-濃度に差はなく、窒素不動化速度が増大していることを示した。以上の結果から、松林に比べて広葉樹林では、予想される窒素負荷の増大に応じて、土壌微生物バイオマスが小さくなり窒素不動化速度が低下することで、土壌からNO3-がさらに溶脱されやすくなることを強く示唆した。

第6章では、各森林土壌間の窒素フロー速度の差異は硝化において顕著であったことから、土壌中の硝化微生物群集の解析を行っている。その結果、従来、アンモニア酸化(硝化の第一かつ律速段階)を主に担っていると考えられてきたアンモニア酸化細菌(AOB)の存在量は極めて小さく、一方で近年新たな担い手として発見されたアンモニア酸化アーキア(AOA)の存在量が著しく大きいことを明らかにした。さらにAOAのamoA(アンモニアモノオキシゲナーゼ遺伝子)コピー数と硝化速度との間に正の相関があることを示した。このことはAOAがアンモニア酸化の主な担い手であると同時に、土壌中の硝化速度はAOAの存在量によって大きくコントロールされていることを強く示唆している。

以上、本研究において、まず土壌中の窒素フロー速度の簡便な測定法を確立した。続いて、高窒素負荷環境にある中国亜熱帯林において森林の林齢および植生によって土壌中の硝化速度が大きく異なることを明らかにした。さらにその硝化速度はAOAの存在量によって大きくコントロールされている可能性を示した。また、今後も窒素負荷が続くことで、NO3-がさらに溶脱されやすくなることを強く示唆した。本研究が提供する手法と知見は、今後予想される窒素負荷の増大に対して、窒素循環だけでなく森林生態系全体がどのように変遷していくのかを予測する上で極めて重要であり、学術的、応用的に貢献するところは少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51980