学位論文要旨



No 126893
著者(漢字) 楠本,善史
著者(英字)
著者(カナ) クスモト,ヨシフミ
標題(和) 効率的合成を指向したグリコシナスペリミシンDとソラノエクレピンAの合成研究
標題(洋)
報告番号 126893
報告番号 甲26893
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3646号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 准教授 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

天然から顕著な生理活性を示す有機化合物(天然物)が数多く単離されているが、これら生理活性天然物は微量にしか得られないことが多く、人工的な大量の試料供給が望まれるため、有機合成化学の果たす役割は非常に重要視されている。近年の検索技術の進展により既存の反応を探すことは容易になったが、これらの単純な組み合わせだけでは、十分に効率的な合成が達成されるとはいえない。高効率的な合成は、高収率の反応を短工程で組み合わせることが当然必要であるが、全体を見据えた合成経路のデザインも重要である。筆者は「効率的合成」を念頭に2つの天然物の合成研究を行った。一つめは、アミノ糖系抗生物質グリコシナスペリミシン Dの合成研究であり、第一世代合成の未解決問題の改善を行い、効率的な合成経路の確立を目的とした。二つめは、ジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するソラノエクレピン Aの合成研究を行い、他グループと違った効率的な合成を目指し、合成研究を行った。

1) アミノ糖系抗生物質グリコシナスペリミシン Dの合成研究

グリコシナスペリミシン D (1)は、梅沢らによって Nocardia sp. MG615-7F6の培養液より単離・構造決定されたアミノ糖系抗生物質であり、生物活性としてグラム陽性菌や陰性菌に対する幅広い抗菌活性が確認されている。合成研究は、2005年に市川らによってアミノ A 糖 (3)とアミノ糖 B (2)をカップリングさせて全合成を達成しているが、三つの問題点が解決されずに残った。

一つめの問題は、アミノ糖 A (3)の出発原料のD-ガラクトールが高価であり、さらにアジドニトロ化法によるアミノ基導入反応は、大量合成には適していない点である。二つめは、アミノ糖 Aの3 位ベンゾイル基の除去が困難である点である。三つめは、最終段階でのBoc 基の除去の際に、TFAを用いると B 糖のウレアグリコシドが一部加水分解し、収率が低下する問題である。これらの問題点を解決することで、グリコシナスペリミシン Dの効率的な合成経路の確立を目的とし合成研究を行った。一つめの問題は、地球上で豊富なバイオマス資源である D-グルコサミン塩酸塩 (4)を用いて解決しようと考えた。

D-グルコサミン塩酸塩 (4)を出発原料として 2 段階を経て、続く α-フェニルグリコシル化、さらにアセチル基を除去し 5とした (100gのスケールで反応を行い,通算収率 69%)。6 位の一級水酸基をトシル化し、3 位水酸基のピバロイル保護を行い 6とし、さらに2 工程を経て 6-デオキシ化糖 7 へと誘導した (20gスケールで反応を行い,通算収率 37%) 。得られた 7の4 位の水酸基を隣接基関与による SN2 反応を用いて反転させて 8 へと導き、3 位水酸基のアセチル化と、フェノールのパラ位にヨウ素化を行い 9とした。得られた 9の3つの保護基を加水分解によって一挙に除去し、続く 2 工程を経て市川らが報告している中間体 10の合成に成功した。15 工程と若干工程数は増えたものの、総収率 26%と大幅な収率の改善に成功した。さらに、4 から 5 までの合成は、シリカゲルカラムクラマトグラフィーを用いずに、再結晶で精製できるため効率的な合成であるといえる。

得られた 10と11を用いて Heck 反応を行い、続く市川らと同様の手法でアジド糖 12 へと誘導した。二つめの問題であるベンゾイル基の除去問題は、カップリング前に除去しようと考え、12に対してメタノール中、炭酸カリウムを用いてベンゾイル基を除去し、さらに2 工程を経て遊離の水酸基を有する 13の合成に成功した。得られた 13とアミノ糖 B (2)を用いてカップリングさせ 14とし続くアセチル化を行い、グリコシナスペリミシン D 完全保護体 15の合成に成功したが、収率において検討の余地を残す結果となった。また、TBS 保護された水酸基を有する 16も合成したので、こちらでも検討を行う予定である。

三つめの問題点である Boc 基の除去は、様々なモデル化合物を用いて検討を行い、17に対してギ酸もしくはジフルオロ酢酸を用いると、簡便な処理で 18の合成に成功した。これにより、TFA よりも温和にBoc 基を除去し、B 糖のウレアグリコシドの加水分解を抑制できると考えられ、今後実際の基質で検討する予定である。

2) ジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するソラノエクレピン Aの合成研究

ジャガイモシストセンチュウはジャガイモの根に寄生して養水分の吸収を妨げることで、収量の低下や、枯死をもたらす病害虫である。この病害虫は球形にふくれたメス成虫のシストと呼ばれる卵の状態で、土の中で 10年以上生存可能である。シストの中の卵は寄主植物のない状態では孵化せず、乾燥・低温・薬剤に強い耐性を持っており、一度侵入したほ場・地域から根絶させることは不可能であると言われている。この様な状況の中、1993年にBruggemann-Rotgans らによってジャガイモの水耕培養液より ソラノエクレピン A (19) が単離され、この化合物がジャガイモシストセンチュウに対して顕著な孵化促進活性を示すことを報告している。そこで、寄主植物が植えられていない冬季に19を散布することでシストから強制的に孵化を促し、低温条件によって死滅させるという、新たな生態学的農薬となる可能性が示唆されたが、水耕培養液 700 株分から僅か 245μg しか得られず、このことが実用化研究の障害となっている。そこで、筆者は有機合成による大量供給を目的とし、合成研究に着手した。

合成計画は、左側ケトアルデヒド 20と右側ホスホネート 21のカップリング反応で中央 7 員環を構築できると考えた。また右側ユニット 21の合成は、Solanoeclepin Aの全合成において最重要課題である高度に歪んだトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の構築が問題となる。この骨格構築は、α-ジアゾケトン 24に対して分子内マイケル付加反応が進行すれば、より環のひずみが軽減されたトリシクロウンデカン骨格 23に導くことが可能であり、Wolff 転位による縮環反応を行い、より歪んだトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格 22 が合成できるのではないかと考えた。この計画を元に合成研究を行った。

光学活性な Hajous-Parrish ケトン (25)を出発原料として、文献既知の3 工程を経てニトリル 26の合成を行った。ニトリル 26に対して、二重結合を異性化させながらアセタール保護を行い、続くニトリルのα位にメトキシカルボニル基を導入し 27を得た。得られた 27の二重結合に対してジヒドロキシル化を行い、続く酸性条件下で加熱還流によりアセタール基の脱保護と三級水酸基の脱水を一挙に進行させ、生じた水酸基をTBSで保護し 28 へと誘導した。メチルエステルの加水分解によりカルボン酸とし、オキサリルクロリドと反応させ酸クロリドへと導き、未精製のままジアゾメタンと反応させ、望む α-ジアゾケトン29の合成に成功した。そして、一つ目の鍵反応である α-ジアゾケトン 29の分子内マイケル付加反応は、様々な検討を行った結果、テトラメチルグアニジンを触媒量添加し、加熱還流条件で反応させると、望むトリシクロウンデカン骨格 30の合成に成功した。次に、二つめの鍵反応である Wolff 転位反応は紫外線を照射したところ、予想通り Wolff 転位反応が進行し、望むトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格 31の構築に成功した。ここで予期せぬ副生成物 32 が得られ、この化合物はケテンと酸素の[2+2] 環化反応が進行し、最後に脱炭酸することで得られたと考えられる。この骨格は、Solanoeclepin A (19)の持つシクロブタノン骨格そのものに相当し、Wolff 転位生成物 31 からトリシクロ[5.2.1.01,6]デカノン骨格 32 への変換がワンポットで進行したことになり、他のグループよりも大幅な工程数の削減が見込めることとなる。そこで、酸素雰囲気下で Wolff 転位反応を行った。

種々条件検討した結果、塩化メチレン溶液を-78 °Cに冷却し、酸素雰囲気下で激しく撹拌することで、望むシクロブタノン環 32を主生成物として得ることに成功した。ジケトン 32の二つのカルボニル基の10 位のみを選択的に還元し、生じた水酸基をTMS 保護を行い、3 位のケトンをシリルエノールエーテルで保護して 33を得た。得られた 33のニトリル基をアルデヒドに変換し、H.W.E 反応で側鎖を伸長させ、エステル基をアルコールまで還元して 34 へと誘導した。不斉シクロプロパン化反応は、光学活性ホウ素試薬 35を用いる Charette 法を適用したところ、目的とするシクロプロパン誘導体 36を得ることに成功した。

次に、Solanoeclepin Aの中央 7 員環構築のモデル実験を行い、別途調製した左側ユニット 37と右側ユニットのモデル化合物 38を用いてジアニオンカップリングを検討したが、望む 39は得られなかった。次に、段階的にカップリングを行おうと考え、40を用いてのNHK 反応を試みたが、目的とする 41は得られなかった。現在、新しい合成計画を考案し検討を行っている。

以上の様に、筆者は 2つの天然物の合成研究を行った。両者とも複雑な構造の天然物であるため、効率的な合成経路を設定しなければ全合成は困難であり、生物活性試験も視野に入れると効率的合成法の確立は必要不可欠である。まだまだ検討の余地もあり、全合成も達成していないが、今後まだ達成されていない複雑な天然物合成の基礎研究に、少しでも貢献できたら幸いである。

審査要旨 要旨を表示する

顕著な生理活性を示す有機化合物が天然から数多く単離されているが、これら生理活性天然物は微量にしか得られないことが多く、人工的な大量の試料供給が望まれる。近年の検索技術の進展により既存の反応を探すことは容易になったが、これらの単純な組み合わせだけでは、十分に効率的な合成が達成されるとはいえない。高効率的な合成は、高収率の反応を短工程で組み合わせることが当然必要であるが、全体を見据えた合成経路のデザインも重要である。本論文では「効率的合成」を念頭に二つの天然物の合成研究を行っており、二部より構成されている。

第一部では、アミノ糖系抗生物質グリコシナスペリミシンDの合成研究を行い、市川らの合成の問題点を改善して、効率的な合成経路の確立を目的とした。D-グルコサミン塩酸塩を出発原料として、市川らが報告している中間体を合成し、総収率 26%と大幅な収率の改善に成功した。さらに数工程を経て、3位に遊離の水酸基を有するアミノ糖 Aと、3位の水酸基がTBS 保護されたアミノ糖 Aの合成にも成功した。また収率の悪かった Boc 基の除去に関して、ギ酸もしくはジフルオロ酢酸を用いると、トリフルオロ酢酸よりも穏和にBoc 基を除去できることを見出し、B 糖のウレアグリコシド部分の加水分解を抑制することにも成功した。

第二部では、ジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するソラノエクレピンAの合成研究を行った。Hajous-Parrish ケトンから数工程を経て、α-ジアゾケトンへ誘導し、鍵反応である分子内マイケル付加反応によりトリシクロウンデカン骨格の構築に成功した。続いて酸素雰囲気下で Wolff 転位反応を行うと、トリシクロデカン骨格の形成とシクロブタノン環への変換がワンポットで進行することを発見した。さらに数工程を経て、アリルアルコールへと誘導し、不斉シクロプロパン化反応を行い、3員環から6員環までの全ての炭素環を含むソラノエクレピンAの右側部分の合成に成功した。

以上本論文は、効率的合成を指向したグリコシナスペルミシン Dとソラノエクレピン Aの合成研究についてまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51981